https://ameblo.jp/kawaokaameba/entry-12889767590.html 【「俳句文学館」⅗号より(3) 俳人協会賞、他。】より
「俳句文学館」⅗号に、令和6年度俳人協会賞、俳人協会新人賞、俳人協会評論賞、俳人協会評論新人賞の選考結果が掲載されていました。要点を抄出致しました。
◆第64回俳人協会賞①石田郷子『万の枝』
(選考経過より・野中亮介氏)
名栗渓谷近くの自然に深く沈潛した者でなければ〈むささびの穴の下なる秋祭〉など見えてこない実の句が多い。〈戸袋に戸がぎつしりや昼の虫〉と描けている句も多くしっかりしている。オノマトぺの多用があるが前句集よりも〈寝穢き人にも小鳥来てをりぬ〉〈金縷梅に顔集まって来たりけり〉と何気ない面白みがあり厚みが出てきた。
(選考委員の感想より・小澤實選考委員長)
石田郷子句集『万の枝』に圧倒された。身近にある自然の静謐な空気が魅力的だった。〈むささびの穴の下なる秋祭〉。秋祭の日、むささびは顔を出さないだろうが、ふだんの日にはむささびの顔を見ていると想像できる。ユーモアの要素がたしかに見られた。〈お三どんてふをしてをり日脚伸ぶ〉。これは前句集には見られなかったものだ。
(選考委員の感想より・櫂未知子氏)
自然に見を置きつつ、身ほとりから句材を拾ってこられる強さがあった。〈戸袋に戸がぎつしりや昼の虫〉〈倒木の荒々しさよ初暦〉〈猪罠の中も荒草生ひにけり〉。
(選考委員の感想より・中原道夫氏)
先の句集『草の王』も選考委員を務めさせて戴いたが、今回は更なる修練を感じさせる出来栄えで、一読答えが出た。すっかり鄙暮らしにも慣れ、森羅万象、季節の到来を暮らしの中から丁寧に掬い上げる。〈毒茸のいたく覆されてあり〉の仕業への驚きと憎悪〈草引いてある明らかに人住んでゐる〉〈捨てし菜にくがねの花や冬深し〉の観察眼〈ほうたるを待つ横顔に加はりぬ〉の表現力。
(選考委員の感想より・森賀まり氏)
『万の枝』は純度の高い言葉で身の回りを淡々ととどめている。〈人去れば蟋蟀は翅立てにけり〉〈夏の夜や照らせば鹿の目のあまた〉など、この世の手触りを実感させるようだ。
(受賞の言葉・石田郷子氏)
『万の枝』は東京・多摩地区から埼玉の山間地に移り住んでからの作品をまとめたものです。山裾の家での暮しは森の生き物たちとの距離を縮めてくれ、自然の荒々しさを体感させてくれるものでした。そのことに感動するとともに畏敬の念が生まれ俳句を作り続ける強い動機となりました。
私が代表を務める椋俳句会は、そんな思いを共有できる人たちの集団だと思っています。 そのため、コロナ禍の中でさえも生の季語に触れ俳句を作る「場」を保ち続けられたのだと思います。
このたびの受賞を力にこれからも自然に生かされている者として、俳句という詩形で感謝の言葉を捧げてゆきたいと思います。
今の環境を作ってくれた家族と友人、椋の人たちに感謝申し上げるとともに、選考の労をお取りくださったみなさまに心より御礼申し上げます。
【石田郷子さん】1958年東京都生まれ。父(石田勝彦)、母(石田いづみ)はともに石田波郷に師事した俳人。1986年、母と親しかった波郷の門人、山田みづえ主宰の「木語」に入会。1997年、第一句集『秋の顔』にて、第20回俳人協会新人賞を受賞。2004年、「椋」を創刊。2008年、大木あまり、藺草慶子、山西雅子とともに「星の木」を創刊。句集『秋の顔』『木の名前』『草の王』 『万の枝』。
◆第64回俳人協会賞②谷口智行『海山』
(選考経過より・野中亮介氏)
〈谷蟆(たにぐく、たんごく)の疣ぞ瘴気を発するは〉〈盆肴(ぼんざかな)とて猪肉を解凍す〉と熊野に両足を付けた力強さがあり〈血の道によろしと寒の鹿食はす〉など医師として暮らす覚悟を自加える。〈涅槃図に看取りの医(くすし)をらざりき〉も医師ならでは。季語に陰影があり厳しい自然と折り合うように抗うように暮らす生活者としての一医師の姿が読み手に響く骨太の句集。
※「谷蟆」=ヒキガエル。和歌山県熊野では「タンゴク」と呼ぶ。「タンゴク」は「タニグクの訛。
(選考委員の感想より・小澤實選考委員長)
谷口智行句集 『海山』に注目した。〈蟇を殺めし子のちんぽこに疿子(ほろし)〉など、異物として自然が魅力的。郷子の自然とは対照的である。智行の受賞を祝うものではあるが、その異形の自然詠は、前句集から後退しているか。
※疿子(ほろし)=皮膚に小さいつぶつぶのできる瘡。
(選考委員の感想より・櫂未知子氏)
『海山』は、季語に陰翳というか、表情のある句集だった。〈涅槃図に看取りの医(くすし)をらざりき〉〈盆肴とて猪肉を解凍す〉〈白靴のなか海の砂山の砂〉。熊野という荒々しい自然の中にあって、医師として人を癒やす仕事をしている著者の、血に足のついた詠みぶりが印象的だった。
(選考委員の感想より・中原道夫氏)
熊野の地にどっかと足を据え豪放磊落な行き方が窺える。師、茨木和生、右城暮石、松瀬青々と遡る地脈が感じられた一集。〈那智滝は長き弊(みてぐら)お元日〉の鷹揚〈盆肴とて猪肉を解凍す〉の飾らない生活感〈谷蟆の疣ぞ瘴気を発するは〉の熊野の怪奇な俗信、かと思えば〈荒鋤の田居のしづけさ山桜〉のしなやかな情趣に惹かれた。
※「弊(みてぐら)」=神道において神に捧げる供物や進物の総称。漢字では「幣」や「幣帛(へいはく)」と書く。
(選考委員の感想より・森賀まり氏)
『海山』の〈涅槃図に看取りの医をらざりき〉の独自の視点、〈ざうざうと山鳴る夜の注連を綯ふ〉は営みの裏に畏怖の心を感じさせる。土地に根を下ろした重みのある一集だ。
(受賞の言葉・谷口智行氏)
「旬のもの」という言葉があるが、古来世には旬のものしかなく、「さて今日は何を食べようか」という選択肢はなかった。
僕が「無人市」に心惹かれるのは、ここが旬と密接につながる「季語の現場」であるから。その季節、地の人が作った野菜や果物、自ら採ってきた山菜がそこにあり、季節の移ろいとともにその表情が変わる。
1月25日の土曜夕刻。 介護審査研修会の終盤、 居眠りをしていた僕の携帯電話が鳴った。本賞受賞のお知らせだった。能村研三先生のお声に体が震えた。帰途、山中の小祠に拝し、七里御浜の潮風を存分に浴び、昂る心を落ち着かせた。
その日の露地の無人市には寒中の蕗の薹と白葱が置かれていた。言うまでもなく、夕餉の格別な酒肴となった。選考委員の先生方はじめ、関係者の方々に厚く御礼申し上げます。
【谷口智行さん】昭和33年京都生まれ。2歳から和歌山県新宮市に育つ。新宮高校を経て関西医科大学卒業。平成5年、両親の出身地である三重県南牟婁郡御浜町阿田和にて、外科内科医院「谷口クリニック」開業。同年、中上健次主宰熊野大学の俳句部に入会した縁で、平成7年、茨木和生に師事。「運河」入会。平成11年「運河賞」、平成12年「深吉野賞」選者(宇多喜代子)特別賞、平成16年「朝日俳句新人賞」準賞。同年、三重文化賞奨励賞受賞。平成24年「運河」編集長。平成30年「運河」副主宰を兼任。令和4年、茨木和生より「運河」主宰を継承。俳人協会会員、日本文藝家協会会員、大阪俳人クラブ会員、日本現代詩歌文学館振興会評議員、同人誌「里」同人、紀南医師会会長、認知症サポート医、地域防災医療コーディネーター、医学博士。
https://ameblo.jp/kawaokaameba/entry-12889830402.html 【(4)「俳句文学館」⅗号より「第48回俳人協会新人賞」
「俳句文学館」⅗号より(4)「第48回俳人協会新人賞」
◆「第48回俳人協会新人賞」①浅川芳直『夜景の奥』
(選考経過より・主なコメント)
『夜景の奥』〈初雪のこぼれくる夜の広さかな〉〈一瞬の面に短き夏終る〉など、俳句の型を生かしつつ上手さに走らない。みちのくの風土性を感じる作品もいい。年齢が感じられる句が欲しい。前書きの効果的使用についても要検討。
(選考委員の感想より・藤本美和子氏)
『夜景の奥』は〈夜濯に道着の藍の匂ひけり〉〈山風のすいと入りくる辻相撲〉などに感性の瑞々しさを感じた。同時に陸奥という風土の中で育まれた生活実感が強みでもある。
(選考委員の感想より・高田正子氏)
『夜景の奥』は〈日向濡れゆく初雪の駐車場〉〈白ばらへ雨の垂直濁りけり〉等、正眼に構えつつ瑞々しい感性を溢れさせていた。
(選考委員の感想より・三村純也氏)
『夜景の奥』は、若さの持つ力が感じられたが、表題句が弱い印象を拭えなかった。働きのない無駄な荒さ、類想などの欠点も散見した。が、何よりも健康的な作風に期待した。
(選考委員の感想より・村上鞆彦氏)
『夜景の奥』は、巧さに走らず、腰の据わった詠み振りが頼もしい。新鮮で柔軟な感覚の句も混じる。ただ、あえて言わせてもらえば、発展途上の粗さも目に付いた。
(受賞の言葉・浅川芳直氏)
句集上梓から丸一年以上経ちます。重みある受賞の報せも何となく自分のことでないような気がするのは、裏返しに言えばすでに次へ向けて歩みだしているということ。賞は水物、あくまで励ましと受け止め、自然体の句作りを崩さぬよう心掛けてゆきます。
「新しみは俳諧の花」とは言いますが、俳句には懐かしさも必要だと思います。新しいだけでは必ず古びます。私はもう少し過激に、新しくもないが古くもならない句を目指すつもりです。
人を驚かせようとする個性は、結局のところ人に流されている状態だと思います。写生に徹していると、自分でも気づかなかった「本当の自分」の声が聞こえてくるような気がします。自己解放の体験を求めて、今後も俳句という詩形を愛し続けて参ります。
【浅川芳直さん】1992年宮城県名取市生まれ。1998年「駒草」入門、現在同人。「むじな」発行人。宮城刑務所文芸誌「あをば」俳句選者。『河北新報』朝刊コラム「秀句の泉」水曜、土曜執筆者。第8回俳句四季新人賞(令和2)、令和3年度宮城県芸術選奨新人賞、第6回芝不器男俳句新人賞対馬康子奨励賞受賞(令和4)。令和5年12月発行の第一句集『夜景の奥』は第15回田中裕明賞受賞、そして今回、第48回俳人協会新人賞受賞。
◆「第48回俳人協会新人賞」②桐山太志『耳梨』
(選考経過より・主なコメント)
〈はらはらと水ふり落とし滝聳ゆ〉〈春風や二塁ベースに女の子〉など、形の整った正攻法の詠みぶり。これまでの確実な歩みを感じる。切れ字の多用は、句を固く古くし、型のバリエーションも却って限定的にしていないか。
(選考委員の感想より・藤本美和子氏)
『耳梨』も又奈良という歴史ある土地と俳句形式への信頼から紡ぎ出された一集である。〈有史より先史明るき木の実かな〉〈百僧に白息の立つ諷経かな〉などの切字遣いに正攻法のよろしさを感じた。
(選考委員の感想より・高田正子氏)
『耳梨』は、〈鮓圧して沖に雲立つ湖国かな〉〈海光にざらつくトマトもぎにけり〉〈息吸うて了る祈りや藤の花〉等、切字を使いこなした詠みぶりに安定感があった。
(選考委員の感想より・三村純也氏)
一位に押したのは『耳梨』で、結社の主宰の厳しい指導を経た句が並んでいて、安定感があった。その反面、型にはまり過ぎた窮屈な印象、発展性に欠けるかという不安も残った。
(選考委員の感想より・村上鞆彦氏)
『耳梨』は、型の整った堅実な作風で隙がない。本格への志向に貫かれた堂々の一冊。ただ、あえて言わせてもらえば、もっと清新さが欲しいと感じた。
(受賞の言葉・桐山太志氏)
このたび拙句集『耳梨』で俳人協会新人賞を頂きました。「鷹」俳句会に入会して俳句を始めた当時は、自分が句集を出すことも想像できませんでした。その上にこのような栄誉に浴することになり、小川軽舟主宰をはじめ「鷹」の先輩方や仲間に心より感謝を申し上げます。「鷹」の恵まれた環境なくして、この受賞はありませんでした。
現在は奈良に住み、主に吟行を作品の種としています。句集名『耳梨』は吟行でよく眺めている大和三山の耳成山の古称から付けました。低くて地味な山ですが、かつては火山であったらしく独立峰をなし、どの方向から見ても良い姿かたちをしています。私がこれから作っていく俳句も、この山のような瑞々しい立ち姿でありたいと願っています。
最後に、選考に当たって頂いた先生方に深く御礼申し上げます。
【桐山太志さん】1978年兵庫県姫路市うまれ。奈良市在住。2013年「鷹」入会、2017年「鷹」新人賞受賞、2022年「鷹」俳句賞受賞。「鷹」同人、俳人協会会員。
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