https://ameblo.jp/bushidojp/entry-12470725923.html 【【菜根譚】~人生の苦楽は表裏一体と知れば苦はなくなる~】より
■楽処の楽は真の楽に非ず。苦中に楽を得来たりて、纔に心体の真機を見る。
(らくしょのらくはまことのらくにあらず。くちゅうにらくをえきたりて、わずかにしんたいのしんきをみる)
出典元:菜根譚前集八九
ただ楽しいときの楽しいは本当の楽しさではないと洪自誠(こうじせい/菜根譚著者)は言います。本当の楽しさは、苦しい中に楽しさを見つけること。
苦中において、楽しさをみつけるとはなにか?
どんなことでも視点を変えれば学べるものです。その苦境は何を意味しているのか?
乗り越えた先の成果や成長はいかなるものか。また、自分に試練があればそれは成長するために与えられた神様からの贈り物と考えると、苦境も悪いものじゃなくなる。
事実、多くの偉人たちは苦境や苦中を乗り越え、大きな功績を残した。
僕が現役時代に感じた感覚。
ちょっと表現が違いますが、きつく辛い練習の日々があります。
でもそれはただ苦しいのではなく、自分を磨き、成長させるからこそ、苦しい練習もやりがいがあったのです。
練習中、体力の限界を超えるとき、足もフラフラで呼吸することすらつらい状況。
でも、実は一番楽しさを、生きている感覚を感じる瞬間だったりします。
ストイックとみえるかもしれませんが、選手としてはその苦がたまらなく楽に近い精神状態なのです。
あなたも部活でそんな経験をした方もいませんか?
苦は逃げている人には苦しいだけです。苦は立ち向かう人には楽を与えます。
心ひとつで人生の捉え方が変わる。僕が菜根譚で学んだひとつです。
https://ameblo.jp/bushidojp/entry-12470410204.html?frm=theme 【【菜根譚】~譲れば豊かな人生になる~】より
まず、直訳しますと、
「先を争って進む道は狭く、少し一歩下がって後から行けば、
一歩下がった分だけ道は広くなります。濃厚な味はその場限りの美味しさで、
少しだけ薄味にすれば、その分だけ長く楽しめる」という意味です。
これも菜根譚の神髄を感じる章句です。
他人と争うよりも自分の内面を磨こう。
一歩譲るには寛容さ、心のゆとりが必要です。
目先の競争や争いに捉われず、自分自身の人生を豊かに生きようということです。
そして「争いを息むるの道は、一箇の譲の字なり/言志晩録二一三条」、
譲ることは争いをさける方法であると言志四録にも記されています。
譲る心があれば世界平和は訪れるということですね。
そして、後半の部分は何事も淡泊さが大切であると記されます。
料理に例えていますが、人生すべてに通じる教えだと思います。
要は、本質を見る生き方です。
美味しい濃厚なデミグラスソースをかければ素材の味はいまいちでも美味しく感じます。
肩書が立派だと優れている人に思えるかもしれませんが、そうとは限りません。
見せかけではなく、その、本質を見抜くことが重要です。
それは、自分自身にも振り返り、肩書にしがみついていないだろうか、見た目や着飾ったものだけになっていないだろうか、ずばり、自分という人間性で勝負できているのだろうか。
自分を客観的に見て、人生を達観してこそ、本当の意味での自由な生活が送れる。
ということではないでしょうか。
0コメント