https://miho.opera-noel.net/archives/3909 【第八百十九夜 坂本宮尾の「畑打」の句】より
江戸前期の俳諧流派で、松永貞徳によって提唱された俳諧の流派である。談林(だんりん)の新風・異風に対して古風・正風ともいう。この頃には「田打」「畑打」の季語はすでに用いられてをり、貞門時代の古い季語である。
「田打」とは、稲刈の後そのままにしてあった春田の土を鋤き返し、打ちくだいてはほぐすことである。以前は牛や馬に犂(すき)をひかせていたが、今では人の手では行われず、耕耘機が普及している。
つくば山の麓では、麦畑と稲田が広がっているが、やはり、人が田打や畑打をするのではなく、耕耘機に乗った人を見かけるばかりである。
今宵は、「田打」「畑打」の作品を紹介してみよう。
■1句目
はるかなる天動説や畑を打つ 坂本宮尾 『坂本宮尾集』
(はるかなる てんどうせつや はたをうつ) さかもと・みやお
天動説という宇宙観は、今はもうはるかなものになっている。中心が太陽であるという地動説の宇宙観のもとで、太陽が登るとともに畑を耕し、日が沈めば家に帰る。今、こうしてせっせと畑を耕しているのですよ、という句意になろうか。
お百姓さんの耕しの景は、一粒ではあるが、大元をぐさっと掴んだ景のように思った作品である。「天動説」とは、今から500年前の15世紀までの宇宙観で、地球が宇宙の中心に静止し、他のすべての天体が地球の周りを回っているという説。古代・中世の宇宙観で、アレキサンドリアの天文学者プトレマイオスの考えがもとになっている。
「地動説」は、宇宙の中心が太陽であるという考えである。これを初めて大いに発展させたのがコペルニクスである。
坂本宮尾さんは、昭和20(1945)年、大連生まれ。本名桑原文子、俳人としての名は坂本宮尾。英米演劇研究者。東洋大学名誉教授。東京女子大白塔会にて山口青邨に師事。「夏草」「天為」「藍生」同人。著書『真実の杉田久女』紀伊國屋書店、『この世は舞台』蝸牛社、他。
(略)
https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=20080316,20110605&tit=%8D%E2%96%7B%8B%7B%94%F6&tit2=%8D%E2%96%7B%8B%7B%94%F6%82%CC 【坂本宮尾の句】より
春昼の角を曲がれば探偵社
坂本宮尾
季語の春昼は、「しゅんちゅう」と読みます。のんびりした春の昼間の意味ですから、「はるひる」と訓で読んだほうが、雰囲気が出るようにも感じます。しかし、日々の会話の中で、「しゅんちゅう」にしろ「はるひる」にしろ、この言葉を使っているのを聞いたことがありません。俳句独特の言葉なのでしょう。句の意味は明解です。書かれていることのほかに、隠された意味があるわけでもなさそうです。それでもこの句が気になったのは、「角を曲がる」という行為と、「探偵社」の組み合わせが、ノスタルジーを感じさせてくれるからです。先の見えない世界へ体をよじって進んで行く。「角」という言葉には、どこか謎めいていて、心を震わせるものがあります。そんな心の震えの後に、「探偵社」という古風な言い方の建物が出てきます。どことなし、怪しげな雰囲気が感じられます。古びたビルの一角に、昔の映画で見たような探偵が、めったに開くことのない扉を見ながら、ひたすら仕事の依頼を待っているのでしょうか。本来は抜きさしならない状況で、人の行為を密かに調べる職業ではありますが、この言葉にはどこか、ほっとするものを感じます。春の昼、のんびりと角を曲がったわたしは、どこかの探偵にそっとつけられている。と、罪のない想像をしながら、わたしは角を、すばやく曲がるのです。『現代俳句の世界』(1998・集英社) 所載。(松下育男)
梅雨深し名刺の浮かぶ神田川
坂本宮尾
この句の中には、気持ちをとらえて放さない言葉が3つもあります。贅沢です。季語の「梅雨」のほかに、「名刺」と「神田川」。とくに神田川と聞けば、多摩川でも隅田川でも江戸川でもなく、特別にしっとりとした抒情を感じるのは、誰もが有名なフォークソングを思い浮かべるからです。固有名詞がまとうイメージに、どこまで邪魔されずに句を詠むかという考えがある一方で、逆に、どこまでちゃっかり利用できるかを考えるのも、創作の楽しみと言えます。ただ、ここに出てくる神田川には、手ぬぐいをマフラーにして歩いている若い二人が出てくるわけではありません。川面に浮かぶ名刺から、何を想像するかは、今度は読者の楽しみとなります。リストラにあった会社の名刺なのか、昇進していらなくなった昔の肩書の名刺なのか。梅雨の雨と、さらに神田川に濡れそぼった名刺から感じられるのは、結局やるせない人生には違いありません。『現代俳句の世界』(1998・集英社) 所載。(松下育男)
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