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天球にはセイレーン(歌声で人の心を惑わせる妖女)が座っていて、ある音の高さで歌っています
https://www.amorc.jp/about-music/?fbclid=IwY2xjawLVl9BleHRuA2FlbQIxMQBicmlkETFxbFdZUGc4SjgzOTZJZHpFAR4UhZYC2t6ZPP8CQwCVqB_e5oA8clXMJG2fBimzroPRXKGMMqL70DIp_8SGKw_aem_pSj0f8jwCYwB48m8Tv-PQw 【音楽についての数々の謎ーバラ十字会フランス本部代表の公式ブログから】より
まえがき
こんにちは、バラ十字会の本庄です。
今回取り上げる話題は音楽です。皆さんもきっとお感じになったことがあると思いますが、音楽には謎がたくさんあります。
たとえば、次のようなことです。私たちは子供のころから、親や周囲の人の語る言葉を聞いて、その意味が少しずつ分かるようになります。小学校の国語の時間には、文章の解釈を学びます。
ところが音楽の大部分は、今までに聞いたことがない特定のリズムと音と旋律の組み合わせですし、その解釈について本格的に学んだことがありません。また音楽には、言葉のような厳密な文法もありません。
それにもかかわらず、私たちはなぜ音楽に込められている感情を理解することができ、深く心を揺さぶられることがあるのでしょうか。
古代ギリシャの哲学者であるピタゴラスやプラトンは、それが「天球の音楽」をもとにしているからだと考えました。「天球の音楽」とは一体何なのでしょうか。
また、こんな疑問も沸いてきます。古代人も現代の私たちと同じように、音楽に感動したのでしょうか。人類の歴史の中で、音楽はいつごろ、何のために生じたのでしょうか。
これらのことについて、当会(バラ十字会AMORC)のフランス代表が、自身の人気ブログに文章を掲載しています。今回はその翻訳をご紹介します。
記事『音楽について』
バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン
音楽の起源
音楽を作り、演奏するという考えは、どのようにして人間の心の中に芽生えたのでしょうか?確かなことは、誰にもわかりません。しかし、鳥のさえずり、動物の鳴き声、そしてより広く言えば、自然界で生じる音を聞いたことが、自分も音を出したいという欲求を人間の中に呼び起こしたのではないかと考えられています。
そして、直観とさえ言えるかもしれませんが、ある考えが人間の心の中に湧き上がりました。それは楽器を作るということです。人類学者によると、最古の楽器は若い熊の大腿骨から作られた笛でした。それは約6万年前に作られた4つ穴の笛で、スロベニアのツェルクノ(Cerkno)という町の近くの洞窟で発見されたものです。
参考サイト:https://www.nms.si/en/collections/highlights/343-Neanderthal-flute
スロベニアのプリモルスカのツェルクノ近くの丘の12月の風景
氷河期時代の笛 氷河期時代の笛。こちらは35,000年前のもの。
楽器について
今まで人間によって作られた楽器は、およそ64,000種類と見積もられています。それらは3つの主要なカテゴリーに分類されます。弦楽器(ギター、ヴァイオリン、ピアノなど)、管楽器(フルート、トランペット、ボンバルドなど)、打楽器(太鼓、マラカス、木琴など)です。
今日では、それらは2つのグループに分けられます。伝統楽器(ボンバルド、バグパイプ、口琴など)と現代楽器(エレキギター、電子オルガン、電子ドラムなど)です。 これらは互いに相容れないものではなく、一緒に演奏することができます。
訳注:ボンバルド(bombarde):フランスのブルターニュ地方の伝統的な音楽で用いられているオーボエの一種。
楽譜の上に置かれた真新しい金色のサックス
音楽の目的
音楽は何の役に立つのか? これは誰もが抱く疑問でしょう。音楽は、人間の最も貴い部分である魂(soul)に欠くことのできない、生来の欲求と必要に応えるものだと私は考えています。そのため、人類の歴史のごく初期に、音楽を奏でる道具が作られたのでしょう。
音楽は状況に応じて、自身に勇気を与えるため、恐怖に打ち勝つため、神々と触れるため、神を崇拝するため、自身の感情を表現するため、ストレスを発散するため、リラックスして緊張をほぐすため、瞑想するため、超越的な状態に達するために用いられてきました。これら多くの動機によって、極めて多様で、時には正反対とさえ思える音楽のジャンルが生じてきました。
夏祭りと横笛
音楽のジャンル
音楽にはさまざまな分類方法がありますが、たとえば次の3つ、もしくは4つのジャンルに分けることができます。
アフリカ系アメリカ人の影響を受けた音楽(ブルース、ゴスペル、ジャズ、レゲエ、ラップなど)、国際的なポピュラー音楽(ポップ、フォーク、ロック、パンク、メタルなど)、西洋音楽(17世紀から19世紀初頭に西洋で創作されたすべての音楽)です。さらに西洋音楽には、2つのジャンルが含まれます。和声が「多声的」(confused)であると言われるバロック音楽と、和声の規則を尊重する古典派音楽です。
ベートーベン、モーツァルト、ヨハン・セバスチャン・バッハ、シューベルト、ワーグナー、ヴィヴァルディ、ドビュッシーなどの音楽家によって作曲された傑作を誰もが知っています。それから何世紀もが経ちましたが、これらの作曲家が創作したオペラ、協奏曲、バレエ、フーガ、レクイエムなどは今でも世界中で鑑賞されています。
古風なレコードプレーヤーで再生されているLPレコード
天球の音楽
いわゆるピタゴラス音階の作者であるピタゴラスは、音楽のことを、人間を通して表現される神の性質の発露であると考えていました。ピタゴラスによれば音楽は「天球の音楽」と不可分のものです。天球の音楽とは、太陽、月、水星、火星、金星、土星、木星の運動によって奏でられているとされる宇宙の音楽です。
プラトンはこう述べています。「音楽は私たちの心に魂を与え、思考に翼を与える」。バラ十字哲学の観点から見ると、音楽はその最も美しい表現において、人の心の深奥にある高貴さと深く関連しています。深い調和が表現された音楽は、人間という存在のさまざまなレベルに肯定的な影響を及ぼし、望ましいあらゆる結果が私たちにもたらされます。
音楽は、私たちをリラックスさせ、落ち着かせ、再生させ、癒し、インスピレーションを与えることができます。「音楽は人の気性を和らげる」(La musique adoucit les mœurs.)という古代ローマの詩人オウィディウスに由来する言葉がフランスでは広く知られています。
音楽を人生の友にすべき数多くの理由があります。
区切り
あとがき
再び本庄です。「天球の音楽」について補足しておきます。
プラトンを代表する著書『国家』の最後には、「エルの物語」という、戦争で死んだある戦士が火葬の直前に生き返り、その間にあの世で見てきたことを語る場面があります。
そこには天球の音楽についての次のような描写があります。
天の丸天井には、巨大な紡錘(ぼうすい:はずみ車の中心に針状の鉄棒が通っている糸をつむぐ道具)が釣り下がっていて、運命の女神アナンケがこれを回しています。
紡錘のはずみ車には8つの天球(外側から、恒星天、土星天、木星天、火星天、水星天、金星天、太陽天、月天)があり、その中心に地球があります。
それぞれの天球にはセイレーン(歌声で人の心を惑わせる妖女)が座っていて、ひとつの音の高さで歌っています。この8つの音からできているのが「天球の音楽」であり、そこには宇宙の調和が余すところなく表れています。
つまり、プラトンの描いているソクラテスは、人が音楽になぜ感動するのかをこのたとえ話によって説明しているわけです。
研究によれば、この部分には、プラトンがピタゴラス学派から受けた影響が表れています。
「エルの物語」には、まるでインド哲学のような「カルマの法則」(因果応報)の考え方も表現されていて、とても興味深い読み物です。岩波文庫(プラトン著『国家』下巻)やその電子書籍版が簡単に手に入りますので、ご興味のある方は、どうぞお読みになってみてください。
https://note.com/yoshiminekondo/n/na5d370671462 【天文学と幾何学、哲学、四学の中の音楽】より 近藤寛峰(Yoshimine Kondo)
天球の音楽
ピュタゴラスは宇宙の理、星や太陽、惑星などその調和の根元がどこにあるのかを理解しようとしました。
古代ギリシャではライラなどの演奏も行われていましたが、そうした目的よりも、ピュタゴラスにとっての音楽は自然の中の理、宇宙がどのように構成され、人間がそれをどのように享受しているかを解き明かす為の物としていました。
宇宙は数の調和により構成されており、音楽も同様に数の調和により構成されていると考えました。そのため、ピュタゴラスは音楽を解き明かせば宇宙の真理に突き当たると考えました。
ピュタゴラスは天体のそれぞれの惑星は回転しながら固有の音を発しており、そして太陽系全体が音楽を奏でていて、天体も原子もその運動とリズムと振動によって特定の音を発している。それら全ての音と振動が宇宙の調和を作り出している。
音楽の波動が宇宙の秩序を表す、これを「天球の音楽」と呼びました。
ピュタゴラスの研究対象は星や太陽、月や惑星の下に存在する調和そのものでした。
ピュタゴラスは音楽を軸にした物事の調和におけるハルモニア、幾何学のような関連性を示すものをシンメトリア、宇宙の調和をコスモスと名付けました。
宇宙の元に自然や人の作り出す社会、人の心の調和はコスモスになります。
プラトンの音楽
プラトンは紀元前430年ごろに生まれた、古代ギリシャの大哲学者です。
西欧の様々な現象はプラトンの思想を基に作られたと言っても過言ではないほど様々な事象に対する叡智を作り出しました。
プラトンはアテナの郊外にアカデメイアと呼ばれる学園を作りました。
有名な賢人アリストテレスはプラトンを教師としたこのアカデメイアの出身の哲学者です。
ちなみにアリストテレスはわりと手厳しくピュタゴラス、プラトンの天球の音楽をこのように批判しています。
星自身は動いておらず、星が付着している天球が動いていて、その上で、音を発するのは、動いていないものの中で動くものだけである。
動いているものに付着しているだけで、しかも摩擦を生じていないものは音を発しない。 ところで、星は天球に付着しているのだから、音を出さない。
それは、あたかも大きな船が川面に浮かんでいるときに、船の巨体は動いているけども音を出さないのと同様、そういった趣旨の話をしています。
また、プラトンの作ったアカデメイアは今でも英語でいうAcademyの語源でもあります。
プラトンはその当時にいたピュタゴラス派のアルキュタスという人物にピュタゴラス派の数学や幾何学を学びアカデメイアでの教育に取り入れました。
ノーベル文学賞受賞者で哲学者、論理学者、数学者のバートランド・ラッセルに言わせるとプラトンはピュタゴラス派の教義そのものを教えていた、と言うほど影響は濃かったようです。
プラトンの音楽教育の軸は音楽を聴くと起きる様々な変化は、調和(ハルモニア)によってもたらされており、魂の救済(カタルシス)を得る事ができるのは宇宙の調和による為と考えました。
当時、宇宙にある第五の物質とされたエーテルが音楽の要素、元だと考えられていました。
プラトンは音楽がこのエーテルを介し人間の魂へ調和をもたらすものとしました。
このエーテルは物理学において光の媒体の語源や化学物質の語源になりました。
物理学において光の媒体エーテルはアインシュタインの特殊相対性理論と光量子仮説が言われるようになり廃れてしまいましたが、そこまで実際に存在を考えられていた物質でした。
プラトンの音楽は、より良い精神を持つ人間になるために音楽が必要、という考え方でした。
プラトンはピュタゴラスの宇宙と音の調和に魂の調和という意味を加えました。
ちなみにプラトンの音楽観は現代的な感覚で読むとかなり辛辣な事を書いていてかなり笑えます 笑
「私たちの音楽はかつて、確立された様式を持つ音楽とそうでないものとに分かれた。知識や教養のある見識は、口笛、群集のざわめき、拍手のような無分別で非音楽的なものを禁じた。静かに聴き、知ろうとすること、これがルールだった。しかしその後、音楽の規律、形式に無知な詩人たちによって非音楽的な無秩序がもたらされてしまった。彼らは、音楽には正しきこと、間違ったやり方などないと、自身を欺いて言った。彼らは、音楽はそれがもたらす愉悦によって良し悪しが判断されるべきだといった。彼らの言うところまた彼らの理論は、ずうずうしくもしかるべき判断ができていると大衆に思い込ませ、大衆に悪影響を与えている。だからわれわれ観客、つまりかつて静寂を守っていたのに、時を経ておしゃべりになった、この音楽の貴族は芸術文化に悪影響である。批評は音楽でなく、デタラメな才知、規律を破壊する精神であり、名声のためのものである。」プラトン著「ミノス」
また、今だとビジネス書なんかを見るとリベラル・アーツという言葉が見られますがそれはこのプラトンのアカデメイアの考え方が大元になっています。
プラトンの時代はアルテス・リベラ―レスと呼ばれ、その目的は、肉体労働から解放され知性を磨き精神を鍛えるという物でした。
プラトンのアカデメイアでは三学(文法学、論理学、修辞学)音楽を含んだ四科(天文学、幾何学、哲学、音楽)をリベラル・アーツとして位置づけしていました。
割と今では芸術という言葉自体の意味が不透明になっていますが日本語の「芸術」という言葉はもともと、明治時代の思想家、西周によってリベラル・アーツの訳語として造語されたものです。
※詳細には藝術ですが、日本語の芸術と藝術とアート、美術の違いのような話はここでは割愛します。
この時代のリベラルアーツ、三学(文法学、論理学、修辞学)、四学(天文学、幾何学、哲学、音楽)の考え方はギリシア崩壊後、その文献がイスラム文化圏にも流れ、取り入れられているため多くの共通する部分があります。
プラトンとギリシャ旋法
またプラトンの時代にはいわゆるギリシャ旋法と呼ばれる理論の基礎が存在していたそうです。
ギリシャ旋法は後の教会旋法(チャーチモード)と呼ばれる理論の大元でもあるようです。
現代において教会旋法(チャーチモード)で有名なのはJazzの巨匠マイルス・デイヴィスの作った名盤「Kind of Blue」の1曲目「So What」が挙げられますが、ギリシア旋法は現在使われているチャーチモードとはほぼ違になるものです。
名前も似てるのと違うものが混在しています。
この時代はそもそもキリスト教などは存在していませんし教会も存在していませんでした。
ギリシャ旋法を教会旋法に発展させたのが後のボエティウスという古代ローマの哲学者でした。
また、この旋法には感情を表したりする事がもう既にあったようです。
古代ギリシャは戦いが多く、戦士のためにこれらの音楽が使われていたようです。
たとえば悲しみを表現する混合リディア調か高音リディア調はとりわけ男子には排除すべきとし、またイオニア調は柔和で弛緩した調べとして酒宴用だと見なしている。一方、勇敢さや節度といった性質を表すのはドリア調やフリギア調で、勇敢な戦士や運命に毅然と立ち向かう人にふさわしいとした。プラトン著・藤沢令夫訳『国家』p232-234より
また、後のアリストテレスはこれらの考え方を引き継ぎました。
アリストテレスはより柔和な音楽を好み、リディア調を「教育上好ましい」としていたようです。
上記のような例もありフリギア調で奏でる笛の音は心を癒すなど、音楽療法的な考え方もすでに存在していたようです。
以下ギリシャ旋法の概要です。
今では通常、音階は上がって教えられますがこの当時は下がって教えられたようです。
ギリシャ旋法
ミクソリディア (1点シ〜シ)
リディア (1点ド〜ド)
フリギア (1点レ〜レ)
ドリア (1点ミ〜ミ)
ヒポリディア (1点ファ〜ファ)
ヒポフリギア (1点ソ〜ソ)
ヒポドリア (1点ラ~ラ)
これらはテトラコルドと呼ばれる4つの音の塊を2つ組み合わせたものです。
例えばドリア旋法だと[ E F G A ][ B C D E ]の組み合わせとなります。
今のピアノだとミからオクターブ上のミの間、ということになります。
この時期にあったピュタゴラス音律では既にオクターブの概念がありましたので7つの音をそこまで至るのにどう作るかというので考え出されたようです。
テトラコルドの概念はアリストテレスの弟子であったアリストクセノスにより発明されました。
また、テトラコルドは民族音楽を扱う際によく出てきます。
現代音楽家のヤニス・クセナキスなどはアリストクセノスのテトラコルドの理論を「音楽と建築」という本で出していたりします。
またこのテトラコルドは同じく現代音楽家のシェーンベルクの無調音楽の基礎、12音技法の元にもなっています。
この時設定された7つの音というのは後の16世紀ヨハネス・ケプラーという天文学者の提唱するの惑星の音律や、地動説を提唱したコペルニクス、その地動説を証明したガリレオ・ガリレイとその父でルネサンス音楽最大の重要人物ヴィンチェンツォ・ガリレイ、万有引力を発見したニュートンなどの彼ら科学革命を起こした天文学者、科学者の中で大きな存在になっていきます。
あと面白いのが彼らは一部では世の中の考え方全てをひっくり返してしまうくらい物凄く鋭いですが、他では全然科学でもないんでもないとんでもないこと言ったりしてるので、それもそのうち紹介したいと思っています。
そしてヨーロッパ、アメリカ等では今でも古代から宇宙で奏でられる音をとても重要視しているようです。
現代の天球の音楽
NASAなどがこういった宇宙の音を採取するのもピュタゴラスの「天球の音楽」の影響なのでしょう。
1972年に打ち上げられたヴォイジャー探査機などに各国の音楽が入ったレコードをわざわざ載せたのは「他に知的生命体がいるかもしれないから」としましたが、他の知的生命体にも音の調和や繋がりがあるという仮定はそうした影響でしょう。
身近な所だとデヴィッド・ボウイのジギー・スターダストも星からきた、とされています。
もしかしたらこの先、科学がさらに発展し宇宙空間で音楽が鳴らすことができるようになった時代が来たとして、宇宙空間で音楽を聴くとかもしくは作るとか、実際どういう風になるんでしょうね。
ちなみに古代ギリシャの音楽はこのような音楽だったみたいです。
https://www.youtube.com/watch?v=CGjcxrB2B0U
https://damp-akune-9829.weblike.jp/category/%E5%A4%A9%E7%90%83/ 【何となく芹の香のする箸の先『天球』】より
芹は春の七草でもあり数少ない日本原産の野菜のひとつ。独特の香りや爽やかな食感が好まれ『日本書記』の歌謡や『万葉集』の和歌にも詠まれている。
箸の先から芹の香がするというのだから、芹を使った料理ではないだろうかと想像する。十七音の言葉の力で、言葉にしなかった眼前の何かを俳句に落とし込んでいる。そのことによって読者は箸の先へと心を遊ばせ、作者が言葉にしなかった何かと出逢うことが出来るのだ。
著書『長谷川櫂 自選五〇〇句』のなかで作者は「俳句は言葉の意味を連ねて説明するより、言葉の風味を醸し出す文学であるらしい」と述べている。掲句はまさにそのことが体現された一句となった。所収は第二句集『天球』。飴山實に師事を仰いだ最初の句集でもある。(髙橋真樹子)
芹は、春の七草のひとつで、その爽やかな香りと柔らかさが特徴である。箸の先から芹の香りがする。ただそれだけの句であるが、問題は、上五「何となく」である。掲句は、作者の第二句集『天球』に掲載されたものであるが、現在、作者から指導を受けている身としては、作者が「何となく」という曖昧な措辞を選ぶのは、意外であり、驚きでもある。
作者は、何故「何となく」と詠んだのか。それをふまえて読み直すと、単に箸の先から芹の香りがするというよりは、どこからか芹の香りがして、それが箸の先であることに気付いたという小さな発見、さらに、いつか誰かと芹を食したことにまで思いを馳せる、作者の心象風景が浮かぶ。
加えて、掲句には、連句の付句のような風合いがある。連句では前句に付きすぎず、余白を残すことが求められる。「芹の香」「箸の先」という具体的な物に、「何となく」という言葉を添えることが、余白を生み出す仕掛けになっているようにも読めるのだ。(田村史生)
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