facebook椎原 崇さん投稿記事
誰の人生にも「波」があって、良い時もあれば悪い時もあるものです。
周りから見ると順風満帆に見えたとしても、本人は心が折れる寸前だったりすることもあって、調子の良くない時期、なんかうまくいかない時期、なんか自分じゃない時期って、必ずあるものです。
当然、僕もそういうときって何度もあって、何度も心が折れそうになったりしたんだけど、
そんな時に僕を救ってくれたのが「言葉」でした。
それは、ある人が書いた本の中の言葉だったり、憧れている人が話していた言葉だったり、
誰かもわからないような人がつぶやいていた言葉だったりします。
その時、そのタイミングで、その言葉に出会わなかったら、きっと諦めていただろうな、
きっと心折れちゃっていただろうな、きっと違う方向にいっていただろうなって。
そう感じることって人生で多々あって、本当に本当に人生を救ってくれたと思っています。
僕にできることは大したことはないかもしれないけど、もしかしたら誰か1人でも同じように「良いキッカケ」を与えることができるかもしれない。
そして、僕がしつこく続けているともう1人、2人とちょっと増やすことができるのかもしれない。だから、もういいよ。ってウザいと思われても表面だけで判断されてしまっても、
勝手な解釈で否定されたとしても、 しつこく言い続けると決めているのです。
僕は本当にありがたかったから、少しでも恩返ししたいですからね。
昨日、つぶやいたものが反響大きかったのでリライトしてみました。
今後も「ゆるしつこく」発信していきますので引き続きよろしくです^^
facebook久慈 倫太郎さん投稿記事
ロマンロランは、ヴェーダ哲学(バラモン教の根本聖典)に注目した。大洋は超個人意識で、その表面に揺れる波が個人意識であることに。
一つの波は自分が他の波とは別物だと思って自分の力で盛り上がり、自分の弱さで崩れてゆく。
しかしその波が覚醒すると、他の波と共に自分を生む大洋に気づき、惹かれてゆく。
そこでの救済のイメージは、波が吸収されて無くなることではなく、他の波と絶えず交わり合い干渉し合って大きな波を成すということ。
ロマンロランの「大洋感情」とは、その覚醒の瞬間に外界に対する感覚を失って、大いなるものに包まれる至福体験をいう。 to be continue
大海から掌に掬い上げた水は、見た目には一握りの水でしかない。しかし海に返せば、元の水と混ざり合って渾然一体となる。
意識の深いレベルでは、掌の水も大海の水も同じである。宗教体験中の脳の活動を示す血流写真を撮ると、仏教僧が瞑想状態に入った時と、修道女が深い祈りに入った時、脳は顕著な特徴を示す。
時間と空間を認識する部位と、自己と非自己を区別する部位が活動を停止し、情緒を司る部位だけが活発に活動する。
これで、神秘主義者たちが揃って外界が消失し、自己意識が解体して何か大きなものの一部になってしまうことが説明できる。
波が砕けて、その下に横たわる無限の大洋に取り込まれてしまうという、ロマンロランの「大洋感情」にも納得がいく。
facebook相田 公弘さん投稿記事 「波紋 ーTさんへー」相田みつを
Tさんなあ あなたの気持ち よくわかるけど 今はなんにも言わぬほうがいいな
言えば弁解になるから...静かな池の水面にさ 小石をポチャンと落とすだろ
水面いっぱいに波紋ができるよね その波紋を静めようと手で押える
すると押えた手のところへ また新しい波紋ができてしまう だからね、波紋を静めるにはね
そのままにしておくことが 一番いいんだよ...あなたが弁解すれば 弁解したところに
また新しい波紋ができる 苦しいだろうがね... 今は何にもいわぬほうがいい
その代わり、やることだけはやっておくんだよ
あんなに降った雪でも時期がくればいつか自然に解けて土の中から水仙の芽がちゃんと出てくるもんね...弁解や言い訳よりもいま、ここで、やるべきことを具体的にやってゆくことだね雪におおわれた土の中の球根のように......
facebook北條 毅さん投稿記事
世界を飛び回る人に憧れを抱く人は本当は自分自身がもっと自由に動き回る衝動を抱えている人。
多くの人々を巻き込む人をすごいと応援したくなる人はㅤ本当は自分自身が多くの人に影響を与えたい願望を抱いている人。
大きなお金を使っている人に心地いい想いを抱く人は本当は自分自身がお金というエネルギーを流したい想いがある人。
鋭い物言いの人に強い賛同の想いを抱く人は本当は自分自身が強く言いたい衝動を胸に秘めている人。ㅤ
美しい世界を表現する人に憧れ惹きつけられる人は本当は自分自身が世界に表現したい美意識を持っている人。ㅤ
この世界にとても多くの人がいる中でㅤ好きな人と、そうじゃない人 惹きつけられる人と、気にもならない人がいるけれどㅤ
僕らがある人を見て惹きつけられるのはなぜか目を引き 気になり、心奪われ 興奮し、応援したくなる そんな人がいるのは その人を通して自分の中にあるものを見ているからなんだよね。
誰かを好きだと思ったり誰かに近づきたくなったり誰かを応援したくなったりそれぐらい心動くような経験
それ自体が目的なんじゃなくてその人の好きになった部分 その人に憧れる部分 その人を応援したくなる部分 その人に強く共感する部分 その人に惹きつけられる部分 それが、他ならぬ 自分自身の中にあるものなんだっていう、そのことに気づいていくために人とのかかわりの素晴らしさというものはある。
誰かに憧れて誰かを応援して誰かに夢を託してそれで終わりなんじゃなくㅤその憧れをその想いをその夢を他ならぬあなた自身に実現していく力があるんだっていうことに気づいてみずからの足で一歩踏み出していくということこそが本当に大切なことなんだと思う。
どんなに有名な人でも どんなに影響力のある人でも どんなに輝いている人でもその人に、あなたの人生を肩代わりしてもらうんじゃない。
あなたが、あなたの望む人生を生きるㅤその自分自身への深い約束こそがあなたの人生を本当の意味で豊かにしていくんだ。ㅤ
憧れることや 共感することや 応援することや それら自体が目的なんじゃない。ㅤ
好きな人への憧れや、共感や、応援やそれらを通して自分自身の本当の想いに気づいていく。
そして他の誰かじゃないあなた自身がその想いを現実にしていく。
そのために、あなたの世界はあるのだから。人生という豊かさを他の人に譲らなくていい。
あなたの人生を生きよう。あなたの世界は、あなたのものだ。ㅤ
それこそが、豊かな世界へ通じる道なんだから。
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