歳旦吟

https://mainichi.jp/articles/20160101/k00/00m/070/088000c 【元禄3年の芭蕉の歳旦吟に…】 より

 元禄3(1690)年の芭蕉(ばしょう)の歳旦吟(さいたんぎん)=新春詠=に「薦(こも)を着て誰人います花の春」がある。新春の華やぐ街で粗末な薦をかぶった乞食(こつじき)を見かけた。どなたなのか、もしや尊い聖(ひじり)ではあるまいか

▲この句は京の俳人の間で、新春詠の巻頭に乞食をもってくるとは何事かと物議をかもしたという。芭蕉はこれに対し、情けないことだと嘆き、京に俳人はもういないと憤慨した。西行(さいぎょう)法師作とされた説話集に出てくる高徳の乞食僧にかねて心を寄せていた芭蕉だった

▲芭蕉自身も当時は「こもかぶるべき心がけ」で俳句にのぞんでいたという。富や力が支配する世を捨て去り、目に見えない高みをめざす生き方は芭蕉その人が求めるところだったのだろう。俗世でさげすまれる姿や形は、むしろ高い徳、聖なる力のあかしなのだった

▲みすぼらしい放浪の旅人が実は神や仏の化身(けしん)だったといった話は世界中の人々が好んで語り伝えてきた。貧しい者、虐げられた者こそが神に愛されるという宗教的感情も広く行き渡っている。富や力では得られぬ魂の救済への渇望(かつぼう)や聖なるものへの畏(おそ)れは誰にもある

▲だがグローバル経済がむしろ人々の間に心の壁を作り出し、歯止めなき暴力が噴き出る今日の世界である。文化を異にする人々が共に生きる制度や理念が崩れていく不安の中で新しい年を迎えた。異質な他者への嫌悪が幅をきかせ、貧者や虐げられた人への共感もやせ細っていくようにみえるのは杞憂(きゆう)だろうか

▲芭蕉の見た乞食は新春をもたらした年神の化身かもしれない。この世の壁を超える聖なるものへの感覚をどうかよみがえらせてほしい2016年の年神だ。


http://www.basho.jp/senjin/s1301-1/index.html 【元旦 年々や猿に着せたる猿の面

芭蕉(『薦獅子集』)】より

 元日に猿回しがやってきて、猿に猿の面を付けて芸をさせている。自分もまた猿と同じように、進歩もなく、旧年同様の愚をくり返すのだろうか、という意。

  元禄六年の歳旦である。元旦と前書きがあり、猿回しの情景が想像されて、新年の季感が十分に伝わる句であるが、去来が『旅寝論』で、この歳旦の季題について芭蕉に尋ねた事が伝わる。

   一とせ先師歳旦に、

   年々や猿にきせたるさるの面

ト侍ルを、季はいかゞ侍(はべる)べきと伺けるに、「年々(としどし)」はいかに、との給ふ。いしくも承(うけたまわ)るもの哉、と退(しりぞき)ぬ。年々は季の詞にあらず。かく、の給ふ所しらるべし。表に季見へずして季になる句、近年付句等も粗(ほぼ)見ゑ侍る也。

『去来抄・故実』にも同じような記載がある。

無季といふに二つあり。一つは、前後、表裏、季と見るべき物なし。落馬の即興に、

   歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬哉       芭蕉

   何となく柴吹く風も哀れなり       杉風

また、詞に季なしといへども、一句に季と見るところありて、あるいは歳旦とも、明月とも定まるあり。

   年々や猿に着せたる猿の面        芭蕉

かくのごときなり。

 現在では新年の季語(『図説俳句大歳時記』)として立項される「猿回し」も、江戸時代には日常的であったのであろう。すでに最晩年にあった芭蕉が「年々はいかに」と答えた感慨に深いものを感じる。

 また句意については『三冊子・赤雙紙』に下記のように記される。

この歳旦、師の曰く「人同じ所に止りて、同じ所に年々落ち入る事を悔て、いひ捨てたる」となり。

 許六の『俳諧問答』では、

   ふと歳旦ニ猿の面よかるべしと思ふ心一ツにして、取合(とりあわせ)たれバ、仕損(しそんじ)の句也。

とあり、芭蕉が失敗作と考えたことを窺わせる。

 この記事を踏まえて、雲英末雄・佐藤勝明訳注『芭蕉全句集』(平22・角川学芸出版)は、(「猿に着せたる猿の面」は想像の産物と知られる。が、できた句からは猿の面で舞う猿が浮かび上がることになり、ここに文芸のおもしろさがある)と説く。

 ここでいう「文芸のおもしろさ」とは、想像で詠まれた失敗作であっても、言葉は自立して一人歩きすることを指摘したのであろう。冒頭の拙解では「人同じ所に止まりて、同じ所に年々落ち入る事を悔て、いひ捨てたる」という芭蕉の感懐を重んじて解釈を試みた。

 『諸国翁墳記』にも見えるこの句碑を、厚木市猿ヶ島の本立寺に尋ねた。昔話に出てきそうな地名であるが島のようには見えない。平坦な畑地のあちこちに木守りの柿が空高く美しい。句碑は参道入り口左側にある。比較的新しい二段の台石の上に、先端の丸い円柱状の石が立っている。高さは80センチほど、傍らに「芭蕉の句碑」という立て札がある。

これは郷土の俳人五柏園丈水が、天明八戊申に猿が島と、申(さる)年にちなんで建立した俳聖松尾芭蕉の句碑である。丈水は本名を大塚六左衛門武喜と稱し申(ママ)州武田の家臣で猿が島に土着して名主を勤めるなど郷土の開発に貢献。

  句碑の刻字は全く見えないが、飯田九一『神奈川県下芭蕉句碑』(昭27)によると、「年々や猿耳きせた類さ流の面ン」と刻まれていて、建立の時この句を発句として『猿墳集』が編まれたということである。


http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/hokku.htm 【発句なり松尾桃青宿の春】 より

(知足写江戸衆歳旦)(ほっくなり まつおとうせい やどのはる)

 延宝7年、芭蕉36歳の初春の歳旦句。前年に芭蕉は俳諧宗匠として立机した。「桃青」という看板を下げて初めて迎えた新春の意気すこぶる軒昂ではある。

 この年芭蕉のものと確認される句9句が現存する。

発句なり松尾桃青宿の春

 一年の初めは、歌仙にたとえれば発句のようなもの、いま、わたしの草庵にも春が来た。この正月は、私の俳諧人生の発句でもあるのだ。

 若さゆえではあっても自信を込めた力強い自己確立の句。青年芭蕉の密かな人生旅立ちの宣言。「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」と詠った辞世句と対照すると感慨も一入。


https://www.lib.tokushima-u.ac.jp/m-mag/mini/132/132-3.html 【M課長の図書館俳句散歩道 (新年 申年の巻)】 より

平成28年申年となりました。十干十二支では「丙申(ひのえさる)」になります。

動物のサルは「猿」と書きますが,干支のサルは「申」と書きます。本来の読みは「しん」で,稲妻を描いたもので,「電」の原字です。『漢書律暦志』では「申堅」とし,草木が伸びきり,果実が成熟して堅くなっていく状態を表すと解釈されています。

後に,覚えやすくするために動物の「猿」が使われるようになりました。

さて松尾芭蕉が1644年の申年生まれであったことはご存知でしょうか?

余談ですが,坂本龍馬も1836年生まれの申年生まれです。

年々や猿に着せたる猿の面         松尾芭蕉

元日に猿回しがやってきて,猿に猿の面を付けて芸をさせている。自分もまた猿と同じように,進歩もなく,旧年同様の愚をくり返すのだろうかという意味です。

元禄6年の歳旦である。元旦と前書きがあり,猿回しの情景が想像されて,新年の季感が十分に伝わる句です。

歳旦をしたり貌(がお)なる俳諧師       与謝蕪村

こんな古くさい掛け詞を織り込んだ歳旦句に得意顔をしている俳諧師たち,蕉門全盛の俳壇の復活を願い,その抱負を裏返して詠んだ自嘲的な俳句です。

元日や 上々吉の 浅黄空          小林一茶

「浅黄」は浅葱(本来はネギの古語)の当て字で,わずかに緑色を帯びた薄い青色のことです。

元旦の朝から上々の天気でとてもいい年になりそうである。

正月の子供に成りてみたき哉        小林一茶

一茶35歳の時の句です。幼くして生母を失い,一人江戸に奉公に出て苦労し,その後妻や子供の夭折の中で人並みの小さな幸せを求めながら,懸命に生きている彼の姿に胸が熱くなります。

「新年」の季語には,初春,初詣出,書き初め,初空,初日,初夢,初風,初晴,初凪,初富士,初景色,初湯,初荷馬,初暦,初旅,初句会,初不動,初場所など,まさに「初づくし」のめでたい季語が並びます。

御手洗の杓の柄青し初詣          杉田久女

参詣する前に手や口を清める御手洗所。石造りの水舟に,青竹を渡し柄杓をいくつか置いてあります。石舟に渡された青竹ばかりでなく,柄杓の柄も青々している。宮中行事の「節折」などにも使われる竹は,悪疫を祓うとされる植物。その竹の青から淑気が立ち上ります。

初日さす硯の海に波もなし         正岡子規

初日とは元日の日の出やその日差しを言います。

初日の出早々,子規は墨を擦り,なにかを書こうとしています。日の出を連想させる海,その波もない硯の海には,穏やかで静かな彼の心境があります。結核という不治の病の中で書を認めることは,遺言のような思いのようなものであったのかもしれません。

初凪や白髭橋はうすうすと         山口 青邨

元日の海が凪いでいます。隅田川かかる白髪橋は,うっすらとかすかに見えています。

おだやかな元日の景色です。

からからと初湯の桶をならしつつ      高浜 虚子

新年になって初めて湯に入る気持ちが,「からからと」に集約された気持ちのいい初風呂の俳句です。

宇佐に行くや 佳き日を選む初暦       夏目 漱石

明治32年,漱石が学友の居る宇佐に正月早々から出かけた時の句,「初暦」は新年に初めてこの年の暦を用い始めることから,まさに佳き日を選んで友人に会える日を楽しみにしている気持ちが伝わってきます。

初場所の土俵はやくも荒るるかな      久保田万太郎

正月に行われる大相撲の本場所。番付上位が負けるいわゆる波乱の場所。番狂わせが多い 初場所です。

雑煮食ふてよき初夢を忘れけり       正岡子規

この句は新聞「日本」の明治32年1月2日「歳旦十題・初夢」に掲載されています。「子規全集」では明治31年の「新年」の項に載っています。

明治31年当時既に根岸の子規庵で病臥の子規ですが,雑煮を腹一杯食べて満足感で「よき初夢」も忘れてしまったと素直に解釈すると彼らしい滑稽味を感じます。

さてこの句の季語は,「雑煮」それとも「初夢」でしょうか?「雑煮」は元旦の朝,そして「初夢」は元旦の夜,忘れた「初夢」が季語になるようです。

図書館へ いそいそ歩く 初詣出

今年も図書館を多いに利用してください!

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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