宇宙からの情報を伝達する水

https://e-denen.net/blog121/ 【宇宙からの情報を伝達する水―愛と感謝への共鳴が人類の未来を拓く】より

――体内の70%を占める水を、あなたはいまどう感じていますか?――

2023年も9月に入りましたが、酷暑はまだ終わりを知らないようです。

少しでも涼をとりたいとき、自然のなかで川や滝を見たり、流れる水音を聞いたりすると、何とも言えない清涼感がありますね。

水の力は、それだけではありません。栄養素を取り込み、血液、体液、リンパ液として体内を循環させています。また水が何らかの情報を記憶する性質をもっていることは、量子物理学の分野で実証されています。

文屋は2023年3月に『楽しむために生まれてきた カギは「もともと完璧、いま最高!」』(著者・井上悟)を出版しました。

本書で語られているのは、水がわたしたち人間の原点である宇宙からの情報を伝達しているということです。そのような意味で、水はすべての命の源であるといえます。

水の「プラズマ」は宇宙からの情報を伝え、人と人をつなぐ

あなたの思いや願いなどが時間や距離を超えて他の人に通じるという、不思議な体験をしたことはありませんか?

その謎を解く鍵が、水の「プラズマ」にあります。世界中の人がつながっている、ということを確信させてくれるものです。

水は氷(固体)、水(液体)、気体(蒸気)と、温度によって変化します。蒸気をさらに高温にすると、原子を構成しているプラスの原子核とマイナスの電子がバラバラになり、空中を飛び回ります。これを「プラズマ」といいます。

いま最先端の科学によって明らかにされようとしているのは、この水の第四の状態といえる「プラズマ」が、宇宙からの情報をすべて記憶し、地球に運んでいくということです。

情報を伝達する意志と意識は、「愛と感謝」の共鳴現象

宇宙は「プラズマの海」といっても過言ではなく、「プラズマ」が宇宙の叡智(えいち)です。叡智とは、心身を維持管理していく情報や、魂が人生のシナリオを実行するための知恵のこと。意志や意識の伝達も、この「プラズマ」があってこそ可能になります。

本書の著者である井上悟さんは、波動リーディングオペレーターであり、カウンセラーです。波動リーディングとは、この地球上の三次元に生きるわたしたちの心身の状態を、宇宙の五次元の世界から波動として読みとる(リーディング)システムです。

波動リーディングでは、この宇宙の「プラズマ」にアクセスし、生命体の情報や心身のバランスの情報、そしてこの地球上のあらゆる物質の情報を受け取ることができます。

水だけでなく、60兆個の細胞で成り立っている人間をはじめ、生物、鉱物をふくむあらゆる物質は原子の集合体です。さきほど図示したように、水がプラズマ状態であるときに、原子は、原子核と電子に分離して飛び回ります。単独の陽イオンとなった原子核は、陽子と中性子で構成されています。

2007年に足立育朗氏は、陽子が意志、中性子が意識であるという情報を発表しました。(『波動の法則』足立育朗著・2007年ナチュラルスピリット)

井上悟さんの解釈では、陽子の意志とは「生きていく」という意思表明であり、「愛」の表現として発信することです。そして中性子の意識は「生かされている」という「感謝」の表現であり、宇宙や大自然からの受信を意味しています。

つまりこの世のすべては「愛と感謝」の共鳴現象によって受発信が繰り返され、必要な情報が伝達されているということです。

体内の70%が水である人間には無限の可能性がある

約200万年前にヒトとして分化し、さらに約5,000年前から文化的生活を開始したわたしたち人間。この間に歴史的な偉人たちが大きな原理を発見し、進化を続けてきました。

そのすべての源には、宇宙からの情報があると考えられます。「プラズマ」に記憶されている真理が呼び起こされたのです。

わたしたちの魂は「もともと完璧」です。生まれる前に描いた人生のシナリオどおりに生きれば、宇宙の真理を理解し、三次元の世界で進化を遂げることができます。わたしたちが人生を楽しむことで魂の望みを発信し、それに見あった情報を受信することによって実現できることです。

しかし多くの人にとってそれが難しいのは、わたしたちの生命体(こころ)がエゴや我欲にあふれ、体内の水が汚れてしまうからです。

では、どうすれば人生のシナリオどおりに生きることができるのでしょうか。

その鍵となるのが「愛と感謝」です。自分を愛し、何があっても信じ切る力をもつこと。そして宇宙や大自然の存在、この地球で体験をともに分かち合っている人々に感謝をすることです。

体内の70%が水で占められているわたしたちは、愛と感謝で満たされています。その意味を忘れずにいれば、水の「プラズマ」に記憶された宇宙の真理を理解し、無限の可能性を広げて未来を拓くことができます。

すべてはわたしたちのなかにあるのです。

いまこそ体内の水の力をぞんぶんに感じ、ともに未来を創っていきませんか。


https://rockinon.com/news/detail/199238 【「水たまり」から見える世界 - BUMP OF CHICKEN『なないろ』に寄せて】より

BUMP OF CHICKEN の『なないろ』を聴いて、気になったのは「水たまり」のことだった。

<昨夜の雨の事なんか 覚えていないようなお日様を 昨夜出来た水たまりが 映して キラキラ キラキラ>

2021年5月17日の朝に放送が始まった、主人公が気象予報士を目指すというストーリーのNHK連続テレビ小説『おかえりモネ』の主題歌であるこの曲は、「闇雲」という「雲」が入った言葉で始まり、その後も「空」や「虹」といった気象に関する言葉が次々に登場する。

この曲の冒頭で描かれている場面は、どうやら夜に降った雨が止んだ後の、雨上がりの晴れた朝の時間のことのようだ。

ちょうど朝のドラマが放送されているくらいのその時間に、外へ出て上を見てみれば、そこには青い空が広がり、東からは太陽の眩しい光を感じるだろう。時には虹も見えるかもしれない。

対して、下を見たときに気づくのが「水たまり」だ。

視線を上に向けたときに見える虹や晴れ渡る空は、ニュースに取り上げられることもある。映像や画像として綺麗だし、見た人を清々しい気分にさせる。「関東の一部では虹が見られました」などと、気象予報士やニュースキャスターが話しているのを、確かに聞いたことがある。

それにひきかえ、下にある「水たまり」はニュースになんかならない。それどころか、急ぎ足の通行人にとっては邪魔な存在で、今にも舌打ちしそうな表情で一瞥されることだってあるだろう。

だが、この曲の中で BUMP OF CHICKEN は確実に視線を下に落とし、「水たまり」を見ている。

<お日様を/昨夜出来た水たまりが 映して>と、「お日様」を見ているのではなく、「お日様」を映している「水たまり」を見ているのだ。

そこには、雨上がりの朝に通勤や通学をする人たちが、下を向いて歩いているときに必ず遭遇する風景を描写している、という面ももちろんあるだろう。

しかし、それ以上に、この「水たまり」には様々なものが反映されているように思えた。

なぜなら、ここで BUMP OF CHICKEN は、太陽をあえてありがたく尊い存在のように「お日様」と呼び、その光を反射させる媒体として「水たまり」を描いているからだ。

その「水たまり」の姿は、華やかな存在の陰にいる多くの人を想像させる。

この一年、どれだけの華やかではない業種の人たちが仕事を失ったり、逆に激務に耐えたりしたのだろう。ニュースにも取り上げられない、メディアも取材になんて来ない、困窮しても救いの手を差し伸べられることもない、声を届けることもできない、それでも地面に這いつくばって生きている、そういう人たちがたくさんいるはずだ。

そのようなことを考えると、<昨夜の雨の事なんか 覚えていないようなお日様>というのは随分と無神経な存在のようにも思えるし、そんな「お日様」の光を下にある「水たまり」が媒介となって反射させているのだとすれば、<キラキラ キラキラ>というフレーズには、美しさだけでなくグロテスクな感触も含まれているような気がしてくる。

なにかひとつアクションを起こせば何十万人がそれに反応し、ライブを開催するとなればドームを満員にし、ついには朝ドラの主題歌を務めるところまで来た BUMP OF CHICKEN は、今や日本で指折りの有名バンドで、そのパブリックイメージは「水たまり」とは対極の、雲の上のような存在、「お日様」側の存在だろう。

そんな BUMP OF CHICKEN が、いま「お日様」ではなく「水たまり」を主体に歌う。それは上記のパブリックイメージからすれば、違和感を感じさせるものになりかねない。

しかし、不思議なことに、この曲を聴いていて、「弱者の側に立つ」とか「弱者に寄り添う」というような、強者としての振る舞いを感じることは一切ない。むしろ、水たまりの汚れた水面には、 BUMP OF CHICKEN 自身の生き様が微かに滲んで見えるような気さえする。バンド名の「弱者の反撃」「臆病者の一撃」というところから始まり、何もないところからあの数々のメロディーを生み出してきた、その過程で経験してきたこと。そこで味わった地面に這いつくばる感触や泥臭さ。そういった自らの中に今も残っているものを、彼らは「水たまり」の中に見出しているように思えた。

それに、思い返してみれば、BUMP OF CHICKEN はいつだって <僕の旅> を歩いていく動機や歩いていくための気力を自分の中だけに見出し、自分の中から生み出してきた。自分に情熱を灯すためのランプは自分の中にしかないのだと歌った『ランプ』の頃から、ずっとそうだ

だから『なないろ』でも、 <躓いて転んだ時> に「起こす」のではなく、<起き方を知っている事> を <教える>にとどまる。また、<手探りで今日を歩く今日の僕が> というフレーズで、「手探りで今日を歩く僕が」でも意味は通じるのにわざわざ「今日」という言葉を重ねて歌っているのは、自分の現在地と自分の心の中を何度も確かめるためなのだと思う。確かにここまで歩いてきた自分がいること、その今日の自分の中にあるもの、それをちゃんと確かめようとしているのだと思う。

そんなふうに動機や気力を自分の中に探し、何度も自分に問いかけたり自分に確かめたりしながら進んできた BUMP OF CHICKEN が、<高く遠く広すぎる空> よりも自らの足元にある <水たまり> に様々なものを投影するのは、ごく当然のことなのかもしれない。

また、「お日様」や「虹」のような華やかで映える存在ではなく、「水たまり」の方を主体にするというスタンスは、曲の構成やサウンド面にも表れている。

『なないろ』は、特に派手な展開があるわけでもなく、「気象」がテーマのドラマ主題歌ではあるが「空」や「宇宙」からイメージする壮大さを打ち出すわけでもなく、AメロBメロサビとするすると進行していく。サビでも過剰な盛り上がりを見せたりはせず、ハイハットを細かく刻む音や、細やかな動きを見せるギターの音が、まるで細々と続いていく日々の手仕事のように、昔からそこにあったかのように、歌の後ろで軽やかに鳴っている。そして、特筆すべきは間奏で入ってくる管楽器の音だ。この管楽器も、壮大さを演出するのではなく、まるで虫の声のような、風や水の音のような、ごく自然な音色を奏でている。その音色には、聴く者の心までナチュラルに、軽やかにしてしてくれるような不思議な力を感じる。

そして、こうした日々の細々とした生活や豊かな自然を連想させる演奏を聴いていると、そこにはたくさんの「循環」があることにも気づかされる。春が来て夏が来て秋が来て冬がくること。朝が来て昼が来て夜が来ること。雨が降り水たまりができて、やがて雨が上がり太陽の熱が水を蒸発させ水たまりが消えること。

そういった幾つもの循環の内側に植物も動物も人間もいて、私たちはその循環から、特に生命の循環からは決して逃れられないということに気づかされていく。

このようなことを考えていると、循環の中で私たちにできることというのは、なんと限られているのだろう、と思ってしまう。そして、その限られたわずかにできたことさえも、雨が降れば流されてすぐに消えてしまうのかもしれない。だが、そのほんの小さなものが確かに一瞬はそこにあったのだということを BUMP OF CHICKEN は歌う。

<乾いて消える水たまりが それでも キラキラ キラキラ 青く揺れる>

広大な空と比べたらちっぽけで、華やかさもなくて、そのうち消えてしまう「水たまり」。

そんな「水たまり」が完全に乾いてしまう前のほんのわずかな時間を切りとったこのフレーズに、私は BUMP OF CHICKEN の「水たまり」に対する慈しみを感じた。ここで歌われる <キラキラ キラキラ> は、冒頭に引用したフレーズの <キラキラ キラキラ> とは感触が違い、慈しみや透きとおるような美しさに満ちているのだ。そしてその慈しみと美しさに包まれるとき、空や太陽は「水たまり」にとって対極にあるだけのものではなく、循環の過程で水が分解して帰っていく場所でもあるということに気づく。最初の <昨夜の雨の事なんか 覚えていないようなお日様を/昨夜出来た水たまりが 映して キラキラ キラキラ> というフレーズでは、「水たまり」と「空」「お日様」が地面と天、あるいは下と上という対極に位置していたのに対し、この <乾いて消える水たまりが それでも キラキラ キラキラ/青く揺れる> というフレーズでは、「水たまり」「空」「お日様」がひとつの循環に中にある仲間であるかのように感じられるのだ。

循環の中で、あるときは水たまりは空を映し、またあるときは水たまりは空に帰る。水たまりは、空と対極になったり、空と一緒になったりする。そして私たちは、水たまりを見るときそこに空を感じ、空を見るときそこにかつての水たまりを感じる。『なないろ』という曲は、そんなふうに軽やかに、聴く者にとっての天地を反転させてみせる。

このように「水たまり」に思いを馳せながら『なないろ』を聴いてみると、青い空と彩雲の写真のデジタルジャケットは、水たまりに映った空と彩雲のようにも見えてくる。また、タイトルが『虹』ではなく『なないろ』であることも、虹そのものではなく、水たまりが映す虹を示唆しているからではないかという気がしてくる。

それらは、「循環」や「反転」というイメージを表したものであると同時に、地面に這いつくばって生きている人、下を向いて生きている人だけが気づくことができる隠れメッセージみたいだ、と私は思った。

私はこの先、虹を見たときも、晴れ渡る青い空を見たときも、「水たまり」のことを思うだろう。

そして、「水たまり」を思うとき、頭の中には『なないろ』が軽やかに流れ、BUMP OF CHICKEN と視線を共有することができるだろう。

私たちはどんなに遠く離れていても、「水たまり」から見える世界を共有するのだ。

https://www.youtube.com/watch?v=26cbq29o0KI

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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