芭蕉、良寛、そして賢治

http://www.kanbun.org/kaze/0209.html 【―芭蕉、良寛、そして賢治―】より

                                 加藤 三郎

この夏は日本列島が、特に関東から西はことのほか暑く、体調を崩された方もいらしたかもしれませんが、夏を過ぎていかがお過ごしでしょうか。私達、環境文明21の事務局は今年も旧盆の時期、一週間ほど一斉休暇と致しました。昨年に続いて二回目です。スタッフ全員思い思いに、故郷を訪ねたり、旅行に出たりの夏休みとなりました。

私自身は家族のルーツである福島県の会津に法事出席を兼ねて行って参りました。その道すがら会津の名刹と言われるいくつかの寺々を訪ねてまいりましたが、どこに行っても耳が痛いほどの蝉時雨。会津では寺も地蔵も蝉時雨、との句が思わず口に出てまいりましたが、暑さのせいだったかもしれません。

寺と蝉といえば、やはり松尾芭蕉が『奥の細道』の途上で詠んだ、あの有名な句を誰しも思い出すと思います。実は私もそれを思い出しながら会津の古寺を訪ね歩いておりました。

「岩に巌を重ねて山とし、松柏年旧り、土石老いて苔なめらかに、岩上の院々扉を閉ぢて、物の音きこえず。岸をめぐり、岩を這ひて、仏閣を拝し、佳景寂莫として心澄みゆくのみおぼゆ。」        閑かさや岩にしみ入る蝉の声

誠に文学の力というものは不滅だと改めて感じ入っています。芭蕉はこの後、酒田から越後に向かい市振の関に向かったそうですが、その途中佐渡ヶ島を遠望して、これまた有名な一句を残しています。この行程は、暑さと湿気で体調が悪く、旅の記録も書けなかったそうですが、海の彼方の佐渡ヶ島を見て、  荒海や佐渡に横たふ天の河  と詠んだと饗庭孝男氏はその著『芭蕉』に記しています。

この佐渡に関連して私がすぐに思い起こすのは、芭蕉とは一味も二味も違った良寛さんです。若い時の修行時代はいざ知らず、後年の中年以降の、天真爛漫といえる良寛の歌はとても心に沁みるものばかりです。

たらちねの母が形見と朝夕に佐渡の島べをうち見つるかも

この歌などは良寛さんの生涯を多少なりとも知る人にとってはことのほか趣深いものだと思います。私にとって、良寛や芭蕉は子供のときから親しんで育ったいわば心の師でもあり、また私達が愛してやまない日本の文化史上に光芒を発し続けている巨星のような文人です。芭蕉は、  野ざらしを心に風のしむ身哉   この道や行く人なしに秋の暮

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

などまさに旅に生き、旅に死んだ、厳しい求道者の一生をおくったのですが、良寛は心優しい歌を沢出残してくれています。

この里に手毬つきつつ子供らと遊ぶ春口はくれずともよし

道のべにすみれ摘みつつ鉢の子を忘れぞ来しあはれ鉢の子

今読むと、癒し系というか、まさに心温まる平明な歌が心にじんときます。

私にとって特に印象深いのは、良寛の晩年を美しく彩った弟子貞心尼とのたぐいまれな交流です。当時良寛はすでに70歳。貞心は30歳の若さだったということですが、良寛と貞心の間に交わされた初々しい歌を私が初めて知ったとき、戒律誠に厳しい江戸時代にあって、しかも二人とも仏道に身を置いているにもかかわらず、このように深く美しい心の触れ合いが可能であったことに驚きを持って見つめたものです。日本の文化のゆかしさ、奥 深さに改めて目をひらかされた思いをしたものです。二人の間にとり交わされた歌をすべて私は大好きですが、例えばこんな具合です。

きみにかくあひ見ることのうれしさもまださめやらぬゆめかとぞおもふ(貞心)

夢の世にかつまどろみて夢をまたかたるも夢もそれがまにまに (良寛)

しろたへのころもで寒し秋の夜の月なか空にすみわたるかも (良寛)

むかひゐて千代も八千代も見てしがな空ゆくつきのこととはずとも (貞心)

良寛が亡くなるとき、貞心にも付き添われて死の床に着いたと伝えられていますが、私には貞心尼の存在と良寛さんとの心の交流は、良寛の晩年のみならず江戸時代というものに彩りと深い味わいを残してくれたと思っています。

かたとみて何か残さん春は花山ほととざす秋はもみぢ葉 (良寛)

現代に生きる私達は、後世に何を残せるのでしょうか。バブル経済の後遺症、家庭など人間の絆の崩壊、そして地球規模の環境の破壊だけでは、良寛さんに申し訳ありません。

会津の里で、露天風呂に入り、夜空を見上げますと満天の星空です。目を凝らすと白く煙った川のような天の河がよく見えます。天の河のことを英語ではMilky Way、つまリミルクのように白い道と言われますが、見上げているとよくぞ言ったものだ、と感じ入ります。美しく妖しく輝く白い道を飽かず眺めていると、宮沢賢治がその白い道に銀河鉄道を発想したのもとても自然なように思えます。賢治は、あの有名な『銀河鉄道の夜』という誠に幻想的で不思議な、宇宙感覚というべき四次元の世界を描き出しています。ジョバンニとカムパネルラという二人の主人公の少年が銀河鉄道に乗って銀河を旅し、白鳥停車場に着いてそこから銀河の河原にやってきたときの描写は次のようになっています。

「河原の礫は、みんなすきとほって、たしかに水晶や黄玉や、またくしゃくしゃの皺曲をあらはしたのや、また稜から霧のやうな青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚に行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとほってゐたのです。」

その賢治は、今私達が問題にしている温室効果ガスを全く別の視点から、珠玉のような文学作品に描き出しています。『グスコーブドリの伝記』という作品のなかで、幼いときに冷害のために両親が飢えて死んで孤児となったブドリが青年農業技師となったときに、火山を爆破させ、炭酸ガスを空中に噴出させることによって、その温室効果を利用して冷害をなくそうという作品です。その爆破の過程で、ブドリは命を落とすことを知りながら自らすすんで農民を救う物語です。賢治が温室効果ガスのことを知って、すばらしい作品を書いて70年以上経った今、長い時間をかけてつくりあげた温暖化対策議定書を、米国ブッシュ政権の自国の経済優先政策とロシアの足踏みによって未だに発効できない憂き目を私達は見ています。

あえて自分の身を犠牲にしながら大気を暖めたブドリ、それを美しい文学作品に描き切った賢治。その精神を思えば、南アフリカ・ヨハネスブルクで開催された国連の「持続可能な開発に関する首脳会議」が成功してくれることを祈らざるを得ませんでした(ヨハネスブルク・サミットの成果については次回、記します)。


https://note.com/shotoku_houwa/n/nf4cd0363f4e9 【無常感と無常観】より

岐阜聖徳学園大学 仏教文化研究所「法話」    河智義邦

1.良寛さん

  裏を見せ 表を見せて 散るもみじ

 この句は、良寛が晩年、和歌のやり取りを通じ心温まる交流を続けられた弟子の貞心尼が、良寛との和歌のやり取りをまとめた歌集「蓮(はちす)の露(つゆ)」に出てくるものです。有名な句なのでご存じの方も多いと思います。

貞心尼が、高齢となり死期の迫ってきた良寛のもとに駆けつけると、良寛は辛い体を起こして、貞心尼の手をとり

  いついつと まちにし人は きたりけり いまはあいみて 何か思わん

と詠んだそうです。そして最後に貞心尼の耳元で「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」とつぶやき、亡くなられました。

 この歌には「あなたには自分の悪い面も良い面も全てさらけ出しました。その上であなたはそれを受け止めてくれましたね。そんなあなたに看取られながら旅立つことができます」という貞心尼に対する深い愛情と感謝の念が込められているのではないかと解釈されています。最後の「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」について、貞心尼は「この歌は良寛ご自身の歌ではないが、師のお心にかなうものでとても尊いものだ」と述べています。良寛の着飾らなく真摯な人柄に触れ、心が和み、幸せな気持ちになる、そんな歌のように感じる一句であります。

 ちなみに、この句は美濃の俳人、谷木因(タニボクイン)の「裏散りつ 表を散りつ 紅葉かな」に拠って、良寛がつぶやいた句を貞心尼が「蓮の露」に記したものであります。谷は岐阜大垣の廻船問屋の主人で、北村季吟の門に入り、松尾芭蕉とは同門の友人として有名です。同じような句ですが、僧侶の良寛が詠む句の方に、単なる世の無常(世の移ろい)ではない味わい深さを感じてしまうのは、私のひいき目かも知れません。

2.無常感と無常観

 こうした仏教的な世(人生も含む)の無常については、日本の文学作品には様々に表現されるところです。最も有名な菜『平家物語』には、

  祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす

とあります。また『方丈記』には、

  行く川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず

とあって、こうした無常の捉え方は、本居宣長の言葉を借りると「もののあわれ」感と呼称することができます。この無常の捉え方について、評論家の小林秀雄は、これらは単に、人間や世間のはかなさ、頼りなさを情緒的、詠嘆的に表現しようとした日本的美意識としての「無常感」であり、インドの仏教が主張する、苦を脱却するための「無常観」とはかなり趣が異なると論評しています。

3.、松尾芭蕉の辞世の句

 仏教本来の無常観を考えるにあたって、松尾芭蕉さんのエピソードを取り上げてみます。

芭蕉さんの最後の句は、「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻(めぐ)る」と言われています。確かに人生で最後に詠まれた句と言えます。しかし、芭蕉さんは決してこれを「辞世の句」とは考えていなかったようです。晩年に、「辞世の句」を望んだ門人に対して芭蕉は、

  昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世、一句として辞世ならざるはなし

と仰ったそうです。つまり、芭蕉は、今までに自分が詠んできた一句一句はすべて、明日をも知れぬいのちであるから、今日、この時が最後とも思い、辞世の句として大切に詠んできたというのです。「平生即ち辞世なり」とことさら辞世の句を示さなかったのです。

無常観とは、世界と人間の実相をよくみることで、「今のいのち」を精一杯生きると言うことだと思います。虚無主義的な無常感とは一線を画するものと言えましょう。

 しかし、前言を撤回するわけではないのですが、虚無的に人生や世の中を見ることも、仏教の無常には含まれているのではないかとも思うのです。「自分の思い通りにならない」、こうした把握から、真実とは何かを考えるきっかけになるとも思います。

 良寛の、「散る桜 残る桜も 散る桜」にはどちらの要素も入っていて、ほんとに味わい深さを感じます。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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