https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=20040412&tit=20040412&today=12it2=2004%94N3%8C%8E1%93%FA%82%CC%20title= 【人体冷えて東北白い花盛り】 より
人体冷えて東北白い花盛り
金子兜太
季語で「花」といえば桜を指すのが普通だ(当歳時記では便宜上「花」に分類)が、さて、この花はいったいなんの花だろうか。桜と解しても構わないとは思うけれど、「白い花」だから林檎か辛夷などの花かもしれない。戦後の岡本敦郎が歌った流行歌に「♪白い花が咲いてた……」というのがあって、詞からはなんの花かはわからないのだけれど、遠い日の故郷に咲いていた花としての情感がよく出ていたことを思い出す。掲句にあっても、花の種類はなんでもよいのである。注目すべきは「人体」で、「身体」でもなく「体」でもなく、生身の身体や体をあえて物自体として突き放した表現にしたところが句の命だ。つまり、作者自身や人々の寒くて冷えている身体や体に主情を入れずに、大いなる東北の風土のなかで「花」同様に点景化している。もう少し言えば、ここには春とは名のみの寒さにかじかんでいる主情的な自分と、そんな自分を含めた東北地方の人々と風土全体を客観的俯瞰的に眺めているもう一人の自分を設定したということだ。この、いわば複眼の視点が、句を大きくしている。と同時に、東北地方独特の春のありようのニュアンスを微細なところで押さえてもいる。一般的に俳句は徹底した客観写生を貫いた作品といえどもが、最後には主情に落とすと言おうか、主情に頼る作品が圧倒的多数であるなかで、句の複眼設定による方法はよほど異色である。読者は詠まれた景の主情的抒情的な解釈にも落ちるだろうが、それだけにとどまらず、直接的には何も詠まれていない東北の風土全体への思いを深く呼び起こされるのだ。発表時より注目を集めた句だが、けだし名句と言ってよいだろう。『蜿蜿』(1968)所収。(清水哲男)
https://miho.opera-noel.net/archives/2368 【第四百二十八夜 金子兜太の「白い花盛り」の句】より
今日は、BSテレビで、1945年制作のアメリカ映画『白い恐怖』を観た。監督は、アフフレッド・ヒッチコック、主演は、イングリッド・バーグマンとグレゴリー・ペック。原題の『Spellbound』には「魔法にかかった」「魅了された」という意味である。
グレゴリー・ペックが演ずるエドワーズ博士は、白地に縞のある模様を見ると発作を起こす奇妙な病癖を持っていた。じつは別人を騙っていて事件性があるらしい。ひと目で恋に落ちたバーグマン演ずる神経科の医師コンスタンスは、彼の無実を証明する。
1945年は、筆者の生まれた年。もう75年前の映画だったのだ。
白が過去を紐解くキーワードの1つになっていて、邦画では『白い恐怖』というタイトルであった。
今宵は、「白」を詠み込んだ作品を探してみた。紹介してみよう。
人体冷えて東北白い花盛り 金子兜太 『蜿蜿(えんえん)』
(じんたいひえて とうほくしろい はなざかり)
東北地方の北国では、春がいっせいに訪れる。春いちばんに顔を出す蕗の薹の後には、桜の花、桃の花、梨の花、林檎の花たちが、ほぼ同時に咲き乱れる。だが暖かさはこれからである。人々は重ね着をし、辺りの空気はまだ冷え冷えとしている。
「白い花ざかり」の「白」は、空気感の冷たさを増幅させる表現であろう。
頭の中で白い夏野となつてゐる 高屋窓秋 『白い夏野』
(づのなかで しろいなつのと なつている)
「頭」は、「づ」と読む人と「あたま」と読む人がいるという。私は、句の調べからも「づ」と読みたい方である。
「夏野」はこれまでの夏の季語であると考えず、「白い夏野」として考えると、高屋窓秋の目指す作品になる。
句意は、野原のような広々とした空間から、どこか清新な、なにか何か新しいことが始まりそうなイメージが湧いてきましたよ、となろうか。
昭和8年に、水原秋桜子が「ホトトギス」を離れたことがきっかけとなって、集まった若い俳人たちの俳句は新興俳句と呼ばれ、さらに、昭和9年には有季定型と無季定型に分裂する。高屋窓秋たち無季容認派は、詩的インパクトの強い言葉、都会的で社会的な言葉を季語の代わりに作品に用いるようになった。
「白い夏野」は、白の真っさらな状態は始まりや出発といったスタートを印象づける。
ひと拗ねてものいはず白き薔薇となる 日野草城 『転轍手』
(ひとすねてものいわず しろき薔薇となる)
日野草城は、京都大学在学中から「ホトトギス」の作家として頭角を現していた。京都を訪れた高浜虚子は日野草城と会い、力ある若者が出てきたことを喜んだ。間もなく草城は、「京大俳句」に入り、「旗艦」を創刊した。
この2つの結社は、関西の新興俳句運動の拠点となった。客観写生の句が中心の「ホトトギス」で草城は、才気煥発な清新な感覚の作品を詠んでいたが、やがて、「十七音の詩が俳句である」として、新興俳句の「新詩精神(エスプリ・ヌーボー」を標榜するようになる。
句意は、若いタイピストに、上司が注意するとたちまち拗ねてしまって、まるで、人を寄せ付けない潔癖さを思わせる白薔薇のようにツンとしてしまいましたよ、となろうか。
当時、新しい女性の職業として人気があった「タイピスト」も、俳句に詠まれ、季語の代わりになった。草城は、無季俳句も作ることもあったが、この作品は「薔薇」が季語である。「白」は、潔癖さを表している。
冬晴に応ふるはみな白きもの 後藤比奈夫 『祇園守』
(ふゆばれに こたうるはみな しろきもの)
句意は、冬晴の中で、その太陽の光に反射している諸々のものは、みな白く輝いていますよ、となろうか。
例えば、木の葉の1枚1枚、草の葉も花弁も、その上に宿っている露の1粒1粒も、どれもが白い輝きを放っている。
この作品が、自然の中の「白」の本然の姿をもっともよく表しているのではないかと感じた。
https://ooikomon.blogspot.com/2018/03/4.html 【金子兜太「人体冷えて東北白い花盛り」(「俳句界」4月号より)・・】より
「俳句界」4月号(文學の森)は、緊急に「哀悼 金子兜太」を特集している。去る2月20日に98歳で亡くなったばかりで、月刊俳句総合誌ではもっとも早く、追悼特集を組んでいる。そのため、さすがに「俳壇から~追悼文」には宇多喜代子、宮坂静生、稲畑汀子、有馬朗人、安西篤などの重鎮の俳人からは電話取材によって編集部がまとめていて、(聞き取り)と註が付されている。その他、山本安見子、黒田杏子、高野ムツオ、大牧広、石寒太、武田伸一、塩野谷仁、宮崎斗士、田中亜美、中内亮玄、五島高資の各人も二、三日ほどで至急の原稿をまとめたと思われる。一時代前のフレーズだが、まさに巨星墜つ!の印象である。
愚生は、若き日、向こう見ずに「金子兜太の挫折」の一文を「俳句研究」誌に草したことがあったが、常に俳句の目標たるべき、乗り越えるべき俳人として、大きな壁として視野の中に入っていた俳人の一人であった。そして「俳句空間(第8号)」誌では、平成時代幕開けの特集「さらば昭和俳句」へのインタビュー(対談相手は夏石番矢)の企画を、二つ返事で応じていただいたことを思い出す。昭和が尽きる直前から平成元年の発行だから、30年近く以前のことになるのだ。また愚生の非力で実現の叶わなかった「金子兜太読本」(邑書林版)では、安西篤、武田伸一両氏に多大なお会世話になりながら、ついにその恩を返せないでいる。9年前から数年「俳句界」顧問として働いていたときには、「兜太ばかりがなぜもてる!」の特集を含め、兜太邸にも伺わせていただいたり、随分と世話になった。
それにしても金子兜太の晩年は俳人というより、「俳人九条の会」など、ある種の平和運動への貢献度において計り知れないものがあった。
以下には、「俳句界」4月号の中から、兜太追悼の句を挙げておきたい。
班雪嶺のあなたへ魄の途(みち)ひかる 宮坂静生
他界ありまた師にま見ゆ春もがな 安西 篤
あと一つ、同号の「北斗賞受賞作家競詠」から一人一句を以下に挙げておきたい。「北斗賞」は、愚生が文学の森に入社したとき、最初に社長・姜琪東に命じられて企画創設なった思い出深い賞でもある。授賞作を句集にして一本にする(既成作品応募可)ことで若い実力ある俳人を鼓舞することが目的だった。
胸に抱く子と春眠をわかちあふ 堀切克洋
春の夜やたつぷり母を湯灌して 西村麒麟
軒下の軍手凍つてをりにけり 抜井諒一
からうじて現となりぬ冬の蝶 藤井あかり
写真家の大きなリュック水温む 涼野海音
たくさんの指を集めて春の嶺 髙勢祥子
しんしんと古びゆく身や花筵 堀本裕樹
牡丹に芽魔法使ひにおのが杖 川越歌澄
金子兜太の句 より抜粋
曼珠沙華どれも腹出し秩父の子
金子兜太
曼珠沙華(まんじゅしゃげ)は、別名「死人花」「捨子花」などとも言われており、墓場に群生したりしていて、少なくともおめでたい花ではないようだ。見るところ生命力は強そうだ(「死人花にてひとつだにうつむかず」金谷信夫)し、花の色が毒々しくも感じられるので、可憐な花を愛する上品な趣味の人たちが嫌ってきたのかもしれない。だが、それにしては昔から皇居の壕端に盛んに咲かせているのは何故なのか、よくわからない。ところで兜太は、そんな上品な趣味とは無関係に、故郷・秩父の子供たちの生き生きとした姿を曼珠沙華の生命力になぞらえている。けっして上品ではない洟垂れ小僧らの生命力への賛歌である。敗戦後まもなくの作品だから、腹を出して遊ぶ子供たちの姿に根源的な生きる力を強く感じさせられたのだろう。ここには、まだ白面の青年俳人であった兜太の「骨太にして繊細な感受性」がうかがえる。うつむいているばかりの「青白きインテリ」に対して一線を画していた、若き日の作者の意気軒昂ぶりが合わせて読み取れて心地よい。『少年』(1955)所収。(清水哲男)
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