https://ameblo.jp/kanbioeneruhia/entry-12528324885.html 【俳句が「一行の詩」なら、詩を書いたほうがいい】より
現代の俳人は「俳句は一行の詩だ」と言い、そのまま詩に近づけようとしている。中村草田男以降、そういう考え方があって、それが主流になってきた。だけど、本来的に言うと俳句は主観性と客観性が一句の中に入っていることのほうが重要だとぼくは思います。近代詩も含めて日本語の詩というものはそう考えるのがいちばんいいと、ぼくは思っています。
現代俳句、近代俳句が一行の詩にしちゃったということは、五七五の俳句形態としてやるんなら長持ちはしないですよ、きっと。「これはのっぺらぼうだ。一行で何を言っているのか」と思われる時代が必ず来ると思います。現代の俳人は、近代詩以降の日本の詩があるものですから、一足飛びにそれに近づけようとして一行の詩にしちゃったと思いますが、それは決してぼくの理解のしかたでは長続きはしません。
詩としては一行の詩になっていますよ。でも、それは俳句じゃないですよ。それなら詩を書けばいいじゃないかということになっちゃうんです。つまり、芸術的価値としての俳句ということを言うんならば、主張したいんならば、一行の詩ではなくて、ちゃんと詩を書いてくれと。もう七五調じゃなくてもいいわけです。いくら長く書いたっていいわけです。
ある種の人たちはそういう試みをしていました。人の書いた文章をいろいろ集めて来て、つなぎあわせて長詩を作る。鮎川信夫の「アメリカ」という詩がありますが、それなんか典型的にそうです。もう引用だけでやろうじゃないかと、そのくらい意識的にやって、できてます。俳句はまだ言い足りていないのに、どうして一行の詩でやめちゃうんだと、ぼくらからすれば思えるわけです。もっと長くすればいいじゃないか。長くすると芸術的価値を生じない場合もありますけど、生ずる場合があるわけです。長い詩の中の意味の起伏をトータルとすると、ちょうど芸術的価値の概念にプラスすることができるわけです。一行の詩をやるんだったら――まあ、試みる意味はわかりますし、よくやっているなあとは思いますけれど――どうせこれだけ考えたんなら詩を書いちゃえばいいじゃないかと、ぼくだったら思いますね。
俳人が専門家になって、なお現代性というのを主張し始めた。そういう人は俳句を一行の詩にしちゃうし、和歌の人は、近代的あるいは現代的にしたいと思えば、子規みたいに、あるいは初期の「アララギ」派の人たちみたいに、みんな写生歌にしちゃうんです。『万葉集』は写生歌じゃないですよ。だけど、みんな写生歌だと思っている。「これ、形式は和歌だけれど本当の意味の詩だよ」と言えるような歌人は斎藤茂吉からです。茂吉の『赤光(しゃっこう)』は五七五七七で和歌の形式をとっていますが、とっている、とっていないにかかわらず、この人の短歌はいわゆる西洋的な意味での詩と言える。だけど、俳句の人が一足飛びにそれをやると、俳句の起源である「なぜ俳句がおこったのか」が忘れられてしまう。
その点、石田波郷はいいですね。三好達治が挙げていた<初蝶や吾三十の袖袂>はぼくも好きな句ですが、あれは古典的な俳句の本質をちゃんと意識している。今で言うと森澄雄のいい句はちゃんとできている。古い形式だけれど、いいですよ。
短歌、俳句、詩の交流ですが、詩の面から言えばひとりでにできなきゃ、ないですよ。今だったらないです。ないのが当たり前であって、自分らの詩の形式、古典詩型としての形式がなぜこうなっているかをそれぞれの人が意識して、それを自分らの問題として考えるということにならない限り、短歌と俳句と詩との交流はないのが当然です。鮎川信夫は平気で「俺は俳句や短歌は全然わからない。本当にわからないんだ」と言ってましたからね。もう公然と言ってました。つまりそういうことってあり得るわけです。ある俳人は奇想天外な考え方で、そんなはずがないと思っているかもしれない。ちゃんと一行だけど詩を書いているじゃないかと思うかもしれないけれど、それなら一行じゃない長い詩を自由に書けばいいじゃないかと詩人の側から言われちゃう問題ですよ。
ぼくは昔から古典が好きだったから、ぼくは俳句や短歌がわからないとは言わない。だけど、これがどうしてそう言われちゃうのかはわかる。どうして第二芸術と言われちゃうかというのもわかる。だけど、それはやはりまずい。俳句としての自立性を保てば保つほど、短歌や詩との「話し合い」ができるようになるわけです。それが俳句の人はできてないんです。短歌の人もそうです。
近藤芳美さんの短歌は逆に主観ばかりのものがわりに多いんです。この人も優秀な短歌の第一級の人ですが、本来的に言うと短歌が持つべきそれを持っているかどうかと言えば、初期の「アララギ」の人と同じで、この人のは主観ばかりじゃないですかと言われるような短歌になってます。だから、もう少し経つと、「これはのっぺらぼう過ぎて短歌にはふさわしくないな」みたいに言われるようになると思います。
趣味で俳句を作っている人は多い。ぼくの友達でもずいぶんいるんです。専門家ではなくて、また専門的な修業をしているのでもない。でも、俳句は入りいいからやるんだということでやっている普通の人はいっぱいいます。これは詩なんかと比べ物にならないくらい裾野が広い。こういう人の句は決してうまくはないだろうけれど、ひとりでに無意識に芭蕉流の俳句の特徴ができていることはありますね。だけど専門家で、それをやってほしい人たちが「俳句は一行の詩だ」とわざわざ考えるのは、ぼくから見たらおかしいじゃないかということです。
専門俳人とかプロ中のプロと言うのはおかしい。それは形式の問題ではなくて、芸術観を必要としますよ。例えば、イギリスの批評家ラスキンの「芸術社会学」の影響を強く受けたのが宮沢賢治です。「マリヴロンと少女」という作品の中に宮沢さんの考え方がよく出ています。マリヴロンという一人の声楽家がいて、彼女の熱烈なるファンの少女が「自分はあなたの熱烈なるファンだ。だから自分も一緒にどこにでも連れて行ってください」と言う。それに対してマリヴロンが「いや、あなたの考え方は違う。すべての人間はだれでも自分の生活のあとにおいて芸術を描いているんだ。自分は人からは芸術家と言われ、持ち上げられたり、けなされたりしているが、あなただって自分の生活のあとにおいて芸術を描いているんだから、同じだ」とお説教をするところがあります。すべての芸術なんてそういうもんだとおっしゃりたいのなら、やはり自分の芸術観を持たないとだめです。ぼくはそう思います。
宮沢賢治はそれを持っている。あの人の童話を読んでも詩を読んでもわかりますけど、あの人は自分の芸術観を持っています。農業をやっている自分の生徒たちに「仕事はつらいだろうけれど、空に吹いている風でもって自分の音楽を作ってくれ」という言い方をしています。それは一つのちゃんとした芸術思想です。
その芸術思想を、ぼくの固有のテーマとして、これからもきちんと追求していくつもりです。
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