落蝉やもう一度飛ぶ形して
https://shiki.love/2018/07/05/%E8%90%BD%E3%81%A1%E8%9D%89/ 【落ち蝉】より
夏も終わりに近づくと公園や広場などで、蝉の亡骸(なきがら)や、今まさに命尽(つ) きようとしている蝉の姿を見かけるようになる。いわゆる「落蝉(おちせみ)」である。
日本の夏を憑(つ) かれたように囃(はや) したてた彼らの末路は、実に哀れを誘う。
この様子を小林一茶は、「仰(あおむ) けに落ちて鳴きけり秋のせみ」と詠んでいる。
蝉は儚(はかな) い命の代名詞とされているが、長いスパンで見れば人の一生も蝉の一生も大差はなく、正に「浮生夢(ふせいゆめ)の如し=人生は短く儚い」である。
ある新聞の俳壇欄(はいだんらん)に彼らの死を「大往生」と詠んだ句があったが、その鋭さにまったく同感であると思ったものである。彼らは晩夏という季節の中で、命の儚さを身を持って教えてくれるようにも見えるし、与えられた生涯を懸命に生きたようにも見える。「空蝉(うつせみ) 」という言葉がある。この言葉には「蝉の抜け殻」というだけではなく「現(うつ) しおみ」といって、現世を生きる人とか、空(むな)しいという意味がある。
実際に木の幹(みき) に止まる空蝉を眺めていると、ずい分遠い過去に引きずり込まれるような錯覚にとらわれるが、すぐに蝉しぐれの現実に引き戻される。
そんなことを連想するのも、人間が「考える葦(あし) 」のためなのであろうか。
https://www.ginsuzu.com/2012/08/07/1039/ 【『15歳の自由帳 光への階段 PTSDの彼方へ』○西野真由美ブログ】より
『15歳の自由帳 光への階段 PTSDの彼方へ 歩ける日を夢見て』は、宮下自由くんの韻文(詩、短歌、俳句、狂歌、川柳)と、感想文や作文を収載した、自由帳のような作品集です。
自由くんは、ある日突然、歩くことができなくなりました。
試練の時を経て、今再び歩くことができるようになった自由くんの、本書は、その試練の記録でもあります。
障害のぼくに肩貸す友達にありがとう言えばオスと答える 宮下自由
これは、第16回与謝野晶子短歌文学賞 青春の歌に応募し、約2万首の中から最高賞の文部科学大臣賞を受賞した作品です。
「あとがきに代えて」の中から、お父様の宮下洋二さんの言葉の一部を抜粋します。
PTSD特有の症状なのでしょうか、彼は沈鬱な表情で人に会うのがいやだ、病気が少しも良くならないので悲しい、苦しい、死んでしまいたいと言うのでした。
私が「死ぬのはちょっと待て、おまえが死ぬときには淋しくないように、お父さんも一緒に死んでやるから、神様を信じてもう少し頑張ってみよう」と言うと、彼は「ぼくは神様なんて信じないけど、お父さんは信じる」と言って、私に抱きつき泣くのでした。
自由くんの作品をもうひとつ、ご紹介しましょう。
障害のぼくに友の手ハイタッチ次々受けて父と通学 宮下自由
家族と友達、学校の先生方に見守られて、それでも苦しみもがく自由くんの心の軌跡は、PTSDと闘っている人々はもちろん、思春期の急激に成長する心身のアンバランスを抱える子どもたち、そして疲れ切った大人へも「光への階段」へ導く一冊といえましょう。
追記
宮下自由くんは、宮下木花ちゃんの弟です。
木花ちゃんの創作童話の短編集、『ひとしずくのなみだ』は11歳の作品集。
『いちばん大切な願いごと』は、12歳の作品集です。
阿川弘之さん、秋山ちえ子さん、永六輔さん、城山三郎さん、志茂田景樹さん、立松和平さんなど、多くの方々に賛辞をいただき、群馬県文学賞を最年少で受賞しました。
ことに、処女作所収の「ノロボトケ」などは、思い出しても鼻の奥がツーンとなります。
お近くの図書館へリクエストして、ぜひ読んでみてください。
西野真由美
0コメント