現代の俳壇の危機的状況とは以下のように考えられるのでしょうか?
①「物事を言葉で写実しただけの些末写生、独りよがりの主観的表現、単なる言語的遊戯などによる、歪んだ俳句が増産され続けている」
②マニュアル的に作ればだれでも俳句らしきものが詠めてしまうそこには楓雅の誠は存在しない。
楓雅の誠とは俳詣は不断に新しく変化してゆくところに不変の本質があるという文学観と、俳諧の永遠不変の価値は「風雅の誠」を追求する不断の自己脱皮から生まれるという実践論から成り立っている。
https://ameblo.jp/redgod1956/entry-12649861298.html 【風雅の誠】より
パパが好きな言葉は「風雅の誠」なんだ。松尾芭蕉が最初に使った言葉でね。その意味は
私心を捨てて大自然と一体となった、永遠不変の境地のこと。
「不易(ふえき)流行」の根底にあって、それを生み出すもとになっているとされる。
つまり、古いものを無くしてしまうのではなく、煮詰まったら古いものに戻って、価値を受け継いで、未来に反映して、夢や希望を生む。いい言葉だろ?
ゆのちぃは 、Miyabi が好きだしな^^
でもね、ゆのちぃこれだけじゃ、ただの理想論。大切なことが一つ抜けている。それを考えてごらん。
話変わるけどね今は世界がものすごい速さで動いてるね。これからの世界は180度、ガラリと変わるよ。今までは、例えば一人の牧場主がいて家畜を柵の中で放し飼いにしている。
その家畜たちは、柵の中では境界線のない、家畜の種類も、エサも様々だ。
じゃれあったり、喧嘩したり、交尾したり・・これが自由(と思わされている)だ。
ただし、柵の中の世界でね。
牧場主は、そんな家畜を柵の外からコーヒーでも飲みながら眺めている。
じゃあ、これからはどうなる。古代に時を戻そう・・と言うことになるw
牧場主は退場し柵は取り払われて、家畜たちは小さなグループを作ったりして、自然の中で生活する。
人々は共存共栄で助け合い、その中から実りあるものを得るようになる。
そこからゆっくり平和的なルールができるよね。古代から「渦巻き」は生命の印だった。
縄文土器に渦巻き模様が多いのはそのためだ。今の世界を破壊するのは容易いことだけど
そこから立ち直るのは大変なんだ。優れた2人のリーダーが必要なんだよ。
1人は、偏りのない思想を持ち、将来の方針や理想を語れる人。もう1人は、その理想を形にすることができる人。
中枢に立つ人は、2人とも信仰心や心のよりどころを持っている、ブレない人でなければならない。
私利私欲、つまり「今だけ、金だけ、自分だけ」の拝金主義者ではダメ。
反対に外側は、いろんな人がいてもいい。
渦巻きの真ん中さえちゃんとしていれば、渦は崩れない。
パパは二つ大切なことを言ったね。
一つめは、今までは一握りのエリートが、大多数の人を支配するタテの関係(グローバリズム)これからの世界は、相手を認めながら共存共栄するヨコの関係(ナショナリズム)だよ。
二つめは、その世界を最初に作る人に求められる条件があって、中道(思想に偏りがない)と信仰心(心のよりどころ)だねあと、もう一つ大切なことがある。
「たまり場」だ。思いを共有できる空間わかりやすく言えば家族だ。
https://blog.goo.ne.jp/kotonoha-anshu/e/370d7cad677682251f62d71a5e41c4e5 【【名言名句 第五十三回】 不易流行。松尾芭蕉】より
わび・さび、あるいは、かるみ・しおりなどと表される、松尾芭蕉の句風。
今日に連綿と続く、芭蕉の俳句の基調となる俳諧理念として、「不易流行」ということばがあります。
これは今日一般的に、以下のように定義されています。
〔不易流行〕 ふえきりゅうこう
俳論用語。「不易」は永遠不変、「流行」は刻々の変化の意で、両者は「風雅の誠」に基づく点で同一であるとする孝え方をいう。
俳詣は不断に新しく変化してゆくところに不変の本質があるという文学観と、俳諧の永遠不変の価値は「風雅の誠」を追求する不断の自己脱皮から生まれるという実践論から成り立っている。元禄二年(1689)『おくのほそ道』の旅行後、同年冬から門人達に説いたもので、『俳諧問答』『去来抄』『三冊子』などに祖述されている。
宇宙の根源的主宰者である「造化」の、不変の恒常的原理を「理」、万物創成の創造力を「気」、その本体を「誠」とする宋学の考え方に基づき、俳詣の本質と俳諧作者のあるべき姿について論じたもの。
(『芭蕉ハンドブック』尾形仂 三省堂2002年2月)
芭蕉は、不易流行を弟子に説き、門弟たちがそれぞれの見解を書き残しました。
しかし芭蕉自身、自らこの四文字の成語を書物に遺すことはありませんでした。
ただ、以下のような紀行文や随筆から、不易流行の思想を読み取ることはできるかもしれません。
月日は百代の過客にして往きかふ年もまた旅人なり。
(『奥の細道』序文)
倭歌(やまとうた)の風流、代々にあらたまり、俳諧年々に変じ、月々に新也。
(『常盤屋句合』跋文)
風雅の流行は、天地とともにうつりて、只つきぬを尊ぶべき也。
(『三聖図賛』跋文)
芭蕉の高弟の文には、より明確に師の教え、不易流行が語られ、同門へと伝えられていきます。
蕉門に千歳不易の句、一時流行の句といふあり。是を二つに分けて教へ給へども、その元は一つなり。不易を知らざれば基たちがたく、流行を知らざれば風新たならず。不易は古によろしく、後に叶ふ句なる故、千歳不易といふ。流行は一時一時の変にして、昨日の風、今日宜しからず、今日の風、明日の用ひがたき故、一時流行とはいふ。はやる事をいふなり。
(『去来抄』向井去来)
師の風雅に、万代不易あり、一時の変化あり、この二つに究り、その本一つなり。その一つといふは風雅の誠なり。不易を知らざれば、実に知れるにあらず。不易といふは、新古によらず、変化流行にもかかはらず、誠によく立ちたる姿なり。
(『三冊子』服部土芳)
猿簑の選を被りて不易流行のちまたを分かち、新風に臨みても幽玄の細みを忘れず。
(『風俗文選』森川許六)
さて、不易流行の「易」は、〔えき〕と読むほかに、易わる=〔かわる〕と読みます。変わる、と同義です。
中国の代表的な古典である、『易経』は占いの書というよりは、万物自然の変化をとらえ、予兆を見抜き、来たるべき将来を見通すための書なのです。よって古来帝王の必読の書とされてきました。
そもそも、『易経』そのものの中で、「易」はどのように考えられ、説明されているのでしょうか。
生生これを易という。
(『易経』繋辞上伝)
「天地は無窮の営みを続け、途切れることがない。またそこから万物が生じる。
春夏秋冬は規則正しく巡り、冬が終われば、また新たな春がやってくる。
同じ時は再び訪れることはない。
生じるものは常に新たであり、またそこから新たなものが生じる。
このような窮まりない変化を「易」という。
我々人間も日々の変化あってこそ、生き生きと生きていける。」
(『「易経」一日一言』(致知一日一言シリーズ) 竹村亞希子 致知出版社2009年2月)
易、すなわち変化のダイナミズムの中で、生命は脈々と次代へ継がれていく、と古代中国では考えていました。
現代の科学に置き換えれば、遺伝子の突然変異も、生命の停滞を打ち破るための〔神の一突き〕なのかもしれません。
変化こそ、生命の源である。
と思い至った時、日本の美と文化に〔神の一突き〕をもたらした、千利休の法号がまさしく、「宗易」であったことに気づかされるのです。
王朝和歌の伝統をふまえつつ、詩の解体と精神の解放をもたらした、松尾芭蕉。
東山文化の遺産を引き継ぎながら、まったく新しい侘びの境地を切り拓いた、千利休。
「不易流行」は文化と歴史の壁を越えて、いまだ見ぬ未来を描いてくれるのかもしれません。
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