https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7195471/ 【秦氏とその周辺】
https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/33411498?fbclid=IwAR2J30a8ZkXvQhjpuw69yQnpAl3kZe6buC3vAfUdU_iNU0Pa0XK7P5ssOm4 【復活の春・本来の自分が輝き✨岩戸開きが始まる】
Facebook矢加部 幸彦さん投稿記事
自分を超える・・・言霊による岩戸開き❗✨こうして、言霊修道士とともに
日の本の美しき叡智が伝え広がっていくこと、嬉しい限りです❗
https://amanoiwato-jinja.jp/publics/index/8/ 【天岩戸神話】より
神代(かみよ)の昔、空の上に高天原という神々の世界がありました。太陽の神天照大御神(あまてらすおおみかみ)様や弟の須佐之男命(すさのをのみこと)様、その他多くの神々が暮らしていました。須佐之男命(すさのをのみこと)様は、田んぼの畦(あぜ)を壊したり馬の皮を逆剥(さかは)ぎにしたりと、大変な暴れん坊でした。あまりにひどいいたずらにお怒りになりました天照大御神(あまてらすおおみかみ)様は天岩戸(あまのいわと)と呼ばれる洞窟にお隠れになりました。太陽の神様がお隠れになると世の中は、真っ暗になりました。食べ物が育たなくなったり、病気になったりと大変なことが次々と起こります。
天岩戸神話
困りました八百万(やおよろず)〈大勢〉の神々は天安河原(あまのやすかわら)にお集まりになられ、御相談かわされます。御相談の結果天岩戸(あまのいわと)の前で色々な事が試されて行きます。
まず、長鳴鳥(ながなきどり)を鳴かせてみます。
〈鳴かせてみました長鳴鳥(ながなきどり)、これが今の鶏です。朝、鶏が鳴きますと太陽が昇ってきます、鶏の鳴き声には太陽の神様を呼ぶ力が有ると言う事で鳴かせてみます。現在でも、鶏を放し飼いにしている神社がありますが、元はこの長鳴鳥(ながなきどり)から始まっています。〉
しかし、天岩戸(あまのいわと)の扉は開かず失敗しました。
次に、天鈿女命(あめのうずめのみこと)様が招霊(おがたま)の木の枝を手に持ち舞をされ其の回りでほかの神々で騒ぎ立てます。すると、天岩戸(あまのいわと)の中の天照大御神(あまてらすおおみかみ)様は「太陽の神である自分が隠れて居るから外は真っ暗で、みんな困って居るはずなのに、外ではみんな楽しそうに騒いでいる。これはどうした事か?」と不思議に思われて天岩戸(あまのいわと)の扉を少し開けて外を御覧になられます。神々は、騒いでいる理由を伝えます。「あなた様より美しく立派な神がおいでになりました。」「お連れ致します。」と言い鏡で天照大御神(あまてらすおおみかみ)様の顔を写しました。自分の顔だと分からなかった天照大御神(あまてらすおおみかみ)様は、もう少しよく見てみようと扉を開いて体を乗り出しました。その時、思兼神(おもいかねのかみ)様が天照大御神(あまてらすおおみかみ)様の手を引き、岩の扉を手力男命(たぢからをのみこと)様が開け放ちまして天照大御神(あまてらすおおみかみ)様に天岩戸(あまのいわと)から出て頂くことが出来ました。
そして、世の中が再び明るく平和な時代に戻ったと言われます。
暴れた須佐之男命(すさのをのみこと)様は、その後反省し、天岩戸の里をはなれ出雲國(いずものくに)《島根県》に行かれ、八俣大蛇(やまたのおろち)退治をされます。
《参照 岩戸神楽(いわとかぐら) 神楽歌(かぐらうた)
戸(と)がくしの御神(おんかみ)は世(よ)にすぐれし大神(おおかみ)なれば一千人(いっせんにん)の力(ちから)を出(だ)し 天岩戸(あまのいわと)のおん戸(と)を取(と)り投(な)げさせ給(たま)へば信濃国(しなのくに)戸隠ヶ嶽(とがくしだけ)にぞ着(つ)き給(たま)う》
岩戸神楽(いわとかぐら)の中で以上の神楽歌(かぐらうた)が歌われ、戸(と)がくしの御神(おんかみ)すなはち手力男命(たぢからをのみこと)様は開けた天岩戸(あまのいわと)の扉を長野県の戸隠山(とがくしやま)へ投げたと伝えられます。
https://ameblo.jp/yamatokotohogi/entry-12700211372.html 【高天原は己の肚に】より
人の内奥に、高天原という大宇宙在り。
高天原というが如く、腹の中にそれはあって、つまりは人は、全大宇宙を内包できる、壮大なる器。
わははと腹から笑うは、全大宇宙を振るわすこと。
ふるえふるえて清まって、さらなる岩戸が開いていく。
人とは、そうしたもの故、何があっても、どんと来い! わはは!
http://www.s-liv.com/column/iroha/12.html 【その十二 腹が立つ】より
世の中、矛盾だらけ。正しいことが立場によって都合良くすり替えられたりする。何とも腹立たしいことです。
ところで、腹が立つといっても、実際に腹が飛び出してきて立ち上がるわけではない。いったい腹の中の何が立つのでしょうか。あるいはどういった状況をいうのでしょうか。
その前に「腹」の語源に触れておきます。
腹は体の平(ヒラ)の部分であり、そのヒラが転じてハラになった。同様に平らな分部ということで原が語源。他にも張りが転じたという説までさまざまです。
さて、「腹が立つ」です。一般的には立つと綴りますが、これはどうやら「起つ」という文字を充てた方がわかりやすい。
もともと、「立つ」と「起つ」は同根ですから、腹のなかで怒りや悲しみが起(た)ち現れる、そう理解して良いでしょう(起の文字の右側は本来己ではなく巳で、蛇が頭をもたげて移動する象形文字)。
ちょっとややこしくなるのですが、それを承知で話を進めます。
古代日本神話の世界では「高天のはら」「清見はら」「天のはら」といったように「はら」使います。この場合、現代人はすぐに原の文字を思い浮かべて、原っぱのことね、とこうなりますが、もともとハラは単なる地形をいっているのではありません。日常生活から遠い場所、人智を越えた神聖なる場所や状態をいったのです。
もしも原と腹が同根だとするならば、古代の人々は、腹を自分の中にありながら、覗くことのできない神聖なる場所とイメージしていたのだと考えられます。これはけっして突飛な話でもこじつけでもないと思うのですがいかがでしょうか。
ちなみに原が遠く神聖なる場所なら、野が身近な日常空間をさしました。しかし、これも平安時代までのこと。時代が下るにつれ、原と野の使い分けがどんどんなくなっていきました。
また古代では、腹を心という意味で使っていました。「腹づもり」というのは心にあらかじめ考えておくことで「心づもり」です。
腹が立つ、と同じ意味で「頭に来る」があります。これは何が頭にやってくるのでしょうか。それは頭に血が上るという言葉からもわかるように血でしょう。血はイコール霊(チ)で未知なるもの、というのは先般お話しした通りです。
https://ameblo.jp/aumakua888/entry-12303854869.html 【腹は高天原】より
神様からの受け取ったメッセージにもこのようなものがあります。
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心身を健やかに保とうと願うなら、腹を大切にすることが肝要。
腹が弱ければ、免疫力が低下して、病になる。
腹を冷やし、悪しき食にて腹に毒を溜めてはいけない。
腹は人の中心であり、そこには魂がある。
良き食生活にて、腹をきれいに保っていれば、病を引き寄せることはない。
気力が湧き、魂も清らかになる。
腹は原なり、原とは高天原である。
だから、穢すことなく大切にすべし。
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=317 【人の腹(肉体の高天原)で育つ龍神の立法形魂】より
私はこれまでブログに魂とは【玉思惟】で玉型の思惟(考える心・意識)だと書いて来ました。その一方、創造神の説明に大本教で明らかにされた【六合大神】を説きました。
その【六合大神】とは「正四角立法」形で、魂論としては「○」ではなくて「□」の正立法形となっているのです。だが、それが回転することによって「○」には見えるのです。このことは私の以前のブログ【性同一性障害で知る肉体と心(魂)は別物】に図を出していますが、再度、その図を出します。
最初の図は出雲系でよく見られる亀甲形紋ですが、表面的な事柄ではなくて亀甲紋と言っても意味が深いのです。亀甲紋は正立方体形からも導き出されるからです。その正四角形立方体には六面あることから創造神を別名「六合大神」などとも申し上げるわけです。また、その意味は東西南北と天地の「六」です。
すると、ここで私の魂論には通常知られる「○」型の玉思惟と、六面立方体の二種類あることになります。だが、一般的に霊能者と呼ばれる方々やスピリチュアルで説かれるのは「○」型で、六面立方体の魂に遭遇することはおそらく希だろうと考えられます。そのことを追求している方が極僅かだからです。
私自身ある日、とんでもない体験をしてしまいました。自宅の神前で祝詞をあげていると、よく丸い玉が自分の口の中に飛び込んで来たという話は多々あります。弘法大師さんなどにもあります。ところが私の口に飛び込んで来たのは「正四角形の立方体」だったのです。サイコロの少し大きな感じのものでした。
その後、私の耳が聞こえなくなって慌てて補聴器を買おうかと店屋に走ったぐらいです。だが、大江の元伊勢の天岩戸神社に参拝すればなんとかなるで参拝して、岩場を鎖で上がって祝詞をあげましたところ、龍神風が吹いてある程度は聞こえてくるようになりましたが、それでも不完全でした。すると伏見稲荷山の下社に参拝と出て下社の白菊大神の元に参拝したところ、また龍神風が吹いて聴力は完全に元に戻りました。
しかし、耳が聞こえなくなったのは私の口に飛び込んで来た「正四角の立方体」の影響です。耳が聞こえない状態は「聾」と言われますが、言葉を見れば龍が耳に乗っているのです。
私は一時期聴力が衰えて耳鼻科に通っていました。すると、私の耳元に耳に乗るほどの龍が入るのです。原因はこの龍か?です。そこで耳鼻科医が鼻から空気を通すと鼓膜が動いて音がよく聞こえるようになりました。?。耳と龍と何が関係してるのかと思考していた時があります。
それからしばらく後、私が家の仏壇で拝していましたところ、私の体が揺れまして私の体の内部からまるで大陸弾道弾が発射されたかと思うようなドードードーと鳴り響く音を伴って私の体内から私の体ほどの太さの龍神が駆け上がって頭上から抜けて行きます。
これはいったい何事かと私が知る霊能者の方にメールを送ったところ、数日後に調べて返事をくれました。私の口の中に入ったのは宇宙最高龍神の卵というのか元種のようなもので、四角形の立方体。私の体内の腹(肉体の高天原)の中で成長して、最高龍神と成る為に宇宙へと飛び出した。私が最高龍神と成る存在を養育していた。さすがでねと言われます。だが、惜しむらくは私の頭の頂点から抜けずに少し片寄って抜けた。少しずれてしまったことでどうなるかは解らないと返事をくれました。確かに私の頭の頂点でなくて、少しずれて出て行ったのです。
私が修業に入った頃、ある行者さんから「あんたにはどんな龍神さんでも付く。最高龍神さんでも付くと言われました。国常立尊さんは金龍として知られ、豊雲尊さんは銀龍として知られ、素戔嗚尊さんは白龍とされていますが、その龍神は金色でも銀色でも白色でもなければ、黒色でも青色でも緑色でも赤色でもなかったのです。
私の問い合わせにメールで返事をくださった霊能者の方は、それは「玄龍」神と言われましたが、まるでラーメン屋の看板のような名前です。「玄」はおそらくは元の初めを表す為でしょう。
人の腹(肉体の高天原)の中で龍神が育つなど誰も聞かれたことはないでしょうが、龍神浄化をする場合。祝詞や印を結ぶでは出来る作業ではありません。自分の腹(肉体の高天原)の中に龍神を一度収容して、そこで浄化します。しかし、この作業は誰でも出来るのではないのです。
巨大な龍神をどうやって腹に入れるのか疑問視される方もあるでしょうが、何十キロの長さもある龍神でも縮小させて腹に入れるは不可能ではないのです。
ただ、私の最初の師匠は当時の日本で10本指に入るほどの霊能者と豊受様から言われていましたが、龍神浄化だけはしてはいけない。そんなことをすれば、命を取られるか即病院送りだと言っておりました。その師匠に龍神浄化は出来ませんでした。
私自身、2番目の師匠の元に居る時に黒海黒龍神の浄化に失敗して、とんでもない目に遭っています。確かに普通の霊能者やスピの方であれば死ぬのか病院送りなのかも知れません。
だが、そうした龍神浄化が出来る人は存在します。それはその人自身が元々が龍神系である場合です。龍神系の方はまま居られます。そうした龍神系の方は、肉体の腹の中が巨大な霊空間になるのです。
ある日、私の指導神の一体であった豊川稲荷さんが、私に面白いものを見させると言われます。何事かと思っていましたら、私の腹から龍神の子供でしょうが顔を出して来て、私に向かって「パパ、パパ」と呼びます。私自身、龍神の子供から「パパ、パパ」と呼ばれて面食らってしまいましたが、私自身は元は白龍神ではあったのです。しかし、よくよく考えればあり得ない話ではなかったのです。それは「辰の落とし子」からです。
辰の落とし子とは、オスの腹部に育児嚢(いくじのう)と呼ばれる袋があり、そこにメスが産んだ卵が稚魚になるまで育てます。つまり「パパ」が育てる存在が「辰(龍)」となっています。
元が龍神系で肉体が男である私は、自己の腹で龍神を育てることが出来たのです。
これは肉体が女性であると出来ないことになります。多くの巫女タイプとか霊感者は女性が圧倒的に多いのですが、そうした女性の中に龍神付きの「龍女」の方がママ見られますが、そこからそうした話が起きないのは龍女は「辰の落とし子」を育てられないからと思われます。
日本では一般的に龍神とは、蛇霊が海・山・川。あるいは海・山・火などで各千年の合計「三千年」修業した存在と言われています。祭られているほとんどの龍神の実態はそうでしょう。しかし、それは聖書で龍神とは「霊界の年老いた蛇」とあるものであって、宇宙創成に関わったところの龍神とは違うのです。別物です。地震の字に使われる「辰」で形容されているのが、蛇霊ではない龍と言う事になるのでしょう。過去が蛇霊であった龍神は蛇の身を経由しているからです。
大本教と呼ばれる宗教が起きた時、みろく世に行く魂は【水晶玉】と予告されました。ある自称神通力者が水晶玉など重いから、そんな玉は捨てた方がいい。水晶玉ならば落とせば割れるじゃないかと言われていましたが、それは何も解っておられない方となります。水晶玉と形容されていても、魔術師が使っている水晶玉の話ではありません。「光を通す透明玉」の形容なのです。
既に天帝はみろく世に渡る人達の為にその「水晶玉」を創って準備しておられます。準備万端は整っていても、何時goサインを出されるかは誰にも解りません。諸神や宇宙人が知る話ではないのです。
それは水晶玉と予告されているように「丸い玉」です。ところが、天帝が用意されている水晶玉に「正四角立方体」のものがあるのです。私はこの意味が中々掴めませんでした。否、意味が横につながらなかったのです。
私は「米」教を説いて来ました。それ自体は【粽の節句】です。五月五日の鯉から龍と化す【登龍門】です。
米の教えを理解出来れば次は龍神に昇格です。ただ、龍神と呼ばれる存在は高次元から低次元まで存在します。それは蛇霊から上がっている存在が圧倒的に多いからです。
自分の前世はお釈迦様だとかやっている霊能者の方の背後には六次元クラスの龍神が居たりします。そうした龍神が見せる奇跡に踊らされる方が多いのです。これらは蛇霊からのものです。
そのみろく世の龍神(命・みこと)に昇格する者に与えられるのが【正立方体の水晶石】だったのです。で、私にみろく世に入る龍神は七次元に昇格させると出ていたのです。
精神世界には自分は三千億万次元とか500万次元とか言いたい放題の霊能者の方が居られますが、一般的には「無から有を生じさせる」のが七次元界からと言われています。つまり、七次元とは「質(七)」を創造できる世界です。
私は子供の頃、私は私で在り、旧約聖書の神で在り、アブラハムの神で在り、そなたの神で在る。そなた一人には私の仕組みを見せようと告げられましたが、その存在が本当に旧約聖書の神なのかその真偽は解りかねますが、7人ないし8人の優れた霊能者の方から貴方の背後は「国常立尊」様とか「天之御中主」様とか「閻魔大王」様だと指摘されて来ましたので、そうなのかも知れないとは思っています。
しかし、それを見せられたとしてもその意味が横につながらない。論理が構築できないで来ました。丸い水晶玉と正四角形立方体の水晶石を見させられて、何だろうと?。首を傾げることばかりでした。みろく世に渡る丸い水晶玉は国常立尊様系列の神々からも授与されるかも知れませんが、正四角形立方体の水晶石は「天帝から直接授与」になるのではないかと考えられます。
やっと、「正立方体の水晶石」の意味の論理を出せました。
私を拝んでも一銭も出ませんので、天帝から功績を認められる様に励んでいただきたいと願います。私は「米」教を解説していますが、その仕組みを創られたのは「天帝」であり、私は一介の解説者に過ぎません。豊受様が私に告げられたように既存の神々が天帝が創られた「米」の教えを無視されるのであれば、それらの神々と立場を入れ替わっていだくことになります。
大本教神諭予告。上のものが下に行き。下のものが上に行く。上であぐらをかいているような神々を交代させるのです。
http://masa-kagawa.cocolog-nifty.com/yasasii_hikari/2019/05/post-d33c46.html 【『高天原(たかまがはら)』の‶はら〟は‶お腹のこと〟で、とても大切です】より
大きな声の方に、悪い方はいません。≪人は、声で分るのですよ!≫「声は‶腹〟からきます」
「魂からくるのです」
さて〝この腹〟というのは、とても大切です。例えば『古事記』の中で書かれている「はら」は「高天原(たかまがはら)」なのです。正に「高天の腹」なのです。
『神様』のお腹の中に働いている。お腹と言うと、大事な‶もの„がありますね。⦅おへそ⦆
⦅へそ⦆というのは、親と子の繋ぎをしてくれるわけです。≪へそというのは、親子の縁、親子の繋ぎ、先祖との繋ぎです≫。考えてみると、唯一お母さんと繋がっていたのは⦅へそ⦆ですね。⦅へそ⦆に繋いで⦅腹⦆に繋がっている。
だから‶丹田とか、腹に力を入れる〟というのは、凄く『理』に適うわけです。
だから⦅腹⦆というのは‶凄い力〟なのです。
今、医学でもだんだんこの‶腹の役割“というのが分かってきています。
このお腹の中の具合が悪いと、病気になると云うことが、分かってきました。
お腹の中にお住まいくださる‶沢山の菌さん〟が、良い金さん銀さんがいると、病気にならないと云うことがとてもよく分かってきました。
まさに‶高天原に八百万の神々〟が住んでいる方が、元気になるわけです。
まさにこの⦅はら⦆と云うことが、とても大切。先祖との繋がりを頂いているわけです。
だから⦅腹⦆を大事にして下さい。
今、とても皆さん、腸が弱くなり、胃腸が弱くなって、弱ってきているのです。
『教え』を学んでいる方は、食べること飲むことにはもう充分程の力を頂いていると思いますが、この腹黒いとか、腹芸とかと、言いますでしょう。
だから、この⦅腹⦆というのはすごく大切なのです。
だからしっかり⦅はら⦆を磨く。⦅はら⦆というのは‶考え方〟です。‶思い方、考え方〟ですね。
https://www.e-sogi.com/guide/27663/ 【「高天原」は地上にあった?近畿、関東、九州、そして海外説まで】より
高天原とは、神々が住む場所を指しており、日本神話に登場します。神道の祝詞や大祓詞などにも登場するため、聞いたことがあるという方も少なくないでしょう。この高天原は、我々が暮らしている地上にあったのではないかといわれています。神々が住んでいたといわれる場所が地上にあったとは、何ともロマンが感じられます。ここでは、高天原の場所や読み方、さまざまな説をご紹介します。
「高天原」の読み方は?
高天原とは、 神々が生まれ、住まう場所の名前です。 高天原という名称は、712年、日本最初の歴史書として作られた『古事記』の中で登場します。
一般的な読み方は「たかまがはら」ですが、ほかにも「たかのあまはら」や「たかあまはら」、「たかあまのはら」といった呼び方をされることがあります。奈良時代ごろには「たかあまのはら」と呼ばれていたそうで、今のような読み方になったのは近世からなのだとか。いろいろな読み方をされることがあるのも「高天原」の特徴といえるでしょう。
また、日本書紀の中では天高市という記述も見られ、これは「あめのたけち」と読むようです。
「高天原」はどこにある?
古くから、高いところにあったのではとする説が唱えられていました。ただ、その後、研究が進み、日本神話そのものが大和朝廷の国造りにおけるプロセスを記したものだとする話が出てきます。そのため、神々が住むところも地上にあった地域がモデルになっているのではないかという推測が成り立つのです。では、実際のところはどこにあったのでしょうか。
「高天原」は奈良にあった?説
奈良県御所市には葛城山という山がありますが、ここがそうだったのではないかといわれています。日本神話を記した日本書紀や古事記が成立したのは、都が奈良にあった奈良時代のことです。また、奈良の人々にとって、かつて、この山の呼び名は高天山だったとされ、ほかにも高天と名前がつくエリアがいくつもあります。こうした理由から、奈良県御所市にあったとする話が根強いようです。
「高天原」は宮崎にあった?説
宮崎県高千穂にあったとする話も有力です。天照大神の孫であるニニギノミコトが降り立ったといわれるのが高千穂です。天照大神が岩戸に隠れたという神話をご存じの方は多いでしょうが、その神話の舞台となったといわれる土地が存在しているのも、推測が有力なのを後押ししています。
「高天原」は茨城にあった?説
関東の茨城がそうだったのではないかという話もあります。この説を唱えたのは、江戸時代に活躍していた新井白石という国学者で、現在の茨城を指す常陸国にあったと唱えたそうです。茨城には同じ名前の土地もあり、それがこの推測に信憑性を与えています。
「高天原」は九州北部にあった?説
九州北部にあったという話もあります。特に、福岡県の甘木や熊本県の阿蘇などが有力だといわれています。ほかにも、天ヶ原という土地もあることから、長崎県の壱岐にあったという推測を支持する方も少なくありません。また、神道の発祥地といわれる月読神社が建立されているのも、この話が支持される理由と考えられるでしょう。
「高天原」は実は外国だった?
実は、日本国内ではなく外国にあったのではないかという話もあります。
「高天原」は朝鮮半島にあった?説
その一つが朝鮮半島です。そこに住んでいた神々とは、外国から渡ってきた人たちのことで、日本にさまざまな文化を伝えたのだという考え方です。
それが、朝鮮半島を経由してきた渡来人たちが元いた世界を高天原としたのだろうという説につながったのでしょう。
「高天原」はイスラエルにあった?説
イスラエルがそうではないかという驚くような説もあります。
日本人はユダヤ人と祖先が同じではないかとする「日ユ同祖論」という説もあります。日本とユダヤには類似する文化が多いことから、このような話が誕生したのだといいます。
王国が滅亡したあと、一部のユダヤ人がイスラエルを離れて日本を訪れ統治をしたという説もあるくらいです。そのユダヤ人たちが日本に来る前にいたところを指しているのでは、とする説です。
結局どこにあるのかは……
ここまでお話してきた通り、考えられている地域は実にたくさんあります。日本国内だけでもたくさんある上に、海外にまで候補地があり、未だにどこが高天原だったのかは分かっていません。だからこそ、壮大な歴史ロマンを感じられるのでしょう。
ほかにも、群馬県の犬穴や鳥取の氷ノ山説などもあり、中国南部説などもあります。驚くところではギリシャのオリンポスにあったのではないかという説まであります。
神々が暮らしていた地という解釈もあれば、優れた文化をもたらした人々がいた地という話もあるので、結局のところ何一つ分かっていないのが現状です。
まとめ
高天原の場所や意味、読み方などについてご紹介しました。結局分からないということで、余計にモヤモヤさせてしまったかもしれません。ただ、はっきりと分からないからこそ想像する楽しさもあります。もしかすると、今いる場所が高天原なのかもしれません。
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