facebook赤塚 高仁さん投稿記事
苦しい時や、悩んでいる時、プラス発想しなければならないと思っていても、容易ではありません。でも、思う前に動いてしまえばできることもあります。
思考は、いつも引力に引っ張られて、深みに深みにと沈んでゆくものです。
https://ameblo.jp/seishomandan/entry-12901530407.html?fbclid=IwY2xjawKKfthleHRuA2FlbQIxMQBicmlkETFBV1RCSGdzZklxRXY3UUpJAR4NSdtABYKBOzKYxNrT_GTp9UCNpYEwbN2HWeEDy8R3Eu8NZH4FavcuY2QtxA_aem_qv4JpGhivauNvuuL3zjuKA 【曇天模様で波高し、大分に向かうのだ】より
苦しい時や、悩んでいる時、プラス発想しなければならないと思っていても、容易ではありません。でも、思う前に動いてしまえばできることもあります。
思考は、いつも引力に引っ張られて、深みに深みにと沈んでゆくものです。
ふと、観察してみると、悩んでいる時、姿勢が悪く、呼吸が浅くなっています。
そして、ため息です。姿勢が悪く、呼吸が浅くなっているから、たまっている炭酸ガスを吐き出すため、余計ため息がでます。愚痴やいいわけが始まります。夜眠れないと言いますが、たいてい眠っているのに眠れないような気がするのです。こんなときは、じっとしていてはいけませんね。あれもやらなければ、これもできていない、ああああすれば、こここうしておけば・・・そそそそ 考えはぐるぐるまわります。 これを、悩むと言います。
立ちあがって行動に移さなければ、頭の中に妄想と雑念が充満して、まともな思考力が衰えてゆきます。エネルギーがじゃじゃ漏れになって、何もかもめんどうくさくなってしまいます。
昔、母は、悩んだときは裁縫箱の整理をするといい と言っていました。一番身近なところを片づけるだけで、一切がプラスに変わり始めます。思考は常に過去と、未来に飛んでゆくものです。過去も、未来もエネルギーの場ではありません。宇宙とつながっているエネルギーの場は、唯一 「今」と「ここ」だけ。
今、ここ、に自分を立ち返らせるために、まず、深呼吸。姿勢を良くして、身近なところの整理整頓・・・私は、トイレを素手で磨くことにしています。
セントレアに向かう船の中で、このブログ書いていますが、波高し 沖に巨大な貨物船。
さあ、大分に飛びます。「ひらり変容塾」のみんな待ってておくれ。
https://ameblo.jp/toru-nishida/entry-12900775592.html?fbclid=IwY2xjawKKgGFleHRuA2FlbQIxMQBicmlkETFBV1RCSGdzZklxRXY3UUpJAR7VsUPAsfdPPk_IMevAQgz8y96HgqayJJBT7kTEGlq_Dlr_jyW55Fw5K0eMmQ_aem_5DtozGkhpougZqthZ9noDQ 【ネガティブ感情が黒雲のように湧いてきたときは、人生を変えるチャンスにもなる。】より
愛する魂の冒険者たちへ「ネガティブな感情も、ポジティブな感情も、どちらも、わるいわけじゃない。どちらも、人生を前に進めるパワーになる」って話を初めて聞いた時には「そうかなあ?」と感じましたが・・・だんだんどうもそうなっているらしいなあ、と思うようになりました。
自分をどうとらえ、感情をどう使うかによって変わってくるようなんですね。
たとえばいわゆるネガティブ感情を感じやすい人って「芸術的な才能」「表現の才能」や「カウンセラーとしての才能」がある場合が多いです。
それは深く深く、心の奥を感じる力があるから。細やかな感情のグラデーションをとらえる力があるから。そう見てみるとあきらかに才能なんですよね。
もしもあなたが、感じる力が強かったとして、そのために日頃、しんどいなあって場合は
思いっきり何かを表現してみると、とてもいいかもしれません。
そうしたら人の心をシビレさせ、楽しませ、世界に潤いを増やす、素晴らしい「何か」が生まれるかもしれません。
で、、、これまで出会ってきた方で、表現者として活躍されている方は、その人らしい形で、かつ、成熟した形でポジティブな感情も、ネガティブな感情も、自由に味わって、表現しておられたように思います。
どっちも深く感じる自分にOKを出しているという感じなんでしょうね。
感情を自由に表現できる人って、人から見ると魅力的だったりするもんです。
(もちろん、ドロドロした感情を人にぶつけるという意味ではアリマセン)
さらに、、、実は、自分からネガティブ感情が吹き出ている時は自分の人生をよりよくするチャンスでもあります。
それは、激しく感情が動く時は、自分が「何を信じているか」に気づくチャンスになるからです。 人は自分が何を信じているか、つまり自分の信念に沿って現実を体験することがとても多かったりします。
(100%そうだというわけではありません)
たとえば、わかりやすいかもしれないので お金に関する信念で言うとお金は汚いものだ、
お金持ちはみんなずるしてる、という信念があったらその信念に沿った現実を目にしやすくなります。「ほーらやっぱりそうだった、お金もちはズルイでしょ」という感じに。
さらに、自分が「汚い」と信じているものを持つのは大体の人はいやでしょうし、自分が「ずるい」と信じている存在にはなりたくないでしょうから、
この信念を持っていると経済的なチャンスがきたときにスルーしちゃう、ということも起きやすいようです。一方で、お金があると愛する人を助けることができる、お金は自分の夢の実現を応援してくれる友人のようなものだ、という信念があったらその信念に沿った現実を目にしやすくなります。(以上の例はわかりやすいように極端にシンプルにしています)
つまり、、、仮にお金とか、お金持ちに対していつもマイナス感情が湧いてくるとしたら、
自分の中にどんな信念があるのかを観察してみるチャンスになるわけです。
お金に限らず、異性とか、会社とか、できごととか、自分自身とか、、、「特定の何か」に対して怒り、イライラ、不安、嫉妬、などをいつも感じるとしたら、、、いったい自分が何を信じているから、その感情がわいてきたのか?その根底にある信念はなにか?それを突き止めることができたら、今度は、「その信念は、ほんとうに、ほんとうに、真実なのか?」をみていくことができます。
そして、もし、その信念を持っていなかったとしたら自分はどんな人生になるのか?をイメージしたり、考えてみたりすることもできるんですよね。
この作業は僕も取り組んでいますがとてもパワフルに人生を変えてくれる力があると感じています。
たとえば対人関係で「自分なんて愛されるはずがない、愛する人は自分から去っていく」というような信念が以前、深いところにあったように思います。
けっこう取り組んできました。それはほんとうに真実なのか?その信念を持っていなかったとしたら自分はどんな人生になるのか?こうした取り組みを行いながら、、、
日々、鏡に映った自分の顔の、目の奥を見つめながら、いろんな感情を感じてる自分に
「どんな感情を持っているあなたも大切だよ」って言ってあげると、望む方向への変化が起きやすい気がします。
それでは皆様、快適な夜を、そして素晴らしい朝をおむかえください。
〜〜〜
愛する家族のたつ大地が平安でありますように 顕彰大神通力 けんしょうだいじんつうりき
今日も命にありがとうございます。 西田普にしだあまね
facebook岡本 よりたかさん投稿記事「本当は必要ないものかもしれない」
「世の中銭や」という投稿をしたので、ひとつ僕の本音を書いてみるのだけど、興味なければスルーでお願いしたい(笑)。
講演で良く話す話だから、知ってる人は多いと思うけど、僕は遥か昔、差し押さえにあっている。
要は破産状態である。
電気もガスも止められ、水道だけは止められず、カード決済もできず、ガソリンも買えないから、遠出も出来ないと言う経験をした。
畑にすら行けないのである。
いや、実際には片道1時間以上歩いて畑には行ったのだが、車なら瞬時の距離も、歩くと万里の長城かと思うぐらい永遠と歩かなくてはならない。
しかし、人は必要だと思っていた物が全く買えなくなると、実はそれらは必要ない物だったという真理が見えてくる。
何一つとして。そう、何一つとして必要じゃなくなる。トイレットペーパーすら必要なくなる。
実は必要だと思っている物は、必要だと思うから必要になるだけの話である。
禅問答のようだが、これは案外真理だ。
田舎では車がないと暮らしていけないとか思ってしまうのだが、実際に車を動かせなくなると、自宅周りで全てのことを済ませてしまうようになる。
今までは何故か遠くのスーパーまで買い物に行っていたが、目の前にある庭で畑をすれば、スーパーまで車で走らせる必要はなくなる。
トイレットペーパーがないと、家の中にある紙という紙をくしゃくしゃに擦って使うようになる。使用後は燃やして、その熱でパンを温める。その時オーブンは必要なくなる。
今までスピーカーで流れていた音楽が聴けなくなると、ついつい好きな歌を口ずさむようになり、スピーカーは必要なくなる。
一事が万事そうなのである。結局、人が生きていくために必要と思われてきたものは、実はなくてもなんとかなる物がかなりある。
お金がないと生活は不便にはなるが、生きていけないということには、何故かならない。
多分、贅沢を知ってしまった自分、便利を知ってしまった自分、周りと比べてしまった自分がいるから、貧乏を受け入れられないだけなのだろう。
「世の中銭や」と僕は思うのだが、必要な銭はごく僅かなのである。
だから、最低限のお金は稼ぐにしても、贅沢をするほど、便利な物に酔いしれるほど、周りと比べて満足するほどのお金など必要ない。
そう考えれば、随分と楽になるものだ。
そして、好きなことに没頭する。それはもちろん遠くに出かけていくとか、何かを買わないと出来ないこともあるだろう。
それを最低限稼いだお金でやり続ける。そうすると、不思議なことに、ある時から困らない程度にお金が舞い込んでくる。
それは若い人の話でしょとか、もう住宅ローンもあるし、教育費もかかるし、付き合いのためのお金だって必要だから、歳を重ねるとそんな簡単な話ではないよと、多くの人が思うだろう。
確かにその通りなのだが、歳を重ねた人は、若い人に比べて、ある程度お金を稼げる人間関係を既に持っている。
そこから、必要なものだけ取捨選択するだけの話ではある。それが出来ないと思うから出来ないだけのことではなかろうか。
僕は、お金のない世界を作りたいとは思っているが、それはお金に支配される世界に居たくないというだけの話。
お金を払う方が立場が上という世界が嫌いなのである。
お金は道具である。縄文時代のように物々交換のための覚書の石でしかない。その感覚を取り戻せる世界に居たい。
この先もお金を稼ぐことは続けるし、支援の募集もしていくだろう。でも、それはこちらの想いや知恵や知識との交換だし、楽しいと思える環境と時間を提供していきたいと考えている。
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