http://winoue.com/media/nhk4 【笑いとユーモア】 より
私たちは、笑わせてくれる原因となるものを全て「笑い」という言葉で言い表しています。笑わせてくれる表現の世界、文学や演劇、漫画、喜劇、落語や漫才のなかにおいての笑いばかりではなく、日常会話のなかでの笑いも、すべてひっくるめて総称的に「笑い」と言っています。
「ユーモア」という言葉も、私たちが「笑い」によって意味している内容を含んでいますが、「笑い」とイコールにならないところがあります。「笑い」と「ユーモア」は同じだと思っておられる方もあるかもしれませんが、違いがあります。
ユーモアは、英語ではHumorとなりますが、日本語としては、片仮名で「ユーモア」と言っています。ユーモアを国語辞典でひきますと、「上品な洒落やおかしみ。諧謔」と出てきます。英和辞典でひけば、「ユーモア、滑稽、おかしみ」という意味と「ユーモアを解する力」ということを指しても使われ、「気質、気性」「体液」という意味も出てきます。
洒落や滑稽、おかしみ、諧謔の意味での「ユーモア」は、私たちの使う「笑い」と同じです。しかし、「ユーモアを解する力」とか「気質、気性」までになると、日本語の「笑い」では、言い尽くせません。「笑い」と「ユーモア」は重なる部分もありますが、重ならない部分もあるということに気がつきます。
「ユーモアのわかる人」「ユーモアセンスのある人」という言い方を、日本語でしようとしますと、「滑稽のわかる人」「諧謔のわかる人」という言い方になりますが、ちょっと意味が違うなという気がします。「ユーモアセンスのある人」というのは、褒め言葉で、その人の人格を指して言っています。
ユーモアという言葉の語源ですが、ラテン語のフモール(humor)、つまり体液を意味する言葉からきています。古代、中世においては、この体液=フモールによって人間を診断するということが行われていたと言います。体液としては、黄胆汁、黒胆汁、血液、粘液の4つが考えられ、ある体液が異常に優勢であることは、万病の原因と考えられ、4つの体液=フモールがバランスを保っておれば、健康と考えられたのでした。人の気質は、これら4つのフモールのいずれかが優位を占めて、多血質、粘液質、胆汁質、憂鬱質の気質が生まれると考えられました。
このフモールという言葉が、16世紀には全ヨーロッパに流行しまして、人々はその正確な意味も考えないで口にするようになりますが、イギリスのベン・ジョンソンという人が、自分の喜劇論について、流行語であったHUMORを使って、古典喜劇は、まず性格喜劇であるべきだという理論を打ち立てます。そして、「ユーモア」を喜劇的に利用する方法を見出して、「ユーモア」という言葉に喜劇的雰囲気を与えます。そういうところから「ユーモア」は医学的用語から文学的用語として使われるようになります。喜劇的人物に「ユーモア」という言葉が使われ、ユーモアに滑稽なもの、笑いを誘うものという意味が付け加わるようになります。
今日、「ユーモア」は、笑いを誘うものとして、洒落やジョークを意味していますが、語源が持っていた「体液」という意味も持っているというわけです。そういうことですから、「ユーモア」には、人間の性質、人格といった意味がついてまわりますので、日本語の「笑い」と同義にはならないということが分かります。「ユーモア」を考えるということは、その人の人格や人生観、生活態度などまでを視野にいれて考えるということを意味することになります。
アメリカの大統領選挙では「ジョークがうまくないと大統領にはなれない」と言われます。これは、単にジョークを言って人を笑わせないと大統領になれないということを言っているのではなくて、そういうことができるユーモアセンスのある人、そのような人格を備えた人、ということを言っているのだと思うのです。
単にジョークが上手い下手、笑いがとれるかどうかでは、プロのコメディアンにはかないません。ユーモアセンスのある人というのは、単にジョークがうまいかどうかよりも、先ずは、ユーモア精神の持ち主ということになるのだと思います。
人間が「笑う」ということは、こころの問題としてと同時にからだの問題としても、とても大事なことですが、笑いの問題を、更に深めていきますと、ワッハッハと笑うことだけではなくて、「ユーモア精神」が身に付いているのかどうかが問題となってきます。
老子がこんな面白いことを言っています。加島祥造さんの訳ですが、「心が広くなれば、悠々とした態度にもなれる。そうなれば、時には空を仰いで、天と話をする気になるじゃないか。その時には、自分の身の上でくよくよするなんてちょっと馬鹿らしく感じるよ」。
自分の身の上でくよくよしているということは、心が自由でないわけですね。心を広く持って、天と話をする気になれば、自分を縛っていたものから解き放たれて、とらわれのない心の自由が得られると言っているわけです。こうした心は、ユーモア精神と言えると思うのです。
人間、長い人生のうちには、さまざまな窮地に立たされることがあります。そんなとき、
窮地に呑み込まれず、自分の置かれている状況を醒めた目で見ることが出来ることが望まれます。
笑いで、一番難しいのは、自分を笑うことだと言います。誰にでも失敗や欠点があります。それを笑い飛ばすことができなくて、劣等感にさいなまれている人がいますが、笑い飛ばすことで、とらわれのない心の自由を得ることができれば、どれだけ素晴らしいことでしょうか。
今日の社会では、ちょっと笑われただけで、腹を立て、すぐに切れて暴力を振るう人が後を絶ちません。心のゆとりが、大人にも子どもにも欠けてきているようで心配です。笑うことは大事ですが、笑って済ますだけではなくて、ユーモア精神にまで思いを馳せることになっていけばよいがなと思っています。
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