Facebook田中 宏明さん投稿記事
二日前のことですスーパーに行こうと車を運転していると何だか胸の辺りがモヤモヤして来ました^ ^まぁ、いけるっしょ と走り続けているとそのモヤモヤがどんどん広がって来て
身体中から油汗が 吹き出して来ました^ ^
「これはさすがにヤバい」と思って途中で引き返したのですが心臓がなんだか止まりそうな感じになったので急いで路肩に車を止めました
普段からいつ死んでも いいと本当に思って いましたが いざ身体の不調や 苦しさに襲われて これはもしかすると 死ぬかもしれないと 思った瞬間 単純に「怖い」と 感じました^ ^そしてその怖さと苦しさがピークを迎えた瞬間にふと僕の中を鮮烈な気づきが走りました 毎回気づきの瞬間は 共通していてどこからか「声」のようなものが聴こえてくるんです
聴こえるというより 自分の内側に響き渡るという方がより正確ですな^ ^
そして「声」と言っても何か言葉が聴こえるというわけではなく一種の感覚を伴う
エネルギーが響き渡るという感じなんです
まぁ、そんな風な「気づき」なわけですが今回の「気づきの声」を言葉に翻訳すると
こんな感じでした「ねぇ、あなた」「今死んでも全然いいのよ」不思議なことに
その声を聴いた瞬間 全ての怖れと苦しみが 嘘のように消えたんです
そして今度は打って変わって「喜び」が溢れて来ました^ ^
その「喜び」を感じながら外の景色に目を向けると また「声」が聴こえて来ました
「この世界は仮の宿なのよ」 それからしばらくの間僕は完全に「身体感覚」を失って
しまいました
この世界に存在している感覚が薄くなり身体が全く自分のように感じられないのです^ ^
自分の手を見ているのに「自分の手」だという認識に繋がらないのです
何か他の人の手を見ているような感覚でした
ただそこに一切の怖れはありませんでしたむしろこの世界は「仮の宿」であるという
実感と共にあらゆるものへの「執着」が消えて行きました
お金も車も家も 家族も友人もこの肉体も 全ては束の間「仮の宿」にいるための
しつらえにしか過ぎないと本当に感じました そして同時に だからこそ「愛することしか出来ない」とわかったのです^ ^
こんな束の間に過ぎない「仮の宿」にいる時間を「怒り」や「怖れ」で満たしているほどの
愚かさは無いと感じたのです^ ^
死への怖れというものを受け入れた時 この世界でやるべきことはただ一つだとわかりました
それは「愛すること」それ以外は全て「愛するため」の材料でしかないのです
そして今回聴こえてきた「死んでもいいのよ」というあの声を僕はこれから先 忘れることは
無いでしょう これほどの 救いと自由の言葉を 知らないからです
人はいつ死んでもいい むしろその自由 と覚悟無くして どうやってこの「仮の宿」である人生を楽しむことが出来るでしょう?
死に脅え 死を遠ざけながら 本当に生き生きと生きることは出来ません^ ^
死をきっちりと生の中に取り込んだ 時にだけ 人は怖れることなく 生きることが出来ます
死ぬ日が来たら 死んだらいいんです^ ^
そしてそれまでは命の限り愛しましょう^ ^
ただ生き続けることなんて 愛することに比べたら何の価値もありません😊
我々の「生」は愛を実践するために与えられたのです だから本当に自分や他者を
愛した時 あなたは 間違いなく「ああ、今死んでもいい」と感じるはずです^ ^
なぜならそれが「生きる」ということの最大の達成だからです
どこまで行っても愛が全てなんです😊
てなわけで皆さまも素敵な愛の旅路を✨ワハハ🌈らぶ💓
Facebookあいことばさん投稿記事
当たり前のことが、実は凄いことだということに気付くお話です♪
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「薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花咲ク。 ナニゴトノ不思議ナケレド」これは北原白秋の詩ですね。
薔薇の木に薔薇の花が咲く。不思議なことはなにもありません。
「当たり前じゃないか。薔薇の木に柿がなったらどうする?」と叱られそうですが、 薔薇の木に薔薇の花が咲く。
こんな当然のことに、 「よくも間違えないで古来から何度も繰り返してきたものだ。
命というのはすごいなあ」 と白秋は畏怖の念をもって薔薇の木を見つめていたのではないか、と思うのです。
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「腹を括れば道は拓ける」煩悩和尚の人生を変えた、空海の言葉。吉川政瑛 著
マガジンハウスより
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普段何気なく見ている景色も、何気なくする会話も、何気なく一緒にいる人も、 よくよく考えてみると、素晴らしい景色だったり、すごく学びのある会話だったり、素晴らしい人物だということに気付く瞬間があります。
僕は、人と会うときに気を付けていることがあります。
それは、初めましてでも二回目でもよく会う人でも、年上でも年下でもなんですが、 この人は大物だ!もしくは、将来大物になる!という前提で会うのです♪その前提で会話するんです(😊)bそうすると、いろんな気付きと学びがあるんですよ♪
実際、間違いなく僕よりはみんな凄いんで、そう思うのも当然なんですけど、やはり良いところが見えるようになるんで、おススメです(😊)v
ある本に書いてあったことを思い出しました。
その方は、病院でガンを宣告され、その帰り道の風景を綴っていました。
いつも通っている道なのに、生えている雑草も、川の水も、小石さえも、輝いて見えたと・・・
家に帰って、奥さんの顔を見たら、神々しく仏様のようで、涙が溢れたと・・・
何気なく生きた一日も、余命を宣告されてからの一日も、等しく輝いている一日にしていきたいですね。 ※魂が震える話より
https://www.maemuki-k.com/entry/2022/02/12/193000 【本当の自分を知るには〜潜在意識の扉】より
三連休の中日の今日もいいお天気で、穏やかな時間が流れています。私は今日もお仕事でセッションやヒーリングの一日でしたが、忙しいはずなのに、なんとも心解れる優しい気分を感じています。
毎日色んな方のセッションをさせていただき、お一人お一人のターニングポイントとなる気づきの瞬間をご一緒させていただき、ジーンとします。
「あ、そうだ、私ずっとそう思っていたのだ・・・」とご自身が気づいていなかった自分の内側に気づく時、瞬時にエネルギーが変わります。そのことに気づいた時に、多くの方が涙を流されます。「自分が泣くとは思わなかった」「テッシュの山ができた!」と終わってから言われることもよくあります。
そうした気づきは私や誰かから言われて頭で知っても意味がなく、何も変わりません。
自分の深い部分で、そこに何かがあると感じ、その何かがわからなくてもそこに意識を向け、
そこから感じる感覚に導かれて紐解いていくと、「あ、そうか。私が知りたくて気づいていなかったのはそれだ」とストンとハートでわかります。
「自分の深い部分にある何か」は、頭で考えてもわからないものです。
頭で考えてわかることなら、もうとっくにわかっているはずですから。
それを頭でああでもない、こうでもない、と考え、分かろうとして、でも分からなくて・・・
となるものですが、分かろうとしても分からないものなのです。
何故ならその分からないものは潜在意識にありますから。自覚できるならそれは顕在意識ですから。分からなくて当たり前なのです。
ではどうすればいいか?と言いますと、分かろうとするのではなく、感じることです。
こうなってこうだから、こうなっているのだ、のような、原因と理屈を頭で探しても、
本当に深い部分にあるものは見えてきません。
意識の浅いあたりにあることなら、何かのきっかけでそれにつながることがあるかもしれませんが、意識の奥深くにあるものは頭で論理的に思考しても無理でしょう。
意識の奥底に長い間沈んだまま持ち続けていることを意識につなげるには、心や頭を沈めて、リラックスして、その何か分からないけれど何かがあるような気がする、その感覚に意識を向けています。それを知ろう、分かろうとすることを手放し、ただその感覚を味わっています。
そうしてそこから少しずつ浮かんでくることを糸口として、ゆっくり一つずつ紐解いていくと、その奥に沈んでいたもの、知りたくて、でも知りたくなかったことに繋がります。
頭では知りたい!と思っていても、潜在意識では知りたくない、と思っているのはよくあることです。
辛過ぎて、悲し過ぎて、痛過ぎて、怖過ぎて、惨めな自分など見たくなくて、そんな自分を知るととても生きていけないような気がして、だから潜在意識で見たくない、と思っているのです。
これはセッションをしていてもそうで、そう思っているとそのままでは出てきません。
ですからセッションの本題に入る前に、必ず潜在意識にそのことを確認します。
そして潜在意識の本当の声を聞くことにOKが出るようにエネルギーやチャクラを整え、
潜在意識レベルに波動を合わせ、その扉を開くことを本人が受け入れるように促します。
これは私がエネルギーやチャクラを整えたり、潜在意識に繋がって波長をシンクロさせ、
ハイヤーセルフからのメッセージをお伝えしたりして行っていますが、私が魔法のように瞬時に切り替えるということではなく、例えば西洋医学で悪いところを手術で取る、のような、
テクニックや手法でやっているという感じではなく、もっとホリスティックなことで、毎回その人に合わせてインスピレーションに沿ってやっていて、私の感覚では共同作業のような感じです。繋がりやすい人もいれば、潜在意識レベルでの拒否が強い人もいて、それによりかかる時間も違います。
そうして潜在意識がそれを表に出すことを受け入れてからセッションの本題に入っていきます。ここまでサラッと進む人もいれば、時間がかかる人もいます。
抵抗が強いということは、それだけ普段からそのことから目を背けていたり、辛過ぎて絶対に知りたくないほどのことだったり、頭、思考が優勢で、意識から離れて生きていたりすることの違いですが、そうであるなら、なおさらそれを見ることは大きな意味があるでしょう。
潜在意識の奥底を出していくことがOK状態になり、扉が完全に開いていると、
その後スムーズに今ある問題について根底にあるものを知り、そこから気づきが起こり、
「ああ、私が見ていなかったことはこれだったのだ」とストンと納得し、それを手放したり、癒したりでき、すると瞬時に波動が変化し、もうその人のエネルギーが始めとは全然違うものになっています。
でも扉を開けることに恐怖心が強い人や、もう何十年もずっと閉じたままで生きてきた人は、
(自分ではそんなことは無自覚で分からないものですが。)まず扉を開けることが大きなテーマになりますし、
一度開いても、頭では知りたいと本当に思っていても、潜在意識では見たくなくて避けて、
問題が確信に近づくと扉が閉じてしまうこともあります。
そういう人の多くは、感覚に意識を向けていることが苦手で、それを退屈だと感じたり、分からないからと避けたがります。
そういう場合は、まずは問題をすぐにどうこうしようということより、まずその本当の自分を見ることを受け入れる、ということをテーマにして、セッションで掘り下げて行ったり、
ゆっくり少しずつ大丈夫なんだということを頭ではなく、潜在意識レベルで学んでいくことが大事です。
ここでいう学ぶとは、方法を使って知る、ということではなく、大丈夫なのだと小さな経験を重ねたり、インナーチャイルドを癒したり、頭のおしゃべり、思考することを手放すようにしたり、というようなことです。
とても人見知りで怖がりな小さな子供に、心を開いてもらえるように優しく話しかけたり、微笑んだりする、という感じです。
あとは瞑想を毎日続けることです。瞑想をしている方は、ご自分ではうまくできていないと思っていても、やっていない人より潜在意識の扉が開きやすいです。
そうして扉を開いても大丈夫なのだということを学び、回数を重ねて慣れ、スムーズにそれができるようになってくると、普段から潜在意識とのつながりがスムーズになってきます。
すると日常の問題やモヤモヤすること、うまくいかないことなどがあった時に、頭でどうしてだろう、何故だろう?と考えるだけではなく、頭で考えても分からない、どうにもならないことに対し、意識を向け、そこからインスピレーションを受け、(瞑想をすると効果的です。)
その根底にあるもの、自分が見る準備ができたけれど、まだ見ていないものに繋がりやすくなります。
そこの繋がりがいいと、問題が複雑になりにくく、解決も早いです。
私はそうして毎日様々な方の深い部分につながることをしていて、お一人お一人の深い気づきの時に立ち会わせていただいていますが、長年つっかえていたこと、大きな重荷から自由になった瞬間、パーっと波動が変化し、軽やかになります。
その時、その変化をにまるで一緒に体験しているようでジーンとして感動します。
もちろん私は神様ではなく人間なので、いつもパーフェクトにそれを起こせるというわけでありませんが、でも多くの方がセッションで大きな気づき、発見があったことを心から喜んでくださり、このお仕事をさせていただくご縁が繋がったことに感謝でいっぱいになります。
私は基本的には、できるだけ自分で自分のケアをできるといいと思っていますが、どうしても自分では難しいこと、自分では見えない、掘り下げられないこともあります。
自分をどんなに色んな視点から見ようとしても、それは自分の波動の中でのことで、その外のことは分からないものなのです。
そんな時にセッションを使っていただき、苦しみ過ぎないで、悩み過ぎないで、次のステップに進んでいっていただけるといいなと思っています。
セッションやヒーリングでも、セミナーやブログ、YouTubeでも、私とご縁が繋がってくださる皆様に感謝です。
みなさま、明日も心軽やかな笑顔の一日となりますように(^^)
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