昼顔の咲きたる藪の暗さかな 高資 昼顔の咲ききるまでの五芒星 高資
昼顔や帰りの道は歩きけり 高資
コメントのやり取り
開いたヒルガオにも五芒星が認められますね。五芒星は精神性、六芒星は物質性の象徴だとか・・・リンゴの芯も五芒星ですね。和多志は五行を連想します。物質は5大エレメントでできている6次元の存在だということでしょうか?
五島 高資 五蘊で認識される次元を俯瞰するハイヤーセルフが大事ですね。それにしても苹果の形は神秘的ですね!! 剥いた皮の形はまさに金胎両部における理知の在り方に似てますね!!
南 陽子 和多志たちと共存する 無限数の並行現実から現実を選び取るのは それらに周波数を合わせることが出来る五感かと思っていましたが 五感を司るのは 意識であり、心であり、魂であると言えますね。五蘊の深さを改めて思いました。ハイヤーセルフは魂の今生のライフヴィジョンと受け取っていいのでしょうか?
五島 高資 ハイヤーセルフは言葉の世界を超えている次元のものであるがゆえに、素直に体験して直観すべきものとしか言い様がありませんが、まずは、いずれにしても古今の聖人が示している簡単だけれども難しい戒律を守ることから始まるような気がします。
南 陽子 ということは フロイトの言う 超自我のことでしょうか?先生はエデンの園の禁断の木の実は ブドウとお考えですかリンゴとお考えですかそれとも他のもの?
五島 高資 唯識でいう阿頼耶識に近いかもしれません。もっとも大円鏡智に転識得智しなければなりませんが。私はキリスト教のことはよく分かりませんが、葡萄ならディオニューソス的な神話へと反れていくような気がします。知よりも情(ふたりごころ)ですね。密教で言えば胎蔵界の直観的な理と言えるかもしれません。
南 陽子 いわゆる集合無意識、アカシックレコードと言われるものの感じですね。シーターヒーリングではディバインタイムと呼ばれたりします。阿摩羅識は外なるサムシンググレート(内なるサムシンググレートは魂だと考えているのですが)と考えていいのでしょうか?情をふたりごころと読むのも興味深いですね。関係性が大事だということでしょうか?
五島 高資 心(ひとりごころ)情(ふたりごころ)というのは、私の俳句の師匠・金子兜太先生がよく使われます。ふたりごころは、言葉の記号作用を超えて伝わる詩情のことです。ひとりごころは独りよがりの詩想です。前者の拠り所が集合無意識的とすれば後者は個人的無意識といった感じです。真言宗ではさらに乾栗陀耶識を加えて十識とするそうで、これが何なのか探求中です。秘密荘厳心との関わりも興味深いです。
南 陽子 ありがとうございます。いろいろ教えていただき感謝です。
五島 高資 こちらこそありがとうございます。深謝まで!!
facebook加藤 由佳さん投稿記事 昼顔(ひるがお)
おはようございます。今朝は、雨が上がり曇り空。薄桃色の昼顔が微笑むように花を咲かせています。
朝に開花して昼にはしぼんでしまう朝顔に対して、昼顔は朝に開花して昼の間も咲き続け、夕方に花をしぼませます。昼顔の花名もこれにちなみます。
昼顔にこのような話があります。
昔、一人の御者が、ワインを沢山積んだ車を、ぬかるみに落としてしまった。どんなに骨を折ってみても、ぬかるみから牽き出すことが出来なかった。
丁度そこへ、聖母マリアが歩いてきて、気の毒な男の困っている様子を見ると、男に向かって「私はとても疲れていて、咽喉もからからなので、私にワインを1杯めぐんで欲しい。そうすれば、あなたの荷車を、ぬかるみから出して上げよう」。御者は答えた「喜んで上げるが、でもワインを注ぐグラスがない」といった。
すると、聖母マリアは、白地に赤い筋の入った、小さな花を折った。その花は、昼顔(ひるがお)とよばれる花で、ワイングラスにとても似ており、聖母マリアは、その花を御者に渡した。御者は、グラスにワインを注いだ。聖母マリアは、ワインを飲んだ。すると、その途端に荷車はぬかるみから出た。この花は、今でも、「聖母マリアのワイングラス」と呼ばれているそうです。
花言葉 「絆」「友達のよしみ」「情事」
昼顔は昔から薬用・食用としても活躍している花です。
薬用として、 虫刺されには生の葉の汁、糖尿病には花の咲く時期の葉を2~3枚を干して煎じたお茶が効くといわれています。
食用としては、クセのない花なので、余すことなく食べることができ、部位によって調理法が異なります。
朝顔のように健気に咲いているように見えても、いろんな顔を持っている 魅惑の花です。
お出かけの皆さん、お気をつけていってらっしゃい👋😃
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