車除けて松葉海蘭咲きにけり 五島高資

https://amp.amebaownd.com/posts/16547323  【94歳の荒凡夫(あらぼんぷ) ~俳人・金子兜太(かねことうた)の気骨~】


https://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2014/0222.html 【94歳の荒凡夫(あらぼんぷ)

~俳人・金子兜太(かねことうた)の気骨~】より

本能のままに自由に生きる「荒凡夫(あらぼんぷ)」。94歳の俳人、金子兜太(とうた)は小林一茶のこの言葉に自分の人生を重ね合わせる。既成の俳句を批判し、社会と人間を世界で最も短い17文字で表現する現代詩人である。老いることなく、みずみずしい感覚で震災やエロスを詠みつづけている。

兜太は本名、1919年(大正8)に秩父で生まれ、多感な時期に国は満州事変から日中戦争、太平洋戦争へと向かった。東京大学経済学部を繰り上げ卒業して戦地に送られ、トラック島で敗戦を迎える。捕虜となり1946年に復員した折にはこんな句を残している。

「水脈(みお)の果(はて)炎天の墓碑を置きて去る」。

むごい戦死を目撃し、非業の死者に報いることを決意する。「いのち」の尊さを土台にした平和とヒューマニズムである。戦争体験者が減るなかで、金子兜太は戦争の本質を語りつづける。戦後は、日銀に勤め、組合運動で挫折し、左遷されて地方の支店勤めが長く続いた。その中で、現代俳句の旗手として、閉塞(へいそく)した組織や、屈折する心を詠んできた。

しかし、年齢とともに金子は自分の原点にある郷土性を強く感じるようになる。

山国秩父の土俗と人間たちが持っていた「生きもの感覚」である。日本人に染みついた5,7,5のリズムこそ自然界に宿るいのちに感応することと確信する。「土を離れたら、いのちは根のない空虚なものとなるではないか。」物質主義の時代に日本語の伝統にある俳句の底力を伝えたいと願い句を詠み続ける。

東日本大震災のニュースを見ていて自然に浮かんだ兜太の句。

「津波のあと老女生きてあり死なぬ」。

25年間続ける朝日俳壇でも、無数の寄稿者の17文字の中に日本人の「いのち感覚」を感じ喜びを感じるという兜太。「俳句だけで来た人生に悔いはない。」94歳の歩みはまだ続く。

語り:山根基世(やまねもとよ)朗読:油井昌由樹(ゆいまさゆき)(内容59分)


https://www.city.nagareyama.chiba.jp/contents/23140/23141/21120/020756.html 【ぐるっと流山 金子兜太氏が語る「荒凡夫一茶」】より

現代俳句の金子兜太氏をお招きしての講演会

流山は俳諧師・小林一茶が第二の故郷と親しんだ地。4月6日(日曜日)、流山市文化会館で、現代俳句の金子兜太氏をお招きして講演会が開催され、多くの俳句ファンが詰め掛けました。演題は、金子兜太氏が語る「荒凡夫一茶」。これまで一茶まつりなどを企画してきた流山歴史文化研究会が、市や市教委、観光協会、博物館友の会の後援を得て開催したものです。講師の俳人・金子兜太氏は、ことし2月のNHK特集「94歳の荒凡夫~俳人・金子兜太の気骨」をご覧になった方も多いと思われますが、大正8年埼玉県生まれ、朝日俳壇選者、「海程」主宰。「荒凡夫 一茶」(白水社)など著書多数。紫綬褒章、蛇笏賞、文化功労者、正岡子規俳句大賞等を受賞し、日本芸術院会員、現代俳句協会の名誉会長でもあります。

俳人・金子兜太氏

自由律俳句の種田山頭火が「放浪の…」と言われるのに対して、一茶は「漂泊の…」と表されることが多い。放浪と異なり、漂泊は、流山で白味醂の開発者のひとりと言われている秋元家五代目三左衛門(俳号:双樹)や馬橋で油屋を営む俳人大川立砂など立ち寄るところがある場合を指すのではないかと平易に解説。双樹のもとに50回以上も一茶が来訪したことが知られている流山には、一茶双樹記念館をはじめ、光明院の「豆引や跡は月夜に任す也」(双樹)、「烟らぬ家もうそ寒くして」(一茶)という連句碑などがあり、この地でのふたりの交流をいまに伝えています。

一茶の言う「荒凡夫」は「自由で平凡な男」

俳諧師・小林一茶は、60歳の正月に、これからは、「荒凡夫」で生きたいと、句帖に書きとめていました。五欲兼備の「愚」のままで生きたいということですが、そう言いながらも感性の純粋な、それこそアニミズムの世界に届くような俳句をつくっていました。長女がわずか1歳で急逝し、悲嘆の中で詠んだ「露の世は 露の世ながら さりながら」や60歳のときに大病から回復して詠んだ「これからは 丸もうけだよ しゃば遊び」などの句に触れ、こうした一茶の素晴らしさ、やさしさを見抜いて、物心共に支援をするような起業家が流山に存在し、やさしい気風が江戸時代からあったことを、地元の人は誇りに思うべきであり、やさしさを解らないような人は流山に住んではいけないと客席を笑わせました。

多くの俳句ファンが詰め掛けました

小林一茶が俳句をつくっていた時代、経済活動の中心は関西でした。そうした中で、ことしで200年になる流山の白みりんなど江戸経済も活気を帯びてきました。漂泊の俳諧師であった一茶は、徒歩で日本中を旅していたわけですから、埃だらけ泥だらけで衣装も汚れていたことが想像できます。立ち寄った家々では、汚れた姿の一茶を必ずしも歓迎した家族ばかりとは思えません。当時、新しかった一茶の俳句やその人物を認め、温かく迎えた秋元双樹という醸造家も「只者ではない」と金子兜太氏は評価されていました。一茶の言う「荒凡夫」の荒は荒々しいという意味ではなく、自由という意味、「自由で平凡な男」と説明され、「荒凡夫」という言葉を一茶の句帖で見つけたときは身体が震えるほど感動されたそうで、私もそのように生きたいと講演を締めくくりました。


https://irohaniho.hatenablog.com/entry/240114 【胸に熱く響く 金子兜太の句  「一人一宇宙」から湧き出てきた言葉】より

ブログは、わたしの備忘録 「谷間谷間に満作が咲く荒凡夫」金子兜太の句、胸に熱し 

自然の中を散策していると、何か新鮮な感覚におそわれることがあります。何かの思いがぐっと胸にこみ上げてくることがあります。何か言葉がふわっと浮かんでくることがあります。

谷間谷間に満作が咲く荒凡夫  金子兜太 たにまたにまに まんさくがさく あらぼんぷ

自然の中を散策しながら、この句を口ずさんでいたら、この句がぐっと胸に熱く響いてきました。なんとも言えない、この気分。勇気づけられ、心は高まり、「いのち」そのままな素朴な、おおらかな気分。老いを忘れ、少年に返ったようなこの開放感。この自由。

この時ふと、あることが心に浮かんできました。「気分は思想だな。思想は生きものだな。」

この言葉は、紙切れに走り書きし、家に戻ってからメモ帳に書き写しました。

ブログは、わたしの備忘録 谷間谷間に満作が咲く荒凡夫 金子兜太

わたしは、このように思いついた言葉は、いつもメモ帳に書き留めています。

このメモ帳の言葉は、わたしの中から湧き出てきた言葉です。気分、実感、感動の伴った、血の通った自分の言葉です。

これらの言葉は大げさに言えば、わたしという「宇宙」から湧き出てきた言葉であり、わたしという「宇宙」の世界観の反映であり、わたしという「一宇宙」の思想です。

わたしの思想、即ちわたしの支えとなる気分、願い、実感、感動、思い、響きです。

まさしく実感、感動の伴った血の通った「気分は思想だな。思想は生きものだな。」

この生々しい「生」の事実は、動かしがたく、こうしてメモを蓄積して、記事にもそっと挿入して、記録して残している次第です。

(「わたしにとってブログとは?」・ブログは、わたしの思いやひらめきの備忘録。)

金子兜太の句が、胸に熱く響きます。

まさに、 「一人一宇宙」から湧き出てきた言葉 <詩> です。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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