https://monpaysnatal.blogspot.com/2014/06/blog-post.html 【鉄犬へテロトピア文学賞!】より
昨年の「東京ヘテロトピア」をきっかけとして生まれた新しい文学賞、鉄犬ヘテロトピア文学賞。いよいよ6月21日に第1回受賞作を発表します。乞うご期待。
プレスリリース 第1回「鉄犬ヘテロトピア文学賞」発表のお知らせ
2014年6月1日
鉄犬ヘテロトピア文学賞事務局
私たちは「鉄犬ヘテロトピア文学賞」を創設しました。以下の精神を刻みこむ作品を選び、その作者の世界に対する態度を支持しようと考えています。それはまた、グローバル資本主義に蹂躙されるこの世界に別の光をあて、別の論理をもちこみ、異郷化する運動への呼びかけでもあります。
・小さな場所、はずれた地点を根拠として書かれた作品であること。
・場違いな人々に対する温かいまなざしをもつ作品であること。
・日本語に変わりゆく声を与える意志をもつ作品であること。
第1回受賞作は、2013年1月1日から12月31日までに出版された書籍から選びます。ジャンル不問。日本語で書かれた文学作品、日本語の想像力に深く関わる作品を選びます。
https://www.msz.co.jp/book/detail/07712/ 【ヘテロトピア通信】より
ヘテロトピア。文化の内側にあって他の場所を表象すると同時に異議申し立てを行い、ときには転倒させてしまう「異他なる反場所」。どの文化にも安住せず、それぞれの文化がかかえる矛盾を映し出す〈鏡〉の役割をはたす。たとえばサイードのような境界知識人がそこにいる。
本書は、自らの立ち位置を「ヘテロトピア」に定めて言論状況への批判的介入をめざす著者がおくる「通信」である。
沖縄闘争に身を投じた者たちは島的共同体をどう担ったか。グローバリズムの波を受ける「地域研究」の現場で、スピヴァクは欧米モデルをどのように打破しようとするのか。批判的懐疑を失くすとき、ネグリのマルチチュードが生む絶対民主主義は全体主義に転化するのではないか。非当事者であることの特権とは何か。
思想史家として対象を何十年でも見続けようとする視線が「今」をとらえる。
「権力という巨象にまとわりつく虻のような存在でありたい。」死語ではない知識人に、本書で出会うだろう。(略)
facebook川原 茂雄さん投稿記事
近所のお寺のありがたい法語掲示版に、谷川俊太郎さんの言葉が掲示されていましたので、ご紹介します。(かわ)
戦争が終わって 平和になるんじゃない 平和な毎日に 戦争が侵入してくるんだ
谷川俊太郎
No.102 令和6(2024)年11月22日
令和6(2024)年11月13日、詩人・谷川俊太郎さんが92歳で永眠されました。ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。
私にとって印象深い谷川さんの作品は、2019年に出版された絵本『へいわとせんそう』(ブロンズ新社)です。書店で偶然目に入ったものですが、大人になって自ら絵本を手に取ったのは初めてのことでした。
たにかわしゅんたろう ぶん Noritake え
『へいわとせんそう』(ブロンズ新社、2019年)の書影
本作は左ページに「へいわ」、右ページに「せんそう」を、同じ人やものが平時と有事でどう変わるのか比較するように進んでいきます。モノクロで描かれたシンプルなイラストとことばで綴られている中、唯一、写真が使われているページがあります。それが、「せんそうのくも」です。それまでイメージで描いていた戦争が、一気にリアルとなって眼前に現れた衝撃がありました。そして、その後に「てき」と「みかた」の対比がつづきます。全く異なる平和と戦争の概念から、その違いが分からなくなる敵と味方に、戦争の本質を垣間見た気がしました。
谷川さんは本作に、「戦争が終わって平和になるんじゃない。平和な毎日に戦争が侵入してくるんだ。」ということばを寄せています。谷川さんは、昭和6(1931)年に東京で生まれ、昭和20(1945)年5月の山の手大空襲を体験された戦争体験者でいらっしゃいました。自らの経験に裏打ちされた思いに、いまは平和なのか、戦争が入り込んでいる日常に気づけるのだろうか、と改めて考えさせられました。
結論を先取りするのではなく、なぜ戦争はいけないのか、大人も立ち止まって想像できる絵本です。北九州市立図書館にも所蔵されていますので、ご自身でも、お子さまへの読み聞かせにも、ぜひ手に取ってみてください。
(学芸員M)
https://www.youtube.com/watch?v=c3c0d6ZJDrE
facebok相田 公弘さん投稿記事 🔴「ラーゲリより愛を込めて」
映画化されました。「シベリアからの手紙」陸軍一等兵、山本幡男氏の心に響く言葉より…
「子供等へ」
山本顕一 厚生 誠之 はるか 君たちに会へずに死ぬることが一番悲しい。成長した姿が、写真ではなく、実際に一目見たかった。お母さんよりも、モジミ(妻の名前)よりも、私の夢には君たちの姿が多く現れた。それも幼かった日の姿で・・・あゝ何といふ可愛い子供の時代!
君たちを幸福にするために、一日も早く帰国したいと思ってゐたが、倒頭永久に別れねばならなくなったことは、何といっても残念だ。第一、君たちに対してまことに済まないと思ふ。
さて君たちは、これから人生の荒波と戦って生きてゆくのだが、君たちはどんな辛い日があらうとも光輝ある日本民族の一人として生まれたことに感謝することを忘れてはならぬ。
日本民族こそは将来、東洋、西洋の文化を融合する唯一の媒介者、東洋のすぐれたる道義の文化―人道主義を以(も)って世界文化再建に寄与し得る唯一の民族である。
この歴史的使命を片時も忘れてはならぬ。
また君たちはどんなに辛い日があらうとも、人類の文化創造に参加し、人類の幸福を増進するといふ進歩的な思想を忘れてはならぬ。
偏頗(へんぱ)で矯激(きょうげき)な思想に迷ってはならぬ。どこまでも真面目な、人道に基づく自由、博愛、幸福、正義の道を進んで呉(く)れ。最後に勝つものは道義であり、誠であり、まごころである。友達と交際する場合にも、社会的に活動する場合にも、生活のあらゆる部面において、この言葉を忘れてはならぬぞ。人の世話にはつとめてならず、人に対する世話は進んでせよ。但し、無意味な虚栄はよせ。
人間は結局自分ひとりの他に頼るべきものが無い―といふ覚悟で、強い能力のある人間になれ。
自分を鍛へて行け!精神も肉体も鍛へて、健康にすることだ。強くなれ。自覚ある立派な人間になれ。(出典)辺見じゅん「収容所から来た遺書」文春文庫
この文章は、1954年7月2日、旧ソビエト連邦のハバロフスク収容所で45歳で亡くなった陸軍一等兵、山本幡男の遺書です。
山本は、現在の東京外語大学でロシア語を学び、第二次世界大戦当時、ロシア語の通訳としてはたらきました。
しかし、終戦後、旧ソ連軍に捕らえられシベリアに抑留されましたが、祖国への帰国を果たすことなく亡くなりました。
遺書は、彼の7名の友人達によって、ソ連の厳しい検問の中、ある者は暗証し、ある者は書き写したノートを股下に隠し、命がけで故郷に持ち帰られました。
そして、生還した彼らの手によって日本の妻子に届けられたのです。
◇『13歳からの道徳教科書』育鵬社※映画「ラーゲリより愛を込めて」予告編
https://youtu.be/jcS7-PFS0cc?si=gDfVV0l6cRRvGSBd
1941年に日本とソビエト連邦(ソ連)は、お互いの不可侵を約束する、日ソ中立条約を締結した。
しかし、戦況が日本に不利とみるや、ソ連(現ロシア)は1945年8月8日の深夜、突如、日ソ中立条約の破棄を一方的に宣言し、戦闘を開始した。
そして、ソ連軍の参戦により8万人の日本軍が殺され、終戦後、60万人あまりが捕虜となりシベリアの酷寒の地に収容された。
食べる物も少なく、防寒具も暖房も満足にない劣悪な環境と、過酷な強制労働より、シベリアでは、5万5000人の日本人捕虜が命を落とし、第二次世界大戦全体では、およそ230万人の日本人が亡くなったとされている。
現在の日本の繁栄は、多くの日本人の累々たる屍(しかばね)と、筆舌に尽くしがたい苦労の上になりたっている。
そして、多くの人たちは、将来、日本が世界で誇れる国になることを固く信じて疑わずに、亡くなっていった。
今、我々は、戦争で亡くなった人達が願ったような素晴らしい国になっているかどうか、もう一度深く考えてみる必要がある。
※【人の心に灯をともす】より
https://www.facebook.com/hitonokokoro
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