明神の井

http://wakutagushi.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-90f6.html 【明神の井in栃木(宇都宮 二荒山神社内)】より

今年夏、栃木県宇都宮市で訪れた湧き水をご紹介します。

宇都宮には各所に湧き水があるそうですが、二荒山神社内にある『明神の井』 は、江戸時代

には宇都宮の名水「七水」のひとつとして知られており、明治天皇の御行幸の折にはこの水を茶の湯としたと伝えられています。

赤い鳥居の前に立て札がありました。

聖水であり、さらに書道が上達するといういわれがあるようなので持ち帰ってみるのも

いいかもしれません。

私は旅の者なのでご挨拶をし、湧き水の情報収集の活動をしていることなどをお伝えし、お水を少しいただくことにしました。

現在は直接汲むことはできませんが、そばに設置された龍樋から水を頂くことができます。

とてもまろやかで美味しい水でした。見上げると古い滑車が残されていました。かつては滑車を使ったつるべで水を汲み上げていたのでしょうね。


https://ja.monumen.to/spots/787 【明神の井】より

案内板

宇都宮の名所七木七水八河原の一つで代表的な由緒深い「明神の井」をこのたび復興致しました。この井戸 にまつわる伝承は数多く残されており、明治天皇 が明治四十二年十一月那須野ヶ原大演習の折当地に行幸がありこの井水を以って湯茶を献ったと伝えられております。この井戸水は御神水で霊水でありますので、御手水にあるいは神棚に供える御水にまた書道等の技芸の水に御使用になると上達すると言う信仰があります。お持ち帰りになり、ご神徳を戴かれるようお奨めします。

二荒山神社 社務所


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E4%BA%95%E3%81%AE%E6%B0%B4 【亀井の水】より

亀井の水(かめいのみず)は、栃木県宇都宮市下河原町にある湧水[1]。宇都宮城下で「宇都宮七水」と呼ばれた名水の1つで、21世紀現在は水の湧出はないが、跡地が小さな池として保存されている[1][3]。静御前や亀井六郎にまつわる伝説が残る[4][5][6][7]。

概説

宇都宮市街を構成する2つの台地の間の崖下から湧き出していた天然の湧水であり、中世の奥州街道沿い、古多橋駅(宇都宮)という宿駅のそばにあった[8]。このため、行き交う旅人がここで飲水し、のどを潤したと考えられている[3][8]。貞享5年(1688年)頃の書物である『下野風土記』に「古多橋ノワキナリ、往古ヨリ名水也ト云伝タリ」と記されている[8]。

本多正純による奥州街道の付け替えによって江戸時代には街道筋から外れるが、同時代の「七木・七水・八河原」と呼ばれた宇都宮の名所の1つに選ばれた[9]。宇都宮は古名を池邊郷(いけのべごう[10]、いけべのさと[1])と言い、水資源の豊富な街であるが[10]、宇都宮の地下水はアンモニアなど有機物を含んだ品質の良くない水であり[1]、「七水」が選ばれたのは、清水の確保に苦労していたことの裏返しでもあった[10][11]。すでに湧水がなくなったとはいえ、「七木・七水・八河原」の多くが跡形もなく失われたり、正確な位置すら不明となったりしているので、往時の面影を窺える貴重な史跡である[7]。

現存する亀井の水は水路が塞がれてしまったため[1]湧水はなく、遺構のみである[3][7]。この遺構は、コンクリート製の池であり[7]、宇都宮市の上水道から水を引いている[1]。池には石造の親子のカメを浮かべ[4][3]、岸辺に「亀井の水」と刻んだ標柱を建て、泉があったことを現代に伝えている[7]。一見すると変哲もない泉が現代でも市民に親しまれるのは、以下の伝説によるところが大きい[7]。

伝説

亀井の水には、次のような伝説が残っている[4][6][7]。

「 平氏の滅亡後、兄・源頼朝と仲違いした源義経は、藤原秀衡を頼って陸奥国平泉を目指した[4][6][7]。義経の妾である静御前は、亀井六郎・駿河次郎をお供にして、義経の後を追った[4][6]。

静御前は宇都宮に差し掛かると[6][7]、足取りが重くなり[4][7]、のどの渇きを訴えた[4][6][7]。駿河次郎は追手に見つかることを危惧してためらったが[4]、亀井六郎は神仏に祈り[4][5][7]、自前の槍で地面を深く突き刺した[4][6][7][12]。すると、良質の水が湧き出し、静御前はその水を飲んで、再び旅路に就いた[4][6][7]。

以来、どんな日照りでも水が枯れることなく、周りの田を潤したので、人々は亀井六郎の名を取って「亀井の水」と呼ぶようになった[6]。

柏村祐司は、源義経の人気にあやかって静御前や亀井六郎に関わる命名伝説が生まれたのではないか、と解説している[8]。

この伝説に関連して、宇都宮市徳次郎町には、「亀井六郎の墓」と伝承される五輪塔がある[6]。なお、上述の伝説とは別に、宇都宮城の異称が「亀ヶ丘城」だったことから命名されたとする説もある[1][12]。宇都宮の城下町をカメに見立てると、亀井の水はカメのしっぽの位置に相当する[12]。

常念寺

常念寺

道路をはさんで亀井の水と向かい合う[3]宇都宮市花房一丁目6番20号に、浄土宗の仏教寺院である常念寺がある[3][13]。山号・院号は亀井山清水院(かめいさん しみずいん)といい[3][13]、亀井の水にちなんでいる[4][3]。円通寺 (栃木県益子町)の末寺であり、本尊は阿弥陀如来である[3]。

開基は良正上人で[3]、慶長17年(1612年)の創建である[3][5]。1894年(明治27年)に宇都宮城南館跡から移ってきた彰義隊数士之墓がある[3][14]。墓碑は1874年(明治7年)に旧幕府軍側の兵士を仮埋葬した時のものである[5]。

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