ネオン赤き露の扉にふれにけり
木下夕爾
裏町の一角。ところどころに、夜遅くまでネオンのついている酒場がある。そのネオンも繁華街のように豊かな彩りではなく、たいていが赤か青一色という淋しいものだ。そんな淋しい感じの酒場に入ろうとして、作者は扉が露で濡れているのを手に感じた。このとき、もちろん赤いのはネオンであるが、句を見つめると「赤き露」とも読めるわけで、このあたりは叙情詩人の本領発揮、字面的に微妙に常識をずらしているのだ。作者はここで「赤き露」にふれたのでもあるという心持ち……。旅先でのはじめての店だろうか、それとも地元での気の進まない相手との約束の店だろうか。いずれにしても、作者は勢いよく扉を押してはいないところが、この句をわびしいものにしている。そして、このわびしさが実にいい。酒飲みには、とくに切実に句のよさがわかるはずである。今夜も、この国のあちこちの裏町で、酒場の扉にふれる人はたくさんいるだろうが、さて、その際に「赤き露」を感じる人は何人くらいいるのだろうか。『菜の花集』(1994)所収。(清水哲男)
September 2991999
鰯めせめせとや泣子負ひながら
小林一茶
山国信州信濃に鰯(いわし)を売りに来るのは、山を越えた越後の女。赤ん坊を背負っての行商姿が、実にたくましい。しかも昔から「越後女に上州男」といって、越後女性の女っぷりの評判は高かった。相馬御風『一茶素描』(1941)のなかに、こんなことが書いてある。「どんなにみだりがはしい話をもこちらが顔負けするほどに露骨にやるのが常の越後の濱女の喜ばれることの一つ」。となると、例の「あずま男に京女」のニュアンスとは、かなり懸け離れている。嫋々とした女ではなく、明朗にして開放的な性格の女性と言うべきか。句から浮かび上がるのは、とにかく元気な行商女のふるまいだが、しかし、一茶が見ているのは実は背中の赤ん坊だった。このとき、一茶は愛児サトを亡くしてから日が浅かったからである。「おつむてんてん」とやり「あばばば」とやり、一茶の子煩悩ぶりは大変なもののようだったが、サトはわずか四百日の寿命しかなかった。『おらが春』の慟哭の句「露の世は露の世ながらさりながら」は、あまりにも痛々しい。威勢のよい鰯売りの女と軽口を叩きあうこともなく、泣いている赤ん坊をじいっと眺めている一茶。おそらく彼は、女の言い値で鰯を買ったことであろう。(清水哲男)
October 07101999
朝露に手をさしのべて何か摘む
大串 章
朝の庭で、たとえば妻が何かを摘んでいる。そんな姿を垣間見た写生句と理解してもよいだろう。実際に、そのとおりであったのかもしれない。しかし、私はもう少し執念深く、句にへばりついてみる。この「何か」が気になるからだ。「何か」とは、何だろうか。と言って、「何か」が草の花であるとか間引き菜であるとかと、その正体を突き止めたいわけじゃない。そうではなくて、この「何か」が句に占める役割が何かということを考えてみている。つまり作者は、故意に「何か」という言葉を据えた気配があるからだ。草の花や間引き菜に特定すると、句からこぼれ落ちてしまうもの。そういうものをこぼしたくないための「何か」を、作者は求めたにちがいない。そう考えて何度も読んでいるうちに、いつしか浮かび上がってきたのが、人の所作のゆかしさである。その露の玉のような美しさ。特定の誰彼のゆかしさというのではなく、古来私たちの生活に根付いてきた所作のゆかしさ全体を、作者は「何か」という言葉にこめて暗示している。こう読んでみると、小さな日常句がにわかに大きな時空の世界に膨れ上がってくるではないか。「百鳥」(1999年10月号)所載。(清水哲男)
May 2652001
汗ばみて加賀強情の血ありけり
能村登四郎
わかっているのだ。わかってはいても、つい「強情」を張り通してしまう。気質かなあと、作者は前書きに「金沢はわが父の生地」と記した。傍目からすれば、強情は損と写る。何もつまらないことで意地を張る必要はあるまいにと、見える。このあたりが人間の不可解さで、強情を張る当人は必死なのだ。それもわかりながらの必死なのだから、すこぶる厄介である。江戸っ子のやせ我慢なども同類で、気質には地域的な歴史や環境にも大いに影響されるという説もあるけれど、加賀や江戸の人すべてが強情でないことも明らかだ。負けず嫌いや一本気な人はどこの土地にもいるし、負けるが勝ちさと嘯く人だってどこにでもいる。そんなことはわかっているのだが、しかし自分の強情癖は直らない。我と我が気質をもてあましつつ、とりあえず三十代の作者は、血の地方性に寄りかかってみたかったという句だろう。ちなみに、自身は東京生まれである。作者の能村登四郎氏は、一昨日(2001年5月24日)九十歳で亡くなられた。敗戦後まもなくの句に「長男急逝六歳」と前書された「逝く吾子に万葉の露みなはしれ」という痛恨の一句がある。半世紀ぶりにお子さんと会えたならば、さすがの強情も出てこないだろうとは思うけれど……。合掌。『人間頌歌』(1990・ふらんす堂文庫)所収。(清水哲男)
October 30102001
草の露かがやくものは若さなり
津田清子
秋に結ぶことが多いので、単に「露」と言えば秋季になる。風のない晴れた夜に発生する。「露」はすぐに消えてしまうので、昔からはかない事象や物事の象徴とされ、俳句でもそのように詠み継がれてきた。「露の世は露の世ながらさりながら」(小林一茶)など。ところが作者は、そのはかない「露」に「若さ」を認めて感に入っている。「かがやくものは若さなり」と、「草の露」を世の物象全体にまで敷衍して言い切っている。言われてみると、その通りだ。この断定こそが、俳句の気持ちよさである。作者にこの断定をもたらしたのは、おそらく作者の年輪だろう。なにも俳句の常識をひっくり返してやろうと、企んでいるわけではない。若いうちは、かえって「はかなさ」に過剰に捉えられる。拘泥する。おのれの、それこそ過剰な若さが、「はかない」滅びへの意識を敏感にさせるからだろう。私自身に照らして、覚えがある。若いときに書いた詩やら文章やらは、ことごとく「はかなさ」に向いていたと言っても過言ではない。このような断定は、初手から我がポエジーの埒外にあった。不思議なもので、それがいまや、この種の断言に出会うとホッとする。「かがやくものは若さなり」。いいなア。老いてからわかることは、まだまだ他にもたくさんあるに違いない。「俳句」(2001年11月号)所載。(清水哲男)
October 06102002
終バスの灯を見てひかる谷の露
福田甲子雄
田舎の夜道は暗い。暗いというよりも、漆黒の闇である。谷間の道を行くバスのライトは、だから逆に強烈な明るさを感じさせる。カーブした道を曲がるときには、山肌に密生する葉叢をクローズアップするように照らすので、たまった「露」の一粒までをも見事に映し出す。百千の露の玉。作者は「終バス」に乗っているのだから、旅の人ではないだろう。所用のために、帰宅の時間が遅くなってしまったのだ。めったに乗ることのない最終便には、乗客も少ない。もしかすると、作者ひとりだったのかもしれない。なんとなく侘しい気持ちになっていたところに、「ひかる露の玉」が見えた。それも「灯を見てひかる」というのだから、露のほうが先にバスのライトを認めて、みずからを発光させたように見えたのだった。つまり露を擬人化しているわけで、真っ暗ななかでも、バスの走る谷間全体が生きていることを伝えて効果的だ。住み慣れた土地の、この思いがけない表情は、バスの中でぽつねんと孤立していた気持ちに、明るさを与えただろう。シチュエーションはまったく違うけれど、読んだ途端にバスからの連想で、私は「トトロ」を思い出していた。あのトトロもまた、生きている山村の自然が生みだしたイリュージョンである。『白根山麓』(1998・邑書林句集文庫)所収。(清水哲男)
October 10102002
こぼさじと葉先と露と息合はす
粟津松彩子
作者、八十三歳の句。どうにも解釈がつかなかったので、しばらく放っておいた。というのも「こぼさじと」の主格が「葉先」だけであれば問題はないのだが、明らかに「露」の主格でもあるからだ。はじめは、こう考えた。こぼすまいとする葉先と、こぼされまいとする露。必死の両者が息を詰めるようにして「息」を合わせているうちに、葉先と露とがお互いに溶けあい浸透して合体したかのような状態になった。つまり、完璧に息が合ったとき、もはや葉先は露なのであり、露も葉先なのであるという具合に……。これでよいのかもしれないけれど、なんとなく引っ掛かっていて、何日か折に触れては考えているうちに、閃いたような気がした。ああ、そういうことだったのか。すなわち「こぼさじと」の主格は葉先と露両者であるのは動かないのだが、だとすれば「こぼさじ」の目的語は何だろう。閃いたというのは、この句には目的語が置かれていないのではないかということだった。葉先と露との関係から、ついついこぼれるのは露だと決めつけたのがいけなかった。そうではなくて、葉先と露の両者が「こぼすまじ」としているのは、句には書かれていないものではないのか。たとえば、目には見えない高貴なもの、神々しいもの……。そう解釈すれば、句はすとんと腑に落ちる。で、ようやくここに紹介することができたという次第だ。理屈っぽくなりました。ごめんなさい。『あめつち』(2002)所収。(清水哲男)
October 22102003
鬣に残る朝露ライオンショー
松崎麻美
季語は「朝露・露」で秋。サーカスの「ライオンショー」である。サーカスの実物は、田舎での少年時代に一度見たきりだ。村の共同作業場で開かれて、超満員だった。わくわくしながら見ていたわりには、詳細を覚えていない。それまでには見たこともなかった背の低い男が走り回っていたことと、もう一つは綱渡り。和服で足袋姿の女性が、派手な和傘を広げて私の席のほぼ真上を渡って行ったのだから、これはもう身の危険を感じてハラハラドキドキものだった。覚えているのは、それくらいだ。しかし、動物は何も出てこなかったと思う。人間でさえ食うに困っていたときだから、大きな動物を連れて巡業できたわけもない。いや、その前に戦時中、いわゆる猛獣の類はみな薬殺されており、連れて歩こうにも存在しなかったのだ。というわけで、掲句はむろん現代のサーカスを詠んでいる。出てきたライオンの「鬣(たてがみ)」にまだ「朝露」が残っていると感じたのは、もとより作者の主観によるものだ。そしてこのときに、朝露はライオン本来の持つ野性を読者に思い起こさせる。人に飼われ人を喜ばせるための芸を仕込まれたライオンではあるけれど、それでも野性を完全に失ったのではない。そのことを、作者ははかない朝露に湿った鬣に暗示させている。見せ物としての猛獣を描いて、秀逸な一句だ。ああ、サーカスは哀し。なお、句集では全ての句に作者自身による英訳が付されているので、それも引用しておこう。「a lion on a pedestal/his mane still moist/with the morning dew」。日英語俳句集『海の音 The Sound of the Ocean』(2003)所収。(清水哲男)
November 10112004
花嫁の菓子の紅白露の世に
吉田汀史
季語は「露の世」で秋。「露」に分類。この場合の「露」は物理的なそれではなく、一般的にははかなさの比喩として使われる。むなしい世。「花嫁の菓子の紅白」は、結婚式の引き出物のそれだろう。いかにもおめでたく、寿ぎの気持ちの籠った配色だ。それだけに、作者はかえって哀しみを感じている。結婚が、とどのつまりは人生ひとときの華やぎにしか過ぎないことを、体験的にも見聞的にも熟知しているからだ。といって、むろん花嫁をおとしめているのではない。心から祝いたい気持ちのなかに、どうしても自然に湧いてきてしまう哀しみをとどめがたいのである。たとえば萩原朔太郎のように、少年期からこうした感受性を持つ人もいるけれど、多くは年輪を重ねるにつれて、「露の世」の「露」が比喩を越えた実際のようにすら思われてくる。かく言う私にも、そんなところが出てきた。考えるに、だからこの句は、菓子の紅白をきっかけとして、思わずもみずからの来し方を茫々と振り返っていると読むべきだろう。同じ作者に「烏瓜提げ無造作の似合ふ人」がある。その人のおおらかな「無造作」ぶりを羨みながら、いつしか何事につけ無造作な気分ではいられなくなっている自分を見出して、哀しんでいるのだ。俳誌「航標」(2004年10月号)所載。(清水哲男)
September 0292005
露深し今一重つゝむ握り飯
盧 文
季語は「露」で秋。江戸元禄期の無名の人の俳句を集めた柴田宵曲『古句を観る』(岩波文庫)に載っている句。「旅行」という前書がある。朝の早立ちだ。腰につけていく昼食用の「握り飯」をつつんでいるのだが、表をうかがうと、今朝はことのほか「露」が深く降りている。この露のなかを分けて歩いたら、相当に濡れそうだ。いつものつつみでは沁み通りそうなので,用心のために,いま「一重」余計につつんだと言うのである。私の子供の頃でもそうだったように,竹の皮を使ったのだろう。「露の深さ,草の深さに行きなずむというようなことは、句中にしばしば見る趣であるが、ただ裾をかかげたり、衣袂(たもと)を濡したりする普通の叙写と違って,握飯を今一重裹(つつ)むというのは、如何にも実感に富んでいる。昔の旅行の一断面は、この握飯によって十分に想像することが出来る」(宵曲)。たしかに、往時の旅行は大変だった。岡本綺堂の本を読んでいたら、昔の人はみんな旅が嫌いだったとはっきり書いてあった。そりゃそうだろう。どこに出かけるのも、基本的には徒歩なのだし、知らない土地の情報も薄いから、心細いこと限り無し。落語に出てくるような寺社詣でにことよせた物見遊山ならばまだしも、長旅には必ず水盃がつきものだったというのもうなずける。旅行が趣味という人が増えてきたのは,つい最近のことなのだ。隔世の感ありとは、このことだろう。(清水哲男)
October 18102005
飼い馴らす携帯電話露の夜
鈴木 明
季語は「露」で秋。一度も「携帯電話」を持ったことはないけれど、パソコンなどの他の機器から類推して、句の「飼い馴らす」の意味はわかるような気がする。たぶん携帯電話にはいろいろな機能がついているので、それらを自分が使うときに便利なようにカスタマイズできるのだろう。その作業を、作者は秋の夜にやっている。私よりも少し年上の方だから、失礼ながら、マニュアルと首っ引きでたどたどしく……。しかし、これをやっておかないと、快適には使えない。やむを得ず作業をつづけているわけだが、そのうちに時々ふっと空しくなってくる。このときに「露」は空しさの象徴だ。夜間に結ぶ露も、明日朝くらいまでのわずかな時間しか身を保つことができない。いま行っているおのれの作業が、いま盛んに結ばれている露みたいに感じられると言うのだ。2002年と三年前の作だが、いまや「携帯電話」とは誰も言わなくなった。「ケータイ」である。それこそ機能的にも「ケータイ」は単なる「携帯電話」とは違い、テレビも受信できればカメラもついている。もう「電話」と言うことはできない。ますます「飼い馴らす」のが難しそうだ。私が持たないのは、そういうことからではなくて、元来が電話嫌いだからだ。相手の都合などおかまいなしの暴力性が、なによりも気に食わないのである。『白』(2003)所収。(清水哲男)
September 0292006
一粒の露の大きくこぼれたる
山本素竹
露は一年中結ぶものではあるが秋に著しいので、単に露といえば秋季となる。また「露けし」「露の世」「露の身」などと使い、はかなさや涙にたとえる句も私の周りには多いが、この句のように、「露」そのものを詠んでいながら余韻のある句にひかれる。この作者には〈百万の露に零るる気配なく〉という句もあり、「一粒」と「百万」、かたや「こぼれ」かたや「零るる気配なく」対照的だが、いずれも「露」そのものが詠まれている。葉の上にあるたくさんの露を見つめていると、朝の光の中で自らの重さについと一粒こぼれる。たった一粒だけれど、一粒だからこそ、はっとしてしまう。その露はまた、虫や草木にとっては命の糧でもある。「こぼれたる」とひらがなにすることで、なお動きも見えてくる。それに対して「百万」の句は、「零るる」と漢字にして大きい景を見せている。いかにも広い早朝の野が想像されるが、「ずっと露の景が頭にあって句になっていなかったのが、ある朝家から出て足下の草を見ていたらできた」ときく。授かった一句ということか、羨ましい限り。『百句』(2002)所収。(今井肖子)
September 1292006
露の玉こはれて水に戻りたる
塩川雄三
露ほどさまざまな象徴を込められている大気現象はそうないだろう。袖の露(涙)、露と消える(はかなさ)、露の間(ほんのわずかな時間)など、あげればきりがない。しかし、実際に実物を目にすれば、やはりそのいつとも知れずできた細やかな美しさに心をうばわれる。掲句ではきらめく太陽を封じ込め、天地を映していた端正な露の玉が、持ちこたえられず一瞬にして形を崩す。雫となってしたたり落ちた水滴は、今やなんの肩書きもないただの水だ。張り詰めた美しさから解放され、心持ちほっとした様子を作者は水のなかに見て取り、完璧な美を破壊することで、露の玉の存在はあらためて読者に明確に印象付けられる。あくまで写生句として位置しながら、秋の静けさを背景に持ち、整然と美しい玉が壊れて水に戻る健全さが描かれ、さらに露が持つ文芸的要素を浮遊させる。源氏物語を始め、露が命のはかなさや涙などをたとえている多くの小説のなかで、掲句に壇一雄の『光る道』を重ねた。三の宮の姫君を背負い宮廷で働く衛士が失踪する道中で、ふたりの長い沈黙を破ったのは一面の野に散り敷かれた白玉の露だった。姫宮は自然の光に輝く露に囲まれ、はじめて声をあげる。美しくもはかない白玉の露が、姫宮と現実との初めての接点であったことが、その後の結末を予感させる華麗で残酷な小説だった。十七音に絵画や小説を凝縮させる力を思い、これこそ俳句の大きな魅力だと感じる。『海南風』(2006)所収。(土肥あき子)
September 2492006
露の身の手足に同じ指の数
内山 生
わたしたちは、自分の姿かたちというものを、日々気にしているわけではありません。大切なのは、手が、必要とするものを掴んだり運んだりすることができるかどうかなのであって、手に何本の指が生えているかということではありません。そんなことをいちいち考えている暇はないのです。あたえられたものを、あたえられたものとして、この形でやってきたのだから、それを今更どうしようもないわけです。ですから、自分の身体の中に、どんな矛盾や驚きがあっても、気づこうとしません。悲しくも、それらを含めてのいきものだからです。掲句、「露の身」とは、露のようにはかない身体ということでしょうか。まさに、露とともに流れ去ってしまうような不確かな肉体を携えて、生きているということです。この身体で自動改札を通り、この身体で夕日を浴びているのです。作者が気づいたのは、そのはかない身体の先端に位置する手足の指の数が、同じだということです。身体のはかなさが先端まで行って、行き着くところが上も下も、10本に枝分かれしているということです。枝分かれした先を見つめて作者が感じたのは、結局、わが身のいとおしさではなかったのかと思われます。その身をやわらかく抱きしめようとして動くのは、やはり自分の、腕だからです。『現代俳句歳時記』(1993・新潮選書)所載。(松下育男)
June 0862007
わが金魚死せり初めてわが手にとる
橋本美代子
金魚が死んだ。長い間飼っていたので犬や猫と同様家族の一員として存在してきた。死んだ金魚を初めて掌に乗せた。触れることで癒されたり癒したりするペットと違って、一度も触れ合うことのない付き合いだったから、死んで初めて触れ合うことが出来たのだった。空気の中に生きる我等と、水中に生きる彼等の生きる場所の違いが切なく感じられる。この金魚は季題の本意を負わない。夏という季節は意味内容に関連してこない。この句のテーマは「初めてわが手にとる」。季題はあるけれど季節感はない。そこに狙いはないのである。もうひとつ、この素気ない読者を突き放すような下句は山口誓子の文体。「空蝉を妹が手にせり欲しと思ふ」「新入生靴むすぶ顔の充血する」の書き方を踏襲する。誓子は情感を押し付けない。切れ字で見せ場を強調しない。下句の字余りの終止形は自分の実感を自分で確認して充足している体である。作者のモノローグを読者は強く意識させられ自分の方を向かない述懐に惹き入れられる。橋本多佳子の「時計直り来たれり家を露とりまく」も同じ。誓子の文体が脈々と繋がっている。講談社『新日本大歳時記』(2000)所載。(今井 聖)
June 2762007
夏帯にほのかな浮気心かな
吉屋信子
夏帯は「一重帯」とも「単帯(ひとえおび)」とも呼ばれる。涼しい絽や紗で織られており、一重の博多織をもさす。夏帯をきりっと締めて、これからどこへ出かけるのだろうか。もちろん、あやしい動機があって出かけるわけではない。ちょっとよそ行きに装えば、高い心の持ち主ならばこそ、ふと「ほのかな女ごころ」が芽ばえ、「浮気心」もちらりとよぎったりする、そんな瞬間があっても不思議ではない。この場合の「浮気心」にも「夏帯」にもスキがなく、高い心が感じられて軽々には近寄りがたい。「白露や死んでゆく日も帯締めて」(鷹女)――これぞ女性の偽らざる本性というものであろう。この執着というか宿命のようなものは、男性にはついに実感できない世界である。こういう句を男がとりあげて云々すること自体危険なことなのかもしれない、とさえ思われてくる。女性の微妙な気持ちを、女性の細やかな感性によって「ほのか」ととらえてみせた。「夏帯やわが娘きびしく育てつつ」(汀女)という句の時間的延長上に成立してくる句境とも言える。桂信子のよく知られる名句「ゆるやかに着てひとと逢ふ螢の夜」などにも「夏帯」という言葉こそ遣われていないが、きりっと締められている夏帯がありありと見えていて艶かしい。女流作家・吉屋信子は戦時中に俳句に親しみ、「鶴」「寒雷」などに投句し、「ホトトギス」にも加わった。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)
September 0892007
露しぐれ捕はれ易き朝の耳
湯川 雅
露は一年中結ぶものだが、夜、急に冷え込む秋の初めに多く見られることから秋季。露しぐれ、とは、夜のうちに木々に宿った露が、朝になってしたたり落ちるのをいう。晩夏から初秋にかけて、花野に色が増える頃、高原などではことさら朝露が匂う。早朝、ゆっくり息を吸って、瑞々しい大気を体中に行き渡らせると、まず五感がくっきりと目覚めてくる。そして、おもむろに息を吐く。すると、かすかな朝の虫、鳥の声、風音と共に、ぱらぱらとしたたり落ちる露の音が耳に届いてくる。細やかで透明な秋の音。露しぐれは、これだけで情景を言いおおせてしまう感のある言葉であり、ともすれば情に流されやすく、一句にするとその説明に終わってしまう可能性もある。また、澄んだ朝の空気の中では音がよく聞こえる、というのも誰もが感じることだ。この句の場合、捕はれ易き朝の耳、という少し理の克った、耳を主とした表現が、露しぐれの音と呼応しつつ、常套的な説明からふっとそれたおもしろさを感じさせる。俳誌「ホトトギス」(2002年3月号)所載。(今井肖子)
September 2592007
露の夜や星を結べば鳥けもの
鷹羽狩行
昔から人間は星空を仰ぎ、その美しさに胸を震わせてきた。あるときは道しるべとして、またあるときは喜びや悲しみの象徴として。蠍座、射手座、大三角など、賑やかだった夏の夜空にひきかえ、明るい星が少ない秋の星座はちょっとさびしい。しかし、一大絵巻としては一番楽しめる夜空である。古代エチオピアの王ケフェウスと妻カシオペアの美しい娘アンドロメダをめぐり、ペガサスにまたがった勇者ペルセウスとお化けクジラの闘い。この雄大な物語りが天頂に描かれている。さらに目を凝らせば、その顛末に耳を傾けるように白鳥や魚、とかげが取り囲み、それぞれわずかに触れあうようにして満天に広がっている。星と星をゆっくりと指でたどれば、そのよわよわしい線からさまざまな鳥やけものが生まれ、物語りが紡ぎだされる。「アレガ、カシオペア」と、いつか聞いたやわらかい声が耳の奥にあたたかくよみがえる。本日は十五夜。予報によればきれいな夜空が広がる予定である。地上を覆う千万の露が、天上の星と呼応するように瞬きあうことだろう。『十五峯』(2007)所収。(土肥あき子)
June 1262009
柿の花こぼれて久し石の上
高浜虚子
あの小さな柿の花がこぼれて落ちて石の上に乗っている。いつまでも乗っている。「写生」という方法が示すものは、そこから「永遠」が感じられるということが最大の特徴だと僕は思っている。永遠を感じさせるカットというのはそれを見出した人の眼が感じられることが第一条件。つまり「私」が見たんですよという主張が有ること。第二にそこにそれが在ることの不思議が思われること。これが難しい。川端茅舎の「金剛の露ひとつぶや石の上」は見事な句と思うが露の完璧な形とその危うさ、また露と石の質感の対比に驚きの目が行くために露がそこに在ることの不思議さとは少し道筋が違う気がする。それはそれでもちろん一級の写生句だとは言えようが。どこにでもある柿の花が平凡な路傍の石の上に落ちていつまでもそこにある。この句を見るたび、見るかぎり、柿の花は永遠にそこに在るのだ。『ホトトギス季題便覧』(2001)所収。(今井 聖)
June 1762009
海月海月暗げに浮かぶ海の月
榎本バソン了壱
海水浴シーズンの終わり頃になるとクラゲが発生して、日焼けした河童たちも海からあがる。先日(5月下旬)東京湾で、岸壁近くに浮かぶクラゲを二つほど見つけた。「海月」はクラゲで「水母」とも書く。ミズクラゲ、タコクラゲ、食用になるのがビゼンクラゲ。近年はエチゼンクラゲという、漁の妨害になる厄介者も大量発生する。掲出句は海水浴も終わりの時節、暗い波間に海月がいくつも浮かんで、まるで海面を漂う月を思わせるような光景である。実際の月が映っているというよりも、ふわふわ白く漂う海月を月と見なしている。解釈はむずかしくはないが、「海月(くらげ)」と「暗げ」は了壱得意のあそびであり、K音を四つ重ねたのもあそびごころ。「海の月」と「天の月」をならべる類想は他にもあるが、ここはまあそのあそびごころに、詠む側のこころも重ねて素直にふわふわと浮かべてみたい。了壱は「句風吹き根岸の糸瓜死期を知る」というあそびごころの句にも挑戦して、既成俳壇などは尻目に果敢に独自の「句風」を吹きあげつづけている。かつて、芭蕉の「夏草や兵共が夢の跡」を、得意のアナグラムで「腿(もも)が露サドの縄目の痕(あと)付くや」というケシカランあそびで、『おくのほそ道』の句に秘められた暗号の謎(?)をエロチックに解明してみせて、読者を驚き呆れさせた才人である。そう、俳句の詩嚢は大いにかきまわすべし。『春の画集』(2007)所収。(八木忠栄)
April 0742010
白露や死んでゆく日も帯締めて
三橋鷹女
今日、四月七日は鷹女忌である。鷹女の凛として気丈で激しく、妖艶さを特長とする世界については、改めて云々するまでもあるまい。一九七二年に亡くなる、その二十年前に刊行された、第三句集『白骨』に収められた句である。鷹女五十三歳。同時期の句に「女一人佇てり銀河を渉るべく」がある。細面に眼鏡をかけ、胸高に帯をきりりと締めた鷹女の写真は、これらの句を裏切ることなく敢然と屹立している。橋本多佳子を別として、このような句業を成した女性俳人は、果たしてその後にいただろうか? 女性としての孤高と矜持が、余分なものをきっぱりとして寄せつけない。弛むことがない。「帯締めて」に、気丈な女性のきりっとした決意のようなものがこめられている。句集の後記に鷹女は「やがて詠ひ終る日までへのこれからの日々を、心あたらしく詠ひ始めようとする悲願が、この一書に『白骨』の名を付せしめた」とある。心あたらしく……掲出の句以降に、凄い句がたくさん作られている。晩年に肺癌をはじめ疾病に悩まされた鷹女は、「白露」の秋ではなく花吹雪の時季に命尽きた。それも鷹女にはふさわしかったように思われる。中原道夫の句に「鷹女忌の鞦韆奪ふべくもなく」(『緑廊』)がある。この句が名句「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」を意識していることは言うまでもない。『白骨』(1952)所収。(八木忠栄)
September 1492010
なみなみと大きく一つ芋の露
岩田由美
芋の露とは、七夕の朝、里芋の葉の露を集めて墨をすり、短冊に願いを書くと美しい文字が書けるようになるという故事からなるが、飯田蛇笏の〈芋の露連山影を正しうす〉以降、写生句として扱われることの方が多くなった。それでも「露」が背景に色濃く持つ、はかなく変化の多い世という嘆きが、芋の露に限って薄まるのは、つややかな里芋の葉に溌剌とした大粒の露がころんと転がる姿に、健康的な美しさを見出すからだろう。里芋の葉の表面にはごく細かなぶつぶつがあり、これにより超撥水性と呼ばれる効果を発揮する。水滴は球体でありながら葉にはぴったりと吸い付いて、なかなかこぼれ落ちないという不思議な仕組みがあるらしい。そしてなにより、いかにも持ちやすそうな茎の先に広がるかたちは、トトロやコロボックルたちの傘や雨宿り場所としても定番であったことから、どこか懐かしく、童話的な空気が漂う。句集のなかの掲句は〈追ひあうて一つになりぬ芋の露〉につづき、きらきらとした露の世界を広げている。芋の葉の真ん中に収まる露は、未来を占う水晶玉のごとく、朝の一番美しいひとときを映し出していることだろう。『花束』(2010)所収。(土肥あき子)
August 3182013
露の身を置く宮殿の鏡の間
大木さつき
露の身、露の世、露けし、など人生の儚さにたとえて詠まれることの多い、露。未だそういう露の句は自分ではできないのだが掲出句の、露の身、には実感があるように思えた。栄華の歴史を象徴する美しい宮殿の大広間、壁も天井も鏡が張り巡らされているのだろうか。そんな異国の色彩の中に、ぽつんと映る自分の姿がある。しばらくそこに立っているうちにふと浮かんだ、露の身、であったのだろう。ドイツの旅十句のうちの一句、他に〈古城はるか座せば花野に沈みけり〉〈身に入むやみづうみにある物語〉など。『遙かな日々』(2007)所収。(今井肖子)
January 1012014
鶴凍てて花のごときを糞(ま)りにけり
波多野爽波
凍鶴とは、冬の最中、鶴が片脚で立ち、凍りついたように身動きもしないさまをいう。動物園では、その姿をよく見ることができる。そんな凍鶴が少し動いたかと思うと、排泄したのである。通常ならば、汚いと感じるところだろうが、爽波は、逆に、美しさを感じて、「花のごとき」と喩えている。下五の表現は、「露の虫大いなるものをまりにけり」という阿波野青畝の句が、元になっているのだろう。一方、内容的には、中村草田男の「母が家近く便意もうれし花茶垣」という句が、少なからず影響を与えていると思う。爽波は、生前、草田男のこの句について、しばしば触れていた。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)
January 2712014
いちにちのをはり露けき火消し壷
石田郷子
季語は「露(けき)」で秋の句なのだろうが、「火消し壷」が多用される時季の冬句としても差し支えないだろう。いまではすっかりアウトドア用品と化してしまった火消し壷も、昔は家庭の台所で重宝されていた。一日の終りに燃えさしの炭や薪を壺に入れて火を消し、また翌日の燃料として再利用する。消し炭は火がつきやすいので、朝の忙しい時間にはありがたかった。句の「露けき」は「いちにちのをはり」にかかっていると同時に、「火消し壷」にもかけられていると読んだ。火消し壷というと、たいていは灰だらけなのだけれど、句のそれは新品なのか洗い立てなのか、しっとりと露を含んだような鉄の色を見せて立っている。まことに気分がよろしい。火消し壷のそのようなたたずまいに目が行くということは、その日の作者の心の充実ぶりを暗示していると思われる。よき一日だったのだ。ところで我が家から火消し壷が消えたのは、いつごろのことだったか。思い出せない。「星の木」(12号・2014年1月20日刊)所載。(清水哲男)
August 2682014
草の穂や膝をくづせば舟揺れて
藤田直子
船と舟は、推進に動力を利用する大型のものが船、手で漕ぐごくちいさなものを舟、とその文字により区別される。現在でも川や湖など短距離を移動するための手段として渡し船が活躍する場所もあるが、舟の腹にぶつかる波も、船頭の立てる櫓のきしむ音も、なつかしいというより、ひっくり返りはしないかと落ち着かないものである。小刻みな揺れに身を任せることにもどうにか慣れ、ようやく緊張の姿勢を解いたそのとき、舟が大きく傾く。こんな時、ひとはきっと一番近い陸を見る。あそこまで泳げるか、などという現実的な考えなど毛頭なく、地上を恋う体がそうさせるのだ。すがる思いで岸辺を見れば、草の穂が秋の日差しのなかきらきらと輝いている。風に揺れるのは草の穂なのか、自分自身なのか……。水のうえに置かれている我が身がいっそう頼りなく思え、頬をかすめる秋の風が心細さをつのらせる。〈一舟に立ちてひとりの白露かな〉〈汁盛神社飯盛神社豊の秋〉『麗日』(2014)所収。(土肥あき子)
October 18102015
ながき夜の枕かかへて俳諧師
飯田蛇笏
俳諧師。こりゃあうまい。江戸時代から続く俳諧の伝統の中で、何百、何千、何万人の俳諧師たちが秋の夜長に枕をかかえたことか。作者もその一人、私もその一人、たぶん読者もその一人。掲句は、作者の自画像でありながら、読者にとっては鏡を見ているような句です。誰もが、眠れなかったり翌日の句会の句ができていなかったりして、頭に敷いていた枕を胸にかかえて句帳を開き、歳時記をめくり始めて、布団の中で繭のように句をつむぎ始めた夜を過ごした覚えがあるでしょう。そのとき、頭をかかえ るのではなくて、枕をかかえるところが俳諧師ぽくって面白い。作者の場合、理由ははっきりしていて、前書に「半宵眠りさむれば即ち灯をかかげて床中句を案ず」とあります。掲句は大正6年の作ですが、大正9年には、「秋燈にねむり覚むるや句三昧」があります。掲句を所収している『山廬集』(昭和7)は、制作年代別、四季別に配列されています。ざっと見渡したところ、大正時代以降は秋の句が一番多く、これは、長き夜の寝床の枕が多くを作らせてくれているのではないかなと邪推します。有名な「芋の露連山影を正しうす」(大正3)も同句集所収です。『新編飯田蛇笏全句集』(1985)所収。(小笠原高志)
November 09112015
骨壷を抱きしこと二度露の山
矢島渚男
「二度」とあるから、父母をおくったときの骨壷だろう。二人の命日がたまたま露の季節であったのかもしれないが、そうでなくても別にかまわない。「露」は涙に通じるが、この場合には涙そのものというよりも、露のように生じてくる故人へのさまざまな思いのほうに力点がかかっている。つまり、この「露」は常識的な抒情の世界に流れていくのではなく、ある種の思念にたどり着くのだと読んだ。故人への思いから生ずる思念は、当たり前のことながら、人によってさまざまだ。天野忠の詩に「顔の記憶」がある。部分を引用しておく。「父親の顔ははっきりしている(私より少し若い) 母親の憂い顔は気の毒で思い出せない、 思い出せるけれど私は思いだしたくない」。このように、思い出さないようにして思い出すということだって起きてくる。私の体験から言っても、十分に納得できる。そのように複雑な思念がからみつく故人との関係ではあるけれど、思い出す源にある「骨壷を抱く」という行為の、なんと単純で素朴なそれであることか。しかしその単純素朴な行為の実感から流れ出てくる思念の不思議なありようを、作者は不思議のままに受けとめているのだろう。『梟』所収。(清水哲男)
0コメント