考へる蛙つくばふエキナセア 五島高資

Facebook竹元 久了さん投稿記事  🔵最も根源的な「再生・循環」という観念

「生命は再生する」「生命は自然の中を循環していく」という、縄文人の「再生・循環」の観念は、人類史から見ても最も根源的な観念の一つ。

●死を遠ざけなかった縄文人の生き方

現在、私たちが持っている死のイメージと、縄文の人々のそれとは、まったく違うものだったと、山田さんは言います。

「現代では死は忌み嫌われているイメージがありますが、縄文人にとって死はもっと身近でした。この時代は、集落の中央にある広場にお墓を作ったり、家の中に埋葬したりすることが多くありました。広場や家に遺体をしばらく置いていた例も見られます。つまり、彼らは死や死者を恐れていなかったのです」。

その根底にあるのが、「生命は再生する」「生命は自然の中を循環していく」という、「再生・循環」の観念です。

「現代では、死は自分がこの世からいなくなる"消滅"や"無"のイメージを持つ人が多いですが、縄文人にとって、死は『自然に還ってもう一度生まれる』ための出来事でした」。

この時代の「生」の象徴といえば、生命を生み出す出産に関するものが多く挙げられます。

「土器や土偶がたくさん作られましたが、出産に関するデザインが多いんですね。土偶はおなかや腰のあたりが膨らんだだものがよく見られますが、これは妊婦をかたどったものだといわれています。

また、土器には、赤ちゃんの顔のようなものが装飾されていたり、出産時の光景を表したようなデザインもあります。土器の中に赤ちゃんや、時には成人の遺骨を入れる『土器棺墓(どきかんぼ)』という埋葬方法がありますが、これは、土器を母体に見立て、もう一度生まれ変わることを願ったといわれているんですよ。お墓の副葬品として、遺体と一緒に土偶が埋められていた例もあります」。

●全てに宿る魂は自然の中で生き続ける

縄文時代には、生物だけでなく、この世に存在する全てのものに魂(アニマ)が宿るという思想「アニミズム」がありました。縄文の人々は、常に周辺にさまざまな生命や魂を感じながら、生活していたことになります。こんな考えから「土器棺墓(どきかんぼ)」には、動物の頭や木の実などが入っていたこともあるそうです。

そんな生活において、人の死もまた、自然界に起こり得る当たり前のことの一つでした。「縄文の人々にとっても死への不安や恐怖は当然あったと思います。でも、人は死んだらいなくなるのではなく、風となり、鳥となり、星となり、自然に還って存在し続け、やがて再生する。そう考えることは、彼らにとって『心の処方箋』として機能していたと考えています」。

●再生・循環を思えばもっと豊かな人生に

縄文の人々は、私たちと同じように見たり、感じたりできるホモ・サピエンス(現生人類)でした。山田さんいわく、日本人の精神や考え方などの基盤がここにあるのだそうです。最近は、自分の遺骨を山や海に散骨する「自然葬」を希望する人も増えていますが、これも「生命は自然に還って再生する」という縄文時代の思想が、いまも私たちの心の中に脈々と受け継がれているからでは、と山田さん。

「縄文時代の死生観は、人類史から見ても最も根源的な観念の一つです。現代は科学文明が発達したにもかかわらず、経済や環境、家庭や仕事などのさまざまな問題があり、死に対する恐怖や不安を持つ人も多くいます。閉塞感を強く抱えるいまだからこそ、その観念が人々の『心の処方箋』として求められているのでしょう。自分は消滅するのではなく、自然のあらゆるところに存在して生き続ける、と思うことができれば、死の迎え方やクオリティ・オブ・デス(死の質)も、とても豊かなものになるのではないでしょうか」。

匿名


Facebook竹元 久了さん投稿記事  🔵コロナは5類、外へ出て自然免疫を!

麻生大臣がコロナは収束したといってて叩かれているが、石破氏もコロナは5類(インフルエンザと同じ)という認識を持っている。ただし、麻生、石破といった国内では最高権力に近いと思われる自民党の幹部でさえ、そうした正論でもって国内政治を動かせないのが日本という国の現実なのだ。

 昨年、安倍晋三前総理は、辞任する直前に新型コロナの指定感染症の分類の見直しをする方針を述べていました。現状、5段階のうち2番目に危険とされる2類相当になっているが、死亡率などから考えると5類にしていいのではないか、ということです。

 私はこの方針変更はとても意味があると考えていました。それだけでも、かなり現場の負担が軽減される、ということを選挙区の病院などから聞いていたからです。

 ところが、この見直し方針はその後、否定されてしまいました。

 指定感染症の分類は、それによって行政や病院ができることが変わるので、現状できる対応はそのままにしたいという行政側の思いは分からないでもありません。しかし、それによってやらなくてもいい措置まで要求している面があるのであれば、この新型コロナウイルスに合わせた対応を可能とすべきですし、それは特措法によって規定できたのではないかと思っています。

 感染拡大当初はともかくとして、1年も経過して、死亡率、重症化率、ある程度の治療法もわかってきたのですから、いつまでも「新型インフルエンザ等対策特別措置法」のままで適切だとは私には思えません。報道で「新型コロナ特措法」と言われるので、そういう特別な法律が作られたのだ、と思われている方も多いのではないかと思うのですが、実は何度か改正しているのは「新型インフルエンザ等対策特別措置法」なのです。

 そもそも疑問に思うのは、政策目標として感染者の数を減少させることを重視しているのか、医療崩壊を起こさず、重症者に対応できる医療を維持し、他の病気の治療にも影響を与えないようにすることを重視しているのか、がもはや明確ではなくなっていることです。

 私は、新型コロナウイルスに対して弱者である基礎疾患保有者や高齢者などを重点的な対象とし、重症者や死亡者をいかに減らすか、日本医療の抱える根本的な問題とも言える水平的・垂直的な機動性・弾力性の欠如をどう克服するか、が解決すべき最優先の課題であると思います。

 仮に感染者数を減少させることを重視するのなら、無作為に大量の検査を実施し、無症状の感染者の方を一定期間隔離する、という方策を取らなければならないはずです。これは私の知る限り、国として採られている対策ではありません。

 そうした課題についての対策や議論よりも、相変わらず国民に自粛要請などの負担をお願いすべきとの論調が主流であることに違和感がある旨は、前回も述べました。

 ワクチンが普及するまでの間は、人々の自然免疫力を維持・向上させることが重要なはずです。

 この点、過度の行動抑制は逆効果を生むことになりかねません。「敵」の本質を見ないままに危機を強調し、国民の団結心と協調心を鼓舞し、異論を封殺・排除するような風潮があるとすれば、それはかつて戦争に突入した時とあまり変わりがない、という批判を免れないのではないでしょうか。

 もう1年が経つ中で、メディアは何に効果があって、何になかったのか、科学的に効果的な行動変容とは何か、こういったことを検証するべきです。緊急事態宣言によって何にどの程度効果があったのか、わからないままに多大なご負担を「お願い」し続けるのであれば、国民の生活、特にその経済活動を軽視している、と受け取られても仕方ありません。

 昨年の感染流行初期には、専門家とされる方々は「外で散歩している時、広いところで運動している時などはマスクをしなくても構いません」と仰っていたはずです。

 ところが、いつからか一歩外に出たら、マスクをつけなくてはいけないという空気になりました。人のいないところでの散歩やジョギング中にまでマスクをつけなくてはならないという「雰囲気」は、いったいどこからきたのでしょうか。

 テレビを中心としたメディアでは、日々発表される都道府県の検査陽性者数のみを大きく取り上げ、「専門家」が登場してこれを論評する、ということを繰り返しています。街頭インタビューで紹介されるのは市民の「怖い」という声ばかりです。これで不安が広がらないはずはありません。

 新型コロナウイルスについて、次のようなことがどれだけ伝えられてきたのでしょうか。

・この1年でこのウイルスに関する解明が進み、治療法がある程度確立したこと、それにより重篤化や死に至る危険性は当初に比べて相当程度減少したこと

・重篤化が顕著にみられるのは自然免疫が低くなっている方(放射線治療を受けるなど)、高血圧、高脂血症、糖尿病などの方であること

・人口当たりの死亡率はアメリカの30分の1であること

・死亡者数は季節性インフルエンザの半分、ガンの100分の1程度であること

・欧米各国では年間の死亡者数も増えたのに対して、日本では2020年の死亡者数は前年よりも減少したこと

 変異株の登場によって、ある程度変わるところもあるかもしれません。

 が、少なくとも今までの報道を見る限り、こうした指摘をする医師や学者はメディアではほとんど見かけません。実際にはこうした指摘をしている専門家も存在しているのですが、あまり起用されないのかもしれません。

 少なくともさまざまなデータを冷静に比較して出すべきです。

 万が一にも不安を煽ることが視聴率のアップに繋がるなどと考えているような人たちがいるなどとは思いたくもありませんが、メディアにはいろいろな意見や情報、事実を公平に報道する姿勢を強く望みます。

 新型コロナウイルスを決して侮ることなく、「正しく知り、正しく恐れる」ことが必要です。これが当初、メディアでも言われていたことのはずです。今は「正しく恐れる」状況から逸脱してはいないでしょうか。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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