閻浮の身や桃葉桔梗の鐘の声

閻浮の身や桃葉桔梗の鐘の声  五島高資

Unenlightened person —

echoing with the voices

of Peach-leaved bellflowers   Taka Goto


http://blog.buddha-osie.com/kotoba/790/ 【閻浮提(えんぶだい)】 より

仏教で説く世界の、中央にそびえる須弥山の南にある大陸。

四洲のひとつ。南膽部洲ともいいます。

インドのことを言っていたが、後には人間世界、われわれの地上世界、娑婆世界をいいます。

四つの大きな島(四大洲しだいしゅう)

ひとつの島の大きさは 8,500万km2~2億4,000万km2です。地球の陸地の合計が約 1億4,800万km2と言われていますから、島というよりは大陸といった感じです。

四つの島には次のような名前がついています。

東勝身洲 とうしょうしんしゅう (弗婆提 ほつばだい)

南贍部洲 なんせんぶしゅう (閻浮提 えんぶだい)

西牛貨洲 さいごけしゅう (瞿陀尼 くだに)

北倶盧洲 ほくくるしゅう (鬱単越 うったんおつ)

四大洲にはそれぞれ、二つの中洲と500の小洲が付属しています。四大洲と中洲には人が住み、小洲には人が住んでいない島もあります。

私達は南贍部洲に住んでいます。そして南贍部洲に所属する中洲のひとつは、羅刹の住んでいる遮末羅洲しゃまらしゅうです。

北の島は、楽が多く苦が少ない所で、寿命は皆1,000歳といわれています。東西の島は、250歳または500歳とされています。私たちの住む南の島は定めが無く、四劫しこうのタイミングによって10歳~8万歳とされています。

また、四劫で、四大洲すべてが壊滅する時と、壊滅は南だけで、東西は少し災禍を受け、北にはまったく影響なし、という時があります。

地獄も、南には八大地獄があり、東西は孤地獄と辺地獄、北には地獄が無い、となっています。

全体を通してみると、南の島は劣り、北の島は優れ、東西の島はその中間といったところです。


http://www2.spacelan.ne.jp/~t-kawabata/newpage300.html 【第1回 「知足を観ず ―“南閻浮なんえんぶ”に生かされているヒトとしての生き方―」】 より

此発菩提心このほつぼだいしん、多くは南閻浮の人身にんしんに発心ほっしんすべきなり

修証義の成立に深く関わった大内青巒おおうちせいらん居士のお言葉をお借りするならば、「利生りしょう」こそが、“仏の仕事である”とのことでした。「利生」は悩み苦しむ人々から苦悩を取り除くことです。そうした「利生」を我が願いとして発しながら日々を過ごしていくことが、「発願利生ほつがんりしょう」という生き方でなのです。

第5章の冒頭となる今回の一句では、この「発願利生」を「発菩提心」と表現しています。「発菩提心」できるのは、実は、この人間世界に生まれた我々人間のみです。それは喜ぶべきことです。幸せなことです。そして、恵まれたことでもあります。それが、今回の一句の意味するところです。「南閻浮なんえんぶ」という耳慣れない仏教の言葉が出ていますが、これは「人間世界」を意味するものです。

人間世界にいのちをいただき、ヒトとして生かされている私たちは考える力を有する頭と、五感(眼、耳、鼻、舌、身体)という各種感覚機能をいただきました。それらが関連しあうことによって、私たちは言葉を発し、行動を起こします。それは周囲を喜ばせるような善き働きをすることもあれば、逆に、不快感を与えるような働きを発してしまうこともあります。そんな両面の働きが存在することをしっかりと押さえた上で、善き働きを目指していくことが、仏のみ教えと共に生きていくということなのです。

今回の一句は、まさにそうした人間として生まれたことに目を向けながら、周囲の人に気を配り、人のために生きることができる力を持っていることは、何よりもの幸せであるということを強く訴えています。「知足ちそく」というお釈迦様のみ教えがあります。「足るを知る」、「今の現況を受け止め、満足しながら毎日を過ごす」ということですが、自分が善き働きができる幸せな存在であることに気がつくことが、“知足を観ず”ということなのでしょう。

野生動物の世界はまさに「弱肉強食」の世界です。トラが草原で戯れる草食動物の親子を仕留め、子どもの方を食べる場面をテレビで見たことがあります。自分の空腹を満たすのならば、相手がどんな状況であろうが関係なしに襲い掛かるのです。

人間世界でも殺伐とした事件が起こり、何の罪もない人が一方的にいのちを奪われることもあります。本日(6月8日)は大阪教育大付属池田小学校児童殺傷事件が発生して19年、東京秋葉原無差別殺傷事件から12年を迎えます。大阪で亡くなった8名のお子さん、東京の被害者となった7人の方々のご冥福をお祈りさせていただくと共に、事件の風化を避けるべく、この日を記憶に届けておきたいものです。野生動物とは違って、考える力と、それに連携した各種機能を備えている人間でありながらも、草原に戯れる草食動物を仕留めたトラの如き行動を取ることを残念に思います。何よりも幸せなはずである人間世界で人間としていのちをいただいたのならば、人間としての正しい生き方を目指したいものです。それが南閻浮に生かされているヒトとしてのあり方のように思います。


Facebook・岡本 よりたかさん投稿記事「神と奇跡」

循環型農業の講座中の話。

「神様はいると思いますか?」と、唐突に訊ねられる。

「貴方は神様に助けられたと思った時がありますか?」とお返しした。

しばらく考えた後、その方は「あります」と答えた。

「危篤になった父親の無事を祈り続けた朝、奇跡的に回復しました。神様に感謝しました。」

そしてその方はニッコリと笑う。

その瞬間、その方に神が降りてきたと思う。

感謝すること。

僕はそれが神だと思う。

もちろん、僕自身、正直そんな偉そうなことを言える人間ではない。

ただ、農業を始めて食えなくて、借金漬けで苦しんだ6年目のある日、僕は奇跡を体験した。

何度やっても上手くいかない自家採種の種。

この種を畑の隅に放棄した数ヶ月後、大量の種から数本の大根が見事に育っていた。

99.9%の種が朽ちる中、僅か0.1%の種が育ったのである。

その時、僕は感謝というものを知ったのである。

長雨が続き、あるいは日照りが続き、不安になり畑や田んぼに祈る。

それでも無事に収穫できれば、誰でも神に感謝するだろう。

人が祈り、奇跡が起き、そして感謝した時、神はその人の心に宿る。

僕らの自然農や循環型農業というのは、ある意味奇跡の連続でもある。

雨があり、風があり、日の光があり、草があり、虫たちがあり、土壌動物があり、微生物がある。

それらが常に奇跡を起こし続けるからこそ、作物は育つ。

神無しでは成り立たないわけだ。

そして、感謝を忘れた者には神は宿らない。

それも事実であろう。

僕は宗教家ではないから、信心深さを求めてるいるわけではない。

世の中には様々なことが起きる。

腹立たしいことも、憤慨することも、絶望することもあるだろう。

しかし、全ての出来事に感謝をしなければ神は宿らない。

神が宿らなければ、奇跡は起きないのである。

この先、何が起きるか分からない時代になってきた。

だが、僕は全ての出来事に意味があると信じ、神が宿り、奇跡が起きるのを待つ。

今日もお疲れ様でした。


Facebook・相田 公弘さん投稿記事「だっこのしゅくだい」

せんせいが、「きょうのしゅくだいは、だっこです。

おうちの人みんなにだっこしてもらってね」といいました。

ぼくもみんなも「ええーっ」とびっくりしました。

だって、だっこのしゅくだいなんて、はじめてだからです。

なんかはずかしいとおもいました。

でも、うれしかったです。

いそいでいえにかえりました。

いえにかえって、すぐ、おかあさんに、

「だっこがしゅくだいにでたんよ。

しゅくだいじゃけえ、

だっこして」と小さいこえでいいました。

おかあさんは「へえ、だっこのしゅくだいでたん?」とびっくりしました。

でも、すぐ「いいよ」とにっこりしていってくれました。

おかあさんはすわって、ぼくをひざにのせて、りょう手できゅうっとだきしめてくれました。

おかあさんのからだはぬくかったです。

だっこしてもらっていたら、ぼくのからだもぬくくなりました。

ぼくが「おうちの人みんなにだっこしてもらわんといけん」といったら、

おかあさんがちっちゃいばあちゃんに「だっこしてやって」といってくれました。

ちっちゃいばあちゃんはわらって「おいで」といって、だっこしてくれました。

そして、「大きゅうなったねぇ」といってくれました。

つぎは大きいばあちゃんにだっこしてもらいました。

大きいばあちゃんはぼくをだっこして「おもとうなったのう」といってくれました。

さいごはおとうさんでした。

おとうさんはいきなりりょう手でぼくのからだをもちあげて、どうあげをしてくれました。

ぼくのからだはくうちゅうにふわっとうかんで、きもちよかったです。

おとうさんはぼくをゆっくりおろして、ぎゅっとだきしめてくれました。

おとうさんのからだはぬくかったです。

ぼくはまたしてもらいたいとおもいました。

だっこのしゅくだいがでたから、かぞくみんなにだっこしてもらいました。

さいしょははずかしかったけど、きもちよかったです。

だっこのしゅくだい、またでたらいいなとおもいました。

引用元: (孤独になる前に読んでおきたい10の物語 講談社)

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これは、ある小学校1年生の子の作文です。

こんな、「しゅくだい」が出たら嬉しいですよね。

先生も上手いことを思いつきましたね。

人と人との繋がりが薄れる中、この「だっこのしゅくだい」は、とても大切なものだと思いました。

ぬくもりを肌で感じれますからね。

読むだけで心が温かくなった気がします。

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