鳩の観察眼は多様

https://ameblo.jp/yujyaku/entry-12839821872.html 【下萌の川辺に遊ぶ土鳩どち】より

下萌の川辺に遊ぶ土鳩どち( したもえの かわべにあそぶ どばとどち ) *原句一部修正

先日行った「梅小路公園」では、先に取り上げた草花の他にも幾つか春の花が咲いていた。しかし、まだ数が揃っていなかったので、来週辺りから順次取り上げたいと思う。

今日は、公園から帰る途中に鴨川の河川敷を散策したので、その様子を取り上げたい。立春を迎えたので、そろそろ草も萌え始めているのではと思い行ってみたが、以前よりもかなり緑が増えていた。

本日の掲句は、その様子を詠んだ句だが、「下萌(したもえ)」と「土鳩(どばと)」との取り合わせで詠んでみた。*どち:「たち」「ども」との中間に位置する接尾語。

「下萌」とは、早春に、去年の枯草の下に隠れるように草の芽が生え出ることをいい、春の季語になっている。*「下萌」は「下萌え」とも書く。

余談だが、「萌える」という言葉は、もともと「芽が出る。芽ぐむ。きざす。」などの意で使われていたが、1990年代より、主にアニメやアイドル好きの男性が「可愛い・好き」の意味合いで用いるようになったそうだ。

2000年代初頭には“オタク用語”として世間から注目を浴び、その後一般的に浸透してきたといわれている。明確な定義はなく、現在では様々な場面で使われているようだ。

ところで、「土鳩(どばと)」は近辺でもよく見かける鳩で、「河原鳩(かわらばと)」の飼養品種のこと。当初、伝書鳩やレース鳩、ペットとして改良されたものが後に野生化した。原産地はヨーロッパや中央アジアなど。

また、身近な鳩に「デデッポポー」と鳴くことで知られる「雉鳩(きじばと)」がいる。この鳩はもともと山地に棲んでいたいたが、今は平地でもよく見かける。名前は、羽の模様が「雉(きじ)」のメスに似てることに由来する。「山鳩(やまばと)」ともいう。

*雉鳩(山鳩)

参考句に関しては、「下萌(え)」を詠んだものをいくつか選んで以下に掲載した。

【下萌(え)の参考句】

下萌の小庭に来るや知らぬ鶏 /正岡子規    下萌をふみて不思議に足軽き /富安風生

下萌に二三歩四五歩はづみけり /岸田稚魚   下萌や家の奥処にピアノ鳴る /日野草城

*奥処(おくか)              下萌や線路幽かに響き来し /橋閒石


https://ameblo.jp/seijihys/entry-12498748676.html 【鳩、とくに土鳩のこと】より

どうでもいいことだが、私はなんとなく「鳩」が好きではない。この場合の鳩は「土鳩」のことである。鳩は「平和の象徴」だが、私には「怠惰の象徴」に見える。

平和と怠惰は違うが、どこか似ている。平和もだれると怠惰になる。

私にとって鳩はそんな象徴である。まず、不潔だ。そばで羽搏かれると埃っぽくてうんざりする。また、その生活は実に「非生産」的である。何をするわけではなく…、というか、正直言って、とにかく一日何にもしていない。

大空を駆けよう…という気もない。土や芝をただつっついて、周囲をうろうろしているだけである。べつに生産的である必要はないが、こいつらには冒険心とか、好奇心とかいうのはないのだろうか、…と思う。

時々、せわしく動いている時があるが、そういう時は、だいたい「メス」の尻を追っかけている。その動作がなんとなく女々しい。「恋」は大事である。恋に熱中することは決して悪いことではない。ただ…見ていると、意味もなく(?)うろうろと歩いて、「メス」を追っかけまわしている。そのメスに逃げられると、しばらくすると今度は臆面もなく別のメスを追いかけている。「節操」がない。誰でもいいみたいだ。人間で言えばチャラ男である。

いや、チャラ男だって、もうちょっとプライドがある。

メスもメスだ。いつまでもうろうろと逃げている。逃げ回ってはいるが、決して気がないというのでもなさそうだ。飛んで逃げても、そんなに遠くには逃げない。

そういうもったいぶった態度も「非生産」的で、見ていていらいらする。

下品な表現だが…、やるなら早くやれよ!と言いたくなる。

「鳩」は季語ではない。「初雀」「初鴉」は新年の季語である。

「初鳩」も一応、新年の季語にはなるが、おそらくどの歳時記にものっていない。

私見だが、おそらく「清々しく」ないからだろう。そういえば近代以前、江戸俳諧にはあまり「鳩」は出て来ない。

今ほどいなかったのだろうか?調べてみると、芭蕉の句に、

鳩の声身に入みわたる岩戸かな(はとのこえ みにしみわたる いわどかな)というのがある。ただ、この場合の鳩は土鳩ではあるまい。「雉鳩」「山鳩」ではないか。

「雉鳩」「山鳩」は「土鳩」のようなイメージはない。むしろ「孤高」の清々しさがある。

山鳩よみればまはりに雪がふる  という高屋窓秋の代表句があるが、これも「土鳩」では話にならない。まあ、そういうことで「土鳩」の怠惰、非生産性がなんとなく好きではないのである。

Facebook小森 圭太さん投稿記事

🎭✨ あなたの現実は「選択」で決まる ✨🎭

「なぜ私の人生はこうなんだろう?」 そんな風に思ったことはありませんか?🤷‍♀️

実は、あなたの人生は映画館での映画選びと同じかもしれません🎭

上映中の映画が何本もあって、どれを観るかを決めるのはあなた自身

😢 悲しいドラマ💪 爽快なアクション�😊 心温まるコメディすべて同時に上映されています

🔬 スタンフォード大学のキャロル・ドゥエック博士の研究によると:* 「才能は固定されている」と信じる人* 「能力は努力によって伸ばせる」と信じる人* どちらを信じているかで、実際の成果に大きな違いが現れることが実証されています!😲(後者の方が成果が出ます)

つまり、あなたが「どの世界を選択するか」によって、現実そのものが変わってしまう🌟

多くの人が「因果関係の罠」に陥りがち📉❌「過去がこうだから、今の私はダメ」

❌「学歴が低いから、収入も限られてる」❌「環境が悪かったから、人間関係が苦手」

でも同じ境遇でも全然違う人生の人いますよね?🤔彼らの違いは「選択」なんです✊

過去の出来事は変えられない🙅でも過去の意味は変えられる💫

未来は不確定🤷でも向かう方向は選択できる🧭🧠 私たちの脳は一日約6万回思考します

そして95%は昨日と同じ思考!😅 = 毎日同じ「世界」を選択し続けているってことはですよ

✨ 思考を変えれば → 感情が変わり → 行動が変わり → 現実が変わる!

なので、小さな選択から変えてみる

🚶‍♀️いつもと違う道を歩く👋 いつもと違う人に挨拶💪 いつもなら諦めることに挑戦

今のあなたは、どんな世界を選択しますか?🌈 ❓

😓不安と心配の世界?✨ それとも可能性と希望の世界?

あなたの人生という映画の主人公は、あなた自身です🎬👑

脚本を書くのも、演出するのも、あなたの選択次第!

今日から、どんな物語を紡いでいきますか?📖✨ その答えが、あなたの未来を決めるのです🌟

FacebookOSHO Japaneseさん投稿記事

それはあなたしだいだ。この世に俗なるものはなにもない。この世に聖なるものはなにもないーー 世界は中性だ。さあ、それはあなたにかかっている、あなたがそれからなにをつくりたいかだ。瞑想はそれを聖なるものにする。そうなったら、あらゆる行為が瞑想的になる。

Osho 


https://note.com/mizugame_guroku/n/nd1a28ef627e7 【ポロリ俳句 デデッポッポー】より 

 キジバトは普通デデッポッポー、というのが鳴き方らしいですね。これは、ニワトリならコケッコッコー、ウグイスならホーホケキョ式のもので、ありのままの鳴き声をうつした表現でありません。そもそもありのままに、文字で表記できるものではなし、とりあえずこのデデッポッポーとしておくのですが、この鳴き声が気になってならないのです。今も耳を澄ませば遠くから聞こえて来るようで、そんなことを気にする自分がおかしいくらいなのですが。

 なぜそんなことになってしまったかいうと、なんともキジバトに対して罪作りなことをしてしまったような気がしているからなのです。

 ことは去んぬる5月1日、つまり八十八夜の日の朝方のことです。

 庭の桜の木にキジバトが巣を妻が見つけたのでした。今は青葉が茂って外からは一見紛れやすそうな枝の股に巣がかけられていて、一羽がそこにちょこんと座っています。もう一羽が見守るようにすぐ脇に留まっておりました。巣の中の鳩は抱卵中のように見えました。

 妻は断固として追い払うと主張しました。

 糞害やら、鳴き声がうるさいやら、鳥インフルエンザの危険やら、はては、産卵すれば卵狙いのアオダイショウが必ずやってくるなどと、理由はいくつもあげてきました。小生としては、そのいちいちに反論の余地はなく、「追放方針」に同意したのです。

 かといって、棒で叩くなどの手荒なまねはしたくないので、私は巣のすぐ側でぱちぱちと手を叩いてみました。

 わが家の桜は樹齢は20年ほどになりますが、高さは人の頭を少し越えるほどのものなので、その巣も目と鼻の先に見えたのです。

 拍手だけでも、十分威嚇になるはずだと思って、そうしたのですがキジバトは二羽ともじっとしたままでした。妻は、涼しい顔で憎たらしいと云い、私は恐怖で固まったのだと云い、意見は分かれましたが、相手が反応してくれないので、事態は膠着してしまい、しかたなしに朝食を食べて後に、何とかしようと、屋内に戻ったのでした。。

 朝食後、巣を偵察に行くと、なんと姿が消えていたのです。夫婦二人胸をなでおろし、警戒して行ってしまったのだと、安堵したのでした。もしやと思って巣の中に卵はないかと確認すると、卵はありません。当然ながら、すぐに巣を撤去しました。なんとも雑な作りの巣で、小枝でざっくりと組まれていただけでしたから、簡単に取り去ることができました。

 やれやれこれで一件落着と思ったのでした。が、あに図らんやでありました。

 その夕方、近くからデデッポッポーと鳴き声が聞こえてきました。

 もしやと桜の葉陰を覗きにゆくと、もと巣があった場所に、肩を並べてキジバトカップルが留まっておりました。くりくりした目のかわいいやつです。

 妻は「なによ、人間を甘く見てるでしょ」といいながら、手を激しく叩きました。すると、この時は大きな音をたてて羽ばたき、飛び去ってゆきました。

 一夜過ぎて、5月2日朝、姿は見えません、もう大丈夫と思いました。

 ところが、キジバトは戻ってきたのです。妻が、昼飯を済ませてちょいと出かける際に、気になるので目をやると、二羽が肩を寄せ合ってひっそりとあの場所にいたのです。

 外から「また来ているわ」と私を呼ぶ声が聞こえましたが、私はどうでもいいような気持ちになっていたので、腰を上げずにいました。 そうしていると、妻が戻ってきました。

 「追っ払ったわ」とちょっと興奮気味で云いました。 「どうした?」

 「箒で、桜の葉っぱを叩いたら、逃げていったわ」 そんなことがあって、5月3日になりました。 この日から、娘夫婦が二人の孫と遊びにくることになっていました。孫は二人とも女の子です。

 この我らの娘というのが、子供の頃から鳩が大嫌いで、鎌倉の八幡宮でありましたか、鳩が怖くて逃げ回っていたのを覚えています。

 さて、その日は昼食には間に合うように帰省しましたので、賑やかな食事になりました。そこで、妻が笑い話にそのキジバト騒動を報告したのです。話を聞くと孫は、「どこどこ、見たい見たい、今、いるかな・・・」とはしゃぐので、妻は見に行こうかと、孫を連れて外に出て行きました。・・・・と、外から子供の歓声が聞こえてきました。

 なんと、折しもキジバトがまたもや戻っていたのです。今度は、人の接近を察知して、桜の木を覗こうとした途端、飛び去ったというのです。

 5月4日です。

 朝起きると、デデッポッポーデデッポッポーと鳴く声が聞こえていました。鳴き声は部屋の中にいても響き渡って聞こえて来るのでした。鳴いている主は、自宅の敷地脇に立っている電柱のてっぺんにいました。それから、隣家のテレビアンテナへ移り、しばらくすると姿は見えないのですが、声だけがデデッポッポーと遠くから聞こえきました。

 昼近くには聞こえなくなりましたが、夕刻近くまたしばらくの間鳴いていました。

 5月5日、朝方、またもや姿を見せました。

 桜の葉陰で、デデッポッポーと鳴いていました。ただ、今度は一羽だけでした。

 もしやカップル関係が壊れてしまったのでしょうか。

 「おい、ひとりぽっちかい」と声をかけると、慌てたように飛び去りました。

 それからしばらくすると、その電柱のてっぺんでデデッポッポーと鳴いていました。

 5月6日は、雨でした。

 キジバトの声は聞こえませんでした。

 今日は、5月9日です。7、8日と過ぎたのですが、この間、朝夕、一羽になったキジバトが、やっぱり鳴いているのでした。

 デデッポッポー デデッポッポー。

 今朝は、隣家の柿の繁みにちらっと姿をみかけたので、もしや、去ったパートナーとよりが戻って、二羽そろってお隣へ引っ越しできたのかも知れないと、双眼鏡で観察しました。

 しかし、はっきりしませんでした。

 その柿の木には、頻繁に鴉や尾長がやってくるので、快適安全なマイホームには不向きなそうので心配です。キジバトも同じことを考えたのかも知れませんね。また、姿が消えました。

 ヨーロッパでは、キジバトのつがいを愛の象徴として喩えることがあると聞いたことがあったような気がします。

 我ら夫婦によって巣を追われたことで、結果的にその関係を引き裂いた・・・・、なんだか、不憫なことをしてしまった、罪作りかしらんと。

 そんなことで、デデッポッポーデデッポッポーと、鳴き声を聞くとつい耳を澄ませて聞き入ってしまうのです。

 キジバトが留まる電柱のてっぺんから、巣をかけた桜がよく見えるはずなのです。一羽になったキジバトは、去って行ったパートナーに、戻ってきてほしいと呼んでいるのです。

 なんとなく、私まで去ったキジバトが戻ってくるのを待つような気持ちになってしまったのです。

桜青葉の葉隠れにデデッポッポー  空茶


https://www.seikatsu110.jp/library/animal/am_pigeon/16164/   【鳩の種類は意外と多い?ただの鳩がどうして平和の象徴になったのか】

最終更新日:2025.1.17

現在、鳩による被害が各地で起こっています。昔は公園などで鳩にエサをあげている人をよく見ることがありました 。しかし、被害の影響か今では公園で鳩にエサをあげていた人が注意されてしまい、それがきっかけでトラブルになったなどのニュースを見たりもします。

「鳩は平和の象徴」といわれていますが、増えすぎて被害を出す鳩にもはやそんなイメージはないという方も多いでしょう。ここでは、その鳩の種類やなぜ平和の象徴と言われているのか、どのような被害があるのかなどご紹介していきます。

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目次

意外と多い?鳩の種類について

キジバト

シラコバト

アオバト

キンバト

カラスバト

世界中にはどれくらい鳩の種類がいる?

ミノバト

オウギバト

マジックで見かける白い鳩は何の種類?

白い鳩が平和の象徴な理由

平和の象徴でも鳩による被害は多い

自分でできる対策とは?

危険な場所だと認識させる

周辺のゴミ掃除

住みついてしまった場合

まとめ

意外と多い?鳩の種類について

実は、日本に野生で生息している鳩は約5種類です。まずはその5種類をご紹介します。

キジバト

「山バト」とも言われている、木の枝などに巣を作って木の実などを食べる鳩です。最近は都会でも生活するようになってきました。体は全体的に赤紫色を帯びており、背中にうろこ状の模様があります。

シラコバト

白い尾と薄い灰褐色の体を持っている天然記念物の鳩です。埼玉県の越谷市付近に分布しています。そのため埼玉県の県鳥で、越谷の鳥としても指定されているようです。一時期は数が減り絶滅危惧種となりましたが、現在では埼玉県でよく確認されるようになりました。

アオバト

美しい緑や赤、黄色の体を持っている鳩です。山に生息し、果実を食べます。また、栄養補給のために海水を飲むこともあるそうです。

キンバト

絶滅の危機にある緑の美しい羽を持ったやや小型の鳩です。天然記念物に指定されており、国内では八重山諸島や宮古島諸島に分布しています。

カラスバト

こちらも天然記念物の鳩で、本州・四国・九州の暖かい太平洋側に生息しています。鳩の中ではかなり大きい体をしていて、現在生息数は減少傾向にあるようです。

実は、町で一番よく見る鳩は上記の5種類ではありません。一番よく見る鳩は「ドバト」という種類で、もともと中央アジアやアフリカ、ヨーロッパなどに生息する「カワラバト」の家畜品種が持ち込まれて野生化したものです。

世界中にはどれくらい鳩の種類がいる?

全世界には約300種類もの鳩が確認されています。その中でも変わった色・特徴などをした鳩をピックアップしてご紹介します。

ミノバト

東南アジアに生息する鳩です。生物学的にはすでに絶滅したドードーにもっとも近いといわれている鳩です。その体の色は鮮やかな青で、光沢のある虹色の羽を持っています。

実は、このミノバトは日本でも見ることができ、福岡市動物園が3羽飼育しているとのことです。

オウギバト

パプアニューギニアとその周辺の島々に生息する鳩です。絶滅危惧種に指定されています。その特徴は頭についている扇状の飾りのようなもので、日本名の由来にもなっているようです。こちらも日本で飼育されている動物園が何箇所かあるので、見ることができるでしょう。

日本では鳩は地味なイメージですが、世界にはこのほかにもさまざまな色や特徴を持った鳩が多数存在しています。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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