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古事記:結ばれてから育つ愛 ― スセリ姫オオクニヌシの物語にみる「共に成長する結婚」

古事記の中でオオクニヌシとスセリ姫の物語は、「愛」と「成長」がどのように結び合うかを静かに教えてくれます。

一般的な物語では、試練を乗り越えてようやく結ばれる――という筋立てが多いのに、

古事記では、ふたりは先に結婚し、そこから試練を共にくぐり抜けていくのです。

これは、私たちへの神話的メッセージなのです。愛は条件を満たして得られるものではなく、困難を共に越えることで深まり、育まれるもの。結婚とは「共に生きる学びの始まり」

スセリ姫は父神スサノオが仕掛けた試練を知りつつ、夫となったオオクニヌシを守り導きます。そこには「愛しているから助ける」という単純な情ではなく、共に生き抜こうとする覚悟と信頼があります。古代の夫婦観は、契約や形式ではなく、共に働き、共に成長する関係なのです。この結婚の形は、現代の私たちにも通じます。結ばれることはゴールではなく、むしろ「共に生きる学びの始まり」なのです。

試練はふたりを磨く鏡

オオクニヌシが挑む数々の試練蛇の部屋、ムカデと蜂の部屋、焼き野原などは

人の内に潜む「恐れ」「欲」「怒り」などを象徴です。スセリ姫が授けるヒレそして助言は、外からの救いではなく、彼の内なる和魂(にぎみたま)を呼び覚ます“智恵の光”です。

つまり、彼女は「助ける人」であると同時に、彼を成長させる鏡でもあるのです。

ふたりが試練を共に乗り越えることで、荒ぶる力は鎮まり、そこに「愛と智の統合」が生まれます。妻は“内なる智恵”、夫は“行動の力”男性的な行動力(陽)と女性的な感受力(陰)が出会い、互いを映し合い、成長させ合うとき、そこに真の「結び(むすび)」が起こります。

古事記の結婚は、ただの男女の契りではなく、魂と魂が響き合い、

互いの中に眠る“神性”を呼び覚ます道。それがやがて「国を生む力」――創造の力へとつながっていくのです。むすびの心 ― 共に成長し、共に光る

スセリ姫は、「おのれを鎮め、共に生きる力を授ける神」といわれます。

結婚とは、相手を変えることではなくて、相手と共に光るための修行の場、愛し合うふたりが互いを映す鏡となり、 恐れも怒りも溶かしていくとき、そこに「和(にぎわい)」が生まれます。愛は、完成されたものではなくふたりで歩むたびに磨かれ、変わっていくもの。

スセリ姫とオオクニヌシの物語は、結婚を「終わり」ではなく「生成(なりゆき)」の始まりとして描いています。結婚とは、魂の結び。互いを映し共に育ついのちの道なのです。

全国古事記塾主宰 今野華都子記す「抱擁」絵も華都子が描いた


古事記:「思う」「悩む」「考える」のやまと言葉に見る心の働き

人が行動を起こすとき、その始まりは「思う」ことであり、揺らぎながら「悩み」、やがて「考える」に至って、具体的な行動が生まれます。

1.思う ― 感情が芽生える

「おもふ」は「おも(面・面影)」+「ふ(生ふ・殖ふ)」から生まれた言葉。

つまり「心の面(おも)に情や像が芽生える」という意味です。

人はまず、何かを感じ、心に情景を描きます。この瞬間、いのちの内側から“芽生え”が起こり、それが祈りや願い、想いとして形を帯びはじめます。

思うとは、行動の“種”をまくこと。「君を思ふ」「神を思ふ」――どちらも、心が何かと響き合いはじめる瞬間です。

2.悩む ― 和を求める揺らぎ

次に訪れるのが「悩む(なやむ)」という段階です。「なやむ」は「な(和)」+「やむ(止む・病む)」、すなわち「和(なごみ)を失い、内なる光が曇る」状態を示します。

しかし、それは悪いことではありません。悩みは「和を取り戻すための揺らぎ」。

濁りが現れることで、心の底に沈んでいた想いが光を求めはじめるのです。

悩むとは、和を回復しようとする生命の働き。

この段階を経ることで、人は内省し、自分の真実の声を聴こうとします。

3.考える ― 神と交わる知恵の働き

「かんがふ」は「かむ(神)」+「がふ(交ふ)」が語源ともいわれ、

「神と交わる」「神意をうかがう」という意味が秘められています。神還る。

考えるとは、単なる思考ではなく、自我を越えて天の理(ことわり)に耳を澄ますこと。

心が静まるとき、直感や閃きとして神の声が届きます。それが「感得(かんとく)」です。

このとき、人は「どう動けばよいか」を悟り、自然と身体が動き出します。

つまり「考える」は、行動を生む“神と人の交わり”の瞬間です。

4.和する ― 行動に結ぶ

「思う」ことで情が芽生え、「悩む」ことで和を求め、「考える」ことで神意を得る。

この三段階を経て、人は「和する(悟る)」に至ります。

それは、心と行いが一つになる状態。思いが形となって動き出す時です。心が動けば、世界が動く行動とは、外から押し出されるものではなく、内なる“思い”が熟して外に溢れ出すもの。

やまと言葉に宿る三つの響きは、私たちの内側で常に循環して人の成長も、祈りも、創造も生まれます。全国古事記塾主宰 今野華都子記す

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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