昼顔の句

https://miho.opera-noel.net/archives/4249 【第九百十二夜 寺田寅彦の「昼顔」の句 】より

 映画『昼顔』の主役を若い頃に演じたカトリーヌ・ドヌーヴは、プルーストの小説『失われた時を求めて』を映画化した『見出された時』にも登場していた。『見出された時』では、カトリーヌ・ドヌーヴは中年を演じているのでなく、実際に中年になった姿を見せてくれた。

 映画のタイトルが『見出された時』であり、『昼顔』と同じフランス映画で同じ女優のカトリーヌ・ドヌーヴが演じている。また映画の観客も、カトリーヌ・ドヌーヴと重ねた年月は似ている年齢層を想定して制作された映画であるという。

 映画館で『見出された時』のカトリーヌ・ドヌーヴの、ふとした表情の演技に、ほんの瞬間であったが、観客の私たちにも表情の意味が分かった。このほんの一瞬が、カトリーヌ・ドヌーヴが『昼顔』の中で娼婦となった時の表情の翳であった。

 私たち観客は、何もかもが考え尽くされた映画のど真ん中に入れられてしまっていた。そう感じた時に、この映画の面白さが心憎いほどに伝わってきた。

 「朝顔」「昼顔」「夕顔」の花のどれもが夏の季語である。不思議なことに、一番翳りを感じるのは、朝顔でも夕顔でもなくて、昼顔であった。  

 昼顔は、夏の野によく見かける、どちらかというと目立たない平凡な花のように感じていたこともあっったので、季語「朝顔」の作品の鑑賞の前に、敢えて、映画『昼顔』を紹介してみた。 今宵は、「昼顔」の季語を考えてみよう。

  昼顔やレールさびたる旧線路  寺田寅彦 『現代俳句歳時記』角川春樹編

 (ひるがおや レールさびたる きゅうせんろ) てらだ・とらひこ

 今では使うこともなく廃線となった鉄道である。バスが普及してからは、バスの停留所は、これまでの鉄道の停車駅よりも間隔を短くするとか、時には、バス停の位置を変えるとか、住む人の側に立って便利さを優先するなど、鉄道の駅よりも容易に変更もできるようになった。

 旧線路は、こうしてレールが錆びてゆき、線路脇に咲いていた昼顔は、誰にはばかることもなく線路まで蔓を延ばすことができたのだ。

  ひるがほのほとりによべの渚あり  石田波郷 『蝸牛 新季寄せ』

 (ひるがおの ほとりによべの なぎさあり) いしだ・はきょう

 茨城県守谷市に住む私は、海が見たくなると、茨城県の埼玉県寄りのハイウェイの入口から入って太平洋岸まで車を走らせるが、守谷市から水戸市をぬけて海辺に出るまでの、茨城県南の底辺という長さを知ることになった。海までの遠いこと!  

 昼顔は、雑草に近く、野原や道端などいたるところに自生するヒルガオ科の多年生蔓草で他の草や垣根にからみつく。朝顔は朝に開花し、夕顔は夕べに開花し、そして昼顔は日中に開花するのでこの名がある。

 咲いている昼顔がしぼみはじめる頃には辺りの渚は夕べとなってきましたよ、という句意になろうか。

  昼顔に猫捨てられて泣きにけり  村上鬼城 『定本鬼城句集』

 (ひるがおに ねこすてられて なきにけり) むらかみ・きじょう

 「泣く」は、ここでは猫のこと。捨てられた猫が泣いているのだ。「泣く」の表記は人が辛い思いをした時に用いることが多いが、この作品では猫も、人に捨てられて悲しくて泣いているだろうと想像したのであろう。 

 耳聾(じろう)の村上鬼城には、次の作品がある。

  小鳥この頃音もさせずに来て居りぬ(ことりこのごろ おともさせずに きておりぬ) 

 音もさせずにと鬼城は詠んでいるが、鬼城には、芭蕉の弟子で耳聾の杉山杉風のことを書いた「杉風論」がある。一部を紹介しよう。

 「誰でも聴き得るという音ではなく、特別の人に限って聴得る音、それが真音(しんおん)にしてそれを聴いて来るのが詩人にして、(略)見て見えず、聴て聴えぬ鬼神を、取ひしぎ来るのが、詩人の感覚なり」と。

 耳聾の鬼城には、捨てられた猫の泣き声が聞こえてはいない。聞こえるはずはない。だが鬼城には、猫の悲しげな様子に、猫の心の「真音」が聞こえたのだ、それが、「捨てないで」と叫んでいる猫の真音であり、「泣きにけり」であったのだ。


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 昼顔にレールを磨く男かな

                           村上鬼城

鬼城は、大正期の「ホトトギス」を代表する俳人。鳥取藩江戸屋敷生まれ(1865)というから、れっきとした武家の出である。司法官を志すも、耳疾のために断念。やむなく、群馬県の高崎で代書業に従事した(余談だが、侍の末裔に提灯屋や傘屋などが多いのは、鬼城ほどではないにしても、みな一応は文字が書けたからである)。ところで、このレールは蒸気機関車の走る鉄道のそれだろう。いまでは想像もおぼつかないが、錆びつかないようにレールを磨く(保守する)仕事があったというわけだ。黙々とレールを磨く男と、線路の木柵にからみついて咲いている数輪の昼顔の花。炎天下、いずれもが消え入りそうな様子である。けれども同情はあるにしても哀れというのではなく、むしろ猛暑のなかに溶け入るかのように共存していると見える、男と花の恍惚状態をとらえていると読んだ。耳の聞こえなかった作者ならではの着眼と言えるだろう。が、考えてみれば、誰にとっても真夏の真昼という時間帯は、限りなく無音の世界に近いのではあるまいか。(清水哲男)

 晝顔やとちらの露も間にあハす

                           横井也有

読みは「ひるがおやどちらのつゆもまにあわず」。、一見、頓智問答かクイズみたいな句だ。「どちらの露」の「どちら」とは何と何を指しているのだろうか。作者の生きた江戸期の人なら、すぐにわかったのだろうか。答えは「朝顔」と「夕顔」である。この答えさえ思いつけば、後はすらりと解ける。朝顔と夕顔には、天の恵みともいうべき「露」が与えられるが、炎天下に咲く「昼顔」には与えられない。すなわち「間にあハす」である。同じ季節に同じような花を咲かせるというのに、なんと不憫な昼顔であることよと同情し、かつそのけなげさを讚えている。もう少し深読みをしておけば、句は人生を「朝顔」「昼顔」「夕顔」の三期に分け、いわば働き盛りを「昼顔」期にあてているのかもしれない。露置く朝や夕に比べて、露にうるおう余裕もなく、がむしゃらに働かざるを得ない朱夏の候を、けなげな「昼顔」に象徴させている気配が感じられなくもない。いずれにしても、この謎掛けのような句法は、江戸期に特有のものだろう。現に近代以降、この種の遊び心はほとんどすたれてしまっている。近代人の糞真面目が、俳諧のおおらかさや馬鹿ばかしさの「良い味」を無視しつづけた結果である。芭蕉記念館蔵本『俳諧百一集』所載。(清水哲男)

 昼顔につき合ひ人を待つでなく

                           林 朋子

季語は「昼顔」で夏。野山や路傍、どこにでも咲いている。薄紅の花の色は可憐だが、あまりにも咲きすぎるせいか、珍重はされないようだ。句は、わざわざそんな「昼顔」につき合って、誰を待つでもなく道端に佇んでいる。といっても実際に路傍に立っているのではなくて、夏の午後のけだるい時間をシンボリックに詠んだのだろう。なるほど、けだるさには昼顔がよく似合う。この句を読んで、ちょっと思うことがあった。実景ではないと読んだけれど、仮に実景だとすれば、作者以外にはどんな光景に写るだろうかということだ。想像するだけで、なんとなく奇異な様子に見えるのではないだろうか。まさか昼顔につき合っているとは知らないから、道端に人がひとり何をするでもなく長い時間立っていれば、ついつい変に思ってしまうのが人情だからである。最近よく散歩をするようになって気がついたのは、いかにこの人情なるものが散歩者の気分を害するかということだった。天下の往来である。走ろうが立ち止まろうが当人の勝手のはずが、そうじゃない。歩き疲れてしばし佇んでいるだけで、必ずどこからか猜疑という人情のまなざしが飛んでくる。立ち話をしている主婦たちの目が、ちらちらとこちらを伺っていたりする。そんなときには仕方がないから、しきりに腕時計を見るふりをすると、多少は猜疑の目も和らぐようだ。携帯電話は持っていないが、こんなときにはさぞかし便利だろう。ともかく、人通りのない山道ででもないかぎり、人は道で一分と動かずに立っていることはできない。堂々と立ち止まれるのは、ゆいいつ信号のある交差点だけである。嘘だと思ったら、どうかお試しあれ。『眩草』(2002)所収。(清水哲男)

 昼顔の見えるひるすぎぽるとがる

                           加藤郁乎

季語は「昼顔」で夏。一つ一つの花は可憐ではかなげに写るが、猛暑をものともせずに咲くのだから、あれで芯は相当に強いのだろう。そんな昼顔が、けだるさも手伝ってぼおっと見えている暑い午後の句だ。ここまでは誰にでも理解できるけれど、さあ下五の「ぽるとがる」との取り合わせがわからない。むろん作者も実際のポルトガルにあって、この句を作ったわけではない。しかし句の字面をじっと眺めていれば、あるいは句を何度か舌頭に転がしてみれば、静かな悲しみを帯びた不思議な魅力が立ち上がってくるのがわかる。多用された平仮名のやわらかい感じ、重ねられた「る音」のもたらす心地よさ。像も結ばないし意味も無い句でありながら、このような印象を受けるのは、やはり私たちの言葉に対する信頼の念があるからだろう。言葉に向き合ったとき、私たちは当然のように何らかの結像や意味を求める。その心的ベクトルをすっと外されたときに受ける戸惑いが、この句の魅力を生み出すとでも言うべきか。外した作者の外し方も、人が言葉に向き合うときのありようを熟知している。途中からの平仮名表記は、読者に最後まで一気に読ませるためのマジックなのであって、この間に漢字や片仮名を配置したのであれば途中で放り出されてしまう。つまり掲句は最後まですらりと読めるように書かれており、読み終えてから読者が「あれっ」と振り返る構造になっているわけだ。その「あれっ」があるからこそ、なんとも不思議な魅力を覚えることになる。ナンセンスの世界へと人を誘うためには、生半可な技巧ではおぼつかない。『球體感覚』(1959)所収。(清水哲男)

 ひるがほに紙の日の丸掛かりをり

                           吉田汀史

季語は「ひるがほ(昼顔)」で夏。ちなみに「朝顔」は秋。まだ近所には咲いているが、そろそろ「昼顔」もお終いだろう。育てる人がいない野生の花だけに、いつの間にか咲き始め、いつの間にか終わってしまうという印象が濃い。典型的な路傍の花である。そんな打ち捨てられたような花に、これまた打ち捨てられた「紙の日の丸」が掛かっている。夕刻になれば紙くずのようになってしまう昼顔と、もはや紙くずと化した日の丸と。もちろん昼顔に掛かっているのは偶然だが、この取り合わせは哀れを誘う。何かの催事に使われた紙の旗が吹き寄せられてきたのだろうか、それとも子供が捨てた手製の旗だろうか。何にせよ、すぐにくしゃくしゃになってしまうもの同士が、こうしてしばし身を寄せ合っているのかと見れば、哀れさは一入だ。ましてや、片方はチラシ広告や新聞の切れ端などではなくて国旗である。ある程度以上の年代の人にとっては、現在の国旗観がどのようなものであれ、路傍に放棄された姿には一瞥チクリと来るものがあるにちがいない。単なる紙くずとは思えないのだ。だから掲句は、読む者の世代によって哀れの色彩がかなり異なるとは言えそうだ。「紙の日の丸」と、わざわざ「紙の」と表記したところにも、作者の年代がおのずから浮き上がっている。俳誌「航標」(2004年9月号)所載。(清水哲男)

 鳥雲に入るや黙つてついてこい

                           加藤郁乎

「切株やあるくぎんなんぎんのよる」ーーなど難解な句を平然と作っていた郁乎にしては、掲出句は素直な句だと言える。言うまでもなく季語「鳥雲に入る」は「鳥雲に」や「鳥帰る」としても遣われる。秋に飛来した鳥が、春には北方へ帰って行く。今冬、わがふるさとの雪残る田園を車で走っていたら、あたりに白鳥が三十羽近く群れて、田でエサをあさっている光景に出くわしてビックリした。が、彼らももう北へ帰って行ったことだろう。「黙つてついてこい」は作者が誰ぞに命令しているような、そんな厳しい口調が表に、裏に男の下心がありそうな気がしてくる。いかにも一筋縄ではいかない郁乎の句である。さらに読みこめば「入るや」は「いくや(郁乎)」をもじって、自分自身に向かって命令しているものと、敢えて解釈してみるのも愉快ではなかろうか。澁澤龍彦は郁乎のことを「懐ろに匕首をのんだ言葉のテロリスト」と、みごとに決めつけた。今や、そのような俳人も詩人も見当たらない。良い子たちがひしめき合っている。他に「昼顔の見えるひるすぎぽるとがる」がある。『全季俳句歳時記』(2013)所収。(八木忠栄)

 ひるがほに電流かよひゐはせぬか

                           三橋鷹女

歩道の植え込みなどに細い蔓をからませてピンクの花を咲かせている「ひるがほ」を見るたび思い起こす句。朝顔に似ているのにそのはかなさはなく、炎天下にきりりと花を開き続ける様子は電流が通っているようでもある。鷹女の句は機転や見立てが効いている表現が多いように思うが、それだけで終わってはいない。ひるがほを見ている自分もひるがほであり、ひるがほを通う電流は鷹女の身の内をも貫いている。しばらくは「電流かよひはせぬか」と「ゐ」をすっとばして覚えていたが、「かよひ」でしばし立ち止まって「ゐはせぬか」と自問自答することで、「ひるがほ」の存在感をたかめ、読み手にも「そうかもしれない」と思わせる呼び水になっている。鷹女の「雨風の濡れては乾きねこぢやらし」からスタートして十年、増俳木曜日を担当させていただいた。このサイトの一ファンであった私に書く機会を与えてくださった清水哲男さんと、拙い私の鑑賞を読んでいただいた方々に感謝します。ありがとうございました。『三橋鷹女全集』(1989)所収。(三宅やよい)

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