Facebook加藤隆行さん投稿記事【 「かわいそう」と「大変そう」は違う】
カウンセリングさせてもらってると、とても多くの方がこう言います。「お母さん、かわいそう」「だから、わたしが 支えなきゃって思ってきました」その気持ち、本当に優しいし、
そこには深い愛があります。でも、この「かわいそう」という言葉──
じつは、とても強い“呪縛”になることがあるんです。「かわいそう」とは、「その人は不幸で、哀れで、弱い存在だ」と無意識にラベルを貼ること。
そしてその瞬間、「この人を助けなきゃ」と自分を犠牲にしはじめる。「助けなければならない」と思うと、“相手軸”で生きることになります。相手の感情、顔色、期待に合わせて動く人生。そして母を助けられなかったこと、幸せにできなかったことに罪悪感と無力感を感じ続けて 生きていくことになります。
何をしていてもいつも漠然とした罪悪感がつきまとい無意識にも自分だけが幸せになってはいけないと「幸せにならない選択」をして生きていく人もいます。
一方この「かわいそう」に対して「大変そうだな」という言葉は、少し違います。
これは、事実をそのまま受けとめる言葉。「あの人、しんどそうだな」「自分にできることがあれば手伝いたいな」ここには、“自分軸”がちゃんとあります。
相手を弱い存在にせず、その人の力も信じながら寄り添う姿勢です。「大変だったら手伝うことができるよ」相手にも自分にも選択肢がある関係性です。
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もしあなたが”いまだ”「お母さんかわいそう(だった)」と思っていてそして自分の中に漠然とした無力感と罪悪感があるのならたぶんそれは、”呪縛”なのだと思います。
であるならば、「お母さん、かわいそう」から「お母さん、大変そう」に変えてみる。
それだけで、自分の立ち位置が変わります。
母の感情を引き受けるのではなく、母の人生を尊重しながら、自分の人生を歩くことができる、視点。
“愛”とは、「相手の人生を背負うこと」ではなく「その人の力を信じること」。
“愛”とは、「自己犠牲」することではなく「他者信頼」そして「自己信頼」をすること。
「かわいそう」は、相手を“守られる存在”にします。
「大変そう」は、相手を少しだけ“信じられる存在”にします。
あなたのお母さんは、ほんとうに“かわいそうな人”でしょうか?
それとも、これまで不器用ながらも、一生懸命生き抜いてきたチカラのある人でしょうか?
その問いを立てるだけで、あなたの見ている世界が、少し変わりはじめるかもしれません。
「お母さんは大変そうだった。 でも、ここまで乗り越えてきた人だ」その視点に立てたとき、母と自分の境界線がはっきりし、自分の人生が、自分の手に戻ってきます。
「お母さんかわいそう」という言葉があなたを縛っているなら、それはもう手放していい。
母は、かわいそうな人じゃない。そしてあなたも、母を支えるためだけに生きているわけで
Facebook北條 毅さん投稿記事
あなたの敵は、どこにいるㅤ朝起きれない時あるいは起きたくない時ってあるよね。
例えばね、朝気持ちよく眠ってるとするよね。布団が気持ちよくてこのままずーっと眠ってたい。布団の中でごろごろ惰眠をむさぼってたい。ㅤそう思う時って誰しも経験があるはず。ㅤ
でも朝は来る。まだ寝ていたいんだけどもうそろそろ起きなきゃいけない。
そんな時にやってくるのは目覚ましのけたたましい騒音か、起こしに来た母親の大きな呼び声だったりするよね。起きなきゃいけない。でも、まだ寝てる自分にはそんなの関係なくて。
目覚ましの音はただの騒音だし母親の声はうるさくしか聞こえない。
だから手荒に時計をとめたり母親に悪態をついたりする。
そんな経験ってあるでしょ?そのうち起きなきゃと思ってるけどㅤ 起きなきゃいけないことはわかっているけど でもまだもうちょっと眠ってたいから。
だけど、もうちょっと、もうちょっとって そう思って、気づいたら思いのほか時間がたってたりして。ㅤだから、目覚まし時計が鳴るんだよね。母親が起こしにくるんだよね。
それって、その時はすごく大きなストレスなんだけど本当はとっても大事なものだってことは
みんなわかってる。
起きなきゃいけないってわかってるからこそわざわざ目覚ましをかけたり母親に頼んだりするんだよね。ㅤ
そんなにストレスフルなものでもね。そう、ここで大事なのはその目覚まし時計も起こしにきた母親もぜんぶ自分でそう仕掛けたものだってこと。
自分で目覚まし時計を仕掛けて自分で母親にお願いしたんだよね。「起こしてね」って。
なのに、実際に眠っていて目覚ましが鳴った時にはそんなことはすっかり忘れてる。
目覚めを促されたその瞬間には目覚ましも、母親の声も安らかな眠りを妨げるれっきとした「敵」でしかなくて怒りを覚えるんだ。他の誰でもない自分でそう計画したのにね。
これって、人生すべてにおいて同じことが起こりうると思うんだ。
人はみんな、どこかで「目覚めたくない時」がある。だって、今が居心地がいいから。
だって、そのまま眠ってるのが楽だから。でも、ある瞬間には必ず起きなきゃいけない。
そういうタイミングって誰しもあるんだよね。
星を詠んでいるとねそんなことは、誰の人生にもよく起きることだよなってそう感じる瞬間が何度もある。
「いやいや、こんなことㅤお願いなんかしてないから」って思うでしょ?
「でも敵は敵だよ」そうとしか思えない相手もいるでしょ?
でもね、そういうものこそ実は、自分で仕組んだものだったりするんだよね。ㅤ
記憶にも、顕在意識にも残ってないけどそれよりもっと深い部分やあるいは、もっと過去にさかのぼった時点で「自分自身で意図したこと」だったりするんだ。
人生には敵が必要なときがある。敵がいるから緊張する。緊張するから成長する。
敵がいると思うから、「こんなことしてちゃいけない」って本腰を入れて本気で動き始められる。敵と全力で向き合うからこそ新たな自分・本当の自分に気がつく。
そんなことってあるから。すべての出来事はただひとつの意図を持っているだけにすぎないんだ。それは、「幸せになること」じゃない。ただ、「目醒めること」なんだ。ㅤ真の自分に。
すべては、そのための必要な出来事にすぎない。
本当の意味での敵なんてどこにもいやしない。「敵だと思いたい自分」がいるだけ。ㅤ
敵だと思ってもいいんだよ。それだけ本気で怒ったり悲しんだりしたっていい。ㅤ
でも、それらは結局すべてが魂の目醒めのために創っている必要な体験だということ。
いま、あなたの世界にいるすべての登場人物がすべての出来事が魂の目醒めのための
人類の意識の進化のためのそのための世界をともに創っている協力者なんだ。
自分で創ったその世界で、今を、どう生きるのか。
湧き上がる感情は大切にしながらでも、その感情に振り回されることなく今、何を選択するのか。ㅤ特に今、この時代世界中の人々にただそれだけが問われているっていうことは覚えておいてほしい。ㅤあなたにとって今の世界はどんなふうに見えていますか?
あなたにとっての「敵」は、どこにいますかㅤㅤそして、その世界であなたは今、何を選択しますか?ㅤ大事なのはそれだけ。あなたの世界を創っているのは他でもない、あなた自身。
自分の世界は自分から始まっているんだ。そのことを覚えておこう。特に今、この時こそね。
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