入る月の跡は机の四隅哉

http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/irutuki.htm 【入る月の跡は机の四隅哉】 より

(句兄弟)(いるつきの あとはつくえの よすみかな)

 元禄6年、芭蕉50歳。其角の父東順への追悼句。

入る月の跡は机の四隅哉

 この机はもちろん今は亡き東順の使った机である。月が没してにわかに暗くなった室内には在りし日のままにひっそりと故人の形見の机が残されている。嘱目ではなく、心に映る情景で居あろうが、寂蒔とした追悼句である。


http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/whoswho/tojun.htm 【榎本東順】より

 えのもと とうじゅん

(~元禄6年8月29日)

 其角の父。膳所藩本多侯の侍医。元禄6年72歳で死去。『東順伝』は芭蕉が東順に贈った追悼の句。そこには、「市店を山居にかへて、楽しむところ筆をはなたず。机をさらぬこと十年あまり、其の筆のすさみ、車にこぼるるがごとし。」とある。芭蕉の尊敬の念が込められた一文である。

東順の代表作

しらぬ人と物いひて見る紅葉哉 (『あら野』)


https://geolog.mydns.jp/www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/4128/811.html 【☆東順伝 入る月の跡は机の四隅かな (いるつきのあとはつくえのよすみかな)】より 

 机の四隅というのが斬新な感じがする。要するに机の上に何もないということを言うのに「机の四隅」と言ったのだと思うが、これなどは言葉を節約する俳句の表現として優れている。俳句はあまりだらだらと書けないので苦労するが、そのことが新しい表現を発見することにつながる良い例ではなかろうか。また、これは追悼句のようであるが、大切な人が亡くなったあとの空虚感が机の上に何もないということで表現されていると思った。

元禄六年 五十歳(句兄弟)

【新潮日本古典集成芭蕉句集・今栄蔵 校注】より

☆ 其角の父、榎本東順。膳所藩、本田候の侍医も勤めた医師で、晩年の十年は読書と文筆を殊に愛した。八月二十九日、七十二歳で没。「東順伝」はその追悼文(略)。

「月はすでに沈み、そのあとは、暗い部屋にさしこむ夜明けの微光が、なにもないがらんとした机の四隅を寂しく照らしているだけである。」

●秋ー月


http://minsyuku-matsuo.sakura.ne.jp/basyoyoshinaka/newpage1monnjinn.html 【芭蕉の門人たち】より抜粋

元禄6年秋、芭蕉は俳文「東順の伝」をのこしている。「湖上に生れて東野に終りをとる。是必大隠朝市の人大悟徹底した真の隠者はかえって都会の民衆の中に住むというが彼こそまさにそういう人)なるべし。」と結び、

     「入月の跡は机の四隅哉」

の句を加えている。

 

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