医療と現代の医学違いは?

Facebook竹元 久了さん投稿記事  江戸時代の医療と現代の医学違いは?

昔の医者は、患者が診察室に入ってくると、まずは、聴診器を当てて診察し、検査で何か異常が出ても、生活指導によって改善していくというやり方をするのが一般的でした。

それが今ではどうでしょうか?あなたが知っている医者はどうでしょうか?

今の若い医者は、聴診器を使わず、検査の数値に異常があれば薬を使って正常値に戻すのが自分の役目だと思っている。今現在存在している医者のほとんどが、こういう医者です。

患者の検査の異常値を見つけると特に何も考えずにとりあえず薬を出しておこうということをやっているのです。

医者は、その行為に一切疑問を持たない、そもそも自分の頭で考えることを一切していない。

江戸時代までは医療の根幹は東洋医学による全身、全体的に見る原因療法(元から治す治療法)が主でした。体の養生、労わりを大切にする日常生活において習慣がありました。

食生活は一汁一菜が基本でした 粗食な生活で人々は暗くなったら寝ます 明るくなったら起きるという自然な暮らしで自然の流れと一体のリズムでストレスもとても少ない生活だったと考えられます 現代と比べ病気になる人が少なかったのです。

ですから、病気=不養生なのです。

質素な食事は体にとって負荷をかけません 研究で腹七分の食事が良いと言われています体の細胞も活性化するそうです。

精神的にも負担の大きい現代人と違い、ほんとうの意味でもストレスフリーな生活が送れたはずです。そういった意味でも体への負担は少なかったはずなのです。

不養生、体のサイクルに反する生活、ストレスをためることで病気が起きると警告の意味で使われていた言葉だと思います。

そんな江戸時代が終わり、新しく明治時代をむかえてました。

今までの生活は西洋式に変わっていった時代です 医療も西洋医学が最新の医療だと感じたと思います いろいろな器具を使って治療しますから しかし、西洋医学は戦争で負傷した人達の対処する応急処置の医療の傾向が大きくなった部分がある対症療法(薬物を使って症状を抑えるだけの治療法、根本治療ではない)主流の治療なのです今でとは逆の治療法を取り入れたことになります。

薬物治療がすべての西洋医学はトータルで病気を考えない治療法です。

日本固有の伝統文化、生活習慣 湯治、養生、思いやり、労わり、等の生活習慣を否定、病気は医者が薬を使って病院で治す近代医学の流れを作ってしまいました。

明治時代の頃はまだ、全てを薬だけで治療する考えの医師は少なかったと思いますが第二次大戦後の近代医療は薬を頼った治療がメインとなり、肉体の抵抗力、治癒能力を考えない体の悪い箇所だけ治療する極端な治療方法が世の中に定着させ、常識化させてしまったのです。

教科書に載っていることをそのまま覚えるのが得意なだけの医者に物事を疑うという発想はありません。「何故医者は、猛毒で害しかない抗がん剤を勧めたのか?」

「何故 全く効果のない薬を処方し続けたのか?」と問われた時、きっと医者はこういうでしょう。「だって、教科書にそう書いてあったから」と。  江戸時代の東洋医学


https://www.gakken.jp/kagakusouken/spread/oedo/05/kaisetsu2.html 【江戸時代の東洋医学】より

江戸後期に西洋医学が輸入されるまでの東洋医学は、人体の構造をあまり重要視していなかった。人間の健康は、五臓六腑の調和によるとした。(五臓は「心・肝・脾・肺・腎」、六腑は「大腸・小腸・胆・胃・三焦・膀胱」。)五臓六腑を支えるのが「気」で、五臓六腑の調和が崩れた状態を「病気」とみた。内科に関して東洋医学では、望(目で診る)、聞(音や臭いで判断する)、問(症状を質問する)、切(脈診と腹診)の四診が基本の診察方法だった。中でも脈をとる「脈診」と腹部に触れる「腹診」を重要視した。このお噺の「代脈」の大先生も弟子も、こうした診察方法を行っている。

舌診(舌を診る)する医者

脈診する医者

診察を終えると症状に合わせて薬剤を調合し、患者に与える。医療は基本的に、五臓六腑の調和を取り戻すための内服薬を処方した。中国から伝わった漢方薬のほか、日本独自の薬草なども薬剤として使われた。人気のある医者の玄関先には、処方薬を取りにくる人々の列ができたという。

往診先で薬を調合する医者


https://www.lab.toho-u.ac.jp/med/omori/oriental_med/column2/mainichi/20130606.html 【漢方医学と東洋医学はどう違うの -東洋医学の歴史-】より

東洋医学は5~6世紀ごろ、中国から渡来した。それ以前の医学がどんなものだったか定かではないが、民間薬や温泉療法などはそのなごりであろう。例えばハトムギはイボ取りの漢方薬(薏苡仁)だが、中国にはない日本独自の使い方だ。

「漢方医学」とも呼ばれるが、江戸時代中頃に広まった蘭方医学と区別するために生まれた名称である。漢は漢民族、蘭はオランダ。ただし蘭方医といっても基本は漢方医学で、主な蘭方医学は外科や種痘であった。世界初の麻酔手術をした華岡青洲が、麻酔薬に漢方薬を使ったことからもそのことがうかがえる。

しかし1883(明治16)年、医師の資格が 西洋医学を学んだ者のみに与えられることとなり、漢方医学は禁じられることはなかったが衰退に向かう。西洋文明に傾斜していった時代ではやむを得ない流れだった。このころから、西洋医学に対する概念として「東洋医学」という名称が登場した。ただしこれも日本独特の呼び方だ。

中国に留学した時、「東洋医学を学びに来た」と言ったら妙な顔をされた。「東洋」は中国語では日本を指す。「なぜ中国までわざわざ日本の医学を学びにきたのか」と受け取られたのだ。

中国語で「東洋参 」といえば日本産の漢方薬の人参を意味する。多くの人に「朝鮮人参」と呼ばれているが、日本でも長野や福島で栽培されている。特に有名なのは島根県の大根島 産。貴重な人参を守るために「大根栽培」と偽った事が島名の由来との事である。東洋参の品質は非常に高く、中国人や華僑の間では有名ブランドとなっている。

さて、一度は衰退した東洋医学だが、明治末には、西洋医学の偏重に対する懐疑が医師の一部に芽生え、東洋医学が再評価されるようになった。日本ではぐくまれた伝統医学として、西洋医学にはない独自性と有用性が見直されたのだ。

居酒屋で「お酒ください」と注文したら、店員に「日本酒? 焼酎? 」と聞き返されたことがある。酒と言えば日本酒と思っていたが、酒の世界も多様化したものだ。このように異なるものを受け入れ、発展させていくのは日本のお家芸かもしれない。

平成25年6月6日毎日新聞掲載-「オットー博士のなるほど東洋医学」より

東邦大客員教授 三浦於菟


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