https://evernote.com/blog/jp/continue-learning-to-live-in-complex-times/ 【複雑な時代を生きるために知識を「耕す」】より
現代社会は、様々なものごとが入り組んでおり、予測が困難で「複雑な時代」だと言われています。
“今や社会そのもの、さらには社会活動、社会問題のすべてがあまりに複雑である。唯一の「正しい答え」が、あらゆる問題に通用するはずがない。答えは複数ある。だが、そのうちかなり正しいと言えるものさえ一つもない。”
P.F.ドラッカーが著書「新しい現実」のなかでこう語ったのは、旧ドイツでベルリンの壁が崩壊した 1989 年でした。四半世紀以上の先の未来を生きている私たちにとって、彼の言葉は、より現実味を帯びています。
多様化する人と社会。時間と場所を越えてつながるネットワーク。それを通じて絶え間なく流れ続ける大量の情報。このような時代のなか、私たちは日々新しい課題に直面しており、過去に学んだ知識や経験だけでは、その課題を解決することが困難に感じられることがあります。
私たちがこの複雑な時代を生きるために必要なこととは、いったい何なのでしょうか。
人生を通じて学び続けることの必要性
「複雑な時代」はごく最近の社会や経済の情勢を反映したキーワードのようにも聞こえますが、先ほどご紹介したドラッカーの言葉のとおり、ずっと以前からあった考え方です。
日本でも、例えば文部科学省の歴史資料によると、高度経済成長期であった1960〜70 年代にはすでに、技術の急速な発展と社会の複雑化に対してどのような教育を行うべきかという議論がなされていました。
“四十六年には、社会教育審議会が「急激な社会構造の変化に対処する社会教育のあり方について」答申し、社会の激しい変化の中で、国民は「あらゆる年齢階層を通じて、絶えず自己啓発を続け、人間として主体的に、かつ豊かに生き、お互いの連帯感を高めることを求めている」とし、自己学習と相互教育の意欲を組織的に高め、その機会等を提供する社会教育への期待を述べた。”
マクドナルドの日本 1 号店が銀座に開店し、世界初のカップ麺(カップヌードル)が発売されたのは、このメッセージが発信されたのと同じ 1971 年でした。そう考えると、私たちの仕事や生活がわずか半世紀でどれだけ大きな変化を遂げたのかが実感できます。
教育の前提にある科学技術や社会情勢が刻一刻と変化するからこそ、学生時代の学校教育だけでなく、人生を通じて学び続けることが必要だということが分かります。
「疑問」をタネに「問い」を立てる
しかし、何かを学ぶ必要性を感じていても、私たちが現実に直面する課題は明確な答えがあるわけではなく、そこには教科書が存在するわけでもありません。私たちが学びへの第一歩としてやるべきことはいったい何なのでしょうか。
オックスフォード大学の苅谷 剛彦 教授は著書・知的複眼思考法のなかで『まずはものごとに疑問を感じること、「ちょっと変だな」と疑いを持つことが、考えることの出発点になる』と語っています。
例えば仕事であれば、日々の業務を行う上で「この業務は、なぜこのような進め方をしているのか」「お客さまは、なぜこのような要望をしてくるのか」と疑問を持つことが、学びへの第一歩となります。
作業中に感じた疑問をその場で調べ始めるわけにはいかないので、後で見返すことができるよう、どこかに書き留めておいた方が良いでしょう。
Evernote でもメモを取る方法はいくつか用意されていますが、新しいホーム画面の「スクラッチパッド」を使えば、作業を中断することなくすぐにメモを取ることができます。
スクラッチパッドをノートへ変換すると、メモを書いた日付がタイトルとなって保存されます。自分が疑問に思ったこと・感じたことをログのように残しておき、後から見返して、問いを立てる材料とすることもできます。
問いを解決するために必要な情報を集め、整理する
もしも、問いを眺めていたら突然アイデアがひらめき、それで解決ができたならとても素晴らしいことです。しかし現実には、そこまでうまくはいきません。多くの場合、私たちが課題を解決するためにはまず「情報」を集めることが必要です。
例えば、お客さまからのご要望に課題があれば、先方から届いたメールや、担当窓口がやり取りした記録を見返してみることが第一歩となるでしょう。自分が初めてリーダーになりチーム・ビルディングに課題があれば、リーダーシップについて書かれた書籍を読む、あるいは上司にインタビューしてアドバイスを得る必要があるかも知れません。
インターネット上の記事、インタビューしたメモ、類似の課題を研究した論文、システム上の定量的なデータ。情報はさまざまな場所に、さまざまな形で存在します。まずはそれらを集めて、整理する必要があります。
京都大学名誉教授の梅棹 忠夫 氏は、著書「知的生産の技術」のなかで情報の「整理」についてこう述べています。
“整理というのは、ちらばっているものを目ざわりにならないように、きれいにかたづけることではない。それはむしろ整頓というべきであろう。ものごとがよく整理されているというのは、みた目にはともかく、必要なものが必要なときにすぐとりだせるようになっている、ということだとおもう。”
課題に対して継続的に取り組むためには、デジタルとアナログが織り混ざった多様な情報を効率的に集め、必要なときに取り出せるようにしておく必要があります。
過去の記事ではさまざまな情報を Evernote に保存する方法をご紹介しましたが、新しいホーム画面では、保存した情報を取り出すための工夫も施されています。
「最近保存した内容」のウィジェットには Web クリップ、文書、音声、メールというように保存元の種類に応じて最近作成されたノートにすぐアクセスすることができます。
例えば、移動中にスマートフォンからニュース記事のクリップをまとめて保存しておき、オフィスや自宅のデスクトップパソコンからホーム画面の「最近保存した内容」を見て情報の整理を行うことができます。
集めた情報を咀嚼し、まとめ直す
集めた情報は目の前の課題を解決するための「材料」となりますが、解決方法そのものではありません。
同じ食材を使ったとしても、それを食べる人に合わせて料理人が調理を変えるように「情報を使ってどのように課題を解決するか」はあくまで、課題と向き合っている私たち自身に委ねられています。
山口県立大学の吉岡 一志 准教授の論文では、高等教育における学習方法として“LTD(Learning Through Discussion)”という手法が紹介されています。LTD は学生のための教育手法としてだけではなく、私たちが「明確な正解のない課題」に取り組むための方法としても示唆に溢れています。
LTD では情報の「整理・分析」に続く最終ステップとして、集めた情報を自分なりに咀嚼してまとめ直し、ディスカッションでそれを的確に相手に伝えることが重要な位置づけになっています。これは、仕事に置き換えるのであれば「集めた情報を分析しそこから得られる示唆や次の打ち手を検討し、報告書を作ったり会議で発表する」ということに似ています。
Evernote で記録しておいたさまざまな情報を振り返り、課題の解決のために「まとめノート」を作りましょう。
新しいホーム画面の「ノート」のウィジェットでは、最近使用したノートが最近編集した順に表示されます。また、頻繁にアクセスや編集・検索するノートは「おすすめ」として表示されます。いま自分がオンタイムで取り組んでいる課題に「もっとも関連した情報」へすぐにアクセスすることができ、目の前の課題に集中して取り組めるようになっています。
知識を耕し続けることの大切さ
1965 年にユネスコで提唱された「生涯教育」や、1970 年代に OECD(経済協力開発機構)で提唱された「リカレント教育」のように、変化が激しく複雑な時代に対応するために、さまざまな教育の形が世界中で議論されてきました。
それらのいずれにも共通するのは、学びとは学生時代に「一度だけ収穫」するようなものではなく、一生をかけて「耕し続ける」ようなものであるということです。
人生には(特に、現代のような複雑な時代においては)「これを学んで、これだけの成績を修めておけば、正解にいつも辿り着ける」というコースは残念ながら存在しません。
しかし、だからと言って「学ばなくても良い」ということは決してなく、自分が取り組むべき課題を明確にし、それに対する主体的な学びを続けていく必要があります。
また、学びとは本来「やる必要があるからやる」という義務的な側面だけでなく、「知らなかったことを知ることができる」「できなかったことができるようになる」という達成の喜びや、学ぶことそのものの楽しさもあるはずです。
どんな時代であったとしても学びを続け、知識を耕し続けていくこと。これこそが、より良い人生を過ごすために必要なのではないでしょうか。
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