https://toyokeizai.net/articles/-/13884 【自国の歴史を知らず、“迷子”になる日本人 日本の原点は「多民族共生国家」】より
日本人はどうやって日本人になるのだろうか? そんな誰もが意識したことがないことを、グローバル化という視点でとらえていくとどうなるだろうか? 21世紀のグローバル化が私たちに突きつけている問題は、国際標準語(英語)を話す国際人になることではない。日本人という確固たるアイデンティティを持って、世界を舞台に活躍できる人材になることだ。
しかし残念ながら、日本で日本人の両親から生まれ、日本の教育を受けて育つと、真の日本人にならない。一人娘をアメリカと中国の教育で育てたジャーナリストが、その経験を基に、日本人とは何かを問いかける。
日本の学校教育では、日本の歴史について深く知ることができない(撮影:尾形文繁)
自国の歴史を知らないで育つ日本人
この連載を始めてから、アメリカに留学中の学生から、たびたびメールが来るようになった。その内容はだいたい同じで、日本を離れて初めて「自分が日本のことを何も知らないことに気がついた」というのだ。
私たちが日本人であることは、日本にいると自明のことだから、自問自答することはない。しかし、いったん日本を離れて異文化の中で暮らすと、この当たり前のことが当たり前ではなくなってしまう。
以下のメールは、ボストンに留学したばかりの大学生から、つい最近、届いたものだ。
自分は20歳まで野球をやってきました。一昨年の夏、練習中に目にボールが当たり、それが原因で野球を辞め、思い切って留学している次第です。こちらに来てまだ2カ月ですが、日本にいたときよりも強く“日本”を感じています。
アメリカに来てから、日本のことを勉強したくなりました。歴史から現在に至るまで、日本について英語で外国人に伝えたい、良いことも悪いところも、知ってもらいたいと思いました。それは、みんな(自分も含め)日本に対して間違った認識があるからです。
そうするうちに、自分が日本についてほとんど知らないことに気づきました。
歴史からひもとかれる現在への軌跡を学び、これからわれわれ日本人がどうしていくべきなのかを、今、本気で考えています。
日本が低迷する最大の原因
私の友人にケン・ジョセフという在日アメリカ人がいる。彼は戦後、マッカーサーが「戦争で傷ついた日本人を助けるためにはボランティアが必要だ」という要請に応じて来日した牧師の息子だ。日本で育ち、現在、ボランティア団体を組織して、地震の被災者などの救援活動を行っている。
そんな彼がいつも言っているのは、「日本人は自分たちが誰なのか見失っている」ということだ。そしてこれが「今の日本が低迷している最大の原因」というのだ。つまり、彼に言わせると、日本人はみんな“迷子”だというのである。
「今の日本で何がいちばん悲しいかというと、若い人が自分の国に対して誇りが持てないことです。それは、大人たちが何も教えないからです。教えないで、若い人の悪口ばかり言っている。
迷子を助けるとき、いちばん大切なのは、自分がどこにいるか教えてあげることです。迷子になるというのは、自分が今どこにいるのか、周りがどうなっているのかがわからなくなるからです。
だから、いちばんいいのは、地図をあげること。あなたは、いまここにいて、ここからやって来てここに行こうとしています。周りはこうなっていて、道はこういうふうに続いています。そう教えてあげることです。そうすると、安心して、初めて歩き出すんですよ」
確かに彼の言うことは的を射ている。
中国・韓国との関係が悪化し、国が急速に右傾化していく中で、若者たちの間でネトウヨや在特会のような過激な外国人排斥運動、人種差別運動が起こるのも、日本人が自分自身を見失っているからではないだろうか。
私は、「頑張る」という言葉があまり好きではない。東日本大震災以来、「頑張れ!」という言葉は、この国に氾濫している。もちろん、それ以前から日本人は、本当によく「頑張る」という言葉を使う。しかし、では「何のために頑張るのか?」と聞かれると、ほとんどの人が答えられないのではないだろうか?
昔、アメリカ人に「日本人はすぐに“頑張ってね”と言うが、あれはあいさつなのか?」と聞かれて、言葉に窮したことがある。あなたは、「何のために頑張って勉強しているのか?」「何のために頑張って働いているのか?」と聞かれて、すぐに答えられるだろうか。
自分自身を見失い、何のために生きているのかわからなければ、人生は“暗夜行路”だ。
これは、国家、民族も同じ。自国がどんな歴史を持っているのか、また、自分たちがどこから来たかを知らない国や民族は、決して自立できない。
残念ながら、これまでの日本の教育は、これをおざなりにしてきた。特に歴史教育は、国と民族にとって最も大事な点なのに、受験教育、ゆとり教育の中で、忘れ去られてきた。その結果、日本人は“国家観”を持てなくなってしまった。
現在、日本では、遅ればせながらグローバル教育が叫ばれるようになった。英語教育が見直され、大学入試、公務員試験にTOEFLが導入されようとしている。しかし、英語が話せても、日本を知らなければグローバル人材にはなれない。
アメリカ人の国家観は明確
私は一人娘を幼稚園からインターナショナルスクールに通わせたので、歴史教育にはとくに気を使った。もちろん、日本にいるから、日常的にテレビ、映画、ドラマ、書籍、漫画などを通して、日本の歴史は入ってくる。たとえば、歴史上の人物、聖徳太子、徳川家康など、また歴史上の出来事、大化の改新、江戸幕府などは、学校で教えてくれなくとも入ってくる。
しかし、それは単なる知識であって、歴史ではない。歴史は断片でなく「ストーリー」である。そう思っていたので、娘がミドルスクールになってからは、自分でノートを作り、時間があるときに娘に教えた。
アメリカ人の場合、国家観は明白だ。なぜなら、彼らには「建国のストーリー」があるからだ。アメリカは、祖国での弾圧を逃れ、メイフラワー号でやって来たピューリタンたちがつくった国である。したがって、建国の目的のひとつは、「信教の自由」である。
次に、ボストン茶会事件を経て独立戦争となり、1776年に独立宣言が採択される。これは英国植民地からの独立で、つまり「英国王権からの自由」である。つまり、アメリカは人々が「自由に生きられること」を目的としてつくられた国であり、このストーリーは現代でも変わらない。
アメリカの歴史教育は、各州によって違う。教育は日本のように文科省によって一括管理されていないので、学校によっても違う。それで、以下に記すことは、一般的な例として受け取ってもらいたい。
小学校低学年での主要4科目は、「ランゲージ」(国語=英語)、「マス」(算数)、「ソーシャル・スタディーズ」(日本の社会に相当)、「サイエンス」(日本の理科に相当)。このうち歴史教育は、「ソーシャル・スタディーズ」での中で行われるが、「国語」の中でも歴史的な読み物が出てくる。ただし、小学校4年生までは、歴史の時間数は他教科に比べて少ない。
小学校5、6年生になって、初めて「ヒストリー」(歴史)の教科書による歴史教育がスタートする。この教科書は、日本で言えば世界史で、人類がどうして誕生したか?から始まり、 エジプト文明、ギリシア文明を経て現代に至るまでの歴史が網羅されている。もちろん、後半は、アメリカの歴史が大半を占めている。
アメリカの歴史教科書は読ませる
私も娘の歴史教科書を読んだが、日本の歴史教科書と大きく違うのは、各章が非常によく整理され、イラスト入りで、読み物としても楽しめることだ。
たとえば、「建国」(Building a New Nation)の章では、最初にこの章で習う「キーワード」(重要語句)と「キーピープル」(重要人物)が示され、「出来事表」がある。そして、「Read for Purpose」(読む目的)という項目があり、そこにはこう書かれている。
「How did the United States gain its independence from Great Britain?」(どのようにアメリカは大英帝国から独立を得たのか?)
これほど、覚えること、知ること、その目的を明確にした教科書はないだろう。
さらに驚いたのは、章の後には「復習」欄があり、また「Thinking Skills」(考える技術)として、その出来事がなぜ起こったか? 自分で考えるための方法も説明されていることだ。
このようにアメリカの歴史教科書は、ストーリーとしての歴史を明確に打ち出している。そしてそれは、よく読んでみると、英雄たちのサクセス・ストーリーである。独立戦争の英雄ポール・リビアー、初代大統領ワシントンなどの建国の父たち、リンカーン、ルーズベルト、キング牧師など、数々の英雄たちが「歴史をつくった」「歴史を変えた」というように書かれている。
また、アメリカの歴史のほとんどが、戦争の歴史であることに驚く。独立戦争から現在の対テロ戦争、アフガン戦争に至るまで、200年の歴史は、ほとんどが戦争の歴史なのである。これほど、戦争ばかりしてきた国は世界にはない。
そして、その戦争それぞれに目的がある。「自由と正義、そして民主主義のため」の戦いである。
つまり、アメリカの歴史教育には「ストーリー」と「何のために~(目的)」が明確である。しかし、日本の歴史教育にはこれがない。
ところで話は少しそれるが、欧米の歴史教育には、「日本史」というカテゴリーがない。「ローマ史」「イギリス史」などはあっても、日本という国を単独の歴史でとらえるような教科はない。同じように「朝鮮史」も「ベトナム史」もない。これらは皆、地域研究(リージョナル・スタディーズ)である。
彼らの歴史は、ギリシアから始まり、ローマ、中世、近代、現代へと続く「西欧文明発達史」であり、それ以外の世界はすべて「地域研究」であって、歴史という視点ではとらえていない。
聖徳太子は架空の人物?
アメリカの建国が独立宣言による「合衆国憲法」制定なら、日本の建国とは何だろう?
すぐに思い浮かぶのが、聖徳太子による「十七条憲法」の公布である。これをもって、日本という国の根幹ができたと考えるのが妥当だと思われる。
ところが最近、聖徳太子は架空の人物と言われている。歴史の教科書もこれを取り上げて、十七条憲法は太子の実績と断定できない、旧1万円札で有名な肖像画も「太子像」とする根拠がないなどという、歴史学のトピックを入れている。
しかし、そんなことより重要なのは、十七憲法が公布されたことは史実なのだから、その内容と公布に至った歴史をストーリーとして語ることだろう。
娘はハイスクールで日本史を詳しく学び、聖徳太子について、私に疑問をぶつけてきたことがある。
「プリンス・ショウトクの十七条憲法は漢文で書かれているけど、当時の日本人はみな漢文が書けたの?」
「そうだね。日本には文字がなかったから、当時の支配階級は漢文の読み書きができたんだね」
「そうすると、先生は中国人だね。プリンス・ショウトクも中国人だった可能性があるね」
十七条憲法は、教科書に載っているのを見ればわかるように、正確な漢文で書かれている。有名な第一条は、次のとおりだ。
《一曰 以和為貴 無忤為宗 人皆有黨 亦少達者 是以或不順君父 乍違于隣里 然上和下睦 諧於論事 則事理自通 何事不成》
もうひとつ、娘が疑問として挙げたのは、第一条の有名な冒頭部分「一に曰く、和(やわらぎ)を以(もち)て貴(たふと)しと為し(なし)、忤(さか)ふること無きを宗とせよ」は、「和」(ハーモニー)を最高の価値とする日本文化の象徴とされるが、なぜ、太子がこれを第一条に持ってきたかだ。
「こんなことを最初に書くということは、当時の日本では争いが絶えなかったということじゃないの? 大陸から来た渡来人と、縄文時代からいるネイティブ人としょっちゅう揉めていたからだと思う」
娘は英語をアメリカ人の先生から習った。また、学校では国を異にする生徒たちと一緒に学んだ。だから、自然にこういう発想が出てきたのだろう。
日本人の成り立ちは、最近は、ミトコンドリアDNAの研究などから、かなり正確にわかるようになった。かつては日本人を単純に縄文人と弥生人とに分けていたが、DNA解析から「日本人は縄文人と弥生人との混血である」ことが明らかになっている。
つまり、日本人の血の中には、大陸系の民族の血が混じっているのだ。縄文人は日本がまだ大陸と陸続きだった1万年以上前に大陸から渡ってきた人々。その縄文人と、それ以後に中国本土と朝鮮半島から移住してきた弥生人や渡来人が混血して、日本人ができたわけだ。日本人の起源を説明する「混血説」は「二重構造説」とも呼ばれ、東京大学名誉教授の人類学者・埴原和郎氏により、1990年に提唱されている。
大和朝廷はこうした渡来人の王朝で、混血日本人はその支配下に置かれていたのであろう。その中で「日本人」「日本民族」というアイデンティティが形成されていったのだと考えられる。十七条憲法は、そういう過程でできた、日本最初の律令(法)である。これにより、法(ルール)の支配を根源とする国家が成立したのだろう。まさに、日本建国だ。
天皇陛下の「ゆかり発言」
ここで思い出されるのが、天皇陛下の「ゆかり発言」だ。2002年の日韓ワールドカップを前にして、陛下は次のように発言されている(朝日新聞 2001年12月23日より)。
《日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や招へいされた人々によって、様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、いまも折々に雅楽を演奏している人があります。
こうした文化や技術が日本の人々の熱意と、韓国の人々の友好的態度によって、日本にもたらされたことは幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に大きく寄与したことと思っています。
私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王(ぶねいおう)の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、このとき日本に五経博士が代々日本に招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王(せいめいおう)は、日本に仏教を伝えたことで知られております。
しかし、残念なことに、韓国との交流は、このような交流ばかりではありませんでした。このことを、私どもは、忘れてはならないと思います。
ワールドカップを控え、両国民の交流が盛んになってきていますが、それが良い方向に向かうためには、両国の人々がそれぞれの国が歩んできた道を個々の出来事において、正確に知ることに努め、個人個人として互いの立場を理解していくことが大切と考えます。
ワールドカップが両国民の協力により、滞りなく行われ、このことを通して両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております。》
このような経緯から、私は娘に、日本の原点は「多民族共生国家」だったと教えた。今で言えば、インターナショナル国家。この日本の地には、インターナショナル・コミュニティがあったのだ。
当時の日本には、中国や朝鮮半島はもとより、はるか中東からやってきたトルコ系の人々もいた。
京都、奈良には、「秦」という姓の人が多い。この人たちは、古代のこの国に大量に渡来してきた中東からの人々、秦氏(「はたし」、「はたうじ」とも言う)の子孫だ。秦氏は弓月君に連れられて百済から帰化した中国系の人々で、機織りなどの技術で日本に多大な貢献をしたと言われている。しかし、前記したケン・ジョセフと彼の父は、長年にわたり研究した結果、秦氏のルーツは中央アジアのカザフスタンや、キルギスタンなどに行き着くとしている。
平安京はインターナショナル・シティ
秦氏で最も有名な人物が秦河勝。彼は聖徳太子に仕え、太秦に蜂岡寺(広隆寺)を建立したことで知られている。また、村上天皇の日記には「大内裏は秦河勝の宅地跡に建っている」と記されており、『日本書紀』などの記述から、秦氏一族は平安京の都づくりに深くかかわっていたことが知られている。
このようなことに思いを馳せると、平城京や平安京はインターナショナル・シティであり、街を歩けば、多くの外国人とすれ違ったはずだ。しかし、今の日本は内向きで、移民を受け入れず、あらゆる問題を日本人自身の手で解決しようとしている。
娘のこともあっても、私は、「子供をグローバルな人間に育てたいが、どうしたらいいですか?」という相談をよく受ける。もっと端的に「将来、英語を話させたいので、そのためにはどんな教育をすればいいですか?」という相談もある。
そこで私は、「グローバル人材として大切なことは、語学力(英語)はもちろんですが、自分が誰か知っていること、そしてそれを表現できることです」と答える。つまり、ホンモノの日本人になることだ。
日本で日本人だけの中で育つと、同じ文化、同じ価値観が共有されるため、自分が誰かなど意識することはほとんどない。まして、それを表現することなどもっとない。“空気”を読んで行動するのが最も賢い生き方になる。
しかし、グローバル社会、多文化共生社会には“空気”など存在しない。徹底的に自分のこと(日本人であること)、そして、その価値観(なんのために生きているのか)を話さないと、相手には何も伝わらない。
そのためにはやはり、自分自身の歴史を知ることだ。
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