https://www.bookbang.jp/review/article/555246 【壮絶ないじめ体験を乗り越えた注目俳人、小林凜に長谷川櫂氏が贈った大きなエール】より
『生きる』著者小林 凜 [著]出版社小学館
闘う人 [レビュアー] 長谷川櫂(俳人)
小林凜
エッセイにも登場する愛犬すみれと小林凜
地球上にはさまざまな人がいる。いてもいい、いや、いるべきなのだという思想は二十一世紀の現代に確実に広まりつつある。しかし、それはまだ社会の表面のできごとにすぎず、いったん人々の日常に分け入れば、世界には人種、民族、性別、障害などによる差別や迫害に苦しむ無数の受難者がいる。
小林凜君をはじめて知ったのは十年近く前のことになる。毎週、朝日俳壇に寄せられる六、七千枚のハガキの中に「小林凜 小三」と書いた一枚がまじっていた。
紅葉で神が染めたる天地かな
小学校三年生にしては、ずいぶん大人びた句だと思った。同時に九歳の子どもを早々と大人びさせてしまった巨大な孤独の存在を一枚のハガキの向こうに感じた。
あとで知ったことだが、凜君は九四四グラムの未熟児で生まれ、その後も発達が遅れたために小学校では、彼の言葉を借りれば「クラスメートの格好のオモチャにされた」。中学校に進んだものの「いじめ」のために不登校になってしまう。
知っておくべきことは、凜君をいじめたのは子どもたちばかりでなく、多くの場合、学校と先生たちも「いじめ」を否定し無視するという形で「いじめ」に加担したことである。悲しいことにこれが学校の現実である。こうした孤立無援のただなかで凜君は俳句に出会い、俳句を作りつづけてきた。
今、俳句は小学校から教える。子どもたちは友だちや先生といっしょに俳句を作る。たしかにそれは学校における幸せな俳句の姿といえるかもしれない。凜君と俳句の関係はこれとは明らかに異なる。クラスメートや先生の「いじめ」に対抗してただ一人、凜君が俳句という無防備な砦に立てこもっている構図になるだろうか。
田に帰す小さき命やちび蛙
葱坊主触れたくなりし下校道
雀、蛙、蜘蛛。凜君はしばしば小さな動物を詠む。あるいはタンポポや葱坊主のような小さな植物。どの句からも凜君の思いやりと優しい心が感じられる。しかし、これらの句は小さな動物、小さな植物を虐げるものへの抗議と抵抗であることを忘れてはならない。
生きるとはなにか
生きるとは「抗う」ことである
「生きるとは」という詩の冒頭の二行。平均的な十六歳(当時)の高校生の人生観と比べれば、悲壮すぎるくらい悲壮である。しかし悲壮には悲壮でなければならない理由がある。
これからも凜君は俳句とともに闘いつづけるだろう。そして俳句とともに闘うことの苦難と幸福をやがて知るだろう。
存分に闘いたまえ、小林凜君。
Facebook・高島 大さん投稿記事
あのなもし、学校行きたくなかったら無理に行かなくてええからな おとさんは君を行かせる義務はあるけど君が行かなければいけないという義務はないからね。
だけど実際学校行きたくないって言うのは勇気がいるんよな
それは行きたくない理由を話すことより ずっとずっとハードルが高いことやと思う
なぜなら学校に行かないことをきっと君は 悪いこと、と思ってるやろからな
うまくなじめない自分が 弱いんだダメなんだと思い込んでるやろからな
だから中々人に言えへんと思うわ。
やからな 毎日なんか楽しくない ご飯があまり食べられない お腹がいたい
夜あまり眠れない そんなサインが出た時は おとさんにこっそり教えてくれな
まだ君が知らない選択肢をおとさんはたくさん知ってる 必ずおとさんが助けるから。
それから、学校行かないのは 決して悪いことなんかじゃないぞ おとさん一つ断言しとくわ 学校行っても行かなくても 人生で起こる幸せと不幸せの数は同じやで
行っても行かなくても 人間関係に悩むこともあれば 人との繋がりに喜びを感じることもある。 行っても行かなくても 仕事がうまくいかない日もあれば いい仕事をしてうまい酒を飲める日もある。
行っても行かなくても 恋愛や結婚生活に悩むこともあればこの人と出会えて良かったな〜と思うこともある。
行っても行かなくても 電車賃も家賃も ラーメン代も映画館の料金も 甘いもの食べ過ぎて太って悩むのも みんな同じや。
一つだけ違うデメリットがあるとすれば 選べる選択肢の幅が少し狭くなることやな
学校行ってないと入れない会社や就けない仕事もあるし 入れたとしてもお給料に差があったりするし 大学出てるかどうかを結婚の条件にする人もいるし 人間性より学歴で判断する人も世の中にいる。
親が子どもを良い学校へ行かせたい一番の理由はね 子どもの選択肢をできるだけ広げてあげたいと思うからなんよ だけどその願いも過ぎれば逆に 生きる人生の選択肢を狭めてしまうことにもなる。
親っていうのはいつも子どもの「未来」を考え過ぎるが余り ついつい子どもの「今」を無理させてしまうことがある だからここで一つハッキリさせとこう
何よりも一番大切なのは「君の未来」より「現在(いま)の君」や
今目の前にいる君以上に大切な君はいない。
世間や他人様が何を思おうが関係ない 君の幸せも君の人生も、君のモノや
親はそれを見守り誰よりも応援する それは義務や責任なんかじゃないぞ 親と子が共に闘う真剣勝負の愛情や 君が死んだら俺は泣くぞ 君がいなくなったらおとさん一緒に闘えないぞ 学校行かなくても楽しい人生はいくらでもあるぞ 勉強したければ他にいくらでも方法はあるぞ サラリーじゃない仕事や生き方だってたくさんあるぞ
学歴を気にしない素敵な人だってたくさんいるぞ 君が今いるその場所は
この世界のわずか0.000019%
世界は広いぞ 君がいるその場所だけが 君の世界のすべてじゃないからな。
おとさん
0コメント