諺から考える健康学

Facebook藤井 清史さん投稿記事

【諺から考える健康学 94】

『彼も一時此も一時(かれもいちじこれもいちじ)』という諺があります。

これは、「あの時はあの時、この時はこの時であり、事情の変化に従ってけ最適の道をとるということ。さらに、栄枯盛衰も一時限りということも指す」という意味合いです。

昨今、政治資金問題で派閥の解体のことが取り沙汰されておりますが、「何か明るみに出れば対応して信頼回復を」ということなのでしょうが、今さらそんなことをしたところで、だれも信頼など出来ないな、という感は否めません。

当事者たちからすれば「彼も一時此も一時」で、迅速に対応しているつもりなのでしょうが、はじめから殆ど信用されていない状況ですから、何をしたところで大差はないような気が致します。

そんなことを考えるくらいなら、「中身」をもっと吟味していただきたい限りです。

政治家の集団において、各個人個人の政策に違いがあるのは否めません。逆に、みんながみんな、同じことしか考えていないなら、その国の発展はないでしょう。

より良い国にするための政策を切磋琢磨して拾捨選択していくことが大切であると思います。

そのための派閥であるなら、何の問題もないのではないでしょうか?

本来の『国民のためのより良い国造りのための政策集団』に中身を立ち戻っていただきたいものです。

これも一人一人の政治家の思いで、実現させることは、不可能ではないはずなのです。

しっかりと、襟を正していただきたい、と私は思っています。

皆様はどうお考えでしょうか?健康においても如り、であります。

過去の病気に囚われたり、また、将来に健康不安を感じて、イタズラに今、慌てたりしていることは多々あるのではないでしょうか?

過去に体を害しからと言って、またその様になったり、歳を重ねていくと周りの人が病気がちになっていくのを見て、自分もそのようになる、とは全く言えないのですね。

その様な可能性は無いとは言いませんが、必ずそうなることは、確定ではありません。

そんな、未確定な不幸な事案、不安事項に焦点を合わせて、その様な未来を引き寄せる必要性は毛頭無いのです。

そんな無駄な時間を過ごすくらいなら、先の政治の時と同じ様に『襟を正して、今の健康生活を考える』ことが、未確定な未来の健康を手に入れる唯一の方法なのです。

今、健康である事に感謝し、それをいかに維持していくかを考えている方が、必ず明るい未来が待っています。

諺通り、事象の変化に従って柔軟な心で、自分を最適化していくことが大事なのです。

不幸な事象に合わせて最適化いく必要は全くありませんし、それは最適化とは言い難いことですので…。

【諺から考える健康学 95】

『人参で行水(にんじんでぎょうずい)』という諺があります。

これは、「高価な漢方薬の朝鮮人参を浴びるほどたくさん飲む意から、金銭を惜しまずに、あらゆる手を尽くして治療することのたとえ」のことです。

「子育て支援に、健保料を微増させて財源を確保する」

ということに、巷では論議が交わされてきますが、そもそも、子育て支援をしなくてはならなくなった背景には、政治の失敗があるのではないかと私は思います。

何だかんだいって、国の人口は国力に比例します。

その人口が減少していく事に関しては、30年以上前から明確だったのではないでしょうか?

それに対して、何の抜本的な策も功じず、行き当たりばったりの支援しかしてこなかった、言わば、「票取り支援」しかしてこなかった政治の失敗に他なりません。

今回の子育て支援に関してもそうなのだはないでしょうか?

私は、子育て支援をすることの是非ではなく、はたまた、その微収方法の是非ではなく、そもそもの「抜本的解決の無策」を問うべきではないのかなぁ、と思っしまいます。

諺通り、お金をかけてあらゆる手を尽くして治療したとしても、目的が間違っていたら無駄にしかなりません。

人参は万能ではありません。

正しい用い方をしなければ、いくらお金をかけたとしても、治療の効果は得られないのですね。

政治手腕においても如り、ではないでしょうか!?

人口減少を食い止めるための抜本的な解決案が無いのに、いくら行き当たりばったりで支援したところで人口減少は食い止めることは出来ないでしょう。

未来に展望がない、衰退しか見えない国に、頑張って子孫を残していこうと考える人は、少なくなって当然です。

そこから、スタートして考えなければならないのでは!?と思うのは、私だけでしょうか??

皆様は、いかがお考えでしょうか?健康においても如り、であります。

まさに諺通り、あらゆる手を尽くして治療にあたる方は数多くみられます。

しかし、あらゆる病気になった原因を考え抜く人は、そう多くありません。

拙書「心主身従」でも、詳しく論じておりますが、病気になるには「病気を引き起こす心」というものが必ず存在します。

ここを見ずして、病の抜本的解決はあり得ません。

財産を投入して、一つクリアしたとしても、また次なる病が訪れて来るのですね。

自らの心を深く見つめ、深く考え、病の源となる自らの心のあり方探ることは、一円もかかりません。

しかし、財産を投入するよりも正念の要ることでもありますし、苦しいことでもあり、ある意味、大変なことでもあります。

でも、これを行じ、実行できたなら、人生の宝を手に入れることが出来るのですね。

病の本当の意味を知ることができ、かつ、人生の意味を知ることが出来るのでは、ないでしょうか!?

人生の根本治療、この観点が大切だと、私は常々、考えております。

【諺から考える健康学 96】

『蒲柳の質(ほりゅうのしつ)』という諺があります。

これは、「生まれつき弱く、病気にかかりやすい体質のこと」という意味です。

近年、政界を見ているとこの諺がピッタリな気がします。

政界の場合、「誘惑に弱く、悪事に手を染めやすい体質のこと」という感じでしょうか!?

ある日を境に急に代議士は「先生、先生」と呼ばれ、周りから急に持ち上げられるようになります。

そして、利権、利害を念頭に近付いてこられる人々が一気に増えます。

そうなると、よほどの政治信条がない限り、そちらに流されてしまう、というのもある意味、仕方がないのかもしれませんが、やはりある日突然「先生」となる以上、そうであってはならないと、私は思います。

これも一重に「俯瞰視が出来ない」ということに他ならないと思っています。

街のため、県のため、国のため、と言っていても、目の前の自分のためが最優先になってしまうのは、全体が見えていないことに他ならないと私は思うのです。

視点を高く持ち、上空から俯瞰視出来るなら、大きく道を逸れることはないと思います。

自らを常に客観視し、世の中を俯瞰視できれば、歴史に残る政治家として政治生命を全うできるのではないでしょうか?

車の運転でも目的地までのルートがわかっていればナビの指示が遅れて道の選択を迫られてもおかしな方向には行かなくて済むものです。

ぜひ、これから政治に携わる人々は、この視点を忘れないで頂きたい、と願ってやみません。

健康においても如り、であります。

「生まれつき弱く、病気にかかりやすい体質」であったとしても、人生を俯瞰視出来るなら、逆に無理をせず、無茶をせず、ある意味、効率的に人生航路を歩んでいくことが出来るのではないでしょうか?

病気にかかりやすい体質、というのはあながち損な体質のようにも聞こえますが、常々、自分の健康に気を配る事ができるようになりやすい、とも考えられるのですね。

下手に丈夫すぎて、無理や無茶をされる方は「志半ば」で、断念せざる得ないことにも陥りやすい、ということです。

それだけ、自らの状態を客観視し、人生という長い道のりを俯瞰視する、というのは大切なことであるのです。

反対に出来そうで、出来ないことでもあるのは確かですが「行じ難しを行じていくこと」が人生を勝利していく必勝法でもあるのではないでしょうか?

健康生活を行ずる際に、これは必須条件になると思っています。

「客観視と俯瞰視」

ぜひ、挑戦していって頂きたいと思います。

かく言う私自身も、襟を正して取り組み続けたいと考えております。

皆様は、いかがお考えでしょうか?

【諺から考える健康学 97】

『浮世の苦楽は壁一重(うきよのくらくはかべひとえ)』という諺があります。

これは、「この世の苦楽は隣り合っていて変転極まりないものであるから、苦境にあっても悲観することなく、楽境にあっても楽観は禁物であるという教え」のことです。

これは、仏教で言う「諸行無常」とも同意義であるかと思います。

科学の進歩により、さまざまな生活環境は変わりました。

10年、いや5年前から比べても、暮らしは便利になり、ペーパーレスも進み、資源の無駄遣いや、ゴミの削減なども進んでいるかと思います。

が、しかし一方では、電磁波問題や、スマホ依存などの精神疾患の複雑化などを引き起こしてしまっているのも残念ながら事実であります。

コミュニケーションが苦手な人たちが増えているのもそうかもしれません。

人間が人間らしく余裕を持って生きていくためのものが、逆に、人間を人間関係から遠ざけている面もあるような気が致します。

そんな中でも、より高みを目指し、幸福感を増していく方法を探し求めている姿勢というのはとても大切なことであると思います。

「もう、これで充分」と、立ち止まってしまった時に、転落は始まっているのかもしれません。

常に謙虚であり続ける、常に探究心を忘れずに精進し続けることが

常に変転する世界で、幸福感を持続してゆく秘訣なのかもしれません。

皆様はいかがお考えでしょうか。

健康においても如り、であります。

一つの病を克服し、2度と辛い思いをするもんか」としばらくは気をつけて過ごしていても、時間と共にまた、元の木阿弥で次の病がやって来ます。

これはある意味、「健康に対する奢り」が引き起こす業でもあるのですね。

「私は大丈夫」

「もう、元気だから大丈夫」

「少しくらい〇〇しても、大丈夫よね!?」

と、思ったことのない方はいないと思います。

しかし、そこで立ち止まって考えてみるか、そのまま勢いで進んでいくかで、先の未来は大きく変わるのです。

「いやいや、そうは言っても…」という謙虚な姿勢や、より元気な身体創りのためには何が必要なのか、を常に考えるという事が大切なのですね。

「日常に流される」という事は、常にある事であり、誰でもある事なのです。

しかし、流され続けるという事は生命に対する奢りであり、怠け心(探究心がない)であるということを、知らなくてはなりません。

まさに「浮世の苦楽は壁一重」であり、諸行は無常なのです。

「これでいいんだ」と、奢ることなく、日々、謙虚に精進する事が大切なのですね。

実に、簡単で当たり前のように思えますが、それが一番難しいことでもあります。

「有る+難しい」で「ありがたし」です。与えられた身体で幸福に暮らしていく事は誠に有り難い事なのですね。

与えられた身体に感謝して、謙虚に精進していきたいと、最近、改めて私は思っています。

皆様はいかがお考えでしょうか?


【諺から考える健康学 98】

『歯亡び舌存す(はほろびしたそんす)』という諺があります。

これは、「堅い歯はなくなっても柔らかい舌はなくならない意から、剛強なものはかえって早く減び、柔弱なものが長く生き続けることのたとえ」のことです。

最近、ようやく隣国の原発の汚染水が垂れ流しになっていた事実が浮き彫りになってまいりました。

東日本の大震災の際、福島に対してあれだけヤイヤイ言ったり、復興の邪魔立てをしていた国が、です。

何とも早、怒りを通り越して呆れるばかりです。

嘘で塗り固めているにも関わらず、それを堅固に貫き通すという、その姿勢には呆れ果てます。

なぜ、そんなところが国際社会で存在していられるのかが不思議で仕方ありませんが、これも膨大な人口による国力の為せる技なのかもしれません。

諺通り、剛強と思われているこの国が、早く新しい風の吹く新国家に生まれ変わってほしい、と切に願う次第です。

健康においても如り、であります。

「絶対この方法の方がいい!」

「絶対、この食品を摂り続ければ病気が治る!」

「絶対、絶対…」

といったフレーズは、よく耳にするでしょう。

しかし、この「絶対」という剛強な姿勢が、身を滅ぼすことは多々あるのですね。

たとえば、今流行りのマクロビなんかでもそうです。

「絶対、身体にとって自然のものの方がいい」

というのは真実ですが、それが偏りすぎて全ての病気が食生活だけに原因がある的な発想になってしまっては、偏狭過ぎるのですね。

それは、私も玄米食養コンサルタントでもありますので、より良いものを摂る大切さは、よーく存じ上げているつもりです。

確かに、現代の食生活にはかなり問題はありますが、どのような心持ちで食に接するかで、身体への悪影響は変わってくるものなのです。

逆に、その「偏狭さ」が自身を攻撃するアレルギーを呼び込んだり、正常細胞が悪性化して体を蝕む癌を呼び込んだりしてしまうのです。

『真実を知った上で、柔軟に対応する』という、諺通り、柔軟さが大切なのですね。

そして、その柔軟さを生み出すものは「感謝の心」であるのです。

あらゆるモノには、モノづくりに携わる方々が多数、いらっしゃるわけです。

食事なら、食事を作る人、原材料を作る人、店頭に売られてあるモノならそれをパッケージングする人…等など。

沢山の方々の、仕事の集大成がひとつのモノになるのですね。

それに携わる方には、「積極的に健康を害してやろう!」と考えながらしている方は、かなり少数派だと思います。

「少しでも美味しいものを、少しでも喜んでもらえるものを」と思って与えられた仕事に専念している方々が殆どなのですね。

それを「身体に悪い、これは毒だ!」的に、製造に携わる人も悪魔のような扱いをして一刀両断して排除するのはいかがなものでしょうか!?

選択するしないは、本人の自由ですから、それを摂らないことには全く批判するつもりもありませんし、良い選択でもあると思いますが、必要以上に「悪魔化」してしまうのはいささか、お門違いの気が致します。

そのお心根を、治された方がいいのではないか?と考えてしまうのは、私だけでしょうか?

もっと、柔軟な、柔らかい心を養っていくことが、社会をより良く

身体もより良くなっていく秘訣のような気が致します。

『あらゆるモノに、感謝できる心』

これを培っていきたいと、私は思っています。


【諺から考える健康学 99】

『見たと嘗めたは大違い(みたとなめたはおおちがい)』という諺があります。

これは、「見ただけと、実際に味わってみたのとは大きな違いがあることから、外見と内容がひどく異なっていることのたとえ」のことです。

最近、〇〇製薬の健康食品問題が取り沙汰されておりました。

紅麹が、発酵過程で何か健康を害するものが混ざってしまっていた、という事でした。

その道のプロなら、ましてや製薬メーカーさんなら、量産発酵途中で起こるリスクは、ある程度把握していたのではないか!?と、考えてしまいます。

まさに諺通り、見た目は「健康のため」の食品が重度の腎障害を引き起こしてしまう、という外見と中身が異なるどころか真逆の状態となってしまいました。

ただ、これは他人事ではなく、「医師の〇〇先生推奨」とか、「モニター〇〇人の検証結果」などという常套句で売り出されているモノの中にも、ここまで害がないにせよ、『益の無い」モノ、というのは沢山あるので注意しなければならないな、と思っています。

健康産業の中には、この『見たと嘗めたは大違い』は多数存在するので、皆様、お気をつけてくださいませ。

健康においても如り、であります。

見た目が、元気でハツラツとしていても、実際は病に侵されている事も多々あります。

また逆に、見た目はか細く、青白く見えて、病弱そうでも病気知らずの疲れ知らず、という方も多々おられるのですね。

これは、他人の目から見て、ということでもあり、中には自分の目から見てもそう見える場合もあります。

「気づかないうちに、こんなになってて…」というパターンがまさにここれですね。

また、「自分は体が弱いから…」と、何でも消極的になり神経質になってしまい、やりたいことも何も出来ずに日々過ごしている、というパターンもあります。

そうならないためにも、自分自身の身体の声、というものに耳を傾ける時間を取っていくことが大切です。

自分の身体が、何を訴えているのか、何を求めているのか、しっかりと把握しておくことが大事です。

思い込みや、過信、逆に過度の心配性や恐怖心、これらを一切排除して、『フラットに自分の身体の声を聴く』という時間を、習慣を身につけていくことが大事です。

心を澄まして、身体の細胞ひとつ一つに語りかけ対話すること、これが本当に大切です。

その時、大事なのが、毎日毎日、文句も言わずに働き続けてくれている自分の身体に心からの感謝、心からのありがとう、を忘れないでください。

さすれば、身体も嘘のように素直にお返事してくれるのですね。

「心を開いて、素直に自分自身を確かめる」

ぜひ、やってみて頂きたい、と思っています。


【諺から考える健康学 100『最終話』】

『春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)』という諺があります。

これは、「春の夜は気候も温暖でこころよく、そのすばらしい興趣は、短い時間が千金にも値する」という意味です。

昨今、本当にさまざまな事件、事象が起きております。

国内でも政治家の裏金問題、製薬会社の健康被害サプリ、天変地異や異常気象などなど、世界的に見れば、長引く戦争や、大規模なテロなど、この地球上でまるで「膿み出し」の様な出来事があちこちで起きていますね。

これはある意味、地球という生命体を構成する人間という細胞群がかなり病んで来ているがために、自然治癒力が働いて病を治している姿なのかもしれません。

これは、長い地球の歴史から考えると幾度もあったことなのかもしれません。

その度に、私達人間は痛い目に遭っては反省して、より良い方向へと舵取りをしてきたのではないだろうか!?と考えてしまいます。

そして、また進歩と調和の日々を繰り返し、また進歩が行きすぎては、病となり…の繰り返しの歴史だったのかもしれません。

そう考えると本当に平和な時期、調和された時期というのは、有史、また有史以前も、諺通り、本当に短い期間で本当に有難い、千金の時だったのかもしれません。

このような千金に値する時間を、少しでも多く創っていくのが、私達人間の本当の仕事なのかもしれないな、と思う今日この頃です。

皆様は、いかがお考えでしょうか?

健康においても如り、であります。

人生の中で、本当に心身ともに健康でいられる時間というのは、短いのかもしれません。

本当に諺通り、春の心地よい夜、といった感じなのかもしれません。

そこから、どう対応するか、また、どう維持していくか、これがポイントなのかもしれません。

千金に値する時間を少しでも伸ばし、ある意味、ずっと千金の時をどの様にしたら過ごせるか?

人生を「健康大金持ち」として過ごしていくかは、このことを深く理解しておく必要があるのではないでしょうか?

有難き時を、心から感謝し、その時間を少しでも長く、維持し創造することが、私達人間としての報恩行なのかもしれません。

感謝と報恩、この観点はとても大切なことであり、忘れてはならないことだと感じています。

皆さま、長きに渡り「諺から考える健康学」を拝読いただきありがとうございました😊

今回で一応、100話になるので、一旦最終回とさせて頂きます。

また、続編をやるかもしれませんので、その時はよろしくお願いします!

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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