人生という物語

Facebook東郷 清児さん投稿記事  死と向き合うこと

私が内科医として歩みはじめてから、気づけば40年近くの歳月が流れました。

これまでに看取らせていただいた方の数を正確に数えたわけではありませんが、ざっと見積もっても、おそらく800名を超える方々の「死」に向き合ってきたことになります。

ふとした拍子に、かつて看取らせていただいた患者さんの顔が、心に浮かぶことがあります。

在宅医療に携わるようになって30年余りになりますが、当初は病院勤務も兼ねていたため、看取りの場は在宅だけでなく、病院であることも少なくありません。

それでも、不思議なことに、頭に思い浮かぶのは、決まって、在宅で診させていただいた方々のことばかりです。

「なぜだろう?」——と、自分に問うてみました。

そして、私なりの答えにたどり着きました。

病院では、「死」は病気と強く結びつきます。

しかし、在宅医療においては、「死」はその人の人生と深く結びついています。

病名は忘れてしまっても、その方の表情や言葉、生き様、そして死にざまは、私の脳裏に、そして心に、深く刻み込まれているのです。

同じ病気であっても、似たような病状や検査データであったとしても、その奥にある、人生の修羅場やドラマは、一人ひとりまったく異なるものであり、私にとっての学びがそこにあることも少なくありません。

「死」は、決してひとつの「点」ではありません。

それは、日々の暮らしの延長線上にあり、その人の人生という物語の、大切な、かけがえのない最終章の中にある。

——私は、そう感じています。


https://note.com/yatasekizai/n/nd0bdd94614e2 【<最終章:その1>死があるからこそ、充実した生がある】より

「死」は誰にでも訪れます。新しい生命が生まれる一方で、死を迎える人も存在する。結局、そのようにして人間の歴史は紡がれています。そう考えると、生も、死も、極めて自然な営みにほかなりません。

ところが、私たちは、なるべく死から目をそむけ、忘れたふりをしながら生きています。そこに私は問題があると思っています。

物事には何でも終わりがあります。最終的には「死」があるからこそ、私たちは人生の目標も立てられるのだし、それに向かって努力もできます。死を前提としない人生は、目的地を持たない航海と同じように、すべてが風まかせ、気分まかせになってしまいます。

やがて訪れる「死」を考えると、今、ここで生きている瞬間、瞬間がいかに貴重であるかということもよく理解できます。その有限な時間をどのように過ごすべきかという、基本的な問題意識も生まれます。すべては、人生の終わりのときを見据えて、日々を過ごしていくべきなのです。しかし、多くの人はそのことに気が付いていないのは残念なことです。

死を直視しないで、充実した人生を送ることは不可能です。それならば、逆に死そのものと積極的に向き合った生き方をする方が賢明です。

死は、人生の集大成とよく言われますが、その通りだとも思います。「終わりよければすべてよし」とも言いますが、人間の本当の評価は、死んだときに決まります。途中経過でいかに浮き沈みがあろうと、それはあまり関係がありません。

私の人生目標は

「私が死んだとき、家族や身近な人たちによいインパクトを与えられる」というものですが、かなり、そのことを意識して時を過ごしています。

いわば死ぬことを前提とした人生目標です。

誰であれ身近な「死」を受け入れるということは、容易なことではありません。とくにその人が残された人にとって大切な人であればあるほど、なおさらです。

しかし、それを受け止めて、さらにそれを糧にしながら、成長していく。私はお墓職人という仕事を通じて、そのようなご家族の姿を数多く見てきました。

私も母親を亡くしたときに経験しましたが、かけがえのない人が亡くなった直後、遺族の精神状態は非常に不安定になります。しかし、気持ちが落ち着き、お墓も新たにつくられると、その死を乗り越えていく。とくに新しく家を引っ張っていくべき当主の方は、その自覚も芽生えて、見違えるように成長されます。そういうご家族の成長の様子を見るにつけ、

「自分の死に際しても、同じようなよい影響(インパクト)を家族に与えられれば。残された家族や友人が、僕の死を乗り越えて強く生きてもらえれば」

と思わずにはいられなくなりました。たとえ、自分自身が死を迎えても、よい意味で影響を与え続けたい。それが、この世の中に、ささやかながらも自分の痕跡を残すことにもつながるのです。

死んだらすべてが終わりという考え方は自分勝手過ぎると思います。人の親だったら、子孫をはじめ、残された家族のことも考える。結局、それが先に亡くなっていくものの務めではないかという思いも持っています。


Facebookあいことばさん投稿記事

彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。彼は昔両親を亡くして、祖父母に育てられていました。そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の祖母と二人暮らしでした。それが反対の理由でした。

「何も結婚してすぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と。結婚を申し込みにきた彼と彼の祖母にもそう言い放ったんです。

その2日後でした。彼の祖母が置手紙を残していなくなりました。

仕事から帰った彼からの電話で、私達は必死で探しました。

探して探して空が明るくなりかけた頃、彼の祖父の眠るお墓の前に座りこんでいる祖母を見つけました。歳も歳だったので衰弱し、そのまま即入院になりました。

その事がきっかけで、私の両親も私達の結婚を許してくれ結婚式はせず、すぐに籍だけをいれました。もう10年近く前の話です。祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。

その時の手紙です。○○へ(彼の名前)

ばあちゃんは本当に貴方がかわいかった。

貴方のお父さんとお母さんが死んだ時、私のこの先の人生は貴方の為に使っていこうと心に誓いました。ばあちゃんは年であるしお金も何も持ってはおりません。

貴方への愛情だけです。そして貴方はばあちゃんの事をとてもとても大切にしてくれた。

とてもとても良い子に育ってくれました。そして人生の伴侶となるべき相手を見付けました。

でもばあちゃんがそれをじゃましているんだね。幸せになってください。

ばあちゃんは貴方を育てる事が出来た事がとてもうれしいです。とてもとても幸せでした。

妙子ちゃん(私)と、どうかどうか幸せになってください。

※『泣ける2ちゃんねる』コアマガジンよりご紹介します♪

永六輔氏の本、“大往生”の中にあった言葉。「子供叱るな来た道だもの年寄り笑うな行く道だもの」人は誰もが、生まれてから何年間かは、100%親の世話になって育つ。

10数年経って、ようやく自立して生活することができるようになり、やがて最後は、また人の世話になって死んでゆく。何千年、何万年と、連綿としてそれがくり返されてきた。

だからこそ、誰もが感謝で過ごせる人生でありたいと願う。


https://mokuenn.jugem.jp/?eid=150 【俳句は「一人称」?】より

 俳句とは「いま、ここ、われ」を詠むものであり、「一人称」の文芸であると云う人が居る。この様に、「俳句は○○である」と断定的に云うことに、もう少し慎重であって欲しいと思う。確かに「一人称」の俳句も有るが、そうでない「三人称」あるいは「無人称」の句もあることを認識しなければならない。俳句を哲学的に掘り下げ、「俳句は、詠もうとする主体に実相観入して一如となり、そこで感じるものを詠う」「主体と一如となる為には、己を消さなければならない」と云う考え方と、「俳句は一人称の文芸である」と云う考えとは、両極にあると云える。

 実際の処、「一人称」の句の方が、訴える力は強いのは確かである。

(原句) 蔀戸の開き囀りの堂の内  昌文 (推敲) 蔀戸を上げ囀りを堂の内  〃

 原句は、(蔀戸の開いた堂の中に鳥の囀りが聞えている)ということを第三者的に描写しているだけで、「対象と一体となる」と云う目標には程遠く、インパクトが弱い。しかし、推敲句のように、「蔀戸を上げ」と、一人称的に作者の動作の様に直すと、余韻もインパクトも強くなっているのが良く分かる。

(原句) 白蝋の一灯一香灌仏会  昌文 (推敲) 白蝋の一灯捧ぐ灌仏会   〃  

 これも同じく、原句は第三者的な描写であり、推敲句の方は作者が主体の動作が入り、読者に与えるインパクトが強い。ここで云う「一人称」とは、作者が「主人公」であることと、捉えるべきかも知れない。

  萬緑の中や吾子の歯生え初むる    草田男

 この名句の主人公は、「吾子の歯」という措辞によって作者(草田男)であり、これが「嬰の歯」であったならば、主人公は不明となる。この句は「二人称」の句かも知れないが、「一人称」の句と捉えても良いかも知れない。要は、その句の中に、作者の心情が「生きている」かどうかである。


https://mokuenn.jugem.jp/?eid=147 【俳句の「物語性」】より

 ふとした事から、伊藤柏翠(「花鳥」の創刊者)に興味を持ったのは、昨年の春からであった。柏翠の生立ち、虚子との出会い、森田愛子との出会い、その愛子との哀恋、「花鳥」創刊など、興味深い事柄に私の興味はどんどん深まっていった。しかし、何よりも私を惹きつけたのは、柏翠俳句の「物語性」であった。俳句とは、「有季定型、花鳥諷詠、写生、の短詩型であり、物語を伝えるものではない」との通説があるが、柏翠の俳句には、この通説を吹き飛ばすほどの「物語性」の魅力があった。

柏翠 伊藤柏翠

 雪しろに来て物濯ぐ哀れなり    柏翠    雪嶺に縄跳びの縄一文字      〃

 雪の戸のあき托鉢の僧に喜捨    〃     僧とても人月とても梅雨の月    〃

 竜胆に赤き手帖の忘れもの     〃     唇をかみ一女工足袋つくる     〃

 尼二人住みて寒菊寒椿       〃 

掲句の説明はしないが、どの句にも「人」が直接的、或いは間接的、暗示的に詠まれていて、柏翠の確かな写生、巧みな措辞により「物語性」が高まっているのが解る。

 「物語性」という言葉は、俳句界に於いては余り流布していないが、鷹羽狩行氏が、「蕪村の俳句の絵画性と物語性」と云われているので、意を強くして、先人の俳句の「物語性」を学んでみたいと思う。


https://mokuenn.jugem.jp/?eid=149 【俳句の「物語性」②】より

 俳句の「物語性」を重要視するかしないかには、賛否両論があるようである。それは、「花鳥諷詠」とは「自然」を詠むものであるのか、「人間」も含まれるのかという考え方の差、芭蕉の「わび・さび」と蕪村の「優美・磊落」の差であるかも知れません。或いは、俳句は「俳意」を持つべきか「不作意」であるべきか、「一人称」であるべきか「無人称」であるべきか、と云う志向の差であるかも知れません。

 唯、はっきりと云えることは、「物語性」の高い俳句には、直接的・間接的を問わず、「人」が詠まれているという事であります。「花鳥諷詠」を標榜した虚子の『五百句』と『六百五十句』を調べてみると、その約40%が「人」を詠んでいることを知ることになります。「人」を詠めば、程度の差はあれ、そこに「物語性」が生じのであります。その「物語」とは、作者の人生観、信条、哲学が地下茎となって、産み出されるものであります。

 ここに虚子の『五百句』より、「物語性」の高い句を抄出します。因みに、『五百句』のなかで「人」の気配のある句は226句あり、全体の45%を占めています。

「物語性」の高い句

水浴び 蚊帳越しに薬煮る母をかなしみつ 明29  行水の女にほれる烏かな  38

 金亀子擲つ闇の深さかな   41    鞦韆に抱き乗せ沓に接吻す   大 7

 鉛筆で助炭に書きし覚え書   昭 5  遅月の上りて暇申しけり     6

 酌婦来る火取虫より汚きが      9

 この掲句から、どのような物語を頭に描くかは読者の自由であり、その句が自分の想い出と重なった時には、素晴らしい物語が生れるであろう。俳句の「物語性」の高さと云うのは、その読者自身の「物語性」の高さ・深さでもあるのだ。

 以下に、この『五百句』の中の有名な句を抄出するが、掲出したこれらの「物語性」の高い句が、決して見劣りしていないことを、確かめて欲しい。

「有名」な句

 遠山に日の当りたる枯野かな  明33  白牡丹といふといへども紅ほのか  大14

 流れゆく大根の葉の早さかな  昭 3  紅梅の紅の通へる幹ならん   6

 道のべに阿波の遍路の墓あはれ     10


https://mokuenn.jugem.jp/?eid=164 【俳句の「物語性」 ⑫ 共通の感動】より

 世界には多くの人種がある。それぞれの人種は、刷り込まれたDNAにより、体躯、髪や肌や目の色、に違いが出ている。これらは先天的なものであるが、嗜好、正義感、価値観、審美観などの違いは後天的なものと思われる。しかし、全ての人種が共に感動するものがあるような気がする。「怒り」「悲しみ」「不安」「喜び」などの基本的感情があるように、あらゆる人間が感動するものとは、「自然」の偉大さ、怖さ、或いは、寛容さであり、「いのち」の、誕生、儚さ、それを支える父母の愛情、ではないかと思う。カザルスの「鳥の歌」や天満敦子の「望郷のバラード」の演奏を聴けば、どんな人も深い感動を覚える。それは「郷愁」とか「哀愁」という表面的な感情を透徹した、「生の哀しみ」という琴線に触れるからだと思う。俳句の世界に於いても、この「生の哀しみ」を詠んだ句は人の心をつかんで離さない。

枯野

  遠山に日の当りたる枯野かな  虚子  桐一葉日当りながら落ちにけり   〃

  流れ行く大根の葉の早さかな     〃

 掲句は。虚子の『五百句』の中の有名な句である。私達は、何故この句に深い感動を覚えるのであろうか。それは、単なる情景の美しさではなく、これらの句は、「悠久の時」と「限りある命」を具象的に表現しているからであり、そこに一種の「宗教性」を感じるからだと思う。この世に「生」を享けた以上、「死」は当然のことであるものの、矢張り、「死」を少しでも逃れようとする。自分の思うように、生きることも死ぬことも出来ない。「いのち」とは、本当に自分のモノなのであろうか。そこに目を向けるのが「宗教」であり、その答を得られぬまま生きているのが、「生の哀しみ」である。

  彼一語我一語秋深みかも    虚子   去年今年貫く棒の如きもの    〃

 掲句は、虚子の『六百五十句』の中の句である。虚子の句域は広い。客観写生的叙景句から叙事句、そして、掲句の様な心象的或いは観念的な句もある。虚子は、禅を通じて宗教にも関心が深かった。これらの句も、虚子の持つ「宗教心」から生れたとも考えられる。「宗教性」とは、「いのち」に係る思索であり葛藤であり、その後に到達する一種の気付き(悟り)であり、その「物語性」であると云える。全ての人に感動をもたらすもの、それは、万人が潜在的に感じている「生の哀しみ」、即ち、「いのち」に係わる「物語」なのである。


https://mokuenn.jugem.jp/?eid=165 【俳句の「物語性」⑬ ある句とない句】より

 「物語性」が有るのか無いのか、具体例を挙げないと分からないかも知れない。「物語性」のある句と云うのは、読者の心を動かす句である。畏れ多いことであるが、虚子の『五百句』を俎板に上げ吟味してみる。

かわせみ

「物語性」のある句  

  行水の女にほれる烏かな  明治38  座を挙げて恋ほのめくや歌かるた  39

  秋扇や淋しき顔の賢夫人  39  飛騨の生れ名はとうといふほととぎす  昭和 6

 掲げた3句は、虚子が主人公ではない。虚子は第三者的にこの情景を詠んでいるが、「行水の女」「烏」、「座を挙げて」「恋」「歌かるた」、「秋扇」「淋しき顔」「賢夫人」、「飛騨の生れ」「名は」「ほととぎす」という季語と言葉の組合せにより、読者に、「どうして?」「それからどうなるの?」と云う興味を持たせる「物語性」を生んでいる。

  芋を掘る手をそのままに上京す 明治41  鞦韆に抱き乗せて沓に接吻す  大正 7

  野を焼いて帰れば燈下母やさし  7    春寒のよりそひ行けば人目ある  14

  鉛筆で助炭に書きし覚え書    昭和 5

 掲句は、虚子が主人公であり、それ故にメッセージ力が強い。「芋を掘る手」「上京す」、「鞦韆に抱き乗せ」「沓に接吻」、「帰れば燈下」「母やさし」、「よりそひ行けば」、「助炭に書きし」「覚え書」などの動詞により虚子の情動が表れていて、読者に、「どうして?」「それからどうなるの?」と云う興味を持たせて、「物語性」が生じている。

「物語性」のない句

  植木屋の掘りかけてある梅一樹  昭和 6 春の浜大いなる輪が画いてある  7

  園丁の指に従ふ春の土  10

 掲句は、虚子が情景を第三者的に表現しているだけで、そこに、意外性もひらめきも美しさもなく、単なる報告と云われても仕方がない。又、季語が生きているかどうかと問えば、好ましい答えは返って来ないであろう。大虚子の句に、苦言を付けることにご批判は有ると思うが、私の正直なところである。

 虚子の俳句の領域は広い。純粋の叙景句と云っても、それは虚子の宗教観を透した句もあり、人間を詠んだ叙情句も45%近くある。何れにしても、「物語性」のある句は読者の心を揺さぶるものである。


https://mokuenn.jugem.jp/?eid=166 【俳句の「物語性」⑭ 眼前の句】より

 俳句は、「自分の感動を17音に」とのことではあるが、私達の日常生活がいつもいつも深い感動に満ちている訳ではない。何の変化もない、昨日と同じ今日、今日と同じであろう明日、そんな日々が多いのも事実である。「感動を俳句に」と言っていると、この様な時は俳句が詠めないことになる。とりたてた「感動」も「発見」もない時、その様なときは、目の前の情景を、心を無にして、しかし、観察は良くして写生の句を詠めば良いと思う。評論家の山本健吉は、「俳句は、挨拶と滑稽と即興である」と論じたが、この「即興」とは「眼前」ということであると思う。

むくげ

  道のべの木槿は馬に食はれけり

 芭蕉が『野ざらし紀行』の中に、只、「馬上吟」とだけの前書で収めたこの一句は、正に眼前の句であり、蕉風開眼の象徴的な一句である。「食べられた木槿が可哀そうだ」等と、この句に「俳意」がある様に解釈する人もいるが、芭蕉の「俳意」は無色透明で無心に近く、只、眼前の情景を17音に切り取ったものである。

 又、『奥の細道』の中では、芭蕉が小松の全昌寺を出発する時の一文で、「若き僧ども紙・硯をかかえ、階のもとまで追来る。折節庭中の柳散れば、

  庭掃きて出ばや寺に散柳

とりあえぬさまして、草鞋ながら書捨つ。」と、若き僧たちの(多分)期待を裏切った眼前の句を、「書捨てた」のである。「書捨つ」は、謙譲的な意味であろうが、この句を『奥の細道』の所収した所以は、芭蕉が「俳意」を重要視せず、むしろ「無心」に力を置いていた証左であると思う。この「無心」の心境は、仏教が底辺にある日本文学の一つの特徴であり、一見、只事俳句に見えるかも知れないが、この「無心」の俳句の奥は深い。

 従って私達は、人間も含めた自然を良く観察して、眼前の情景を素直に詠んで行けば良いのである。特選とか入選を期待するのではなく、只、淡々と無心に詠んでいくことが必要である。読者にとっては、「詰まらない」「面白味がない」「それで、どうなったの」と云われるであろうが、気にすることは無い。俳句は、他人の為に詠むものではなく、自分の為に詠むものである。


https://mokuenn.jugem.jp/?eid=169 【俳句の「物語性」⑮(心を揺さぶる)】より

 美しい花や景色、爽やかな風、芳しい香、美味しい食べ物、心地良い鳥の鳴き声等は、私達の五感を刺激して、「わ~綺麗」「あ~気持ち良い」などと、思わずの感動を私達のもたらす。そして、それが格好の俳句の材料となり、佳句が生れる。しかしながら、これらの単なる感動の句は、読者の心を揺さぶることは出来ない。何故ならば、そこに、作者の人生(物語)が滲んでいないからである。人に言えない苦渋や苦悩、どこにもぶつけられない怒りや哀しみ、これらを背負って耐えて生きている人の物語が、読み取れないからである。

  古傘の婆娑と月夜のしぐれ哉     蕪村

この「古傘の…」の句は、破れかけの古い傘と先程迄顔を出していた月の対比が有り、「婆娑と」という表現で、急に降り出した時雨を連想させるそれなりの句であることには間違い。だが、読者の心を揺さぶるほどではない。

  花いばら故郷の路に似たるかな    蕪村

 この「花いばら…」の句には、故郷に苦い想出を持ちながらも、望郷の念の消えない蕪村の心が滲み出ていて、私達の心を打つ。つまり私達の誰もが、大なり小なり持つ故郷での苦い経験や感覚と呼応するのであろう。ここに、作者の物語性と読者の物語性が遭遇し、共鳴するのである。こうして考えると、この句の様に心情を吐露した句は、作者の人生観や宗教観が投影されていて、読者に共感を呼び易いと云える。

  我帰る路いく筋ぞ春の艸       蕪村

 掲句は、蕪村の六十三歳の時の句である。弟子の大魯を兵庫に訪ねた時の俳席で、蕪村が引当てた題の「春草」に応じて詠んだ句である。「春風馬提曲」を著した蕪村が、偶然にもこの「春草」を引当てた縁を感じ、想いは故郷の毛馬提に及んだのであろう。故郷に帰りたくても帰れない何らかの訳があり、前掲の「花いばら…」の句と共に、生涯を通じての望郷の念のこれ等の句が、我々の心を打つ。

 この様に、人に感銘を与え、人の心を揺さぶる俳句は、その作者の人生観が滲んでいるものである。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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