https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=20060628&tit=%8D%D6%93%A1%89%C3%8Bv&tit2=%8D%D6%93%A1%89%C3%8Bv%82%CC 【斎藤嘉久の句】より
金盥あるを告げ行く白雨かな
斎藤嘉久
季語は「白雨(はくう)」で夏。夕立のこと。「白雨」と書いて「ゆうだち」と読ませる場合もあるが、掲句では音数律からして「はくう」だろう。一天にわかにかき曇り、いきなりざあっと降ってきた。こりゃたまらんと、作者は家の中へ。と、表では何やらガンガンと金属を叩く音がする。あ、金盥(かなだらい)が出しっぱなしだったな……。と思っているうちに、ざあっと白雨は雨脚を引いて、どこかに行ってしまった。すなわち、白雨が金盥のありどころを告げていったよ、というわけだ。最近は金盥も使わなくなっているので、もはや私たちの世代にとっても懐かしい情景だ。実際にこういう体験があったかどうかは別にして、昔はどの家にも金盥があったから、私たちの世代はこの句の情景を実感として受け止めることができる。ただそれだけの句なのだが、こういう詠みぶりは好きですね。句に欲というものがない。作者にはべつに傑作をものしようとか、人にほめられようとか、そういった昂りの気持ちは皆無である。言うならば、その場での詠み捨て句だ。その潔さ。作者の略歴を拝見すると、大正十三年生まれとある。句歴も半世紀に近い。その長い歳月にまるで裏ごしされるかのようにして達した一境地から、この詠みぶりは自然に出てきたものなのだろう。欲のある句もそれなりに面白いけれど、最近の私には、掲句のような無欲の句のほうが心に沁みるようになってきた。ついでに言っておけば、最近の若い人に散見される無欲を装った欲望ギラギラの句はみっともなくも、いやらしい。やはり年相応の裏打ちのない句は、たちまちメッキが剥がれてしまい、興醒めだからである。「俳句界」(2006年7月号)所載。(清水哲男)
https://ameblo.jp/okutan-first/entry-12865884561.html 【飴山実の句「木から木へ こどものはしる 白雨かな」】より
飴山実の句「木から木へ こどものはしる 白雨かな」 白雨は夕立。 遊ぶ子どもたちが、夕立をよけながら木から木を伝って走る。 雨の中で子どもたちの動きは、すごく無邪気で活発だ。 まるで自然と一体となって遊んでいるようで、五七五のなかにいきいきとした姿が目に見えるようだよね。
https://koshisha.com/daily/?p=2187 【法隆寺白雨やみたる雫かな『辛酉小雪』】より
「白雨」は夕立のこと。句は上五の「法隆寺」で切れ、中七の「たる」は完了の助動詞「たり」の連体形だから「雫かな」まで一気に読ませる。法隆寺を流し去るような激しい夕立がやんだ。静寂の中、寺の庇から雫がポタリポタリと落ちている。短い時間の自然の推移を写すことで悠久の歴史が眼前する。奈良連作の一句。(藤 英樹)
https://shashin-haiku.blog/archives/photo/%E5%B0%91%E3%81%97%E3%81%AA%E3%82%89%E6%BF%A1%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%82%82%E9%80%B2%E3%82%80%E7%99%BD%E9%9B%A8%E3%81%8B%E3%81%AA 【少しなら濡れても進む白雨かな】より
午前中、一雨降る前にと思い、急いで自転車で買い物に出た所、パラパラとそして時折強く降られました。どうも妻から聞いた雨雲レーダーによる予報を20分聞き違えてしまったようです。。。雨宿りせずに突っ走りながら生きている実感が沸きました。。。
季語 白雨 夏
https://note.com/wakatako/n/n89221f7985d2【季語: 白雨、夕立、空蝉、蝉の殻】より
よこがお
① ロスタイム白雨を翔る決勝点 ② 夕立の名残へまだき鳥の声
③ 細き幹ひとつ空蝉吸ひつけり ④ 何年のいのちのあかし蝉の殻
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① サッカーのロスタイム。今はアディショナルタイムと言われますね。
試合の途中の大雨。泥まみれのアディショナルタイム。決勝点が入り、雨の音は歓声にかき消され、やがて雨も上がる。昔々の記憶をもとに想像しました。
『ロスタイム白雨切り裂き決勝点』
と、詠もうと思いましたが、季語を「切り裂く」のはあまりに強い表現かなと思い、「白雨を翔る」としました。
② ここに住む前に住んでいた家は、鳥の声が実によく聞えました。夏の夕立ちも結構あって、雨上がりに鳥の声が聞こえだすと、「あ、雨が止んだのかな?」と気づく感じでした。まだ少し雨が残っていても声が聞こえ始めるので、鳥も雨が止むのを待っているのねぇと思ったものでした。
③ 今年の夏、裏庭のプラムの木の幹にひとつだけ、蝉の抜け殻を見つけました。その後蝉の声がしていた時期があるけど、そういえば今は聞きません。
「吸ひつけり」=「吸ひつく」+「り(存続)」のつもりです。
④ 地中で蝉が生きてきて、地上に出てきて脱皮したから、そこに殻が残っているのだなぁと、生まれることがなかったり、地中で命を落としていたりしたら、抜け殻を見ることもない。当たり前といえば当たり前の句です。
「何年の」ではなく「七年の」にしようと思っていて一応調べたら、近年は地中七年という説が揺らぎつつあるという説明をいくつか見たので、「何年」としました。
◆◆◆
トップの写真が抜け殻がくっついていた、プラムの木です。
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https://yeahscars.com/tag/%E7%99%BD%E9%9B%A8/ 【三夏の季語 夕立】より
驟雨(しゅうう)・白雨(はくう・しらさめ・ゆうだち)
夕立の季語(忠孝名誉奇人伝夕立や田をミめぐりの神ならば其角)夏の午後、強い日射により地面から上昇気流が生じ、積乱雲が生じて、時に雷・突風・雹を交えて、激しいにわか雨が降る。熱帯地方で発生するスコールと、同じようなものである。
梅雨明けから秋雨が降るまでの間の夕方の雨を、「夕立」と呼ぶことが普通であった。しかし、温暖化の影響からか、夕立の降る期間が長くなっているような印象を受ける。
「夕立つ」が名詞化して「夕立」になったとされ、夕方に風や雲が起こり立つことに誘発される雨である。万葉集には、夕立の後の涼しさを歌った小鯛王の
夕立の雨うち降れば春日野の 尾花の末の白露思ほゆ がある。また、新古今和歌集では、西行法師の よられつる野もせの草のかげろひて すずしくくもる夕立の空 などが知られる。
夕立は涼を呼ぶとともに、降り始めに立ちのぼる香りにも趣きがある。この、雨の匂いの元は、雷によって発生するオゾンや、土壌微生物が産出する揮発物質だと言われている。近年では、「ペトリコール」という、石のエッセンスを意味する造語で呼ばれている。
【夕立の俳句】
夕立や田を見めぐりの神ならば 宝井其角
桑海や大夕立あとなほけぶる 高浜年尾
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