Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事ふたりの戦士
隣り合うふたつの国がありました。
ひとつの国の人々は、太陽を拝んでいました。もうひとつの国では、人々は月を崇めていました。その違いでふたつの国は仲が悪く、ついに軍勢を国境に繰り出して国境で牽制し合っています。
何列もの兵士たちが、荒涼とした野をはさんでにらみ合い、そのうち、それぞれの軍勢からひとりの戦士を出して一騎打ちをしようということになりました。
むろん、どちらの国でも一番強い戦士が選ばれました。
二人の戦士は片手に剣を、片手には盾を持って戦いへと進み出ました。ひとりの胸には太陽の紋章、もうひとりの胸には月の紋章が描かれています。
ふたりの戦士は悪鬼のように戦いました。
太陽が昇り切り、じりじりと真昼の光に照らされても戦いは終わりません。やがて太陽が西に傾きましたが、戦いは続きます。ふたりとも一歩も譲らないまま、日が暮れて、戦士たちはへとへとに疲れ切り、地面にくずれおちてしまいました。
「おまえが憎い」。太陽の戦士がうめきました。
「おまえが憎い」。月の戦士もそう返しました。
「わたしはお前を殺さなければならない」太陽の戦士が言います。
「故郷ではおれを愛している妻と、大きくなったらおれのような戦士になりたいと思っている息子が待っている。おれは妻と息子をおまえたちから守りたい」。
「おれにも妻がいたよ。でもこの前の戦いでお前の国の連中に殺された。だからお前をやっつけなければならない」月の戦士はこう言いました。
月が静かな光を投げかけました。
しばらくして、太陽の戦士が月の戦士に聞きました。
「亡くなった奥さんがどんな人だったか聞かせてくれるか?」
「ああ。それは、優しい女だった。おれたちは幼馴染だったんだ。小さなころから大の仲良しで、よく一緒に森で遊んだものさ。ふたりでいると楽しくて、日が暮れるのも忘れてね」
「幸せな子ども時代だったんだな」と太陽の戦士がつぶやきました。
「おれとは大違いだ。おれのおやじは、子供を一日中畑で働かせたものさ。文句でも言うものなら殴りつけてね」。
「それはひどいなあ。辛い思いをしたんだね」月の戦士は太陽の戦士をいたわるように言葉をかけました。
いつの間にか二人は子供の頃のはなしや、これまでどんなふうに暮らしてきたか、どんな夢を持っているかなどを話していました。
そうして、夜明け近くふたりはやっと眠りにつきました。もちろん剣も盾もわきに置いて。
日が昇り、ふたりの戦士は顔に照り付ける朝日で目を覚ましました。痛む体をむっくりと起こしながら立ち上がり、ふたりは互いの目を見つめました。そしてどちらからともなく抱き合いました。
剣も盾も野に残しておのおのの陣営へと帰る途中、ひとりが振り向くと、同時にもうひとりも振り向きました。お互いの身の上を思いやり、ふたりは手を振って別れました。
●人と人との関係はこういうことに尽きるのだと思います。バルカン半島に伝わるお話だそうです。世界が平和になりますように。和合して暮らせますように。人類の悲願が、こんな物語となって世界中に残っているのですね。
Facebook天外 伺朗さん投稿記事
***教訓㉕***
心の中がポジティブとネガティブに分離していると、その色眼鏡を通してしか外界は見えないから、すべてが「正義と悪」に分離して見える。色眼鏡を逆に掛ければ正義と悪が逆転する。
プーチンを「悪の権化」と見る人も、DSと戦う「正義のヒーロー」と見る人も「シャドーのモンスター」が盛んに暴れている。悪でも正義でもない、生身の悩める人間に見えてきたら、「実存的変容」の入り口まで来ている。
***教訓㉗***
今回のウクライナ戦争でも、事情はものすごく複雑です。ロシア建国の歴史から、ソ連時代の葛藤、ナチスドイツとの関係、冷戦時代の様々な葛藤、ソ連の崩壊とNATOとの関係・・・その間多くの民族間対立や虐殺事件もありました。
どこからどうとらえるかによって、解釈はいかようにも変わります。そういう混沌とした状態を、人はそのままカオスとして受け取ることが苦手です。カオス状態は、言語での記述を拒み、とても居心地が悪いのです。
そこで人は、言語で記述できる整理されたストーリーを捏造します。そのストーリーは一面の真理を含みますが、元のカオスとは似ても似つかぬものになってしまいます。
そのストーリーを語っていても、元のカオスが意識できていればいいのですが、ほとんどの人がストーリーを真実だと錯覚してしまいます。
魅力的なストーリー、ちょっとひねったマニア的なストーリーには大勢の人が群がります。当然、多くのストーリーが氾濫します。
ストーリーどうしは、対立していることもあり、それを真実と錯覚している人たちの間に対立が広まります。
いくら詳しい情報を調べても、カオスが余計カオスになるだけで、この構造は変わりません。結局、どこかに真実があるはずだ、という想いが錯覚の源なのです。
https://unleashmag.com/2019/12/03/ecological-memes03/ 【多様性がなければ、私たちは絶滅してしまうーー「複雑系科学」の視座で探る、世界と私の持続可能性】より
『ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?』
1972年、気象学者のエドワード・ローレンツが行なった講演は、カオス理論が広く一般にも知られる契機となった。理系とは縁遠い方でも、「バタフライエフェクト」という言葉なら、聞き覚えがあるだろうか。蝶の羽ばたきのような小さな変化が、後々に思いもよらない大きな何かに繋がり得る――詩的な寓意は風に乗って世に広がり、さまざまな物語作品のモチーフに編み込まれてきた。
世界とは複雑で、想定外なことばかり起こる舞台だ。近代の資本主義社会は、カオス理論が示したような予測不可能性をリスクとして捉え、よりシンプルに、より合理的な経済成長を追求してきた。経済的な豊かさが成功であり、ひいては幸福であることを疑わなかった。しかし、その価値観は破綻しつつある。効率化の過程で黙殺されてきた複雑なものたちが、複雑な世界そのものが、悲鳴を上げている。
複雑な事象を、複雑なまま受け止め直すことが、サステナブルな世界を形成していく上で重要なのではないか――この問いの行方を見定めようと、思想探索サロン「Ecological Memes(エコロジカルミーム)」は、“複雑系科学”を専門とするビンガムトン大学教授・佐山弘樹氏を迎えたトークイベントを開催した。本記事は、その模様をお伝えするレポートである。
複雑系科学とは、カオス理論から地続きで脈々と発展してきた、複雑さに真正面から向き合う科学体系だ。風が吹けば桶屋が儲かるような、人と自然と宇宙と、生物と無生物とが秩序なく関係し合う世界を、最先端のネットワークサイエンスが解析していった先には、果たしてどんな景色が広がっているのか。その視座から、混沌とした今を生きる私たちは、何を学び得られるだろうか。
「多様性がなければ、私たちは絶滅してしまう」
「私たちは世界を変えられないし、世界は私たちを変えられない」
「個々が好き勝手に生きることが、世界にとっての最適解」
これらは複雑系科学から見えてくるメッセージの、ほんの触りでしかない。ここから続くテキストを、詳らかに理解する必要はない。ふわっとしたままでもいいから、どうか一度そのままの形で、抱き止めてみてほしい。途中で閉じても構わない。気が向いた時、ふっと何かの知らせを得た時にまた訪れ、そうやって幾度となく立ち戻るような場所として、この記事を捉えてもらえたら本望だ。
複雑系の世界を体現するため、話題の紆余曲折をそのままに、運動的な内容となっている。マイルストーンとして、以下にインデックスをつけた。効率的に興味のある部分だけ摘まむか、インタラクションがもたらす文脈の連鎖に身を任すかは、読者の判断に委ねよう。
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