五大の響き

https://note.com/kazetabi/n/n191eb40688b5【空海の思想の奥義と、かんながらの道】より

                                佐伯剛

 このたび発行する「かんながらの道」〜日本人の心の成り立ち〜の制作において、空海の思想を、頭の片隅に置いていました。

 今日の思想世界の混迷のなかで、日本から生まれた空海の叡智を、再発見する必要があると私は思っているからです。

 空海の思想の核心にある両界曼陀羅の二つの曼陀羅のうち、胎蔵曼陀羅は「理」の世界、金剛界曼陀羅は「智」の世界ですが、万物の理と、その理を体得していくための智の道筋の二つを体得することが、空海が開いた真言密教における真言への道です。

 密教というのは経典から学ぶ仏教である顕教との比較で使われる仏教用語であり、特定の宗派を示すものではなく、空海が説いた密教以外にも、チベット密教がよく知られています。

 空海の密教は、真言という言葉がついているように、経典で学べない密教のはずなのに、言葉が大事なのです。

 空海は、「法は本より言なけれども、言に非ざれば顕れず」(御請来目録)と述べているように、まことの真理は、言葉を離れたものであるにしても、言葉によらずには明らかにすることができないという考えを持っていました。

 しかし、重要なことは、言葉は大事だけれど、言葉だけに執着してはいけないということ。

 今日の科学や学問の世界では、宇宙や生命の構造=理を求めていくことが真理の探究だとしていますが、空海からすれば、それは両界曼陀羅のうち胎蔵曼陀羅の分析だけをしているにすぎない。その「理」を頭で分析するのではなく、自らのうちに、そのリアリティを体得していく道筋=智=金剛界曼陀羅が重なりあってはじめて、真理の探究ということになります。

 社会の中の現実に例えれば、会社経営は、経営論の類の書物を読むことも大事ですが、書物をいくら読んでも、実際の経営ができるわけではなく、それぞれ異なる実践の現場における問題解決を繰り返しながら、その道筋を身を持って体験し、「智」を蓄えていかなければ、経営の「理」を自分のものにできません。

 経営論の学者さんが、仕事現場の体験もないまま、理論だけをもとに一企業を経営することなどできず、失敗に終わるでしょう これは、武術でも物づくりの技にしても、同じです。

 空海と同じ時代に生きた最澄は、言葉(論理)への依存傾向が強い現代の多くの学者さんと似た思考特性を持っていました。そのため、自分が唐で身に付けることができなかった密教を、空海から経典を借りることで勉強しようとしました。

 空海は、最澄の要望に心よく応じていましたが、最澄が調子に乗って、『理趣釈経』の借覧を求めた時には、長文の返書でこれを丁寧に断っています。

 理趣とは道筋の意味であり、その道筋とは、全ての道理を明らかに見抜く深い智慧に至るための一つひとつの段階であり、身をもって実践して体験していかなければ、その本質は理解できないからです。

 その体験を経ていない人が、いくら経典を読んでも、文脈を理解できないため、誤読してしまいます。

 そのことを長文の手紙で書き送っているのに頭でっかちの最澄は、その道理がわからないのか、自分の弟子の泰範を空海のもとにスパイのように潜り込ませて、弟子を通じて情報を得ようとしましたが、泰範は、最澄の器よりも遥かに大きな空海の器に惹かれ、最澄のもとには戻りませんでした。

 話は変わりますが、現代世界の思想は、ポストモダンという言葉で言い表すことができます。

 第二次世界大戦後、レヴィ=ストロースの構造主義思想に対して、サルトルなどの実存主義思想家は、対立的な立場をとりました。人間が絶対的な構造に支配されているという考えは、政治や社会への参画に対する無力感につながり、目の前の現実に対処する力とならないと考えたためです。

 しかし、変革を目指す政治運動が激しくなるとともに、内部抗争をはじめ次第に矛盾に満ちたものになっていき、その失敗やマルクス主義への幻滅から、知識人のあいだで、実存主義にかわってポスト構造主義という新たな考え方が生まれたのです。

 そもそも真理やイデオロギーなど言葉で言い表される「意味」は、その言葉が流通している時代の構造から生み出されたものにすぎないから、真理の言葉など存在せず、個々の現場の問題は、個々において、あれこれ試行錯誤しながら別々に問題を解決するしかないという考え方となります。

 なるほど説得力のあるような言い回しですが、こうした考えは、ポストモダンの思想本を読んでいない人でも無意識のうちに共有しており(だからこの思想に共感する人もいるわけですが)、その結果、現代の人々の関心は、自分の目の前の事(届けられる表層的なニュースも含め)にしかいかず、普遍性を探究する気持ちも失せています。そうすると、それぞれの現場の事情ごとの正当化が発生(イスラエルとパレスチナの問題もそうです)し、空海によれば、それぞれ、「妄語」によって自分に都合のよいようにカムフラージュすることになります。すなわち、相手を論破しさえすれば正しいというスタンス。

 その結果、上部だけ取り繕ったり、狡い仕掛けや、幻想を抱かせるイメージが氾濫する世界となり、空海は、そうした状況は、迷いの闇に苦しみやすくなる状況だと説き、まさに現代の世界はそうなっているのです。

 空海は、ポストモダンと異なって普遍的真理はあるとみなし、しかも、その真理は、言葉によらずには明らかにすることができないという考えを持っていました。「大切なことは言葉にはできない」などという世間的に通りの良い安直な思考の放棄を、空海は行わないのです。

 その空海の、まことに言葉に該当するものが「真言密教」の真言です。

 しかし、それでも、個々人の意識の持ち方や経験の段階によって「まことの言葉」が通じないケースもあるので、その場合は、絵図の力も借りなくてはいけないと述べ、その絵図が、両界曼陀羅です。空海の思考の柔軟性は、こうしたところに顕れています。

 ならば空海にとって、どこに真理があるのかというと、それを指し示しているのが、「五大に皆響きあり」という言葉です。

 空海は、真理の伝達には、言葉を使うしかないというスタンスだったために、空海の直接の言葉は、釈迦やキリストなどと違って膨大に残っており、そこが歴史上の偉人のなかで、空海の特別なところです。

 しかしながら、上述した「理趣経」のように、自らの実践体験がないまま、偉人の言葉や論理だけを分析しても、その真意は理解できない。

 五大の「響き」とは「声響」のこと、すなわち声です。

 五大は、土、水、火、風、そして空(空間)のことで、私たちが生きている現象世界を構成する基本的なものです。

 これらのものを、目で見るだけではなく、声を聞けと空海は言っています。

 どういうことかというと、石工が石の声を聞いて、宮大工が樹木の声を聞いて、物を作るのと同じです。つまり、対象物から発せられている声を聞かず、自我(自分の都合や事情)による設計図で物を作っていては、真理から遠ざかるということ。

 武術の奥義も、おそらくここにあります。自分が技を仕掛けることばかり考えていても、うまく技はかからないでしょう。

 相手から発せられる声(気とか間合いとかに反映される)を読んで、宮大工のように、その声に対して自らを対応させることが、武術においても名人の技なのだと思います。

 そして、発信する言葉や写真なども、石工の石壁づくりや宮大工の家づくりと同じように、自我を軸にするのではなく対象の声を聞き取ることができていなければ、妄語の類になってしまう。

 言うは易しで、ならば本作りにおいて、自我の事情や都合を超えて、五大に耳を傾けて作るとは、どういう風にすればいいのか。

 私が、この8年間、ひたすらピンホールカメラという恣意性をはさみこみにくい方法で森羅万象を撮影し続けているのは、そのあたりの問題意識があってのことです。(そういう道筋が重要だと思っているので、結果がうまくいっているかどうかは、現時点では二の次です)。

 そして、今回、本のタイトルに「かんながらの道」という大きな言葉をもってきましたが、「かんながらの道」と「五大に皆響きあり」という言葉の背後にある声響は同じです。

 「かんながらの道」というのは、一般の辞書などでは、「神慮のままで、まったく人為を加えない道。」などと説明されたりしていますが、それは違っています。

 なぜなら、人間として生きる以上、人為を加えないことなど、ありえないからです。 

 「かんながら」は、「神のおぼしめしのまま」という意味になりますが、この「神」は、西欧の一神教の神ではなく、古代日本においては、「迦微」(かみ)と表記され、迦は「巡り合う」、微は「かすか」という意味で、それはつまり、五大の声を同じです。

 古代日本人は、目には見えないけれど響きは感じられるもの(五大の響き)に対して、厳粛に向き合い、その響き(声)に従って生きることを大切にしており、それが、古代の信仰の在り方で、かんながらの道なのです。

 この「かんながらの道」は、親鸞の説く「自然=じねん」に近いものであり、「おのずから、しからしむ」ということです。 

 これをもう少し私なりに噛み砕けば、

 人間は、生きていくかぎり人為から逃れられないので、その人為が、自ずからそう成っているものかどうか、自然の声に耳を傾けながら、人為を整えていくのが、人間の理。その人為を、祈りにまで高めていく道筋が、人間の智。自ずから然らしむように、理と智を一つに統べていくことが、かんながらの道。

 理は胎蔵曼陀羅であり、智は金剛界曼陀羅。この二つを統べる両界曼陀羅は、かんながらの道でもあります。


https://note.com/kazetabi/n/nda00393e1d75 【五大の響きと、写真。】より

                                 佐伯剛

 連日、京都市内をピンホールカメラで撮影し続けている。

 京都の観光名所に群がる人たちは、いろいろな会話をかわしながら、人とぶつからないように巧みに左右に進路を変えながら歩いていて、その場にはすごいエネルギーが渦巻いている。

 私は、その場に三脚を立てて、長い時間立ち続けているので、一人ひとりの顔は覚えていなくても、そのエネルギーを、記憶化することになる。

 写真というのは、「真実の瞬間を捉える」などというキャッチフレーズがつけられた時代もあったが、真実のリアリティを、もう少し深く問う必要があるのではないかと思う。

 真実のリアリティというのは、この世界のあるがままの実相ということになるのだろうが、物の見かけや、意図的な仕掛けや、夢想や妄想や空想から生じるイメージではない。

 「写真家」を名乗る人が非常に多い時代だが、小説の場合も、小説を読む人の数は減っているが、様々な手段で自作の小説を公開する人は増えているらしい。

 SNSなどの普及と、表現の自由の大義名分で、すべての国民が、表現者となる時代に、私たちは生きている。

 それは同時に、物の見かけや、意図的な仕掛けや、夢想や妄想や空想から生じるイメージが氾濫する世界でもあり、空海は、そうした状況は、迷いの闇に苦しみやすくなる状況だと説いた。

 現実的には、確かにそうなっている。

 1970年代、世界中で流行になった変革を目指す政治運動が、内部抗争など矛盾に満ちたものになっていき、それらの政治運動を後押しした実存主義にかわって、ポスト構造主義という新たな考え方が生まれた。

 そもそも真理やイデオロギーなど言葉で言い表される「意味」は、その言葉が流通している時代の構造から生み出されたものにすぎない。その結果、真理の言葉など存在せず、個々の現場の問題は、個々において、あれこれ試行錯誤しながら、別々に問題を解決するしかないということになる。

 しかし、言葉の無意味さを言葉で言うだけならば、「クレタ人が、クレタ人は嘘つきであると言っている」という類の自己言及のパラドックスになり、そこが西欧哲学思想の限界になる。

 空海の考えは少し異なっていて、「法は本より言なけれども、言に非ざれば顕れず。真如は色を絶すれども、色を待ってすなわち悟る。(略)密蔵深玄(みつぞうしんげん)にして翰墨(かんぼく)に載せがたし。さらに図画を仮りて悟らざるに開示す。』(御請来目録)と述べている。

 すなわち、「まことの真理というのは、言葉を離れたものであるにしても、言葉によらずには明らかにすることができないし、移ろいゆく現象界を超えたものだけれど、現象界の事物を通じて悟るしかない。密教の教えもまた、文章だけで表しても伝わらない段階の者もいるわけで、その奥義を、図絵を仮りて示すことも必要になる。」という意味になる。

 つまり、ありのままの真理は、言葉や現象界の表現を超えたものだけれど、それらを使って表すしかないということだ。

 そのため空海は、釈迦やキリストと違って、膨大な書き言葉を残しているし、言葉によって真理が伝わりにくい人のために、曼陀羅を活用することの重要性も認識していた。

 そのため空海は、唐から帰国してしばらくは、最澄から密教の経典の借覧を乞われるたびに応じていた。しかし、『理趣釈経』の借覧を求められた時には、長文の返書でこれを断った。

 その理由として、理趣は経典の文の中ではなく、お互いの身体活動の中にあり、以心伝心によってのみ伝えられるものだと空海は考えていたからであり、そのことを最澄に言葉によって丁寧に伝えている。

 理趣とは、道筋の意味であり、全ての事物や道理を明らかに見抜く深い智慧に至るための道筋であるから、経典の中の言葉だけに執着する姿勢では、その真理を体得できない。

 にもかかわらず最澄は、経典を借りられないとわかると、自分の弟子の泰範を空海のもとに送り込んで密教を学ばせようとした。しかし、空海の偉大さを知った泰範は最澄のもとに帰らなかったため、最澄は、泰範に対して、空海を通じて学んだ密教の知恵を教えて欲しいと懇願した。

 最澄に欠けていたものは、言葉の背後にあるものに対する深い洞察だろう。

 空海と最澄のあいだの高い壁を象徴している言葉が、「五大に皆響きあり 十界に言語を具す 六塵ことごとく文字なり 法身はこれ実相なり」(声字実相義)だ。

 五大は「地・水・火・風」の自然界と、「空間的広がり」であり、私たちが生きている森羅万象世界を構成するものとなる。

 空海は、「五大はすなわちこれ声の本体」とも述べ、つまり、声こそが、森羅万象世界を構成するものたちの本体とみなしている。

 響きとは声響であり、これは、秘められた声に対する呼応と言い換えることができる。

 石や樹木は、沈黙しているのではなく、声を放っている。だからこそ石工は、自らの計画設計図をもたずに、石の声に耳を傾けて、石がどこに行きたいかを聞き分けて石垣を作り、宮大工もまた同じように樹木の声に耳を傾けて仕事をする。

 そのように物が放つ声と自分の心や身体を呼応させるのが匠の仕事である。

 「十界に言語を具す」の十界というのは、金剛経曼陀羅で示されるような人間の心の段階を表しており、それぞれの段階に応じて異なる言葉があるが、真言以外の9界の言葉には、「妄語」が含まれていると空海は指摘する。

 そして真言とは、全ての事物や道理を明らかに見抜く深い智慧の言葉であるから、経典ではなく自分自身の修行を通じて、自分自身の内側に見出さなければならない。だから空海は、その真言への道筋を説く『理趣釈経』を最澄に貸さなかった。

 この経典の言葉は、修行を通じて真理を体得したものにしか真意は伝わらないからだ。

 「六塵ことごとく文字なり」の六塵は、 目・耳・鼻・舌・身・意の六根に受ける 「色・声・香・味・触・法」のこと。

 人間というものは、六根によってモノ・コトをとらえ、それらのイメージを声と字によって表現された世界を生みだし、この言葉によってヒトは世界と結びついているが、肝心なことは、それらの言葉には妄語が含まれているとの自覚が必要である。

 その認識のうえに、「法身はこれ実相なり」と空海は明言する。

 法身とは、私たちが生きている現象世界の背後にある大日如来のことであり、その大日如来の言葉(真言)が、ありのままの真実の姿(実相)を伝えることができると、空海は言葉を結んでいる。

 なかなか難解な言葉だが、実相というのは、目の前の現象の背後にあるエネルギーのようなもので、そのエネルギーを、ありのままに伝えることが重要だということ。

 そのためには、五大という私たちが生きている現象世界の物が放っている響き(声)に耳を傾けることから始めなければいけない。

 密教の修行は、単なる身体トレーニングではなく、万物の声を聞き分けることを目指すことが肝要であり、石壁を作ろうとする人間が、自らが作った設計図を軸にしようとすると、石の声は聞こえないように、自我意識が強いと、万物の声は聞こえない。 

 写真というのは現代社会の産物だが、だとすれば、写真の組み合わせによる響きは、現代社会の曼陀羅になり得るということだ。

 問題は、写真を撮る時に、五大の響きに耳を傾けているのか、そうでなく自己都合によって対象を切り取っているかの違いであり、自己都合というのは、言うまでもなく「十界」に生きる人間のそれぞれの段階による事情によって生じるものだから、妄語が混ざる。

 石工が石の声に耳をすませるように、宮大工が樹木の声に耳をすませるように写真を撮ることができれば、現象世界の背後にある実相を、響き=呼応を通して、ありのまま伝える写真となることができる。

 ポスト構造主義の「個々の現場の問題は、個々において」という概念に基づく自己表現は、それぞれの事情が絡んでくるから、妄語だらけになる必然性がある。

 これを超える知恵が、 1200年前に生きた空海によって、十分すぎるほど考え抜かれていたことに驚きを禁じない。


https://blog.goo.ne.jp/new_shi-akindo/e/74be7b85e1493d34c8d594d1f423a5fb 【空海と量子力学】より

【空海と量子力学】

空海が『声字実相義(しょうじじっそうぎ)』の中で述べた言葉で、「五大は皆な響き有り、十界に言語を具す、六塵は悉く文字なり」というそれは、直観的に「量子力学」を連想してしまった。量子力学というと、なにやら小難しい数式もあって、とっつきにくいのですが、ざっくりと解釈すると「この世はすべて波動(振動)」から成り立っているという説。

🔶空 海 の 名 句 (其の十二)

 この言葉は、宇宙と人間の存在が「響き(音)」「言語(言葉)」「文字(表現)」として深く結びついているという思想を表現しており、とくに「五大は皆な響き有り」という「五大」ですが、それは「地・水・火・風・空」を指すのですが、要は「森羅万象」の世界のこと。

 注目するのは「皆な響きあり」。これは物理的な音や振動だけでなく、宇宙全体の根本的なエネルギーや波動を表現しており、象徴している言葉だと思われます。

 量子力学では、物質やエネルギーは波動として捉えられます。この波動が干渉し合い、物理的な現象を生み出します。要は、すべての物質やエネルギーが振動し、相互作用している様子が表現されているということです。

 また「十界に言語を具す」という「十界」ですが、仏教の世界観で、地獄界から仏界までの10の精神的・存在的な次元を指し、「言語を具す」というその言語は、「音声」という波動であり振動です。

 これが世界(十界)に内在しているということになり、量子力学が示す多次元的(十界)な可能性や重ね合わせの状態に類似しています。

 そして「 六塵は悉く文字なり」の「六塵」とは、感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)を通して認識される対象(色、声、香、味、触、法)を指します。

 さらに「文字」とは、量子力学でいう「情報」の表現にも似た考え方で、感覚的に見える現象が実際には根本的な振動や波動を象徴しているというように読み取れます。

 このように空海の言葉は、宇宙や人間が「響き」「言葉」「文字」として表現される調和的な存在であること、現代の量子力学でいう「すべては波動(振動)」という考え方と共鳴しているのではないでしょうか。


https://note.com/tomoya_nagasawa/n/n1150898e72d1 【「詩とはなにか」という問いへの二百五十個くらいの答え】より            長沢朋哉

「詩とはなにか」という問いに対して、詩人や批評家や研究者はどのように答えているのか。そんな好奇心から、書棚にある詩論や詩にまつわる本から、それらしき「答え」を抜き出してみようと思いたった。

何冊かの本の頁をめくっていく中で、そこで紹介されていた別の本を買い求めたり図書館で借りたりし、そうこうしているうちに、その「答え」の数は膨れ上がった。

この記事では、その中からまず、私が気に入った十五の「答え」を並べている。その後、記事タイトルにあるように、おおよそ二百五十くらいの「答え」を含んだ引用部分を列記する(これはほぼ私にとっての膨大な備忘録となる)。

さて、「答え」を探して渉猟していくうちに、「答え方」にもいくつかのタイプがあることに気が付いた。雑駁だが、だいたい下の六つか七つくらいに類別できるように思う。

●本質主義的な答え

地理的歴史的区分を超えた大きな概念としての「詩」について、「本質的になにであるか、どのようなものであるか」を厳格かつ精確に表そうとした答え。ディフィニション、あるいはエッセンシャリズムによる答えといえる。

●党派宣言的な答え

文学運動上の何らかの党派的立場を前提に「詩とはこうあるべきだ」という意志や理想の表明としての答え。まっすぐに言えばマニフェスト、少し揶揄するならばポジショントークのような答えといえる。

●内面告白的な答え

「私にとっての詩とはこのようなものだ」、あるいは「自分にとって詩とはこのようなものでしかあり得ない」という、自身の内面に基づいた答え。重々しくいえば、一種のコンフェッションとも言える。

●警句的な答え

比喩の技巧などを用い、簡潔かつ奇抜な表現による答え。アフォリズム、あるいはエピグラム。才を競ってるという意味では大喜利に近いとも言える。

●発生論的な答え

文学史もしくは人類史において、詩とはこのように発生したものだという、詩の起源(と思われるものやこと)に基づいた答え。ジェネティークを足場として詩を掘り下げた答えとも言える。

●不可能性による、さらにはメタ認知的な答え

「回答が不能である」とする立場、さらには「問い自体の意味を問う」メタ認知的な立場からの答え。もしかすると、このメタコグニティブな「詩とはなにかを考えることが、詩である」という答えこそがもっとも詩の本質を表しているのかもしれないが、ではこの「詩の本質」とは何なのだという問いに再帰してしまい「不思議の環」に迷い込む答えとも言える。

■私選:十五の答え

それでは、私の気に入った「詩とはなにか」という問いへの答えを、まず十五あげていく。

*太字(見出しのようなもの)は表記上の若干の省略や編集を加えている。

*掲載の順番は、詩人の生年や分かる範囲での初出年等を参考に、概ね時系列順である(必ずしも正確ではない)。

〈その一〉

「定義できない(ということが重要)」(ポール・ヴァレリー 1871-1945)

詩の定義にとっては、定義できないということが重要なのである。

北川透『詩的レトリック入門』1993年(思潮社)P.19

〈その二〉

「なかに本物のひきがえるがいる想像の庭」(マリアン・ムーア 1887-1972)

なかに本物のひきがえるがいる想像の庭。

中桐雅夫『詩の読みかた 詩の作りかた』1980年(晶文社)P.18

(マリアン・ムーア『詩(原題 Poetry)』一部,行変え位置は引用者による便宜的なもの)

だがこれだけは区別しておこう。はんぱな詩人がむりに飾り立てると、詩ではなくなる。

そしてわれわれの詩人たちが、「想像力の直訳主義者」となって、傲慢さや軽薄さを乗り越え、われわれの眼の前に「本物のヒキガエルの棲む架空の庭」を提示するまで、詩はどこにもない。亀井俊介・川本皓嗣 編『アメリカ名詩選』1993年(岩波文庫)P.207-209

〈その三〉

「情緒からの逃避、個性からの逃避」(T・S・エリオット 1888-1965)

詩は情緒の解放ではなくて、情緒からの一種の逃避である。詩は個性の表現ではなくて、個性からの一種の逃避である。しかし、もちろん、個性と情緒をもっているものだけが、これらのものから逃避するのを望むということがなにを意味するかを知っているのである。

中桐雅夫『詩の読みかた 詩の作りかた』1980年(晶文社)P.16

〈その四〉

「情緒的に、作家の思想を、ある音律、ある文字で表現したもの」(室生犀星 1889-1962)

詩から音律を奪うことは出来ない。換言すれば詩とは情緒的に作家の思想をある音律ある文字で表現したもので、全く説明を省いたところにその特徴を持っている。であるから音律と思想は詩に欠くことの出来ない要素である。

室生犀星『新しい詩とその作り方』2018年(国書刊行会)P.74(初出1918年)

〈その五〉

「現在〈ザイン〉してないもの、非所有へのあこがれ」(萩原朔太郎 1886-1942)

およそ詩的に感じられるすべてのものは、何等か珍しいもの、異常のもの、心の平地に浪を呼び起すところのものであって、現在のありふれた環境に無いもの、即ち「現在〈ザイン〉してないもの」である。

(略)

故に詩的精神の本質は、第一に先ず「非所有へのあこがれ」であり、或る主観上の意欲が掲げる、夢の探求であることが解るだろう。

萩原朔太郎『詩の原理 第9章「詩の本質」』1938年(青空文庫)

〈その六〉

「一種のエネルギであって、一篇の詩全体から発散してくるエマネイション(放射物)が詩の本体」(高村光太郎 1883-1956)

こうした状況のなかから「詩は何であるか」に答えている一つの例として、次に高村光太郎氏の言葉をあげてみます。

  「(略)詩は一種のエネルギであって一篇の詩全体から発散してくるエマネイション(放射物)が詩の本体であり、書かれた事柄や、感動や、理性はただその放射のための媒体にすぎないのである。」

鮎川信夫『現代詩作法 現代詩とは何か・いかに書くか 新装版』1971年(思潮社)P.43

(初出1954年:光太郎による毎日新聞への寄稿)

〈その七〉

「全世界を凍らせるかもしれないほんとのことを、かくという行為で口に出すこと」

(吉本隆明 1924-2012)

詩とはなにか。それは、現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとのことを、かくという行為で口に出すことである。こう答えれば、すくなくともわたしの詩の体験にとっては充分である。

吉本隆明『詩とはなにか 世界を凍らせる言葉』2006年(思潮社 詩の森文庫)P.13(初出1961年)

〈その八〉

「ぼくらをめぐる曖昧で複雑な『すべて』に、奇蹟的な照明弾を走らせうる唯一のもの」

(天沢退二郎 1936-2023)

ぼくらをめぐるすべては曖昧であり複雑である。(略)あらゆる視点・あらゆる座標軸もつねに“仮の"ものでしかありえないこの「すべて」に、奇蹟的な照明弾を走らせうる唯一のものが詩であるのは(略)。

『天沢退二郎詩集』1968年(思潮社現代詩文庫)P.85-86(初出1963年)

〈その九〉

「言語の世界に深く潜んでるけれども、同時に言葉で解明できないようなものを指す最も有力な記号」

(大岡信 1931-2017)

言葉では解明できないような不思議な魅力を持ったものを見ると、これは詩だって思うでしょう。ということは、〈詩〉という言葉は言語の世界に深く潜んでるけれども、同時に言葉で解明できないようなものを指す最も有力な一つの記号でもあるわけだね。

大岡信・谷川俊太郎『詩の誕生』2020年(岩波文庫)P.23(初出1975年)

〈その十〉

「余白とともに出現するもの」

(北川透 1935-)

詩を書く。この行為が、小説を書く、批評を書く意識との明らかな違いのひとつは、余白の魔性にまといつかれているところにあるのではないか。(略)

詩の出現とは、必ず(と言っていいほど)余白の出現である。だれもがそれを自明にして書き、読んでいながら、忘れている。

北川透『詩的レトリック入門』1993年(思潮社)P.34

〈その十一〉

「詩人の感情の歴史を抜けて飛び出してくるもの」

(田村隆一 1923-1998)

いろんなレトリックで詩が生まれるんじゃない。詩人の感情の歴史を抜けて飛び出してくるものが、詩なんだ。

田村隆一『詩人からの伝言』1996年(メディア・ファクトリー)P.165

〈その十二〉

「言葉による世界の捉え直し、あるいは再構成」

(野村喜和夫 1951-)

詩とは言葉による世界の捉え直し、あるいは再構成である。そしてそれは驚きを、エロスをさえ伴う。私の貧しい読書体験から、そのような一般的命題を引き出すことができると思います。

野村喜和夫『現代詩作マニュアル 詩の森に踏み込むために』2005年(思潮社 詩の森文庫)P.83

〈その十三〉

「『詩とは何か』という問いを孕み、その回答として書かれるもの」

(城戸朱理 1959-)

十九世紀なかばまで、詩は民族と言語に根ざした固有の形式を持っていた。その形式を捨てるところから始まったのが今日の自由詩であって、形式という保証がないだけに、それは必ず「詩とは何か」という問いを孕み、その回答として書かれるものになる。

城戸朱理・野村喜和夫『討議 詩の現在』2005年(思潮社)P.379

〈その十四〉

「何かの存在をみとめ、気になり、名づけること」

(阿部公彦 1966-)

名づけは詩のもっとも基本的な機能です。何かの存在をみとめ、その対象が気になってしまうこと。それに名前をつける必要があると思うこと。実際に名前をつけるかどうかよりも、名づけの必要を感じること自体に詩のエッセンスがあるのです。

阿部公彦『詩的思考のめざめ 心と言葉にほんとうは起きていること』2014年(東京大学出版会)P.10

〈その十五〉

「『かたち』にならない、名づけがたい根源的なところにあるらしいものの、『思想』というよりも、『思いの塊り』といったほうがよいようなもの、そういうところへと躙り寄っていくための、細い道のひとつ」

(吉増剛造 1939-)

「詩の心」、「詩情」とか「詩心」とか、それから「ポエジー」あるときには「ポエム」とか、そんな言い方をしますけれども、それよりもはるかに底のほうの、「かたち」にならない、名づけがたい根源的なところにあるらしいものの、「思想」というよりも、「思いの塊り」といったほうがよいようなもの、それの、そのはたらきのようなものをこそ、そして、そのはたらきを促す、あるいはさそう僅かな力をこそ、つかまえなければならない。(略)そういうところへと躙り寄っていくための、「詩」とは、細い道のひとつなのだろうと思います。

吉増剛造『詩とは何か』2021年(講談社現代新書)P.6

以上となる。

少しだけ、私の「感想」めいたことを書いておく。

上にあげた十五の「答え」は、単に私の「お気に入り」を年代順に並べたものであって、それぞれに優劣は無く、正しいか正しくないかといったことともまったく無縁である。

この中で、あえて「いちばんのお気に入り」をあげるならば、〈その十一〉にあげた田村隆一による「詩人の感情の歴史を抜けて飛び出してくるもの」になるだろうか。

田村の言う「詩人の感情の歴史」には若干の説明が必要であろう。田村はこれを、C・D・ルイースの書き記した「詩の生まれるプロセス」からとっている。田村の引用から孫引きしつつ私なりに要約すれば、それは

●一篇の詩の「種子」が、詩人の想像力を強く打つ。この「種子」とは何らかの経験や漠然とした感情などであるらしい。

●その「種子」は詩人の「無自覚的意識」に忍び込む。

●それは徐々に成長し形を整え始める。

●一定の年月(数日から数年)を経て、詩人はひとつの詩を書きたい、という激しい欲望を感じる。それは肉体にまで浸み透るような実感である場合が多い。

ということらしい。

田村はこの「プロセス」をして「詩人における感情の歴史」と呼んでおり、これを抜けて詩人の内側から飛び出してくるものが詩である、と言っていることになる。なんともかっこいい「詩の定義」である。

ひとつの詩が生まれる。つまり、「種子」が体内に宿り「一篇の詩」となるために外へ出て行こうとする瞬間までのプロセスが、(引用者注;このルイースの論には)ほんと見事にとらえられているんだ。いいかい、このプロセスがない限り、ある一篇の詩がいかに巧妙に正義を歌ったり、愛を讃えても、またモダンな意匠で書かれても、真の意味でそれは「詩」ではないんだよ。

ぼくはこの重要なプロセスを、詩人における感情の歴史と呼んでいる。

田村隆一『詩人からの伝言』1996年(メディア・ファクトリー)P.163-164

(なお、この「答え」は、田村への「聞き取り」を編集者がまとめた1996年発行の書籍に記載のものだが、この論の「原典」は1955年に発表された「路上の鳩」と題された田村のエッセイ風の詩論のようだ。但し、そちらには「詩人の内側から飛び出してくる」という文言は含まれず、このような談話調での記述はなされていない。)

また、〈その六〉の高村光太郎による「一種のエネルギであって、一篇の詩全体から発散してくるエマネイション(放射物)が詩の本体」についても、いかにも言語によらない芸術である彫刻家らしい「答え」として、私は結構気に入っている。詩の「本体」をどこか原初的なエネルギーであるとする光太郎の答えは、詩の起源を言語以前の「叫び」や「うた」に見出だす論とも通じているように感じられ、私の好みに合う。ただし、これを自著で紹介している鮎川信夫は「かなり曖昧」だとやや否定的に引用していることもここに書き留めておく。

鮎川はこの光太郎の「答え」を引き合いに、詩の「定義」とはこのように「詩人の人生観、世界観、あるいは詩にたいする欲求とか、切迫した感情とか、あるいは強烈な気魄とか」によって導き出さざるを得ないとも述べている。結局は「詩とはなにか」への答えは、その人物の「人生観や、詩に対する欲求、気概」によってしか答えることしかできないとしており、この鮎川の理路も鮮やかであり、納得できるものだ。

かなり曖昧な意見です。(略)いわば、この高村氏の言葉全体が、自己の詩作の体験から語っているのであって、その意味では興味がないこともありませんが、決して「詩とは何か」の定義を明かにするものではないのです。

(略)そして、こうした場合、けっしてすべての詩を考慮して言っているわけではなく、ごく狭い範囲で、ある種の限定された詩について語っているのであり、私たちの理解力は、非常に後退した地点に立たざるをえないのです。したがって「詩とは何か」に答えるものは、私たちの詩の理解力ではなく、むしろ詩人の人生観、世界観、あるいは詩にたいする欲求とか、切迫した感情とか、あるいは強烈な気魄とかによって導き出される場合が多いようです。

鮎川信夫『現代詩作法 現代詩とは何か・いかに書くか 新装版』1971年(思潮社)P.43-44

この他にも、〈その十〉北川透による「余白とともに出現するもの」、〈その十四〉阿部公彦による「何かの存在をみとめ、気になり、名づけること」といった「答え」も、私には強く印象に残った。シンプルにキーワードとして取り上げるならば「詩=余白」と「詩=名づけ」などとも表せるが、いずれも、「詩とはなにか」を考える際の鍵になる視点である思う。

■参照と引用

ここからは、本記事作成にあたって収集し参照した書籍と当該箇所の引用になる。記事タイトルの「二百五十くらいの答え」とは、これらの参照文の中の太字部分を指している。正確に数えるのは止めてしまったが二百五十を超えていることは間違いないし、なんなら三百を超えているかもしれない。

また、記事の直接の参考としたわけではないが、「詩とはなにか」という問いを生成AIに問うた際の「答え」も巻末に付している。

結果として膨大な量となっているが興味ある方はご覧いただきたい。(下に参照書籍一覧を兼ねて本記事の目次を表示させている)

*書籍の発行年次順に並べている(近年再出版された犀星と朔太郎の書籍も奥付の発行日に依っている。翻訳書については、原書の発行年が分かるものはそちらを優先した)。

*引用文中の太字強調は特に断りない場合はすべて引用者による。

*巻末に付録として、生成AIによる「詩とはなにか?」「詩情(ポエジー)とは何か?」という問いへの回答をあげている。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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