http://kotowaza-allguide.com/mo/monoiebaakinokaze.html 【物言えば唇寒し秋の風】より
【読み】 ものいえばくちびるさむしあきのかぜ
【意味】 物言えば唇寒し秋の風とは、人の悪口を言えば、なんとなく後味の悪い思いをするというたとえ。また、余計なことを言えば災いを招くというたとえ。
【物言えば唇寒し秋の風の解説】
【注釈】 人の欠点を批判したり自分の長所を自慢したりした後は、必ず言わなきゃよかったという思いにとらわれるものである。また、そうしたことによって余計な災難を自ら招くこともある。
口を開くと秋の冷たい風が唇に触れて、寒々とした気分になることから。
松尾芭蕉の「座右の銘」にある句で、この句の前には「人の短をいふ事なかれ己が長をとく事なかれ」とある。
略して「物言えば唇寒し」とも。
【出典】 『芭蕉庵小文庫』
【類義】 蛙は口から呑まれる/雉も鳴かずば撃たれまい/口は禍の門/口は災いの元/舌は禍の根/病は口より入り禍は口より出ず/禍は口から
【対義】 思うこと言わねば腹ふくる/物言わねば腹ふくる
【英語】 Your lips hang in your light.(君の唇は君の明かりの中に突き出ている)
※ 余計なことを言うと、利益が減るという忠告の意が込められている。
【例文】 「喧嘩して、相手の欠点ばかりを列挙して攻撃したが、自分までもが惨めな気持ちになった。物言えば唇寒し秋の風というように、あの時は言ってすっきりするどころか、嫌な気持ちだけが残ったよ」
【分類】
人間関係 > 悪口
人生・社会 > 不運・災難・凶事
言葉 > 無用の言葉
https://haiku-textbook.com/monoieba/ 【【物言えば唇寒し秋の風】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!】より
【物言えば唇寒し秋の風】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!
江戸時代に活躍した歌人「松尾芭蕉」。
「松尾芭蕉」は俳句を現在の形に完成させた人物であり、俳聖の称号を持つ世界的に有名な俳人です。彼は数多くの俳句を残しています。
今回はその中の一つ『芭蕉庵小文庫』に掲載されている俳句『物言えば唇寒し秋の風』をご紹介します。
本記事では、「物言えば唇寒し秋の風」の季語や意味・表現技法などについて徹底解説していきます。
「物言えば唇寒し秋の風」の季語や意味・詠まれた背景
物言えば 唇寒し 秋の風(読み;ものいえば くちびるさむし あきのかぜ)
この句を詠んだのは、江戸時代前期の俳諧師「松尾芭蕉」です。
季語
この句の季語は「秋の風」。句のなかに秋とあることからも分かるように、秋の季語となります。秋という季節には、食欲の秋という言葉もあることから実り多い季節になります。
しかしその反面、秋とはこれから冬に向かう季節。実りと共に草木が朽ちていき、風も冷たくなりどこか哀愁を覚える時期でもあります。
また、「秋の風」とは風景だけでなく、心情的な使い方もできるのが特徴でもあります。
意味
この句を現代語訳すると・・・
『口を開くと 秋の冷たい風が唇に触れて 寒々しい気分になる』という意味になります。
口を開いたときに人の欠点を批判したりした後は、必ず言わなければよかったと後悔してしまうものです。
また、その発言により余計な争い事や災難を自ら招いてしまいます。
つまり、この句は、「口は災いの元」のように戒めの句であるのです。
この句が詠まれた背景
この句は「松尾芭蕉」の晩年の句の一つと言われています。
彼の句は約1000句を越えるとされていますが、この句のように人生の教訓となり得る句は、実はほとんど存在していないと言われています。
では何故、このような句を読んだのでしょうか。
実は、この句を詠んだ理由は定かではありません。
「芭蕉」自身の経験から生まれたのでは、と推測されていますが、その真実は「芭蕉」本人にしか分からないのです。
「物言えば唇寒し秋の風」の表現技法
体言止め「秋の風」
体言止めとは、俳句の下五語を名詞または代名詞で締め括る表現技法のことです。
体言止めを用いることで、句が単刀直入な表現となり俳句の印象を強めることができます。
今回の句では「秋の風」が体言止めに該当します。
秋の冷たく寒々しい風で終わることで、より一層唇に触れる風の冷たさ、また、物寂しい心情を読み手に深く伝えることができます。
「物言えば唇寒し秋の風」の鑑賞文
この句の特徴はやはり、教訓の句をほぼ詠んだことのない「芭蕉」が、それをあえて詠んだということにあります。
この句を言葉通りに受けとるなら、口を開けば寒々しい秋の風で唇が冷たくなったとなるでしょう。
それだけならば、ただ情景を詠んだ句となります。
しかし、「秋の風」が心情を表しているとしたら、この句は口に出してはならないことをいうことで、自身に災いが来るという教訓の句となるのです。
その二つの視点を一つの句が持っている、そうならばますます俳句の奥深さを実感させられます。
(以下略)
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