facebook玉井 昭彦さん投稿記事 折々のことば:3310 鷲田清一
平和/それは花ではなく/花を育てる土
平和/それは歌ではなく/生きた唇 (谷川俊太郎)
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平和は旗として掲げるものでなく、着なれた下着やいつも吸っている空気のように、「あたりまえなもの」としてあるはずだと、詩人はいう。
「退屈」で「素気ない」のがその証しであるほどに。
それは、願うものでも祈るものでもなく、待っていればいずれ訪れるものでもなくて、人びとの身を養うもの。
だからなくてはならぬもの。詩集『うつむく青年』(1971年)から。 朝日新聞1月1日
faceboook斉藤 一治さん投稿記事 ひふみ祝詞 日本最古の祝詞
宇宙と繋がり自分の力を取り戻す
ひ → 光 / 火 / 太陽 / 全てのはじまり / 一 /
ふ → 風 / 産物 / 素粒子 / 振動 / エネルギーの伝播 / 二 /
み → 水 / 密 / 分子構造 / 「ふ」で集まった実体化 / 三 /
よ → 世 / 地球 / 物質世界 / 四 /
い → 命 / 出ずる / 原始生命の誕生 / 五 /
む → 蟲 / より複雑な構造を持つ生物への進化 / 六 /
な →魚 / 肴 / 食物連鎖 / ヒエラルキー / 他の生物からエネルギーを取り込む様 / 七 /
や → 彌榮 / 繁栄 / 霊的に高度な生物の誕生と文明の成立 / 八 /
こ → 旧 / 究 / 混沌 / 終末 / 九 /
と → 陰陽 / 生死 / 十字架 /
一二三四五六七八九十百千万億兆と麻を蒔きなさい。
そうすれば神様と結ばれるでしょう。
生命力の強い大麻をたくさん育てれば、交わる罪穢れが遠方に去り、天から与えられた田畑を、汗水垂らして一生懸命に耕すことができます。
facebook相田 公弘さん投稿記事 『正月の正の字』相田みつを
「アノネ、正月の正という字はね、一にとどまる(止まる)ーと書くんだよ」
いまは亡き、三国浄春(みくにじょうしゅん)師がよく言いました。
一とはなんでしょう?一とは原点、要するに自分のこと 自分が自分に止まるー
つまり、自分が自分になるそれが正。 リンゴがリンゴになるーそれが正。
みかんがみかんになるーそれが正。フラフラとわき見ばかりしていた自分が
本来の自分に帰って落着くーそれが正。
正月の正の字を見ると 三国さんの、あのさわやかなやさしい 笑顔が浮かんできます。
ーにんげんだもの・道ー
※喪中につき年始のご挨拶はご遠慮申し上げます。m(_ _)m
http://sogyusha.org/saijiki/05_newyear/shukuki.html 【淑気(しゅくき)】より
もともとは漢詩で使われた言葉が俳句にも使われ、新年の季語として定着した。正月三が日は、改まった、身の引き締まる感じと、そういう中にもちょっと華やかでおめでたい温和な雰囲気が漂っている。昔の人はそれを「瑞祥の気」と言った。
「淑」という字は「淑女」「貞淑」「淑徳」などと使われるように、「良い、善い、しとやか」という意味である。さらに「私淑」という言葉があるように「慕う、引きつけられる」と
いう意味もある。つまり、「淑気」はそういう新年の素晴らしい、清々しい「気」のことである。
しかし今日では、淑気という言葉を知っているのは俳人ばかり、というような状況である。それも若い人たちにはそっぽを向かれるような季語である。ただ漢詩から借りて来たという由
来を考えれば、堅苦しい感じがするが、昔の俳人はそれを逆手に取って、儀式張るお正月を洒落のめすために、わざとこういう武張った季語を用いて俳諧味を出そうとした趣も感じられる。現代俳句にもそういう流れは生きている。
長年俳句に親しんで、しばしば佳句をものする先輩に言わせると、「こういう俳句独特の季語はかえって句になりやすいんだよ。何か情景を詠んで、淑気かな、を付ければそれなりに格
好がついちゃうんだよ」だそうである。ずいぶん乱暴な指導法だが、なるほど「淑気」という裃を着たような季語に向かうには、これくらいの気軽さが必要なのかも知れない。
いんぎんにことづてたのむ淑気かな 飯田蛇笏
麦畑に風少しある淑気かな 高橋淡路女
淑気満つ口あいてまづ一笑す 菅裸馬
碧落に鷹一つ舞ふ淑気かな 宇田零雨
淑気満つ春蘭の香を箸の尖き 安田鶴女
なかんづく祖父のほとりの淑気かな 鷹羽狩行
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