https://sfr-syadan.org/evidence/819/ 【色は心の状態を表す根拠】より
by 鶯千恭子597 views
皆さんはどんな色が好きですか❓
私は、今の自分の心の状態を客観的に捉えたい時に「今どの色が心地よいと感じる?」という問いかけをよくします。
面白いもので、ピンクが心地よいと感じる時もあれば、ターコイズブルーがなんとも綺麗に感じる時もあって、自分の気づかない自分に出会えたような気持ちになります。
そして、今の私が心地よいと思う色。
それは「白」なんです💗
これは初めてだったので、自分でもびっくり👀
そこで、白について調べてみました。
白は全ての色光を反射する色で、両端にある白と黒の間に、全ての有彩色が並ぶんだそうです。
まるで人間の喜怒哀楽が躍動しているように、彩り豊かな色が並びますが、色彩が消えるということは、心の感情も消えてしまうのでしょうか❓
病院のスタッフは白衣を着ています。
レストランに行くとシェフも白衣を着ています。
これには意味があって、清潔であることはもちろんなのですが、どうもプロ意識に徹して仕事に集中できるように、という意味もあるようです。
余計なものを一切排除して、ただ目の前のことに一心に集中する。
「無」になって、心に静寂さを呼び起こし、目的に向かって一心に夢中になるためだそうです。
ピカソの「ゲルニカ」という絵をご存知ですか❓
反戦の意思を込めた、色を使わずモノクロで描かれた絵です。
ピカソはこの絵を仕上げた時にこう言ったそうです。
「あえて色を使わなかったのは、色彩はある種の救いを意味してしまうからだ」と。
確かに、目に飛び込む色は、必ず私たちの感情を揺さぶります。
病院の建物に白がよく使われるのも、あらゆる刺激から解放され、何も考えない、何もしない「無」の状態になり、そこから、再生へと少しずつ歩みを始める、そういう心理を支えてくれる意味もあるようです。
白とは、無になって集中を高めたい。
そして、新しい再生を予感させる色。
なるほど…。
今、私はそういう状態なんだと納得しました❣️(鶯)
https://ogurasansou.jp.net/columns/hyakunin/2017/10/17/515/ 【花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに】より
今年は暖冬のせいで、桜の開花日が記録的に早いんだそうです。
現代語訳
桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった、春の長雨が降っている間に。ちょうど私の美貌が衰えたように、恋や世間のもろもろのことに思い悩んでいるうちに。
ことば
【花の色】
「花」とだけ書かれている場合、古典では「桜」を意味します。「桜の花の色」という意味ですが、ここでは「女性の若さ・美しさ」も暗示しています。
【うつりにけりな】
動詞「うつる」は花の色のことなので、「色あせる・衰える」というような意味です。「な」は感動の助動詞で、「色あせ衰えてしまったなあ」という意味になります。
【いたづらに】
「むだに」や「むなしく」という意味で形容動詞「いたづらなり」の連用形です。
【世にふる】
ここでの「世」は「世代」という意味と「男女の仲」という2重の意味が掛けてある掛詞です。さらに「ふる」も「降る(雨が降る)」と「経る(経過する)」が掛けてあり、「ずっと降り続く雨」と「年をとっていく私」の2重の意味が含まれています。
【ながめせしまに】
「眺め」は「物思い」という意味と「長雨」の掛詞で、「物思いにふけっている間に」と「長雨がしている間に」という2重の意味があります。さらに「ながめせしまに → 我が身世にふる」と上に続く倒置法になっています。
作者
小野小町 (おののこまち。生没年未詳、9世紀ごろ)
伝説の美女で、六歌仙、三十六歌仙の一人。平安初期の女流歌人としてナンバーワンとされる人です。小野篁(おののたかむら)の孫であるとか諸説がありますが、正確な経歴は分かっていません。この歌をタネにして「卒塔婆小町」や「通小町」など、「若い頃は絶世の美女と謳われたが、老いさらばえて落ちぶれた人生のはかなさ」を表現した謡曲や伝説が多数書かれています。土地の美人のことを「××小町」などと言うのも小町伝説の影響です。
鑑賞
栄え咲き誇った桜の花も、むなしく色あせてしまったわね。私が降り続く長雨でぼんやり時間をつぶしているうちに。
かつては絶世の美女よ花よと謳われた私も、みっともなく老けこんでしまったものね。恋だの愛だの、他人との関わりのようなことに気をとられてぼんやりしているうちに。
非常によく知られている歌で、色あせた桜に老いた自分の姿を重ねた歌です。かつて日本の美女を「小町」と言ったように、伝説の美女ですが、それは年をとるにつれて衰えゆく「無常な時間に敗れゆく美」を歌い上げたからかもしれません。
ただ単に美しいだけなら、誰のにも残りませんものね。
古今集の撰者だった紀貫之は、その「仮名序(かなで書かれた序文)」で、小野小町の歌を評して「あはれなるようにて強からず。いはばよき女の悩める所あるに似たり」と書いています。
「内省的な美女のような歌だ」といったところでしょうか。
百人一首と新古今集の撰者、藤原定家は、この歌を「幽玄様」の歌としています。幽玄とは、言葉で表している意味を越えて感じられる情緒、イメージの広がり、というようなことで、定家の父親の俊成は「和歌の最高の理念」としています。
この歌のもつ滅びの美学、「無常観」といったものが日本的な美学の追求にぴったり合ったのでしょうね。
ただ、こんなに難しく考えなくても、「若かった頃は、私(僕)も綺麗だって言われてちやほやされてたなあ。いつの間に年とっちゃったんだろ」なんて誰もが考えますよね。
能などでは、老いさらばえて死んで荒れ野でドクロとなった小野小町が、現世に未練を残した幽霊として登場したりします。
それほどこの歌が与えた影響は大きいのですが、要するに誰もが心に思っている「若かった頃にやり残したことへの悔い」をこの歌が表現しているからかもしれませんね。
年をとってくると時間の過ぎゆくのが早いですからね。若い人も相応の方も、遅いなんてことはないですから、今からでもやり残したことをはじめてみましょうよ、ね。
さて、数々の伝説を残した小野小町ですが、その墓は京都市左京区静市市原町の「補陀落寺(ふだらくじ)」、通称「小町寺」にあります。京阪電鉄の終点、出町柳駅から叡山鉄道に乗り換え、市原駅で下車すればすぐです。
境内には、小町の墓の他、姿見の井戸など故事にまつわるものがいろいろあるようです。また、小町の邸宅があったとされる山科の随心院には、小町の文塚などがあります。3月の最終日曜日には小町に扮した少女が踊る「はねず踊り」が行われるようです。
こちらは京都市の地下鉄東西線小野駅から東へ歩いて5分の距離にあります。付近には小町ゆかりの史跡が数多く残されています。
facebookMasaru Hagiwaraさん投稿記事【バラの花の色は不思議だ】
昨日は生田緑地ばら苑に行った、今月25日(日)まで開催されている。
いつも不思議に思うのですが、同じ土からどうしてこんなに色とりどりの花が咲くのか不思議です。花弁の細胞に色素が蓄積することにより発現するそうです。
しかし、本当は何処までわかっているのでしょうか?私たちは物事をはっきりとさせようとします。曖昧なことが嫌いな傾向があります。しかし、人の心は複雑です。
花の色がいっぱいある様に、心の中の色もいっぱいあるのです。ですから、心の中にもやもやしたものがあっても、それは、それでいい、と。認めることが必要ではないでしょうか。
すると時間が経てば、自然に落ち着く所に収まるのだと思います。
よく時間薬などといいますが、「時は金なり」といいます。時間は大切なのだから、
大事にしなさい、と意味することが多いです。
しかし、時間が経つことが本当に価値があるのかもしれません。バラの花の個性ある色彩から、時間の事が自然に浮かんできました。
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