一輪の一所懸命江差草 五島高資

Facebookあいことばさん投稿記事

人というのは、いつ死ぬか分からない。ボーッとしてたら、あっという間に終わってしまう。

だから、まず一生をどうやって生きていきたいのかというところから、きちんと考え直したほ

うがいい。

そして勇気を出して、自分が決めた新しい生き方で第一歩にチャレンジしてみる。

これは危ないかもしれないと思っていたことを、思い切ってやってみるんです。 養老孟司


Facebook加藤隆行さん投稿記事

【どうしても「ななる」と書きたいらしい】

ボク、心理カウンセラーなんてやってるくせになかなか感情のコントロールができない場面があります。

それは「相手の説明がわからないとき」ちょっと抽象的だったり、順序がバラバラだったり、

専門用語を連発されたりすると、ボクの中でじわじわと不機嫌メーターが上がっていくんです。最初は「うんうん」って聞いてるんだけど、途中から「え、結局なにが言いたいの?」とイライラ。

やがて「もっとわかりやすく教えろよ…!」となり、心の中で相手に✕をつけはじめる。

そして「ああ、コイツだめだ⋯」と相手を見限る。いや、それフツーでしょ?

って思った人、ボクと同じ病気ね(笑)ボクもかなり最近まで、それフツーって思ってたんだよね。

でも、よく観てみると周りのみんなは実はそんなにイラついてない。イラついてないどころか

「わからない」ことを楽しんでる人がいる。「え〜?なにそれおもしろ〜い!」とかフラットな感情で「わかんないんで教えて!」、ってキラキラした目で聞いてる人とかね。どーしても、そういう素直で楽しげな反応できないんすよ。

イラつきや怒りの感情を使って「不機嫌になる」ってのは実は、相手の問題じゃなくて、

心理的には自分の「防御反応」なんですよね。

だったら何を防御してるのかと考えたら、やっぱり出てきたのは、あの "思い込み" たち。「わからない=ダメ」「わからない=受け入れてもらえない」「わからないと見捨てられる」

「わからない=価値がない」そんな思い込みがあるから「わからない」と不安になり焦り混乱しやがて不機嫌になって、相手を悪いことにして「✕」をつけてたんです。

相手にとったらいい迷惑。オレだったらもっと丁寧に教えてやるのに。じゃないとかわいそうじゃん。とマウントしながら自分をかわいそうな人にもしてる。

「わかんなくても大丈夫」「わかんなくても愛される」って思ってる人は、絶対そんなことしない。もちろん相手の説明が上手いに越したことはないんだけど不機嫌にまでなって相手を攻撃してしまうのはこれは自分の問題なんですよね。

同じ病気の方々(笑)でも、ほんとは、「わからない」って、ただの“状態”なんですよね。

子どもなんて、毎日「わからない」ことだらけで「なんで?どうして?」を楽しんで生きてるのに、大人になると、「わからない=恥」「わからないと怒られる」そんな呪いをどこかで信じちゃってる。

でもやっと最近はこういう仕組みもわかって少しずつ、「わからないままで、いてもいい」

「相手の問題じゃない、 自分が不安なんだ」って、不機嫌にまではならなくなってきました。まあカウンセラーって言ってもこんなもんなんですよ。

で、ふと考えるんです。……ボク、焼き鳥屋で「ハツ」ってどこの部位かも知らずに、ずっと「うまいな〜」って食べてますからね。

わからなくても、意外と楽しめるし、わからないままでも、ちゃんと生きていける。

だったら人生も、「うーん、ようわからんけど まあ、うまいな」くらいの感じで、

いきたいもんです(^ω^)


Facebook赤塚 高仁さん投稿記事

やっと自分が大好きになりました。自分を大好きになるそれが全てでした!

今までの辛い経験も含めて私は私です。今までは理屈ばかりこねていましたが

全ての事に「ハイ!」が言えそうです。どの時間も自分を使うことが楽しみです。

ありがとうございます。

自分を大好きでいること、誰でもしていそうで出来ていない事のひとつかもしれません。

それはわがままでいることとは少し違います。

https://ameblo.jp/seishomandan/entry-12912349909.html?fbclid=IwY2xjawLJ9ytleHRuA2FlbQIxMQBicmlkETF3YTJaU3A3Z3ZUbVg2UjBaAR7KQdephWtx6un3LOqbU_XsAb9HE7r56UqQfrauJb2bzi5VQEnKeyvhtrx6uQ_aem_5UC_r8Oy1C2Y2xI24F-iOg 【答えなどない、ここにはない】より

私は、ありとあらゆる宗教を学びました。仏教はインドに5度行き、仏陀の足跡をたどりました。仏陀が法華経を説いた、鷲頭山にも登り法華経を読みました。悟りを開いたブッダガヤの菩提樹の下で瞑想したことも3度。20代で四国88か所遍路もまわりました。

新興宗教も多く学びましたし、教祖と呼ばれる人たちにもずいぶん会いました。

幸福の科学大川隆法総裁、あの麻原ショウコウ尊師にも会いましたから、一歩間違えばジョウユウは私だったかも知れません。

聖書も学び続け、12年間キリストのマクヤで集会に出させてもらってきました。探していたのでしょう、「答え」を。

「答え」について語る人は大勢いたけれど、「答え」を生きている人はありませんでした。

私が「答え」だと言い、多くの人を引き付けている人もありました。しかし、どの人も臭うのです。真理の香りと違う、何かが違う、どこかが違う。

数えられないほどの奇蹟を目の当たりにしても、人は信じられないものです。そして、奇跡では人は変わりません。あるとき本当のバイブレーションにふれ、本来あるべき自分に気づく時、ふいに「愛」の意味を知るのです。

ある日突然、眩しいほど綺麗になる人がいる。好きな人が出来たから?いいえ、誰かを好きになったのではなく自分がやっと好きになれたのです。

お母さんの期待に応えたい私は、一生懸命努力してもいつもダメだしばかりをされていました。私は叱られてばかりいました。お母さんに褒められたことは思い出せませんでした。

お母さんは容赦なく私の心に命令をし続けました。私は怒られ無いよう精一杯の自己防衛をしました。私はどんどん理屈屋になっていきました。どうしてなの?なぜこんなふうになるの?

何でも理由を求めました 理屈に会わないことは信じない 例えば、誰かに褒められた

自分が褒められる訳は無い。可愛いって言ってもらっても、私に限って、そんなことは無いと全否定する自分がいました。どうしてこうなったの?誰が悪いの?お母さんを怒らせる私が悪い、、。私の出来が悪いから、、、。私なんてこの世に生まれなければ、、。知らず 知らず、ずっと自分を否定していました。そのことすら気付きませんでした。

「あなたは誰がなんと言おうと可愛いし、比べなくていいし、そのままでいいよ」

初めて、「ああ ~ お母さんにこう言って欲しかったんだ」と気づきました。

もうひとつ気づきました。「怒っていたのも、お母さんの別な愛の形だったんだ」

急に自分の心に光が差し込んできました!急に自分が愛おしくなりました。自分に謝りました。今までごめんなさいね。自分を嫌いてごめんなさいね。自分に優しく出来なくてごめんなさいね。今まで出会った全ての人、本当にごめんなさいね。私は愛される存在だった

私が私でいていいんだ!これで良かったんだ!自分を赤ちゃんだった時のように自分で愛おしく思えます。やっと自分が大好きになりました。自分を大好きになるそれが全てでした!

今までの辛い経験も含めて私は私です。今までは理屈ばかりこねていましたが全ての事に「ハイ!」が言えそうです。

どの時間も自分を使うことが楽しみです。ありがとうございます。

自分を大好きでいること、誰でもしていそうで出来ていない事のひとつかもしれません。

それはわがままでいることとは少し違います。

 今日も自分からいい日にさせていただきます。ステキな仲間たちと、高野山に向かいます。

生きてて良かった、 そして、答え合わせは最後の最後に。



コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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