朧(おぼろ)

前書に「湖水の眺望」とあり は 紛らわしいですね。蒸気霧の名残が重なって 松の方がより朧に見えるということなのでしょうか??

http://sogyusha.org/saijiki/01_spring/oboro.html 【朧(おぼろ)】

 春の夜はあらゆるものが朦朧とかすんで見える。ついこの間まで夜はずいぶん冷え込んでいたものだが、もうコートをぬいでもいいようだ。そろそろ夜桜見物の誘いもかかりそうだ。そんな春の夜の情感をたたえた季語が「朧」である。朧という文字まで、いかにも春の夜の駘蕩たる気分を伝えてくれる。

春の日中は「霞」、それが夜になると「朧」になる。おぼろ現象の代表はやはり春の月であり、これは「朧月」あるいは「月朧」として昔から和歌、俳諧の重要な素材とされ、独立の

季語に立てられている。

 三月ともなれば日本付近の上空は冬型の気圧配置がゆるみ、四月にかけて移動性高気圧や低気圧が頻繁に入れ替わる。低気圧に向かって南風が吹き込めばなま暖かく、桜の開花を促し、菜種梅雨とも言われる降り続く春の雨をもたらす。大陸からの高気圧が強ければ寒さが戻って、黄砂を降らせる強風が吹いたり、時ならぬ春の大雪に見舞われたりもする。

 つまり仲春から晩春にかけてのこの時期は天気が不安定になり、晴れ曇りも、寒さも温みも日替わりのようになる。ただ空気中の湿度は冬に比べて高くなるから、日中は霞み、夜は万物がもやがかって見えるようになる。それがまた一入なまめいた雰囲気を醸し出し、日本人はこれを秋の霧とは異なるものとして「おぼろ」という言葉を生み出した。

 水蒸気の微細な粒がかたまって地上近くに漂い、それが光を遮ったり乱反射して、月の回りに暈を作り、同時に万物をぼーっとかすんだ状態に見せる現象。これが朧の正体だが、そんな説明を聞いたからといって俳句ができるわけではない。やはり「おぼろ」という言葉の響きとともに春の夜の情趣を感じ、目と耳と鼻と、場合によっては口までも動員してのんびりとした春の情景を捉え、それを詠う、ということになろうか。

 朧はそれ一語でも句に詠むが、いろいろな物や現象につけて詠むことも多い。たとえば谷がかすんで見える光景なら「谷朧」だし、草原なら「草朧」、庭なら「庭朧」、街灯がぼんやりついていれば「灯朧(燈朧)」。目だけでなく、耳の場合もある。

鐘の音が朧夜を通して聞こえて来れば「鐘朧」である。『鵜の岩をとりまく波のおぼろかな 加藤三七子』は「岩朧」「波朧」を詠んだものだし、『寝仕度の鏡のうちの夜のおぼろ 井沢正江』は「鏡朧」という季語である。香りにも朧は付くし、旬の味を味わう時にも朧なる情趣が感じられることもあろう。

  辛崎の松は花より朧にて       松尾 芭蕉

  うすぎぬに君が朧や峨眉の月     与謝 蕪村

  門口のいぢくれ松もおぼろかな    小林 一茶

  朧夜や女盗まんはかりごと      正岡 子規

  泣いて行くウエルテルに逢ふ朧哉   尾崎 紅葉

  別れんとかんばせよする朧かな    飯田 蛇笏

  さる方にさる人すめるおぼろかな   久保田万太郎

  貝こきと噛めば朧の安房の国     飯田 龍太

  おぼろより仏のりだす山の寺     桂  信子

  木屋町や裏川朧あふれけり      石原 清野


http://wapichan.sakura.ne.jp/steam_fog.html  【 蒸気霧【じょうきぎり】】より

俗称 川霧/湖沼霧/けあらし等  英名 steam fog

わぴちゃん流遭遇率・・・

   (夏季)☆☆☆☆☆ 

   (冬季)★★★☆☆

初冬のころ、相対的に温かい水面の上に冷たい空気が流れ込んで発生する湯気のような霧。河川や湖沼でよく見られる。

ひとくちに霧(fog)と言っても、発生要因によっていくつかの種類に分類されています。

ここで紹介する蒸気霧(steam fog)はそのひとつで、相対的に温かい水面の上に、

冷たい空気が流れ込んできたときに発生します。

イメージとしては、ホットコーヒーの上にできる湯気と同じメカニズムと考えると分かりやすいと思います。

実際の自然界では、河川や湖沼の水面上にまるで湯気が立ちのぼるような形で発生します。

冬の朝のキンキンに冷え込んだ空気と比べれば、「水温が高め」ということなんだ。

だから、川や湖の水をさわっても体感的にはかなり冷たいよ。

これは、初冬に多く、まだ比較的水温が高い時期に、強い冷え込みが起こると発生します。

しかし、季節が進んで、水温が低くなると、あまり見られなくなっていきます。

発生場所別に、河川に発生するものを川霧(river fog)、湖や沼などに発生するものは湖沼霧と呼ぶこともあります。

水面の規模は特に関係ないようで、小さな用水路やちょっとしたため池にも見られます。

広大な河川敷を持つ大規模河川では、ときに、堤防と堤防の間の河川敷の部分に霧がたまってまるで、霧の海のような幻想的な光景になることもあります。

これは、川面からの川霧と、河川敷の部分から発生した放射霧が混合されてできているものと考えられます。

蒸気霧は河川や湖沼の周辺にだけ発生するよ。

だから運転していると突然深い霧に包まれて視界が悪くなることがあるので気をつけてね。

海岸近くでは、冷え込んだ朝に、海面から湯気がのぼって見えることがあります。

これも蒸気霧の一種で、けあらしと呼ばれています。


https://www.ebayama.jp/merumaga/20120901.html【季節の風物詩~霧の発生~】 より

 三次盆地の霧の便りが届く季節になりました。霧は、空気中の水蒸気が冷えて凝結し、多数の小さな水滴になって空気中に浮かんでいるものです。雲との違いは、地表面に接しているかいないかで区別をしています。霧は一年を通して見られますが、これからの季節に多く見られる霧は、内陸部で発生する盆地霧です。

 広島県北部に位置する三次盆地は、その周りを標高300m以上の山々に囲まれた場所です。秋の晴れた夜には、盆地全体を覆うほどの大規模な霧が発生します。霧の成因は、放射冷却によるものです。晴れて風の弱い夜は、地面から空に向かって多くの熱を放射するため温度が下がります。すると地面近くの空気も冷えて気温が下がり、空気中の水蒸気が水滴になって空中に浮かぶのです。このように、放射冷却が強まると霧が発生するので、放射霧と呼ばれています。盆地では、周囲を山に囲まれていることで、空気の入れ替わりが少なく、放射冷却現象による気温の低下が大きくなるのです。

 また、三次市内には、可愛川(えのがわ)[江の川(ごうのがわ)]、神野瀬川(かんのせがわ)、西城川(さいじょうがわ)、馬洗川(ばせんがわ)が流れ、その中央で合流しています。地表の気温が下がっても、川の水はそこまで温度が下がりません。そのため、川から空気中に水分が供給されやすくなります。このことも、霧の発生に影響しています。

 このように、盆地を取り囲む山々や、盆地に流出入する川などの要因が、霧を発生させる原因になっているのではないかと考えられています。

 三原では、晩秋から初冬にかけての海霧が有名です。こちらは、暖かい海上に冷たい空気が入り込むと、海から蒸発した水蒸気によってできる霧で、蒸気霧と呼ばれています。

 一方、春に多いのは、瀬戸内海で見られる移流霧(海霧)です。移流霧は、暖かく湿った空気が冷えた海面に流れるとき冷やされ、空気中の水蒸気が凝結して発生するものです。この時期、日本付近に接近する低気圧が南から暖かく湿った空気をもたらすと、気温より低い海水面に接した空気中の水蒸気が凝結し、霧が発生すると考えられています。

 霧は、季節の移り変わりと結びついた特有の自然現象であり、その土地の観光資源でもあります。一方で、交通障害、酸性霧、日照不足による作物への影響なども考慮しておかねばなりませんね。


https://www.asahi.com/articles/ASLC53W9NLC5PTIB003.html 【島根)県内各地で放射霧観測、宍道湖上には白い帯】 より

 晴れ渡った3、4日の未明~朝、県内で放射冷却の影響による「放射霧」が発生した。宍道湖南岸では、帯状の霧が湖面を覆う幻想的な景色が現れた。

 松江地方気象台によると、放射霧は湿度が高く、晴れた夜間に放射冷却によって地表面の熱が逃げることで発生するという。気温が下がって空気中に含まれる水蒸気が水滴となり、霧として現れる。秋から冬に観測されやすいという。

 3日は午前3時8分から同10時9分まで、4日は午前4時32分から同10時3分まで、県内全域で濃霧注意報が発令された。(市野塊)


https://matsuzaki-dent.com/blog/?p=567 【霧、靄、霞、朧】 より

 仙台市泉区の歯医者 まつざき歯科医院の院長です。

 霧(きり)、靄(もや)は気象用語、霞(かすみ)は気象用語ではないそうです。

霧と靄は 地表面付近で無数のごく小さな水滴が空気中に浮かぶことによるものですが、その違いは 目の高さの視程が1km未満が霧で、1km以上の場合が靄(もや)とのこと。つまり 霧の方が視界が悪いということです。

 一方 霞(かすみ)は 水蒸気に限らず、煙などで遠くがはっきり見えない現象なので 気象用語ではないそうです。

霞は 夜になると 朧(おぼろ)になるようです。

 似たような言葉の意味が明確になって スッキリしました。


http://atsso.asablo.jp/blog/2009/04/02/4221307  【霞と朧と霧と靄】 より

 俳句でも和歌でも霞と霧は厳然と区別して用いる。春は霞、秋なら霧である。だが気象の世界では霞を雲や霧と区別することは無理なようだ。そうなると、せっかく先人が築いた万葉の景色や優美繊細も古今集の「もののあわれ」も「春は空気中の水滴と微細な浮遊物が結合して漂うからどうしてもこんな感じに見えるわけですね」で片づけられかねない。科学の力も時によりけり、風雅を楽しむときは忘れた方がよさそうだ。

 和歌や俳句の世界が鋭いと思うのは季節の区別ができるからだけではない。昼と夜の区別もちゃんとしていて、お日様のあるうちは霞、日が暮れて月が出れば朧(おぼろ)と呼び分けている。さらに感心するのは、霞とよく似た靄(もや)に手を出さないことだ。気象用語では霧よりも見通しのよい状態を指す言葉だが素人目には区別が難しい。種類も朝靄、夕靄、夜の靄、川靄、山靄、薄靄(うすもや)、雨靄(あまもや)などいろいろある。調べてみると小説では漱石(草枕)、藤村(夜明け前)、秋声(縮図)が春の描写に使っていた。察するに小説の描写には利用できても、単にモヤモヤするだけでは詩情も涌かないし、季節感をくすぐることにもならないのだろう。




コズミックホリステック医療・現代靈氣

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