http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/genjuan/genjuan5.htm 【幻住庵の記
(人生観)】より
かく言へばとて、ひたぶるに閑寂を好み、山野に跡を隠さむとにはあらず。やや病身、人に倦んで、世をいとひし人に似たり。つらつら年月の移り来し拙き身の科を思ふに、ある時は仕官懸命の地をうらやみ*、一たびは佛籬祖室*の扉に入らむとせしも、たどりなき風雲に身をせめ*、花鳥に情を労じて、しばらく生涯のはかりごととさへなれば*、つひに無能無才にしてこの一筋につながる*。「楽天は五臓の神を破り*、老杜は痩せたり*。賢愚文質の等しからざるも*、いづれか幻の住みかならずや」と、思ひ捨てて臥しぬ。
先づ頼む椎の木も有り夏木立(まずたのむ しいのきもあり なつこだち)(おわり)
先づ頼む椎の木も有り夏木立
これからどうしようというほどの計画があるわけではない。とりあえず旅路の果てに幻住庵にやってきた。見れば、庵の傍には大きな椎木がある。先ずはこの木の下で心と身体を休めてみようではないか。
西行の歌「ならび居て友を離れぬ子がらめの塒<ねぐら>に頼む椎の下枝」(『山家集 下 雑の部』)に呼応していることは明らか。ここに子がらめとは、小雀のこと。
滋賀県大津市国分2丁目5幻住庵にある句碑(牛久市森田武さん撮影)
仕官懸命の地をうらやみ:仕官して立身出世に懸命になっている人を羨ましく思ったこともあった。
佛籬祖室:<ぶつりそしつ>と読む。禅宗の仏門。
たどりなき風雲に身をせめ:ゆくえ定めぬ旅の空に身を苦しめて。さまざまな芭蕉の旅をいうが、やはり「奥の細道」が記憶としては大きかったであろう。
花鳥に情を労じて、しばらく生涯のはかりごととさへなれば :詩人として苦しんでいる間に、ついにこれが生涯のものとなってしまって、の意。
つひに無能無才にしてこの一筋につながる:この感慨は、すでに『笈の小文』でも語られている。
楽天は五臓の神を破り:白楽天は、詩を作るのに苦心して全身衰弱してしまったの意。『白氏文集』に「詩は五臓の神を役す」とあるによる。
老杜は痩せたり:杜甫でさえ詩作のために痩せてしまったの意。
賢愚文質の等しからざるも:白楽天や杜甫から比べれば才能のない自分ではあるが、すべては夢幻のごときものだの意。
かくいえばとて、ひたぶるにかんせきをこのみ、 さんやにあとをかくさんとにはあらず。ややびょうしん、ひとにうんで、よをいとひしひとににたり。つらつらとしつきのうつりこしつたなきみのとがをおもうに、あるときは しかんけんめいのちをうらやみ、ひとたびはぶつりそしつのとぼそにいらんとせしも、たどりなきふううんにみをせめ、かちょうにじょうをろうじて、しばらくしょうがいのはかりごととさへなれば、つ いにむのうむさいにしてこのひとすじにつながる。「らくてんはごぞうのしんをやぶり、ろうとはやせたり。けんぐもんしつのひとしからざるも、いづれかまぼろしのすみかならずや」と、 おもいすててふしぬ。
まずたのむ しいのきもあり なつこだち
https://plaza.rakuten.co.jp/articlenine/diary/201601310000/ 【芭蕉の紀行文を読む】より
NHKラジオ古典講読の時間、佐藤勝明先生の「芭蕉の紀行文を読む」。まずは猿蓑より。
猿蓑は編集者の意図による発句の配列により、つづきによる模様が生まれる。句の配置によって文芸的な面白さをかもし出している。今回も春の句。
はるさめのあがるや軒になく雀 羽紅
泥龜や苗代水の畦つたひ 史邦
蜂とまる木舞の竹や虫の糞ン 昌房
<解釈>
*はるさめの・・・春雨の句群がこれで終わることも示し、雨上がりに雀が囀りだしたことが句に。
*泥亀や・・・泥亀はスッポンのこと。スッポンが水を張った苗代の中、畦をつたって歩いている。
*蜂とまる・・・木舞は土壁の芯。木舞の竹のあたりに虫の糞があり、そこに蜂がとまろうとしている。
雀、泥亀、蜂、と小さな生き物たちの生命の喜び。
振舞や下座になをる去年の雛 去来
春風にこかすな雛の駕籠の衆 伊賀萩子
桃柳くばりありくやをんなの子 羽紅
<解釈>
*振舞や・・・ひな祭りのご馳走の振舞いの部屋に去年の雛人形が下座についている。これも「出替わり」。当時お雛様は紙で出来ていて、毎年買い換えたらしい。
*春風に・・・お雛様にご馳走をつけて近隣や知人に配ってあるく風習があったらしい。春風に飛ばされないように。駕籠をかつぐお方たち。
*桃柳・・・女の子が桃や柳の枝を節句振舞いの飲食物とともに配り歩いている。
小さな生き物の生態から→ひな祭り→小さな女の子の姿・・・という配列が。
幻住庵の記
本文=かく言へばとて、ひたぶるに閑寂を好み、山野に跡を隠さむとにはあらず。やや病身、人に倦んで、世をいとひし人に似たり。つらつら年月の移り来し拙き身の 料を思ふに、ある時は任官懸命の地をうらやみ、一たびは仏離祖室の扉に入らむとせしも、たどりなき風雲に身をせめ、花鳥に情を労じて、 しばらく生涯のはかりごととさへなれば、つひに無能無才にしてこの一筋につながる。
<解釈>
前回の部分で灯火をといてはもうりょうに是非を凝らす・・・自分の影と向き合って是非を凝らしている、あれがよいのか、これあよいのか・・・などと書いたけれど、山野に隠れ住もうとしている人と思われかねないが、そうではない。ただ少し病がちで、人との付き合いが億劫になっただけで、自分のは真の遁世ではないのだ。
つらつらと思ってみれば、年月ばかり重ねてきたおろかな過ち多い人生だった。出世を思ったり仏門に入ろうと願ったりしたが、それもかなわず、行方も知れぬ身の上となって花鳥風月に心を費やし、俳諧が私の生涯をかけた仕事になったので、ほかに何の才もないまま、この道一筋になってきた。
(どこかで読んだ?そう、笈の小文の冒頭部の風雅論と似た記述だそうです)
幻住庵の記の初稿では、より、笈の小文に近い記述だったそうです
= 我しひて閑寂を好としなけれど、病身人に倦で、世をいとひし人に似たり。いかにぞや、法をも修せず、俗をもとめず、仁にもつかず、儀にもよらず、若 き時より横ざまにすける事ありて、暫く生涯のはかりごととさへなれば、万のことに心をいれず、終に無能無才にして此一筋につながる。およそ西行・宗祇の風雅に おける、雪舟の絵に置る、利休の茶に置る、賢愚ひとしからざれども、其貫道するものは一ならむと、背をおし、腹をさすり、顔しかむるうちに、覚えず初秋半 に過ぬ。一生の終りもこれにおなじく、夢のごとくにして、又々幻住り。
*先づたのむ椎の木もあり夏木立
*やがて死ぬけしきも見えず蝉の声 =
西行,宗祇、雪舟など、彼らと賢さに違いはあるものの、根底は同じなのだ。まもなく死んでしまうというのに、そんな様子も見せず蝉が鳴き仕切っている・・・無常感。ここで芭蕉の底意はこの世は無常であり幻住なのだ、というもの。
これを発展させたものが笈の小文になり、幻住庵の記は西行、宗祇などの名を削り、句も削った。
中稿はこういう感じ。
=かくいへばとて、ひたぶるに閑寂をこのみ、山野に跡をかくさむとにはあらず。ただ病身人に倦で、世をいとひし人に似たり。何ぞや、法をも修せず、俗 をもつとめず、いとわかき時よりよこざまにしける事侍りて、しばらく生涯のはかりこととさへなれば、終に此一すぢにつながれて、無能無才を恥るのみ。労し て功むなしく、たましひつかれ、まゆをしかめて、初秋半に過行風景、朝暮の変化も、また是幻の栖なるべしと、やがて立出てさりぬ。
努力しても功績は少なく、心疲れて眉をしかめているうちに、これもまた幻の住処だなあと感得し、そこを立ち去ったのである。
庵を出るときに、そこでの句を添えても内容にそぐわないので、句を削った。
この原稿を去来に見せたところ、去来よりいくつか訂正があった。(添削?)
正稿は初稿と中稿の中間のような感じでまとめてあり、芭蕉は少しずつ表現を変えながら、より良い文章にしていくのを怠らなかった。そして底意も変化していく。
芭蕉は幻住庵の記を書くにあたり、方丈記を参考にした。
書き直した草稿を添えて去来に出した手紙も残っている。こうして幻住庵の記は去来の意見も入れてさらに手を加えて完成する。
本文=「楽天は五臓の神(しん)を破り、老杜は痩せたり。賢愚文質の等しから ざるも、いづれか幻の住みかならずや」と、思ひ捨てて臥しぬ。=
<解釈>
猿蓑の最終形。詩を考えるあまりに痩せた杜甫と、五臓を傷つけた白楽天の名を出し、賢さや才能の度合いは同じでない。彼らのような華やかな才能はないが、自分も努力のあり方ではひけをとらないはずだ。
この世はすべては幻の住処なのだ。(しかし心底それに納得したわけではないので)予はそれ以上考えることはやめて床に伏した。
自分の生涯はそれでよかったのだと思う(それでも)別の人生があったかも知れない。満足を得る回答は出ない。答えの出ない質問の前で立ち尽くす芭蕉さん!深いですね~!♪
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