仙田洋子 句集 はばたき

https://haiku.fc2.net/blog-entry-5.html?fbclid=IwAR263XWVo7x7iHptZbBGpccZA8s-5GrfmY900GlFyrSXBuPrQ5MSMh8_0zk 【仙田洋子 句集 はばたき 角川書店】 より

句集  はばたき

Ⅰ 鎖骨

この星に初富士といふとんがりも          白鳥の首よこしまま曲りやう

春近し子の手にこぼす貝の砂            恋猫にシャネルの五番かけてやる

鷹鳩と化して大いに恋をせよ            子はいつか離るるといふ鳥雲に

鎖骨あたりならば夏蝶とまらせむ          ぞろぞろと子規忌の糸瓜棚の下

朴落葉どの子の顔を隠さうか            遊郭のありし跡にも冬の蝶

Ⅱ 凱旋

初夢の中までついて来し子かな          父母の老いては鴨のごと歩む

自転車をどつと投げだし黄水仙       やはらかく書くよくさもちさくらもち

子の沈みさうな夏野や子の手引く        凱旋のごとく水着を干しにけり

はまなすの実をちちははに持ち帰る       くだけちる波の高さや雁来月

山小屋の土間のがらんと鵙日和

Ⅲ 白馬

鷹のごとき眸をして母を恋ふと言ふ      指先の溶けはじめゐる雪女郎

野遊びの子にむつちりと肉詰まる       包帯のほどけやすくて桜東風

かたつぽのままの巣箱を仰ぎけり

  モン・サン・ミッシェル

七月や白馬のごとく波来たる       あの雲に乗りたくて降る夏帽子

子供らとしやがんで蟻の国に入る     わが恋はこれから美男葛熟れ

秋の蝶煙のやうにもつれあひ       秋の暮何があやまちだつたのか

朴落葉踏みてちひろの子ら帰る      綿虫もちひろの子らも消えやすし

Ⅳ 死木

みづうみを溢れてきたる春の水     やはらかきやまとの紙やはるうれひ

幼年やうつとりと蟻おぼれさせ     ラケットを振りて夏雲沸きたたす

子と走り出せば光りぬ雲の峰      マッターホルン仰いで囓る青林檎

闘技場最上段の昼寝かな       そのあとは煮込んでしまふ茄子の馬

にぎやかに母の悪口柿すだれ     寒濤やわれは死木のごとく佇ち

Ⅴ 抱擁

火の鳥のかすめてゆきぬ初茜    初富士のうすくれなゐのひとところ

白亜紀の眼おそろし白鳥来     ひよどりのものぐるほひや雛祭

春の水上げし櫂よりこぼれけり   子供の日よく笑ひては夕ごはん

恋の日の遠くプールの反射光    ふられふられてががんぼとなりにけり

抱擁を蛇に見られてゐはせぬか   原爆忌誰もあやまつてはくれず

鰯雲恋告げられてひろがりぬ    淋しさの数だけ咲くや返り花

赤き葉をあまた加へて落葉焚

Ⅵ 前傾

切󠄂山椒無口になりし子とつまむ    竹馬の立てかけられて忘れられ

行儀よくそろへてありぬ桜餅     慰むるためにたんぽぽ摘んでゐる

小さき子小さきたんぽぽ踏んでゆく  ランナーはいつも前傾聖五月

尺蠖も踊るサンバのリズムかな    雁仰ぐ棒高跳びの少年も

石段のあれば飛ぶ子や秋の暮

Ⅶ 銀貨

はらはらとこぼれて恋のかるたかな   声変わりせし子と食へり牡丹鍋

受験生大河のごとく来たりけり     国盗つて盗られて燕来たりけり

㓜らの覗いてゐたる春の水             天馬らの荒ぶる夏の来りけり

木を讃へ水を讃へて夏休       宿題もせず夏雲を仰ぎゐる

青空のこぼすささやき遠ひくらし   黄落期ランナーとまたすれちがふ

ふかふかの落葉ふはふはの空気かな  はばたきに耳すましゐる冬至かな

Ⅷ 海峡

繭玉のゆるるは死後のごとしづか   毛糸編むさびしさ編んでゆくやうに

はや蝶に愛されずして椿落つ     母の日の母の躓きやすきかな

父の日の父よ黙つて飯を食ふ     かどわかしたき少年と蛍見に

水という水のかがやき七月来     年寄の日のちちははのえらさうに

花八手この世に何を遺すべき

第四句集となる「はばたき」には、2005年から2012年の句が基本となっているという。

作者にとって、身近な方を見送っていることが、あとがきに書かれている。

子はいつか離るるといふ鳥雲に     初夢の中までついて来し子かな

子供らとしやがんで蟻の国に入る    子と走り出せば光りぬ雲の峰

子供の日よく笑ひては夕ごはん     竹馬の立てかけられて忘れられ

声変りせし子と食へり牡丹鍋

子供の成長を詠んだ句は、年を追う毎にその成長が句に現れているように思います。幼い子供がいつか親離れしてしまうことはわかっている。だからこそ、愛情を注ぎ、初夢の中にまでついてくる、子供の目線で遊び、蟻の国に入り、一緒に走り、夕ごはんを食べたりすることが出来るのでしょうね。しだいに、竹馬のような遊具と遊ぶことがなくなり、声変わりして、巣立っていくのでしょう。

はばたきに耳すましゐる冬至かな

この句集の題名になっている「はばたき」には、そんな子供の成長、自分自身のはばたきを暗示しているのかもしれないですね。

母の日の母の躓きやすきかな

私の母も80代後半であり、とても共感出来ます。

父の日の父よ黙つて飯を食ふ

寡黙な父の姿の象徴のようです。

年寄の日のちちははのえらさうに

敬老の日のお祝いをしているのでしょうね。この日の父と母は主役。両親がいることは、まだ親孝行ができるということ。私も両親が元気な内に親孝行をしなければいけないと思いました。

              鑑賞   野島 正則

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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