雲雀より空にやすらふ峠哉

https://ameblo.jp/mtada99/entry-12474311487.html 【雲雀より空にやすらふ峠哉(松尾芭蕉)】 より

雲雀より空にやすらふ峠哉

鑑賞: 旅人芭蕉が、雲雀(ひばり)より上の空にやすらいだ実感の句です。

元禄元年(1688)の春、『笈の小文』の旅のなか、「臍(ほぞ)峠」、奈良県桜井市と吉野町の境にある峠の句です。

標高約700mの峠の頂上から一面の麦畑を 見渡していると、雲雀がはるか下の方で鳴いている、しぜん、笑みがこぼれます。

ところが、翌元禄二年(1689)刊の『曠野』では、「空に」を「上にやすらふ」と改めています。なぜでしょう。

いくつか考えてみました。

一、私は当初、「上に」よりも「空に」のほうが好みでした。表現が洒落ているからです。

しかし、芭蕉は、そこにあざとさを見て、「上に」と通俗的な表現に改めたのではないでしょうか。

二、「空に」という表現には広がりがあり、解放的な気分にさせる一 方で、「上に」とすると雲雀との関係が結びつきやすくなります。空間的な広がりよりも高低差を示したかったからではないでしょうか。

三、「雲雀より空に」とすると句の起点が「雲雀」になります。つまり、峠に着いたときの視点からこの句が始まります。一方、「上に」の場合は、句の起点が雲雀より下の里にあるのではないでしょうか。

里を歩いているとき、雲雀を上に見あげて聞いていたのが、いまや雲雀の高さをはるかに越えて、この峠まで辿りついた登高のプロセスを含意しているように思われます。芭蕉の推敲を推測しました。(小笠原高志)

私は三が、一番芭蕉の気持ちに合っていると思う。

ただ、最近散歩中の麦畑で「ピーチク パーチク」(私にはこのように聞こえた)

騒がしいほど雲雀が鳴いている。

空高く鳴いている雲雀をちょっと想像できないのだが・・・・・?


http://www.basho.jp/senjin/s1203-1/index.html 【雲雀より空にやすらふ峠哉】

芭蕉(笈の小文)より

 貞享五年『笈の小文』の旅の途中、吉野での作。「臍峠 多武峰ヨリ竜門ヘ越道也」の前書きがある。細峠、「竜門の茶屋より一里。上下共に竣坂なり」(和州巡覧記)。

  嶮しい山道を登りきって峠に一休みしていると、遙か麓の方から雲雀の囀る声が聞こえてくる。これまで雲雀は高い雲間に鳴く鳥と思っていたが、今日は自分の方が雲雀より高い峠にいるではないか、という感動の句。達成感と安堵感が感じられ、眼下に広がる眺望も目に見えるようで、読む度に心が晴々とする句である。

  貞享五年二月、伊賀上野で父の三十三回忌法要を済ませた芭蕉は、三月十九日、杜国を伴い出発。花の吉野山、高野山、和歌浦、須磨、明石と巡覧し、四月二十三日京に入っている。

「笈の小文」の旅は、一見、悠々閑々たる風流三昧の文学散歩のように映るが、実はそのような安易なものではなかった。(中略)自分の発見した〈天真〉と、過去の先人が発見した〈まこと〉は、はたして重なり合うのか合わないのか、その一点に思いを凝らす真実一路の旅だったのである(堀信夫・新編古典文学全集『松尾芭蕉集』[全発句]解説)。

 神奈川県伊勢原市の「大山」に、『諸国翁墳記』にも登載された掲出句があるらしいと聞いて出掛けてみた。「大山ケーブル駅バス終点」の向かい側にある観光案内所を訪ねると、手書きの「大山まちなみ案内図」で丁寧に説明してくれる。それによると「大山」には五基の芭蕉句碑がある。

花盛り山は日ごろの朝ぼらけ        とうふ坂

観音の甍見やりつ花の雲          来迎院前

雲折々人を休める月見かな         大山寺前

山寒し心の底や水の月(存擬)       無明橋上

  この四基は参道や境内にあるが、「雲雀」の句碑は秦野に抜ける山道の「いより峠」という所にあるらしい。しかもかなりの急坂で、標識も看板もなく、何度も行って見つけられない人もいた由。そこは古い大山街道の一部でもあると言う。

大山街道は関東一円に発達した大山参詣への道筋。現在でも多くの道標や各種の石仏などに「大山道・大山街道」という記録が残されている。主な道筋は、田村通り大山道(藤沢四ッ谷から平塚田村の渡しを経由)、矢倉沢往還(赤坂見附から大山へ、現在の国道二四六号)(以下省略)などがある。(案内所掲示)。

あいにく雨が降り出したので、その日はあきらめ、二日後に再チャレンジする。

「大山」参道「来迎院」の前から「浅間山林道」に入る。薄暗い高木の林を切り開いた九十九折りの道であるが、思いがけなく舗装されていて歩きやすい。道は曲がりくねりながらどんどん登りになるが、標識もなく、見晴らしもきかず、人にも会わないので不安になる。一時間余でようやく「大山寺」方面との分岐についた。遙か眼下に伊勢原の市街が見える。ここのゲートをすり抜けさらに四〇分程登ってようやく辿りついた峠に句碑をみつけた。

雲雀より上にやすらふ峠かな     芭蕉

高さ一メートル余、ほぼ菱形の自然石で、道標の趣に風情がある。大概の古い芭蕉句碑は墓石のイメージであるが、この句碑は自然と呼応するような爽やかさがある。右側面に「寛政七年卯弥生」、左に「惣連」とある。中七が「空に」ではなく「上に」と刻まれている。後日手にした昭和二十七年刊の『神奈川県下芭蕉句碑』(飯田九一)によれば、場所は「伊與利嶺」と表記され「句碑は二つに折れて地上に横たはって居ります」とあるが、現在は補修され建てられている。帰途、旧道の急坂を苦心惨憺下りながら、ふと思った。大山道のひとつ「中原街道」は平塚から江戸虎ノ門に至る、東海道の脇往還として、より短距離であった。芭蕉は何度も東海道を往き来しながら一度も歩いたことはなかったのだろうかと。


https://blog.goo.ne.jp/humhum548118/e/d29a003b3458765a5e6cac252f4e28f1 【雲雀より 空にやすらふ 峠哉】 より

「桜の舞う坂道を 君は歩いてゆく」

今日はひさびさに風もなくおだやかな晴天にめぐまれた・・・

昨日は、泉谷しげるの「春のからっ風」って気分??

「♪春だというのに北風にあおられ ・・・」

まあ、今日は絶好のお彼岸日和と言えよう・・・

今月20日、雨の中グランドオープンを迎えた「赤坂サカス」は活気づいてることだろう・・・

ところで

「akasaka Sacas(赤坂サカス)」

逆から読んだら「逆(さか)さかさか」??

ん!「逆さ赤坂」??逆さか・・・・・??

とにかく、やたら「坂」が多い!!

「赤坂はまさに坂、坂、坂の街や~!!」(彦麻呂風に?)

赤坂は、神社仏閣や坂道が多いことでも知られている・・・・

赤坂には「22の坂」があるらしい??

今日の「王様のブランチ」で、リポーターの佐藤弥生と鈴木あきえが、

「歴史と文化が息づく街 ・赤坂ぐるり坂めぐり」

で、転坂、桜坂などいろいろ面白い坂を紹介していた・・・

「桜の舞う坂道を 君は歩いてゆく」

ふ~む。そろそろ今年も江戸の桜めぐりの時季になってきた・・・

昨年は「桜橋」を起点として始めた桜めぐり。「墨堤の桜」の隅田公園、上野恩賜公園、王子飛鳥山公園、「六義園 (りくぎえん)」・・・・

今年の桜めぐりは赤坂の「桜坂」としよう!!

(桜の名前にこだわりすぎだって??)

ところで、坂と言えば・・・・

昨日3月21日は「3、2、1」と逓減の日!!

1月23日の・・・

「ワン(1)ツー(2)スリー(3)」!!

の逆の日だった・・・・

ふ~む。

坂・・・、上り坂と下り坂・・・

1月23日を上り坂のスタートとして、頂上は2月22日、それから下り坂を降りると3月21日がゴール・・・・・

なんかひとつの峠を超えた感じだ・・・

やっと春を迎えたって気分だね??

頂上の手前、2月19日は「雨水」!!「碓氷峠」を過ぎればね??

ん!そして頂上の2月22日は・・・・

「聖徳太子忌」 

歴史と信仰があやなす静謐の頂上より・・・

1400年の時空を超えて、遠くはるかなる斑鳩の空を見下ろす・・・

「雲雀より 空にやすらふ 峠哉」 (芭蕉)

ってことで今日3月22日は・・・・

「聖徳太子を偲ぶお会式」 

法隆寺のもっとも主要な法会として聖霊院(しょうりょういん)で始まる!!

命日の一ヶ月遅れだね??

秘仏、本尊聖徳太子像を拝むことができるらしい・・・

それにしても・・・・

3月21日は「弘法大師入定(にうじょう)の日」!!

そして3月22日は「聖徳太子を偲ぶお会式」!!

すごい日が並んだものだ・・・・

まさに「坂の下の雲」 

(なんちゃって??)

日本の政治、経済、社会も下り坂・・・

とうとう3月22日の底辺に到達した・・・・

これからは上昇気流に乗るか水平飛行しかないだろう・・・

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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