若返る黒髪山や麦の秋 五島高資

https://ameblo.jp/seiko0126/entry-12767515116.html 【若気の至りって、必要だと思う】より

先週の疲れから、週末はひたすら引きこもって、自分時間を満喫して、なんとか復活

ほんと、毎週末、何かしらの予定を入れられる人を尊敬しますが、私は約束に縛られるのがストレスなので、こんな風になんの予定も入れない週末が定期的にないと、なかなか自分のストレス緩和が出来ないです。でも、暇をしていたかと言えば、とりあえずずっと何かしら料理してた。(笑)それが私にとってはストレス発散であり、まだ体調万全ではない母のごはんも一緒に出来るので、楽しいし、役立つしで良い時間だったと思います。

家族みんなで、すっかりバターナッツカボチャのスープにはまり、今朝もまた作りました。市場で買うよりも、バターナッツカボチャはスーパーが安くて、あまり選ばなくてもどれを買っても結構良いので、料理するには本当に適した食材だと思います。

今週末は、結婚式への参列などがあるので、ご祝儀袋やら着るものやら靴やらも用意しなくちゃですが、知り合いが沢山いるお式なので、久々に華やかな場で楽しみです。

しかも、私がすごい好きなラグジュアリーホテルでなので、帰りにそこでお茶するのも楽しみです。(笑)結婚は大きな人生の転機ですが、最近は、人生の転機の形ですら多様化している様に思います。どんなに華やかな結婚をしても、その後に来るのは日常だったり、お互いの生活や家族のことが影響してくるので、そこで苦労をしている人も沢山見ているので、何でも楽な道はないんだなと思う。

10代や20代の頃に、自分が50代や60代になることってイメージ出来ないと思うんですよね。むしろ、それを明確にイメージ出来る方が恐ろしいので。(笑)

私自身も、本当にめちゃくちゃな青春時代を突っ走ってきて、良くあんな生活していて倒れなかったものだと思う様なハードな時間を過ごして来ましたが、そんな時間があるからこそ、今は少しだけ落ち着いて人生を顧みる事が出来るんですよね。若い内にしか出来ない事ってそんなにないと私は思うのですが、若い内にしか、やろういう勢いと体力がないのは事実なので(笑)、若気の至りって、人生においては結構大事なんじゃないかと私は思っていたりします。

今、自分が人生の後半に差し掛かっている中で、これからの人生の事ってやっぱり考えるんですよね。同世代なのに亡くなった友人なども多いので(それは若すぎる死ですが・・・)、自然といつかの事を考える様になってしまう。

そんな中で、やりたい事、やれば良かったと後から思いそうな事は、やっぱりやっておきたいなと思う今日この頃です。

コロナ禍になって、海外に行くのもハードル高くなりましたが、私の周りではもうみんなバンバンと海外に行き出しているので、これももう、自分の勢い次第だなと。

仕事で海外に行く人もいれば、旅行で行く人もいます。

私も、来年にはどこか行きたいなーと思う。円安も手伝って相当なお金がかかるでしょうが、行くとなったらお金の事を気にせずに行こうと思います。NYも行きたいし、ロンドンも行きたいし、韓国も台湾も行きたいです。

友達がバンコクとジャカルタにいるので、そちらにも行きたいしね。

今はむしろ欧米の方がコロナの影響で制限されているものが少ないので、いっそ遠くに行く方が良いのかとか、色々考えますが、とにかく来年にはどっか飛ぶと思います


facebookディヤン ムディト龍神界投稿記事

一休は、よく出来た詩を創ることには、関心がない。実際、彼は詩人ではない。彼は、神秘家だ。が彼は、散文で語るよりは詩で語る・・ある理由ゆえに。

その理由というのは、つまり、詩には、物事をほのめかす間接的な道がある、ということだ。

詩は、女性的だ。 散文は、男性的だ。散文は、その構造自体が論理的だ。詩は、基本的に非論理的だ。散文は、明晰でなければならない。詩は、曖昧でなければならない・・それが、その美しさだ。その特性だ。

散文は、ただ言うことを言うだけだ。詩は、多くのことを語る。

散文は、日常の世界、市場では必要だ。だが、いつであれ、ハートの何かを、語らねばならない時には、散文は、常に不適当であることが分かる。人は詩を、頼みにせざるを得ない。

OSHO:「一休道歌」(上巻)(めるくまーる社刊)


facebookあいことば投稿記事  【意味のないことは一つもない】

足立幸子氏の心に響く言葉より…

これからは「何だかわからないけど、やってみると、行動に移すと、理由がわかる」という時代になります。行動に移す(表現する)と、本当の理由が見えてきます。

こういうことがいっぱい起こってきますので、勇気を出して行動に移して下さい。

頭は本当にロクなことを考えず、すぐ判断してしまいますから、ありのままを受け入れるためには、出来るだけ頭の中はボーッとさせておいた方がいいですね。

頭をボーッとさせているのは罪悪のように思っておられる方が、今まではたくさんいらっしゃたと思いますが、これからは出来るだけ頭はカラッポにしておいた方がいいです。

頭がボーッとしている時には、意識はハート(胸のあたり)にあります。

カリカリして頭にくるという時は、頭に意識がある証拠ですね。ハートに意識があれば、頭には絶対にきません。何でも「どうぞ」と、あるがままに受け入れられます。

ですから数字の計算とか、どうしても頭で考えなければいけない時以外は、なるべく意識はハートに降ろしておいた方がいいですね。

そうしますと本当に楽で、平安な気持ちになれます。

ボーッとしていると、確かに私の場合は、日常の行動の中で一見無駄と思われることを随分やってしまいます。

電車を乗り過ごしたりとか、反対方向に乗って行ったりとかは年中ですが、これも意味なくやっているわけではないのです。

ですから「意味のないことは何もない」と、とらえるかどうかなのですね。

私は今までの人生で「意味のないことは全くなかった」とわかった時、本当の意味で感謝の気持ちが出てきました。

「意味がない」と思ったら、本当に意味がなくなってしまいます。

ですから例えば、反対方向の電車に乗ってしまったことに気がついて電車から降りまして、「《おおもと》の部分で生きている私が、意味のないことをするはずがないじゃないか」と思って駅で色々見るわけです。

もしかすると誰かに出会うために、反対方向に乗った可能性がありますから見てみるのです。

誰も知っている人がいないと、今度はポスターとかを見るのですね。

そうすると、必要な情報が必ずあります。

「あー、このポスターを見るために、一駅反対方向に乗ったんだ」とわかるのですね。

ですから、何も無駄ではないのです。

無駄は一つもありませんから、無駄とするかどうかは、ご自分次第なのです。

いつも「無駄なことをしているわけがない。起こることは、全部意味があって起こっている」と、とらえられた方がいいですね。

そうしますと、みんなが楽になれます。

大事なことは、少しでもカリカリしたりカッカすると、宇宙との調和度は簡単にドーンと落ちてしまうということです。

『あるがままに生きる』ナチュラルスピリット

どんなことにも意味がある、と心の底から得心(とくしん)することができたら、感謝の気持ちが生まれる。

「そうか、そういうことだったのか」と自分を高めるために教えてくれた、という感謝の気持ちだ。

苦労や苦難であろうが、病気であろうが、失敗であろうが、それが起きた意味がある。

「意味がある」とは、自分へのメッセージ。

そのメッセージを無視すると、また同じようなことが起こる。

行動を変えていないからだ。

人生には「意味のないことは一つもない」。

自分に起こるさまざまなメッセージを、謙虚に受け止めたい。


facebook人の心に灯をともす投稿記事【生き方を変えなさい】

船戸クリニック院長、船戸崇史(たかし)氏の心に響く言葉より…

医師になりたいと思ったのも、「命」と関わりたかったからであり、消化器外科を専攻したのも、ブラックジャックのようにメスで「命を救う」という姿に憧れたからでした。

そして消化器外科医となったことで、私はその後のライフワークとなる「がん治療」へと足を踏み入れることになったのです。

当初、「いかにきれいにこの敵(がん)を除去できるか」と私の眼は常に「がん腫(しゅ)」に向いていました。

「がんが悪の権化。これさえなくなれば救われる!」この思いは、手術手技を学ぶ意欲を駆り立てました。ところが、どれだけ技術を磨ききれいに切り取れたとしても、再発する人は必ずおられるのです。なぜ?どうして?やがて私は気がつきました。がんになるには原因がある。

メスでがんは切れてもがんの原因までは切り取れない。それではがんを治したことにはならない。私は本当に治しているのだろうか?悶々とした気持ちで、しかしメスを握っていたのです。そして私はメスを捨てる決心をしたのです。外科医になって11年が経っていました。

35歳でした。こうして岐阜養老で在宅医療を志し、開業したのです。

開業時の理念は、「自分の家で、自分らしく生き、自分らしく死んでいけることをサポートする医療」でした。それ以来すでに30年近くが経ちました。

紆余曲折はありましたが、この間2000名を超える命を看取らせていただきました。

そして、在宅診療に必要なスキルは、医学的知識と技術は当然ながら、それ以上に人間力であることを学ばせていただきました。

また人間力とは、「知識技術」と「共感力」と「胆力」の総和であることも教えてもらいました。このようにがん診療に携わり、私はがんは敵ではない。

それどころか「生き方を変えなさい」とだけしか言っていないことを知りました。

『「死」が教えてくれた幸せの本質』ユサブル

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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