ホツマツタエのおもしろ記事

http://divinehuman.blog.fc2.com/blog-date-201304.html 【ホツマツタエのおもしろ記事(113)  飛鳥の意味】より

これまでのお話: 1.『十種神宝』

         2.『皇孫降臨』

         3.『そらみつやまと』

クシタマホノアカリ (斎名:テルヒコ) は、上総のツクモ (九十九里浜) から天地の斎船に乗って浪速に向かう。その船が遥か洋上を駈け回る姿は、空を飛んでいるかのさまだったという。浪速にて鴨船に乗り換えて大和川を逆上り、イカルガの峰より最終目的地の白庭に着く。天地の斎船が空を駆け回ってやってきたこの地は「空回つ大和国」と呼ばれるようになる。

宮つ屋 成りて 十二の后 スガタが娘 御后に なして歌 詠み カダカキの 琴を楽しむ

『宮つ屋 (みやつや)』 「みや」+「つ」+「や (屋)」。「みや」は「うや (敬・礼)」「いや (礼・敬)」の変態で「高み・尊さ・中心」などの意。「つ」は「たる」の簡略。「や」は「入れ物・器」の意。よって「みやつや」は「中心たる建物」の意で「政庁・政殿」を表す。「みや (宮) 」はこの語の簡略なのかもしれない。

『十二の后 (そふのきさき)』天君が備える12人の侍女。『つぼね』を参照。

『スガタ (菅田比古命)』クシタマホノアカリの最初の内宮、スガタ姫の父。奈良県大和郡山市の「菅田神社」の祭神。

『御后 (みきさき)』内宮。中宮。

『カダガキ (葛掻)』イサナギが宮の垣に茂る葛 (カダ) を掻く糸薄 (イトススキ) にヒントを得て造った三弦琴。詳しくは『琴の起源』を参照。

イカルカの 宮に移りて そのあすか 高殿に四方を 望む折 白庭山に カラス 飛ぶ 隈野と思ひ 宮遷し

『イカルガの宮』クシタマホノアカリが大和国に下って始めに入った宮の名。イカルガ峰の麓にあったのだろう。

『あすか』「あす (上す・明す)」+「か (方・処・時・日)」。「あす」は、ここでは「進展する」の意。「か」は「区分・区画」を表す。よって「あすか」は「翌時・翌日・直後・即刻」などの意。

『高殿 (うてな)』「う (大・上・敬)」+「てな」。「てな」は「との (殿)」「つの (角)」の変態で、「突き出たもの・突出」の意。

『白庭山 (しらにはやま)』イカルカの峰の別名と思われる。

『カラス』カラスはイサナミがイサナギを追わせた、鬼霊八人の化身で隈の神の使。人の魄を「枯らす」。

『隈野 (くまの)』ここでは隈の神の使いのカラスが飛ぶ「災いの地」の意。詳しくは『熊野』を参照。

これが「あすか」を「飛鳥」と書く理由のようである。 また、

『浪速より カモにて到る イカルカの峰より トリの白庭に』

前ページでは「トリの白庭」を「最終地点の白庭」と説明したが、実は「鳥の白庭」の意もかけていたわけである。したがって『旧事』に記載されている「鳥見の白庭」も「カラスを見た白庭山」という意味なのであろう。

白庭山にカラスが飛ぶのを見たクシタマホノアカリは、イカルガ宮に入ってまだ日も浅いにもかかわらず、ここは「隈野」(災ひの地) であるから、すぐに他所に宮を移さねばならぬと言い出す。

時にコヤネは「早かれ」と オホモノヌシも 止めける

フトタマが言ふ「考なえて 君の仰すを 止めんや」

カグヤマも言ふ「隈野なる 翌時 移せば 好き例 既に極まる」

『コヤネ』 アマノコヤネ (天児屋命)。本来テルヒコの左の臣になる予定だったと推測している。

『オホモノヌシ (大物主)』ここでは2代大物主の「クシヒコ (大国主命)」。本来テルヒコの右の臣になる予定だったと推測している。

『フトタマ (天太玉命)』タカキネの第3子。ナガスネヒコ (長髄彦)、ミカシヤ姫 (御炊屋姫)、アメトミ (天富命) の祖父。テルヒコの左の臣となる。

『考なふ (かかなふ)』「かく (交く)」+「なふ (和ふ・綯う)」の複合。どちらも「合わす」の意。ここでは「(心に) 合わす」で「かんがふ (考ふ)」と同義。

『カグヤマ』カグヤマツミの略。カグツミの第2子。「カグヤマツミ (橘山統み)」の名は「橘山を治める者」の意であり、これは父のカグツミに継いでハラミの宮 (サカオリ宮) の治めを預かったことを推測させる。後にテルヒコに従って大和に下り、右の臣となる。アマテルの三子の娘の一人「タキコ (湍津姫・多岐都比売命)」を娶り、「カゴヤマ (天香語山)」 と「アメミチ姫 (天道日女命)」を生む。

『隈野なる翌時 (くまのなるあすか)』「隈野となった直後」「災いの地となって即刻」の意。

『極まる (きわまる)』「極む (きわむ)」から派生した自動詞専用形。「きわむ」は「きふ」から派生した動詞で、「きふ」は「きむ (決む・極む)」の変態。ここでは「至る」の意。

モノヌシは 怒りて曰く

『フトタマは 君の執の大人 臣翁 昨日 万歳 君 祝ひ 今日 また変わる 宮遷し』

『モノヌシ』=オホモノヌシ=クシヒコ。

『曰く (いわく)』「いふ (言う)」+「しく (如く)」の合成から「し」を省いて名詞化したもの。「言う如く」の意。これを世にク語法と呼ぶ。

『執の大人 (とのおち)』「と」は写本によっては「ち」ともなっている。「と (留・統・執・治・左)」の「おち (大人・治人)」。あるいは「ち (治・領・占・統)」の「おち (大人・治人)」で「統治の司」の意と考える。

『臣翁 (とみをきな)』臣の長老。老熟の臣。「をきな」は「大きなる者」の意で「上位の者・老熟の者」を意味し、この反対語が「おさな」。

『万歳 (よろとし)』「よる (熟る・喜る)」と「とす (突す・達す)」の名詞形を合せた熟語。どちらも「高まる・栄る・熟れる・優れる・至る」などの意。

『万千は遠し 一年も 経ざるを迫めば 世の恥は 汝の心 穢れより』

『迫む (せむ)』「(空きを) せばめる」という意で、この場合は「突き詰める」「突き止める」という意。

『恥 (はち)』は「はづる (外る)」の原動詞「はつ」の名詞形で「反り・逸れ・曲り・外れ」などの意。「はす (斜)」の変態。

『君 肖らば 我 居らず 茜炎に 潰みすとも 磨金 食めど 穢れ 得ず』

かく言い 帰る

『肖る (あやかる)』「あゆ (肖ゆ)」+「かる (交る)」の複合語。どちらも「合う・似る・交ざる・匹敵する」などの意。

『茜炎 (あかねほのほ)』燃え盛る炎。烈火。「あかね」は「あかぬ」の名詞形。「あかぬ」は「あかる (上がる)」「あかむ (赤む・崇む)」などの変態で、これらは「あく (上ぐ)」からの派生語。「高まる・勢いづく・栄る」などの意。

『潰みす (つみす)』「つみ (詰み)」+「す (為る)」。「つみ」は「つぶれ (潰れ)」「ついゑ (費え・弊え・潰え)」と同義。

『磨金 (まろかね)』粗鉱に対して「精錬した金属・精げた金・まろやかにした金」を言う。

おもしろいのは、この部分によく似た表現が『八幡大菩薩託宣』という文書の中にあることである。

「鉄丸を食すと雖も、心汚れたる人の物を受けず 銅焔(どうえん)に座すと雖も、心穢れたる人の処に至らず」

諸 議り 遂に遷して アスカ川 周に堀りて 禊 なすかな

『アスカ川 (飛鳥川・明日香川)』この「あすか」は意味が異なる。この「あすか」は「あすく」という動詞の名詞形。「あすく」は「いすぐ・ゆすぐ (濯ぐ)」「はじく (弾く)」などの変態で、「離す・放つ・祓う」などの意。よって「アスカ川」は「穢れ祓いの川・みそぎの川」という意なのである。このことを確認できる歌が万葉集にある。

『君により 言の繁きを 故郷の 明日香の川に 禊しに行く』万四

『周 (くるわ)』は「くるふ」の名詞形。「くるふ」は「くるむ (包む)」などの変態で「包む・囲む」などの意。

諸守は協議したが、結局は宮を遷したのである。これは「アスカ宮」と呼ばれる。そして新宮の周囲にアスカ川を掘り、その川の流れにクシヒコの言う穢れを祓ったのだという。

何が「穢れ」なのかはっきりしないが、基本的にホツマでは「穢れ」とは「心の曲り・偏り・不調和」を言う。

したがって「あすか」の意味は、

1.翌時。翌日。直後。即刻。性急。

2.祓い。禊。

である。

どこに宮を移したのかが書かれていないが、「アスカ宮」は後に「カグヤマ宮」とも呼ばれるようになるので、香具山の麓の地であったと推察される。

こうして大物主のクシヒコはホノアカリから離れ、大和を去っていった。

クシヒコの何を犠牲にしようとも、相手が何物であろうとも「穢れ食まず」「曲りを絶つ」という精魂は、八重垣の臣 (大物主家) の伝統となる。

クシヒコの8代の孫のオミケヌシ (大御気主命) は、開化天皇が、父・孝元天皇の妻イカシコメを内宮に立てるに際し、シラウド・コクミの母犯しの例を挙げて諫めるも、聞き入れられず、やはり父のミケヌシと共に宮を落ちている。

『オミケヌシ 諌め申さく "君 聞くや シラウド・コクミ 母 犯す 汚名 今にあり 君 真似て 汚名を被るや"』

『嘆きて曰く "大御神 陽陰の道 成す 代々の君 継ぎ受け 収む 天地日月 汝が政 諌めずて 阿り 君を 穴にする 心 汚なし 君 如何ん 我が上祖神 離れんや 穢れ 食まず" と 言い終り 帰れど 君は これ 聞かず ミケヌシ親子 噤み下る』ホ32文

開化天皇の子、崇神天皇に夢に顕れた「大物主神」とは、クシヒコを原点とする歴代の大物主の霊魂の顕れなのだろう。天皇が神の言葉に従って発掘したオオタタネコ (大田田根子命) はオミケヌシの孫である。

『我はこれ オオモノヌシの 神なるが 君 な憂ひそ 治せざるは 我が心あり 我が裔 オオタタネコに 祭らさば 等しく平れて 遠つ地も まさに服ふ』ホ33文

またフトマニにはこんな歌がある。

『上の諫め 君は臣あり 親は子の 共に宝の 恵るなりけり』フ15

「上位者に対する諌め」を詠うこの歌も、我が身を顧みずクシタマホノアカリを諌め、また父のオオナムチを諌めたクシヒコがモデルになっていると思われる。

この章には記されていないが、コヤネもクシヒコと同じ行動をとっている。

『例ひ落ちても  な恨めそ 陰の忠 なせ この芽 出る 故はアスカを 落ちた時 忠を忘れず』ホ28文

彼らはどこへ行ったのだろうか・・・

もう一人の御孫の所である。

参考サイト:http://gejirin.com/hotuma20.html

     :http://gejirin.com/mitinoku.html

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ホツマツタエのおもしろ記事112『そらみつやまと』

2013-04-30 10:34

ホツマツタエのおもしろ記事(112)  そらみつやまと

これまでのお話: 1.『十種神宝』

         2.『皇孫降臨』

クシタマホノアカリはオシホミミより「三種宝」を、さらにアマテルよりは「十種宝」を授与されて中国の大和に下る。供守32人、25人編成の護衛部隊を5隊、総勢864人の供を従えて、ヒタカミから陸路を南に向かった。

ヒタカミを出て カシマ宮 その道 民の 出迎ひ

『ヒタカミ (日高見)』今の仙台付近を中心とし、おおよそ「みちのく (陸奥)」「奥州」と呼ばれる地域に相当する。勿来を境に北がヒタカミ、南はホツマ国となる。現在の東北と関東+東海の区分と大差無い。ヒタカミは「タカミ」「タカヒ」とも略されるが、 「ひ (日)」+「たかみ (高み)」で、「日が昇る地」「東」が原義である。

『カシマ宮 (かしまみや)』鹿島宮。タケミカヅチ (カシマ守) の宮で、今の鹿島神宮。 この近くにはフツヌシ (カトリ守) の「カトリ宮 (香取神宮)」やアマノコヤネの「イキス宮 (息栖神社)」もあり、ホツマ国北部の要所であったことが窺える。

耕し 欠くと 聞し召し イセに侍る 御子の弟 キヨヒトに神 御言宣

『汝とチカラと 速船に 行きて斎船 奨むべし』

『聞し召す (きこしめす)』「きこす (聞す)」+「めす (召す)」の複合。「きこす」は「きく (聞く)」の派生動詞。どちらも「合わす・収(治)める」の意で、「きこしめす」は「合わす・治める・執る」「(自己に) 合わす・聞く・思う」などの意。「知ろしめす」と同義。

『イセ (妹背・伊勢)』は「いもせ (妹背)」の略で、「女男・陰陽・地天・月日」の意。ここでは太陰霊と太陽霊の下生である「妹背の神」(=アマテル)、またアマテルの居る地「伊勢」を表す。

『御子 (みこ)』ここではクシタマホノアカリ (斎名:テルヒコ) を指す。

『キヨヒト』ニニキネ (瓊々杵尊) の斎名。

『神 (かみ)』アマテルを指す。世に生きる人間で「神」と呼ばれるのはアマテルだけである。

『汝 (なれ)』「な (合・和) 」+「れ (在・有)」。「れ」は「ある (在る)」の名詞形で存在を表す。「なれ」は「相対する存在」の意で、「なんち (汝)」「いまし (汝)」の同義語。

『チカラ』タチカラヲ (手力雄神) の略。この頃は父オモイカネの後を受けて、イサワ宮で「ひよみ (日夜見)」をしていたようである。

『斎船 (いわふね)』「いわ (斎)」は「いふ (斎ふ)」の名詞形で「高める・勢いづける・栄す・潤す」などの意。「斎船」は「天君が乗り巡って (和り恵って) 世を照らす船」という意で「御幸の船」を言う。これは「天地つ日月」と同じ概念によるものである。「あまのいわふね (天地の斎船)」また「斎奇船 (いわくすふね)」とも呼ばれている。

よりて御孫と タチカラヲ ワニ船に乗り 上総の ツクモに着きて カトリ宮 神言 宣れば

『御孫 (みまご)』アマテルの孫を言うが、特に「クシタマホノアカリ」と「ニニキネ」を指す。「アメの御孫」とも言う。この場合「アメ」は「天地・陽陰」の意で、「アマテル神 (天地垂る神・陽陰垂る神)」を意味する。 ここではホノアカリを「皇孫」「御子」と表しているので、「御孫」はニニキネを指している。

『ワニ船 (わにふね)』ワニ (鮫) のような形 (背びれを水面に出す) の船。帆船。ワニ船が最も速い船だったことが他の箇所に記されている。現在も対馬では大型の舟をワニ、小型のをカモと呼ぶという。

『上総 (かんふさ)』房国の上(かみ)。「かづさ」とも訛る。「かみ (上)」は、中心・都に近い区画をいい、上総国の場合は「安房国のかみ」という意味らしい。「房」は房総半島の形から来ていると思われる。ホツマヱには下総国は登場せず、上総国の北は常陸国となる。

『ツクモ』は「継ぐ百」の意で「九十九」を表し、現在の九十九里浜を言うと思われる。何故この地を「ツクモ」というのかわからないが、「もはら (茂原) に継ぐ」の意だろうか。

『カトリ宮 (かとりみや)』香取宮。いまの香取神宮。「カトリ」は「フツヌシ (経津主神)」の守名で、「カグ山 (富士山) をつかさどる」という意だとホツマは説明している。これが元となったのか、辞書 (広辞苑) には「かどる (制る・主る)」という動詞があって「統御する・管轄する」の意だという。

『神言 (かんこと)』アマテル神の言葉。

ホノアカリ マウラを召して 占問えば マウラ フトマニ "アキニ" 取る

「東風に冷も解け 弊 逃る」

『マウラ (天津真浦・天津麻占)』カグツミの第五子。カグヤマツミ・カンタマの弟。テルヒコの五供の上司の一人で、イワクス船での風見役。後にはサカオリ宮の預かり役となったようである。アシツ姫・イハナガ姫の父のオオヤマズミはこの人。マウラは相模の小野に新田を成して『マウラ守』と呼ばれ、ここに橘の木を植えて初代の『橘の君』となる。

『占問ふ (うらとふ)』「うら」は「裏」の意で「見えない部分・奥・心・本質・本源」などの意。これは万象の本源である陽陰48神 (=言葉の48音) を言うのである。「うらとふ (占問ふ)」は「うらなふ (占ふ)」の同義語。

『フトマニ (太兆)』とは「すべての現れ・万象」という意味で、これは本来はサコクシロに坐す元明けの49神 (48音) を指す。「48音」は別名を「アワノカミ (陽陰の神)」ともいう。詳しくは『ふとまに』を参照。

『アキニ』フトマニの 「アキニ」 の歌。 その完文は こちら。

『今 春なれば 西の空 民 疲れ 無し 好し好し』と 

御言 定まる

『春 (はる)』は動詞「はる (張る) 」の名詞形。「張る」は「はふ (生ふ)」「はぬ (跳ぬ)」 などの変態で「放つ・発す・起る」などの意。

『空 (そら)』は「そる (逸る・剃る)」の名詞形。「そる」は「離れる・退く・空く」などの意。よって「そら」は「から (空)」と同義で「退いたさま・無いさま・空き」などの意。

『疲れ (つかれ)』は「つかる (疲る)」の名詞形。「つかる」は「つく (尽く)」+「かる (枯る)」の合成で、「すがる (尽る・末枯る)」の変態。

『御言 (みこと)』「こと (言)」の尊敬語で「命」とも書く。「詔・勅」と同じ。

『定まる (さだまる)』は「さだむ (定む)」から派生した自動詞専用形。「さだむ」は「さす (差す)」+「たむ (留む)」の合成で、どちらも「合わす・まとめる・調える・固める」などの意、「しとむ (仕留む)」「しつむ (為集む)」「さしとむ (刺し留む)」「したたむ (認む)」などの変態。

ニニキネとタチカラと行く ヒタカミの君を拝みて 由を告げ 後に御孫とタチカラと イサワに帰り 返言す

『ヒタカミの君 (ひたかみのきみ)』ヒタカミの「タカの首」を都とする天君オシホミミを指す。

『由 (よし)』は「よす (寄す)」の名詞形。「(ある状況を) 引き寄せるもの」という意で、「理由・原因」「経緯・事情」「手段・方法」などを表す。

『イサワ』アマテルの住む地域の名で「いせ (妹背・伊勢)」と同じと考えて良い。オシホミミ~ウガヤの時代はアマテルも同時に世に存命しているので、「君の都」と「神の都」という二段の構えになっていた。

『拝む (をがむ)』は「おく (置く/熾く)」から派生した動詞で「合わす」と「高める」が原義。「(目に) 合わす」という意と「敬う・尊ぶ」という意に分かれるが、通常は融合して「尊び見る」の意に使う。「を」の表記は尊敬を表す。

『返言 (かえこと)』返す言葉。返事。返答。報告。辞書には「かえりごと (返り言・返り事)」という語が載っている。

時に皇御子 斎奇の船を設けて マラが叔父 アマツハハラを 船長に マラは舵取り 

『皇御子 (すめみこ)』「すめ (皇)」は「すべ (統)」の変態。「統べる者・統領」の意で「天君 (中央政府の総帥)」を表す。 「みこ」は「まく (撒く・罷く)」の変態「みく」の名詞形。「分かれ・派生」の意で「子」を表す。また「み (御・上)」+「こ (子)」として「子」の尊敬語とする場合もある。「すめみこ」は、ここでは「天君となる御子」の意ではないかと思われ、オシホミミの子のクシタマホノアカリを指す。

『斎奇の船 (いわくすのふね)』「いわふね (斎船)」と同じ。「いふ (斎ふ)」+「くす (奇す・貴す)」で「高め栄す・恵み潤す」の意。「斎奇船」は「天君が乗り巡って (和り恵って) 世を恵み潤す船」という意で、つまりは「御幸の船」を言う。

『マラ』=アマツマラ (天津麻良)。カンミの玄孫で、アマツハバラの甥。テルヒコの五供の上司の一人、またテルヒコの乗る斎奇船の舵取り。「立岩神社」の祭神。また「大鳥大社」の由緒によると「大庭造は神魂命 (カンミムスビ) の八世の孫、天津麻良命の後なり」。

『アマツハバラ (天津羽原)』マラの叔父で、テルヒコが大和に下る際の斎奇船の船長とされる。

『船長 (ふなおさ)』船を治める者。「長 (おさ)」は「おす (押す)」の名詞形で、「おす」は「合わす・和す・束ねる・治める」などの意。「おさ (筬)」も同じ。

『舵取り (かぢとり)』「かぢ (舵)」は「かた (方・傾)」の変態で「区分・方向・傾き」などの意。「かぢ・かた」は「かつ (割つ)」の名詞形。

『旧事』

 船長 跡部首 (あとべのおびと) 等の祖、天津羽原 (あまつはばら)。

 梶取 阿刀造 (あとのみやつこ) 等の祖、天津麻良 (あまつまら)。

アカウラを船子司に アカマロとアカホシ モノを添え水手に マウラは風見

『アカウラ (天津赤占)』シホモリの二子。テルヒコの五供の上司の一人。またテルヒコの乗る斎奇船の船子司。

『船子司 (ふなこつかさ)』船子を司る者。

「船子」は「ふな (船)」+「こ (漕)」で、「船漕ぎ・船掻き」の意。

『アカマロ (天都赤麻良)』ツクバソソの子。テルヒコの五供の上司の一人。またアカホシと共にテルヒコの乗る斎奇船の水手。「深江稲荷神社摂社、笠縫社」の祭神「天津麻占命」は、この人を言ってるように思う。

『アカホシ (天津赤星)』ヒトコトヌシの子で、カツテの弟。テルヒコの五供の司の一人。またアカマロと共に斎奇船の水手。「赤星神社」の祭神。

『モノ』ここでは「もののべ (物部)」と同義。「もの」は「もり (守)」の変態。

『水手 (かご)』は「かく (掻く)」の名詞形。「掻く者・漕ぎ手」の意で「船子」と同義。

『風見 (かぜみ)』風を見る者。

『旧事』

 船子 倭鍛師 (やまとのかぬち) 等の祖、天津真浦 (あまつまうら)。

    笠縫 (かさぬい) 等の祖、天津麻占 (あまつまうら)。

    曽曽笠縫 (そそかさぬい) 等の祖、天都赤麻良 (あまつあかまら)。

    為奈部 (いなべ) 等の祖、天津赤星 (あまつあかぼし)。

ツクモより 稜威の岬に 帆を上げて 沖 走る目は 大空を 遥かに駈けり

『稜威の岬 (いつのみさき)』「いつ」は「至・甚・逸・頂」の意で、「甚だしいさま・並み外れたさま・至ったさま」を表す。 「みさき」は「みさく」の名詞形。「みさく」は「みす (▼禊す)」+「さく (放く)」の合成で、どちらも「放つ・突き出る」の意。よって「いつのみさき」は「並外れた突出」の意で、今の「伊豆半島」を指すと思われる。

『沖走る目 (おきはしるめ)』(斎奇船が) 沖を走る見た目。

『大空 (おほぞら)』「おほ」は「おも (表)」「うわ (上)」の変態と考える。よって「おほぞら」は「上の空間・上空」の意。

『遥か (はるか)』「はる (離る・放る)」+「か (如)」。「離れる如きである」の意。

『駈けり (かけり)』「かく (駈く)」+「り」。「り」は「あり・なり・たり・けり」などの簡略で、「断定」を表す。

穢隈野の宮居 拝みて 浪速より カモにて到る イカルカの峰より トリの白庭に

『穢隈野の宮居 (みくまののみやゐ)』「みくまの」は「汚穢隈の区画」という意で、「くまの (隈野)」と同じ。「みくまのの宮居」とは「隈の神イザナミが鎮まる宮居」で、現在の「神倉神社」を指す。

『浪速 (なみは)』「なみはや(浪速)」の省略形。「なみはや (浪速)」→「なみは (浪速)」→「なんば (難波)」→「なには (難波・浪速・浪花)」。ここで川船に乗り換え、大和川や淀川を逆上って大和・山背に入ったのである。

『カモ』鴨船。鴨が足を前後に掻いて泳ぐように、櫂で漕ぐ船。

『イカルカ (哮・斑鳩)』「いかる (怒る)」+「か (方・処)」。「いかる」は「いく (活く)」+「かる (上る)」の合成で、「高まる・聳える・優れる・至る」などの意。「か」は「分割・区分・区画」を表す。よって「いかるか」は「高い区画・高台の地」の意。

『イカルカの峰 (みね)』「いかる」は「いこむ」の変態であるので、「イカル」=「イコマ (生駒)」と見る。よって「イカルカの峰」=「生駒山」と考える。また近隣の地名「ヘグリ (平群)」も「イカル」の変態だろうと思う。

『トリ』は、ここでは「とりを務める」のそれで、「締め括り・至り・果て・終着点」などの意。『旧事』はこれを「鳥見 (とみ)」と記している。

『白庭 (しらには)』「しる (領る)」+「には (場・地)」で、「領らす所・政を執る所」が原義。ここでは「クシタマホノアカリが政を執る所」であるが、これが固有地名に転じたものと考える。場所については、奈良県生駒郡平群町付近と見ている。白石畑 (しらいしばた) など臭う。「しらいし」は、シラヰシで、シラニハと同義だし、「はた」は「端」であろう。

『旧事』饒速日尊禀天神御祖詔、乘天磐船而、天降坐於河内國河上哮峯。則遷坐大倭國鳥見白庭山。

饒速日尊は天神御祖の詔を承けて天の磐船に乗り、河内国の河上の哮峯 (いかるがみね) に天降り坐す。そして大倭国の鳥見の白庭山に遷り坐す。

天地の斎船 大空を 駈けり回りて この里の 名をも 「空回つ大和国」

『天地の斎船 (あまのいわふね)』「天地つ日月の君が乗り巡って (和り恵って) 世を恵み潤す船」という意で、つまりは「御幸の船」を言う。「斎船」「斎奇船」と同じ。

『駈けり回る (かけりめぐる)』「かけり」は「かける」の連用形。「かける」は「かく (上く・駆く)」の連体形「かける」が動詞として独立したもの。「駈けり回る」の裏にはやはり「和り恵る」の意味がある。

『里 (さと)』は「した (下)」「そと (外)」「そで (袖)」「すそ (裾)」などの変態で、「区分・区画」「(上・中心・都に対して) 下・末・隅・端・周辺部」「(山に対して) 低地・平地・(山の) 麓・裾野」などの意を表す。

『空回つ大和国 (そらみつやまとくに)』「空を駆け回って到る中国」の意。「みつ」は「見つ」ではなく「回つ・廻つ」の意。これが現在の奈良県を「やまと (大和)」と呼ぶようになる起源である。これ以前には「やまと」は「中国 (なかくに)」の別名だったのである。

『旧事』所謂乘天磐船而、翔行於大虚空、巡睨是郷而、天降坐矣。即謂虚空見日本國是歟。

いわゆる天の磐船に乗り、大虚空 (おおぞら) を翔け行き、この郷を巡り見て天降り坐す。すなわち「虚空見つ日本国」と謂うはこれなり。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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