https://blog.goo.ne.jp/kenken1948/e/dfafdc89323e449852c281937b9611c0 【<オオアラセイトウ(大紫羅欄花)> 別名に「諸葛菜」や「紫花菜」】より
【中国原産、総状花序に淡紫色の十字花】
中国原産のアブラナ科オオアラセイトウ属(オリチオフィラグムス属)の2年草。日本には江戸時代に観賞用として渡来したが、広く栽培されるのは1930年代以降になってから。今では野生化し、道端などでも見かけるようになってきた。花期は長く3月から5月頃まで。草丈は30~60cmで、茎の先の総状花序に径2~3cmほどの淡紫色や紅紫色の十字形の4弁花を付ける。
「オオアラセイトウ」の名付け親は植物学者の牧野富太郎博士で、アラセイトウは切り花やブーケなどとして人気があるストック(アブラナ科アラセイトウ属)の和名。若芽が食用にもなるオオアラセイトウには「ショカツサイ(諸葛菜)」や「ムラサキハナナ(紫花菜)」の別名もある。諸葛菜の名前は中国・三国時代の軍師・諸葛孔明(181~234)が兵士の食料用として栽培し広めたことに因むそうだ。東京都武蔵野市はこの植物をムラサキハナナとして「市民の花」の一つとしている。
「ハナダイコン(花大根)」の呼び名でも広く親しまれている。ただ、このハナダイコンは同じアブラナ科でも別属のハナダイコン属(ヘスペリス属)の植物の正式名。花の色形などがよく似ていることによって混乱が生じているが、こちらはヨーロッパ原産で、草丈は50~90cmとやや大きい。紫花のほか白花もある。オオアラセイトウはモンシロチョウの仲間スジグロシロチョウの食草の一つになっている。「諸葛菜咲き伏したるに又風雨」(水原秋櫻子)
http://poetsohya.blog81.fc2.com/blog-entry-104.html?sp 【ひと知りて四十年経ぬ萌え立てる君は野の花ムラサキハナナ・・・・・・・木村草弥】より
ひと知りて四十年経ぬ萌え立てる
君は野の花ムラサキハナナ・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
今年は暖かいので、例年なら四月に入ってから咲く「ムラサキハナナ」が、もう満開であるので、急遽載せることにする。
この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWebのHPでも、ご覧いただける。
この歌は、ある短歌結社の全国大会が九州であったときの応募歌である。
ムラサキハナナは、アブラナ科で学名は orychophragmus violaceus というが、別名をショカツサイ(諸葛采)、オオアラセイトウ、花大根などという。
諸葛采は中国での名前で、諸葛孔明に因む命名である。花大根という名がついているが、大根とは無関係である。
写真②のように、今ではあちこちに群がって咲いている。
種が落ちると、とても強い草で、どこから来たのか、私の方の菜園にも周辺部にわんさと咲いている。
種が落ちる前にこまめに除草をすると群落は減ってくる。
私の歌の「ひと」とは、もちろん妻のことである。紫色の4枚の花弁が「十字架植物」であることを示してはいるが、今では雑草扱いされている野の花であって、私は妻を、その野の花になぞらえたのである。西洋人ならば、こういう、へりくだった表現はしないが、日本では謙遜が尊ばれる。
この歌を作ったときは、もう十数年以上も前のことになってしまったが、「四十年経ぬ」と詠ってあるように知り合ってから、その頃で四十年も経ってしまったのか、という感慨である。
この頃まだ妻は健康であったし、それから十年以上の歳月が経ってしまった。
やはり文芸作品というのは、思いついたら、すぐに、このように作品化しておくべきものだ。
妻が亡くなった今では、いい思い出の歌になった。
以下、この草を詠んだ句を引いて終る。「諸葛菜」である。
諸葛菜咲き伏したるに又風雨・・・・・・・・水原秋桜子
諸葛菜晩年の文字美しや・・・・・・・・角川源義
諸葛菜死者が生者を走らせる・・・・・・・・和田悟朗
目つむれば眠つてしまふ諸葛菜・・・・・・・・茂恵一郎
諸葛菜人に委ねし死後のこと・・・・・・・・福田葉子
新聞のたまるはやさよ諸葛菜・・・・・・・・片山由美子
言海のとぢ糸滅び諸葛菜・・・・・・・・南雲愁子
電柱に夜の雨走る諸葛菜・・・・・・・・西谷剛周
廃れをる牛舎の中も諸葛菜・・・・・・・・小野塚登子
鎌倉は木暗し崖(はけ)の諸葛菜・・・・・・・・久保美智子
諸葛菜われらひもじき日々ありき・・・・・・・・大黒華心
裾ふれて散り際早き諸葛菜・・・・・・・・中川禎子
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