Facebook髙橋 眞人さん投稿記事
こんばんは。【今日の名言】やなせ たかし(漫画家)
今日一日生きられたから、明日もなんとか生きてみよう。せっかく生まれてきたのだ。絶望するなんてもったいない。なんとかなるさと辛抱して、とにかく生きていくんだ。人生は捨てたものではない。一寸先は光。
人生は椅子取りゲーム。満員電車に乗り込み、 あきらめて途中下車せずに立ち続けていたら、あるとき目の前の席が空くんです。
継続は力なりというが、諦めてないで、一つのことを思いを込めてやり続けていると、ちゃんと席が空いて出番がやってくる。
運をつかむには自分のやりたいことをずっと継続して、やめないこと。自分自身、世に出なくても代表作がなかなか描けなくても、黙々と漫画を描き続けた。
運にめぐりあいたいなら、なんでも引き受けてみるといい。自分の専門分野以外のことに広く眼を開き、経験したほうがいいのです。
仕事は人と人の繋がりで来るもの。めぐりあった仕事は誠実にやる。
もしかしたら実現しないかもしれない、夢で終わってしまうかもしれない。それでも夢を追いかけていく。
平凡なことを何十年も続けていくと、いつの日か遠大な目標も果たされる。
「見る前に跳べ!」というのが僕の主義だ。恥をかく覚悟でやれば、大抵のことはできる。
格好悪い正義の味方を描きたい、そんな思いからアンパンマンは世の中に出ていった。
完全な人なんて一人もいない。欠点がその人の大きな魅力になっていることって、すごく多い。
僕は生まれた時は未熟児であった。5歳の時に父と死別した。小学生の頃に自殺したくなって線路をさまよったこともある。
若いころにモテなくて、あまり遊んでいなかったから、あれほど仕事を大切にすることができたのかもしれない。
僕は40歳を越えてもまだ五里霧中で、挫折どころか、出発もしていなかった。
50歳というのは、実は僕がアンパンマンを描き始めた年齢。
70歳を過ぎるまで漫画家としての代表作がなく、人々の活躍を目で追いながら立ち続けていたことも、今から思えばアンパンマンに出会い、それを育てる為の大切な準備期間だった。
才能が薄いなら薄いなりにゆっくりと、その代わり息長く走り続けるという方法を選べばいい。
好きなことや得意があるということは、いいことですよ。心のよりどころになるし、いつか自分を助けてもくれる。
絶望の隣には、希望がそっと座っている。気づいてくれるのを待っているものなのだ。
危難と地獄、辛酸のなかに重要な何かがある。長い人生では、一回や二回は地獄を通過したほうがかえって良いのかもしれません。
正義って何だろうと考えた時に、自分の身を犠牲にしてでも人を助けようとすることだと思う。
生きていることが大切なんです。今日まで生きてこられたなら、少しくらい辛くても明日もまた生きられる。そうやっているうちに次が開けてくるのです。今回の震災も永遠に続くことはありません。
人生、何があっても、これで終わりなんてことはないのだ。
正しいことをする場合、必ず報いられるかというと、そんなことはなくて、逆に傷ついてしまうこともあるんです。傷つくかもしれないけれど、それでもやらなければいけないときがある。
正義を行う人は自分が傷つくことも覚悟しなくてはいけない。今でたとえると、原発事故に防護服を着て立ち向かっている人々がいます。自分たちが被爆する恐れがあるのに、事故をなんとかしなくてはという想いで放射能が満ちた施設に向かっていく。あれをもって「正義」というのです。
人助けをしたら、そのときはすごく損をしたような気がしても、どこかで埋め合わせがありますね。だから、いつもどうすれば人が喜ぶかなあということを考えていれば、何かしらそのお返しというのがあるんです。
困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても国が違っても「正しいこと」には変わりません。絶対的な正義です。
正義って、普通の人が行うものなんです。政治家みたいな偉い人や強い人だけが行うものではない。普通の人が目の前で溺れる子どもを見て思わず助けるために川に飛び込んでしまうような行為をいうのです。
なんのために生まれて 何をして生きるのか これはアンパンマンのテーマソングであり、僕の人生のテーマソングである。
なんのために生まれ、何をして生きるか。分からない人が結構いる。僕もそうだった。
そうだ、嬉しいんだ、生きる喜び。たとえ、胸の傷が痛んでも。
さみしさに負けそうなとき にぎりこぶしをつくりなさい げんこつで涙ふきなさい 過ぎたことなど忘れなさい。
アンパンマンのテーマソングは僕の作詞だが、幼児アニメーションのテーマソングとしては重い問いかけになっている。僕はお子様ランチや、子供だましの甘さを嫌った。
目も耳も悪いし、体は相当に傷んでいる。でも、生きている間に、やれることはやると決めた。
いつも前を見て、倒れるときは前の方に倒れる。
死ぬときは、死ぬんだよ!笑いながら死ぬんだよ!死ぬまで、一生懸命やるんだよ!
あなたに会えてよかった。面白い人生をありがとう。
※10月13日はやなせたかしの命日(2013年)でした。
Facebook原 靖之さん投稿記事【真理を知りたいからの卒業】
学生時代から宇宙の真理を知りたい、自分を知りたいと生きてきました。
昨日は、セミナーで生命の根本を学べる奥深い世界でした。
波動から水、人体、意識と奥深い世界まだまだ、修行がたりないなぁと思って帰宅。一生学びだなぁと思いました。そして、今日はラマナ マハルシとの対話を読む
こちらは、本当の私は全て知っている 内側に意識をむけなさいと。
外の私は、一生知ることできないと思い、内の私は、もう全て知ってるという。???、、、😅
本当は知ってる私が、知らないふりして知ろうとしているの?一生終わらない学びを。
結局は、知っていて知らない知らないけど知ってる。
この真理探求の道は、よくわからないという結論になりました。
あとは、自分がやれる事、やりたい事を楽しむしかない。古武道講座で、所作を繰り返しやる、その古武道講座をみんなで楽しむつまり、人生を楽しむ、生活の行動を楽しむ。
いろんな経験、感情を楽しむそれしかないんだと腑に落ちました!結局は、やれる事をただやるだけ。ただ、シンプルな答えに行きつきました!
Facebookわたなべ こうさん投稿記事 『違う意見を誹謗中傷とセットにしない』😄
私たちは日々、ネットやリアルな場面でさまざまな意見に触れています。
時には、自分の考えとは大きく異なるものにも出会います。違いがあるからこそ愉しいし、学びや氣づきのチャンスが生まれたりします。しかし、そんな違いを許せないという人たちがいます。意見の違いが衝突や感情的な対立に発展してしまうこともあります。
違う意見を伝えるのはいいけれど、誹謗中傷の方向へと傾いてしまう光景を目にすることが少なくありません。
そこには、「相手を傷つけてでも自分の正しさを証明したい」という心理が働いていることがあります。
大切なのは、意見を伝えることと、相手を攻撃することは別物だと、意識できると良いですよね。
意見を述べるときは、「反論=攻撃」になってしまうのではなく、相手の人間性などを否定するような言葉は避け建設的なコミュニケーションを意識することが大切だと思うのです。
それだけでも、会話の空気は大きく変わりますよね。
相手を尊重すれば、相手も耳を傾けやすくなり、柔らかな対話の可能性が広がります。
多様性を認めるということは、「同じであること」を相手に求めないことです。
私たちはそれぞれ異なる人生を歩んできたのだから、「違い」は自然なことです。
そして、誹謗中傷は議論そのものを壊し、建設的な意見交換を妨げます。
自分との違う意見を、誹謗中傷とセットで伝えるのではなく、柔らかい表現や比喩を使うと、同じ主張でも角が立ちませんよね。
違う意見を持つこと自体は自然なことであり、それを丁寧に伝え合うことが、争いが少ない素敵な世界を創る元になるのかなって思うのでした╰(*´︶`*)╯♡
Facebook今野 華都子さん投稿記事
古事記:「思う」「悩む」「考える」のやまと言葉に見る心の働き
人が行動を起こすとき、その始まりは「思う」ことであり、揺らぎながら「悩み」、やがて「考える」に至って、具体的な行動が生まれます。
1.思う ― 感情が芽生える
「おもふ」は「おも(面・面影)」+「ふ(生ふ・殖ふ)」から生まれた言葉。
つまり「心の面(おも)に情や像が芽生える」という意味です。
人はまず、何かを感じ、心に情景を描きます。この瞬間、いのちの内側から“芽生え”が起こり、それが祈りや願い、想いとして形を帯びはじめます。
思うとは、行動の“種”をまくこと。「君を思ふ」「神を思ふ」――どちらも、心が何かと響き合いはじめる瞬間です。
2.悩む ― 和を求める揺らぎ
次に訪れるのが「悩む(なやむ)」という段階です。「なやむ」は「な(和)」+「やむ(止む・病む)」、すなわち「和(なごみ)を失い、内なる光が曇る」状態を示します。
しかし、それは悪いことではありません。悩みは「和を取り戻すための揺らぎ」。
濁りが現れることで、心の底に沈んでいた想いが光を求めはじめるのです。
悩むとは、和を回復しようとする生命の働き。この段階を経ることで、人は内省し、自分の真実の声を聴こうとします。
3.考える ― 神と交わる知恵の働き
「かんがふ」は「かむ(神)」+「がふ(交ふ)」が語源ともいわれ、
「神と交わる」「神意をうかがう」という意味が秘められています。神還る。
考えるとは、単なる思考ではなく、自我を越えて天の理(ことわり)に耳を澄ますこと。
心が静まるとき、直感や閃きとして神の声が届きます。それが「感得(かんとく)」です。
このとき、人は「どう動けばよいか」を悟り、自然と身体が動き出します。
つまり「考える」は、行動を生む“神と人の交わり”の瞬間です。
4.和する ― 行動に結ぶ
「思う」ことで情が芽生え、「悩む」ことで和を求め、「考える」ことで神意を得る。
この三段階を経て、人は「和する(悟る)」に至ります。
それは、心と行いが一つになる状態。思いが形となって動き出す時です。
心が動けば、世界が動く 行動とは、外から押し出されるものではなく、内なる“思い”が熟して外に溢れ出すもの。
やまと言葉に宿る三つの響きは、私たちの内側で常に循環して人の成長も、祈りも、創造も生まれます。全国古事記塾主宰 今野華都子記す
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