https://www.odonata.jp/calendar/september07/index.html 【稲作とアカトンボ】より
写真1.山のふもとに広がる,収穫間近な水田地帯.
日本人の感覚として,田舎-農村-水田地帯という連想をする人が多いのではないかと思います.そしてアカトンボは農村で見られる代表的な昆虫と位置づけられてきたと言ってよいでしょう.つまり,水田とアカトンボは,日本人の(といってもある年齢以上でしょうが)気持ちの中で密接に結びついていると思います.実際,水田で育つアカトンボは複数います.その中で全国的な代表種は何と言ってもアキアカネでしょう.兵庫県でも例外ではなく,アキアカネは水田で繁殖している例が多いと思います.ただし,アキアカネが水田にやってくるのは,ふつう稲刈りの後です.
それに対してナツアカネは,稲刈り前の水田に集まって産卵活動を行います.他府県ではどうなのかあまり詳しくは知りませんが,少なくとも兵庫県南部では,ナツアカネがその時期の代表種です.こういうことから,稲が実っている時期に現れるナツアカネは,水田との結びつきをより強くイメージさせるトンボであると,私は感じています.
No.081:ナツアカネ
Sympetrum darwinianum
写真2.8月19日.低地の山裾の木陰に止まる未熟なナツアカネのオス.腹部は少し褐色味を帯びている.
写真3.8月21日.低山地の林道に止まっている未熟なナツアカネのオス.腹部や前胸は少し赤みを帯び始めている.
ナツアカネについては,6月の自宅羽化の記録がわずかにありますが,通常,羽化は7月に入ってから行われているようです.不思議なことに,私は今までナツアカネの羽化を野外で見ることがありませんでした.理由ははっきりしません.水田でも,アキアカネの羽化はときどき見かけますが,ナツアカネではまったく見たことがありません.幼虫は,6月に,水田でたくさんすくった経験はありますので,育っていることは間違いありません.ただ,アキアカネに比べて羽化が約1ヶ月遅いことが,水田での羽化成功に何らかの影響を与えているのかもしれません.あるいは羽化した成虫が,アキアカネのようにしばらく近所にとどまらず,すぐに遠くへ移動してしまうのかもしれません.
羽化に加えて,未熟な個体を見る機会も意外と少ないです.私がトンボ歳時記を始めてからの10年間で,未熟な個体が生活している時期と考えられる7月の目撃記録はゼロ,8月の目撃記録は2例だけです(写真2,3).ずっと以前,1989年8月1日に一度だけ,山裾の空き地にたくさん群れているナツアカネの未熟な個体を見たことがありますが,これは今から考えると非常に珍しいことだったように思えます.図鑑の記述*1によりますと,「羽化水域からあまり遠くない木立などに分散して生活」と書かれています.極めて普通種なのに,未熟な時期をどこでどうして過ごしているのか,意外と観察できないトンボです.
さて,消長図を見て分かるように,ナツアカネの目撃数は,9月中旬以降に増加します.稲穂が実る水田での産卵活動が行われる時期です.
ナツアカネの消長図
*1.杉村光俊・石田昇三・小島圭三・石田勝義・青木典司,1999.原色日本トンボ幼虫成虫大図鑑.北海道大学図書刊行会.札幌.
写真4.9月26日.山裾に広がっている,稲が茂る水田で,連結打空産卵を行うナツアカネのペア.卵が落ちているのが白い点で見える.
写真5.9月26日.稲穂の間にもぐり込んで産卵を続ける.
写真6.9月26日.左は卵が落下しているのが見える.
写真7.9月26日.腹端から卵が数珠のように並んで出てくる.
写真8.9月26日.稲の高さよりかなり高く舞い上がって産卵することもある.卵が高いところから落下している.
ナツアカネは,写真のように,実る稲の上で連結打空産卵を行い,稲の上に卵をパラパラとまき散らします.稲の中に深くもぐりこんだり,上空へ少し離れて飛んだり,色々です.産卵を見ていると,稲穂の「水面」をふわふわと浮かんだり沈んだりしているようです.産卵が終わるとオスはメスを放します.そのとき,単独でぶらぶらしていたオスがメスを捕まえ,稲の葉に止まって交尾に至ることがあります.ふつうのペアが水田にやって来る時にはすでにタンデムになっていますので,産卵前の交尾は,周辺の林縁などで行われているのではないかと思われます.
Video:
ビデオ観察記録
水田で産卵するナツアカネ
写真9.9月26日.メスと出会うことができず,単独で飛び回っているオス(右上)が,産卵が終わって放されたメスと,水田で交尾している.
さて,水田と結びつきが強いナツアカネですが,最近は水田でこのように産卵するナツアカネを見る機会が激減しました.同じ水田生活者のアキアカネが激減した理由として,農薬の種類の変化が指摘されています.この影響はナツアカネにも当てはまることは疑いもないことだと思われます.これが水田での産卵活動の観察機会の減少につながっていることも,おそらく間違いないことでしょう.
では,最近ナツアカネが見られるのはどういった場所かといいますと,それは,湿地の縁に広がる草地,池の畔の草地,湿地の草の上などです.大昔,まだ人類が水耕栽培を行う前に生活していた場所に通じるのが,こういった環境なのかもしれません.このような環境はそう多くはなく,したがってナツアカネも,繁殖行動の観察が少し難しいトンボになりました.
写真10.9月14日.池のまわりを取り囲む堤に生える草地の上で,産卵をするナツアカネのペア.背景が水面であることが分かるであろう.
写真11.9月14日.きちんと卵を落下させ,産卵をしていることがはっきりと分かる.
写真12.9月23日.湿地横の草地で連結産卵をするナツアカネのペア.
写真13.9月23日.あちこち移動しながら産卵を続けるナツアカネのペア.
写真14.9月23日.湿地横に広がっている草地で産卵する.ここはノシメトンボが産卵するような場所でもある.
写真15.9月11日.連結産卵していたものが単独に移行したメスが湿地で単独産卵している(左).放卵時に腹部先端を軽く振っている(右).
以上紹介しましたように,ナツアカネは草の上で産卵する性質があります.でもこの性質は,時にナツアカネの判断を誤らせるようです.湿った芝生の上で産卵しているのを見たことがあるのです.陸上に産卵するトンボは,そこにやがて水がやって来るのを認識しているはずですが,たまにこういう失敗もあるようです.
写真16.10月21日.公園の芝生の上で産卵活動を行っているナツアカネのペア.
写真17.10月21日.オスは芝生上に飛んできたメスを捕まえて交尾をした(左上).その後,芝生の上での産卵を開始した.
ナツアカネはこのように9月中旬に産卵する姿がたくさん見られます.しかしその後も産卵は続きます.10月に入っても,上の芝生上での産卵のように,あちこちで産卵が見られます.さらに11月に入ってからも,数は減るもののまだ産卵は続きます.この時期になると,水田では稲刈りはとうに終わっており,その後転作がないところではひこばえが出ています.稲が実る水田とは違いますが,ひこばえのある水田で産卵する姿も,水田を生息場所とするナツアカネの生態として興味深いものがあります.
写真18.11月20日.11月下旬,転作が行われない休耕期の水田.ひこばえが生えている.こういったところにもナツアカネは産卵にやって来る.
写真19.11月20日.卵が落下するところが見えるので,きちんと卵を産んでいることが分かる.ナツアカネはいっときに2粒卵が落ちることがよくある(左).
写真20.11月20日.快晴の昼下がり,13:36,気温が最も高くなる時間帯に,ひこばえの間で産卵をする老熟ナツアカネのペア.
この11月20日の産卵(写真18-20)はかなり遅く珍しいもので,産卵としてはもう最後の方のものと思われます.11月下旬以降,他の多くのアカトンボと同じように,後生殖期,つまり老後を2,3週間過ごして,12月中旬ぐらいには姿を消していきます.私の記録としては12月5日というのがもっとも遅いものです.
写真21.11月25日.日向で憩うナツアカネのオス(左)とメス(右).
写真22.12月5日.私のもっとも遅い記録.ナツアカネのメス.
https://www.odonata.jp/archives/2009/20090926.html 【No.110. 稲穂の上で産卵するナツアカネの観察.】より
ナツアカネの産卵を見に行ってきました.ナツアカネは極めて普通のアカトンボで,この時期ならどこに行ってもあちこちに止まっているトンボです.ですから,貴重な秋の晴天の日をナツアカネの観察に使うというのは,トンボ屋としてはそれなりに勇気のいる??ことです.でも私は稲穂の上で産卵するナツアカネの姿がとても大好きで,稲刈りもそろそろ終わってしまうし,今日は予定のマイコアカネを振って,市内の,昔たくさんいた所へ様子を見に行きました.
▲観察場所.山が近くにある水田.半分くらい稲刈りが終わっていた.
初めのうち,水田の中程で産卵する個体が多かった.
10:00頃に現地に入りましたら,オスが単独で稲の上を飛んでいました.「これはまだいける」と昔の観察地が今も健在である感触を得ました.もうすでに産卵を始めているペアもいましたが,交尾態で稲の上を飛ぶペアも見られました.交尾は飛びながら行うことが多いですが,稲の葉に止まることもしばしばです.
▲稲の葉に止まって交尾するペア.
そうこうしていると,あちこちで産卵の姿が見られ始めました.でも,水田の中程で産卵するペアが多く,短いレンズでは小さくしか写りません.ちょっといやな予感もしましたが,まあ,辛抱強く近くで産卵するペアを待ちました.ほどなく,水田の縁の方にやってきて産卵するペアも出てきました.
▲稲の間で産卵するナツアカネのペア.
ナツアカネの産卵は,腹部をだらんと下方に下げた感じで,ほんとに小さく上下動しながら卵をばらまきます.たくさん写真を撮ると,落下する白い卵がうまく写り込んでいるものがあります.
▲卵がメスの腹部先端から落下しているのが分かる.
上の写真は相当の高空から卵を落としている.
11:00を過ぎると,不思議と産卵するペアの数が減りました.ナニワトンボ,マダラナニワトンボ,リスアカネなどは,12:00前後が産卵のピークですが,ナツアカネは少し早いようです.
▲いつまでもナツアカネのこの姿が残って欲しいものである.
11:20ころには観察を打ち切り,今日振った市内のマイコアカネの生息地へ行ってみましたが,池の水が落とされて,マイコアカネは姿を見せませんでした.
https://www.odonata.jp/calendar/august07/index.html 【毎年南方から飛来するトンボ】より
写真1.街中にある都市公園の噴水池.
ウスバキトンボは,私たちの身の回りにいるトンボの中でもっとも目に付きやすいトンボの一つでありながら,謎もまた多いトンボです.兵庫県では幼虫が冬を越せないと考えられています.したがって,冬にいったん全滅してから,次の年また南方から飛んでくるという生活を送っているということになります.ウスバキトンボが洋上を飛ぶことは,船乗りの証言でも明らかです.私は,ホームページを通じて,沖ノ鳥島で採れた標本をいただいたことがあります.ウスバキトンボを手に取ってみれば分かりますが,身体はうすい表皮でできており弱々しく感じられ,とても軽いのです.それに対して,後翅の幅は広く,滑空に適した体をしています.おそらくエネルギーをほとんど使わず,風に乗って長距離を移動する能力を持っているのだと思われます.
消長図を見れば分かりますが,春,4月の中旬から成虫の姿が見られ始めています.私は4月28日の成虫目撃記録を持っています.その後6月くらいまでは少数の目撃が続きます.ところが,6月下旬から7月にかけて一気に目撃例が増加しています.その後多い状態が10月上旬まで続き,10月後半に急激に減少して,11月中には姿が見られなくなります.この消長図と,飼育による卵・幼虫期間がそれぞれ5日,34日(関西トンボ談話会,1984)であることから,4から6月の少数の目撃個体は南方から飛来した第一世代と考えることができ,6月下旬から7月にかけての激増は,それまでに飛来した子孫が羽化した第二世代と考えることができます.
ウスバキトンボの消長図
写真2.7月10日.羽化直後のウスバキトンボのオス.第二世代の個体だと思われる.
写真3.左:7月13日,右:7月21日.第二世代と考えられるウスバキトンボのメス.
ウスバキトンボの幼虫は,ふつうに幼虫収集を行っているときには,ほとんど網にかかることがありません.「ふつうの幼虫収集」というのは,できるだけたくさんの種類の幼虫を数多く採集できるように,トンボがたくさん見られる池で行われることが一般的です.つまり,こういった池ではウスバキトンボの幼虫が見られないのです.
ウスバキトンボが多く見つかる場所としては,まずは学校のプールがよく知られています.一時,プールのヤゴ救出作戦というのがよく行われました.これはプール開きを前にプールを清掃をするとき,そこに育っている幼虫をすくってトンボ池などのビオトープに放して救出しようという取り組みです.私も,何度か参加させていただきましたが,タイリクアカネやコノシメトンボに混じって,ウスバキトンボもたくさん採れました.プール清掃は6月に行われていましたので,これはちょうど第一世代が産下した卵から育った幼虫で,第二世代のものと考えてよいでしょう.
もう一つは,田植えのために水を張った水田です.水田からウスバキトンボが羽化することはよく知られています.それ以外には,写真1のような都市公園の人工池で育っています.私はある植物園の入口にあるコンクリート製の人工池で,8月22日に羽化殻を採集したことがあります.また神戸でベッコウトンボが消滅した池がありました.ここはものすごくトンボの豊かな沼でしたが,阪神淡路大震災で池が崩壊し水がなくなりました.ほとんどのトンボが死滅したと考えられた後に一時的に水位が上がり,そのときにウスバキトンボが大発生したのを見ました.
これらから推察できることは,競争相手となる他のトンボがいないところに産卵され,幼虫が育つということだということです.いわゆる一時的水域の生活者に分類されるトンボといえるでしょう.
写真4.10月29日.おそらく第四または第五世代ぐらいになると思われるウスバキトンボの幼虫.しょっちゅう干上がる河岸の水たまりで採集された.
ウスバキトンボは,別名,盆トンボとか精霊トンボとか言われることがあります.これはちょうどお盆にあたる8月の中旬頃に,稲の茂った水田の上を群れて飛ぶ姿が見られるからでしょう.これは多分第三世代が羽化した個体だろうと思われます.また,高校野球の準決勝・決勝戦が行われている時期に,甲子園のグランドを群れ飛ぶウスバキトンボが,テレビ画面で確認できたりします.
写真5.8月12日.水田の上を群れて飛んでいるウスバキトンボたち.まさにお盆のころによく目立つトンボである.12頭写っている.おそらく第三世代.
ウスバキトンボの繁殖活動は,成虫個体数の多さから考えると,意外なほどチャンスがありません.ただ交尾はときどき目撃します.野外の観察フィールドだけでなく,自宅前の道路で群れているウスバキトンボの中に,交尾したペアが混じって飛んでいるのを目撃したことがあります.ウスバキトンボの交尾は,飛翔しながら交尾する他のトンボたちが力強く飛び回るのに対し,ふわふわ空中に浮かんでいるように見えます.なぜなのかしばらくは気づかなかったのですが,写真に撮ってはっきりしました.交尾飛翔中,メスが羽ばたいていないからなのです.
写真6.左:8月14日,右:7月27日.ウスバキトンボの交尾.左の写真で分かるようにオスは羽ばたいているがメスは羽ばたいていない.
産卵は連結打水産卵で,特別に変わったものではありません.しかし,大きな川や,湿地や,公園の池や,産卵環境はさまざまです.時には自動車のボンネットに産卵することがあります.反射光を水からのものとまちがえているのかもしれません.
写真7.9月5日.大きな河川で,堰で水が滞っている場所で産卵するウスバキトンボ.
写真8.7月27日.タンデム状態で湿地に産卵にやって来たペア.
写真9.7月27日.湿地を行き来しながら,打泥場所をさがすペア.
写真10.7月27日.打泥するところは,やはり泥の表面を水がおおっているところである.
飼育による卵期間5日,幼虫期間34日,それに産卵が可能になるまでの未熟な期間を他のトンボと同じくらいで10日前後として,これらを加えて仮に一世代最短50日としてみましょう.すると,5月初めに飛来し産卵した子孫は,6月中旬に第二世代が羽化し,次に7月下旬に第三世代が羽化してきて,第四世代は9月中旬に,そして第五世代が10月下旬に,それぞれ羽化してくることになります.しかし消長図からは,11月にはほとんど成虫は見られませんから,この次の世代は見られないということになるでしょう.つまり計算上では最大第五世代まで見られる可能性があるということになります.
しかし消長図によれば,実際には6月下旬から7月上旬に数が急激に増えていますので,これを第二世代と考えるべきでしょうから,8月中旬のいわゆる盆トンボといわれる未熟成虫集団が第三世代,そして9月下旬の第四世代くらいまでが成虫として出現し,第五世代は卵か幼虫の状態で死滅するというのが最も多いパターンではないでしょうか.
写真11.7月24日.翅がやや褐色になっており,クモの巣もかかっているので,成熟しているようだ.おそらく第二世代.
写真12.8月18日.まとまってウスバキトンボが止まっている状態(左)と,広場で摂食飛翔する旋回中のメス(右).おそらく第三世代.
写真13.左:9月11日,右:9月27日.おそらく第四世代ぐらいの成虫ではないだろうか.
写真14.10月4日.これもおそらく第四世代の個体であろう.
写真15.11月21日.異常に遅く羽化した個体(右)とそのときに同じ場所で見つけた幼虫(左).おそらく第五世代になると思われる.
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